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論語に学ぶ人事の心得第六回 「見かけの学歴よりその本人の真の能力を見抜き用いる」

 子夏は学而1-3に出てくる曽子と同世代の人で孔門十哲の一人です。孔子より44歳若く、子夏は字、姓は卜(ぼく)、名は商(しょう)と言いました。師をうならせるほどの文才の持ち主だったと言われています。
 孔門十哲とは孔子の高弟には70名ほどの秀才がいましたが、その中でとりわけ優れた弟子の十名を指します。これからもこの論語にしばしば登場する人たちです。
 顔回(がんかい)、閔子騫(びんしけん)、冉泊牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)、宰我(さいが)、子貢(しこう)、冉有(ぜんゆう)、子路(しろ)、子游(しゆう)、子夏(しか)の十名です。この人たちの人となりは登場したときに紹介します。


 学而1-7「子夏曰く、賢を賢として色に易へ、父母に事へて能く其の力を竭し、君に事へて能く其の身を致し、朋友與交るに言ふ而信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾れは之れを學びたりと必ず謂ふ。

 「賢を賢として色に易へ」とは賢者を敬い美女を遠ざけること。「父母に事へて能く其の力を竭し」は父母への孝行に力の限りを尽くすこと。「朋友與交るに言ふ而信有らば」は友人との交際で自分の言ったことに誠実であること。「未だ學ばずと曰うと雖も、吾れは之れを學びたりと必ず謂ふ」は正式な学問を受けていなくても私は学問のある人と認める。


論語の教え7:「見かけの学歴よりその本人の真の能力を見抜き用いる」
◆公正な人事を怠るな
 高い学歴を有する人はそれなりの才能や努力した成果を示しているので認めるべきですが、だからと言って学歴のある人はすべて有能で社会に貢献していると言い切れることではありません。
 「ハロー効果」という言葉があります。ハローとは後光がさすことを言います。後ろから光が差し込むとその人を際立たせることからこの言葉が用いられます。現代風に言いますとどこの国においても最高学府と言われる入学に最難関の学校を卒業したという学歴を見ただけで有能だと信じ込むこととです。
 ハロー効果はほかにもあります。親の職業を見てその人の子供にも才能があると鵜呑みしてしまうことです。

◆採用を軽く見るな
 人にはいろいろな事情によって正式な学校教育を受けられない人がいます。
 だからと言って、その人に社会に出て能力を発揮できないかというと全くの別問題です。知っていることとできることと混同してはいけません。社会に出て必要な能力は習得したことの応用力と実践力です。また、その組織への適応能力と適材配置ができるかどうかで決まります。それを判定するのが入社の第一関門である採用試験です。
 人事は採用に始まり採用で終わるという言葉があります。採用で入社後の人事管理のすべてが左右されるという意味です。とりわけ幹部社員の採用は会社の根幹を揺さぶるほどの影響力を与えます。
人の才能を見抜くのは人事の最高技術の一つです。
 採用の失敗は教育訓練でカバーできず、会社にとっても社員にとっても不幸なことをも意味しています。


論語に学ぶ人事の心得第五回 「学習をして知識を習得する前に人間としての徳を磨く」

 孔子は思想家でありましたが何よりも特筆すべきことは実践家だったことです。論語で取り上げられている教えはすべて実践の中から体得したことを弟子に説いています。
 現代風に言えば自ら体得した経験法則を弟子とともに共有したとでも言っていいと思います。今回取り上げる教えもまさにその典型的な教えの一つです。
 孔子は親孝行や年長者を敬うことの大切さを説いていますが決して無理強いしたり、義務で行くことを求めているのではありません。人生を送る上で、良い人間関係を作り上げることの大切さを教えているのです。
 人事の要諦のもう一つは「職場における上下左右のよき人間関係作りだ」といっても言い過ぎではありません。上司を敬い、同僚と誠実に仕事ができればこれほど楽しい職場はないでしょう。
 私たちはともすれば他人に変わることを求めがちですが、その前に自ら変われるよう努力しましょう。

 学而1-6「子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く衆を愛し而仁に親しみ。行ひて餘れる力有らば、則ち以って文を學べ」

 「弟子」とは孔子の弟子だけでなく広く若い人たちのことです。「入りて孝」とは家庭内では親に孝行を尽くすこと、「出でては則ち弟」家の外では年長者には素直な態度で接することです。「謹みて信あり」とは真面目に誠実を心がけることです。誠実とは前にも出てきましたが言葉や行動する上で、私利私欲に走るのでは無く、また、ごまかしや不正がなく、正直である人のことを言います。
 「汎く衆を愛し而仁に親しみ」とは多くの人々には愛情をもって接するとともに、仁を心得た人や志のある人物と親しくすると自分もそのような人から教えられることが多いという意味です。仁はこの論語にしばしば出てくる言葉です。
 孔子の教えの中で5つの徳「仁・義・礼・智・信」の一つとして説かれた最高徳目の一つです。その意味は己に克ち、他に対するいたわりのある心のことです。「餘れる力有らば、則ち以って文を學べ」とは、これらが自然に行えるようになってから、やっと学問をすることができるという意味です。
 論語の教え7:「学習をして知識を習得する前に人間としての徳を磨く」
人材育成は知識を増やすことではないという人を育てることの本質を突いた教えです。この教えには意味が二つあると思います。
 第一の教えは、人間としての徳を身に着けていない人がいくら知識を習得してもそれを正しく活用することはできないということです。
 第二の教えは、知識というものは手段であり目的ではないということです。孔子は知識を増やすことを決して否定しているわけではありません。
 冒頭に述べましたように。知識を身に着け実践することの大切さをことのほか分かった人でした。しかしながら、何よりも大切なことは人間としての徳を磨くこと、人格の陶冶こそ人材育成の究極の目的であると教えているのです。
 まず、人間としての徳を磨け、しかる後に知識を習得せよと言っています。とくに、管理者や経営幹部のように上に立つリーダーの育成には徳育、知育、体育のバランスが取れたプログラムが必要でしょう。
 では、徳を磨くにはどのようにすべきなのでしょうか。この「論語に学ぶ人事の心得」の最重要なテーマです。これから、皆さんとともに考察していきたいと思います。


論語に学ぶ人事の心得第四回 「人事の要諦は社員との信頼関係を築き上げることである」

 孔子は政治家として成功した人ではありませんでしたが政治的理想は高邁で生涯にわたりぶれることはありませんでした。今回取り上げた教えはまさに孔子が描いた理想を唱えたものです。しかし、これは政治だけでなく時空を超えて現在の経営や人事の金字塔になった教えです。

 学而1-5「子曰く、千乗の国を道びくに、事を敬みて信、用を節して人を愛し、民を使うに時をもってす」
 「千乗の国を道びく」とは魯の国のような諸侯の国を治めることです。信とは信義のこと。信義は真心をもって約束を守り、国民に対するつとめを果たすことを指しています。国民に義務を強いる前に為政者が固民を信頼し、無駄を排して国民のためになる政治を行うことが必要だと説いているのです。
 現代にも全く適用できる話です。いな、世界的に、現代ほど政治の信頼を構築する必要性に迫られている時代は歴史上になかったと言っても言い過ぎではないと思います。
 世界のリーダーはこの教えに耳を傾けるべきだと思います。政治的リーダーだけでなく、企業をリードする経営者にも当てはまることです。政治の乱れは政治家の乱れであり、経営の乱れは経営者の乱れだと言われます。腐敗は常に上層部から始まります。
 ところが政治家は民の徳不足をあざ笑い、経営者は社員の能力不足を嘆いています。まったく本末転倒で認識不足も甚だしいと言ったらいい過ぎでしょうか

 論語の教え6:人事の要諦は社員との信頼関係を築き上げることである。そのためには社員を大切にしなければならない」

 社員に愛情を持つことが人事の基本です。
 人事でいう愛情とは単なる好き嫌いの話ではありません。社員一人ひとりの違いを発見し社員の個別ニーズに対応することが原則です。
 当社が本格的に人事労務コンサルティング事業を開始して4年目を迎えています。最近になって、華東地域の日系企業では人事管理に目覚め、諸制度の改革に取り組む企業が増えてきましたがそれまでは人事管理とは程遠い状況が続いていました。いわゆる労務管理全盛時代だったのです。大量に採用して大量に辞めさせるのが当たり前でした。

 人事管理と労務管理は真逆です。
 人事管理は前述したように社員の個別ニーズを把握しきめ細やかにニーズに応える管理手法です。労務管理は集団管理です。集団隔離は社員の個別ニーズに応えることを必要としていません。主たる管理は勤怠管理だけです。働いた時間で賃金が支給されるだけですので組織上に人事機能を持った部署がありません。
 シンプルといえば聞こえはいいのですが社員を単に人手や人足としてしか見ていないのです。社員を人として認識していないのですからそこには信頼関係を構築する余地や必要性が存在しません。

 そんな管理をしながらも会社は社員に高い質を求めます。
 社員の質が低いと製品の質が低く、顧客からの苦情が絶えないからです。
 かつて、関係している会社で製品の品質不良で顧客からの苦情に悩まされ続けている会社がありました。経営者に詳しく話を訊いてみました。すると、その経営者は業績不振のため高い賃金が払えないから社員が定着しないのだと思い込んでいました。賃金をこれ以上上げられないから手の打ちようがないと半ばあきらめ顔で語っていた姿を思い出します。
 本当にそうでしょうか。私には全く別の理由だと思われました。
 社員は離職するときは賃金の低さを理由にすることがよくあります。それは退職理由として最も有効であることを社員がよく知っているからです。しかしながら、本当の理由が別にあることが多いのです。
経営者の認識不足や洞察力の無さによって対策が的外れになります。

 社員と会社に信頼関係が築き上げられている会社ではこのような事態は起こりません。社会の発展に伴って社員の価値観が多様化してきます。いつまでもワンパターンの集団管理を続けていたら企業も社員も取り残され、やがては企業そのものが衰退し没落することになるでしょう。


論語に学ぶ人事の心得第三回 「たとえやさしいことでも毎日反省することが大切である」

孔子の氏は孔、名は丘、字は仲尼と言いました。孔子は孔先生という意味の尊称です。弟子が3000人もいたと伝えられているので余程の大先生だったのでしょう。しかし、孔子は若くして学問を志ますがいわゆる象牙の塔にこもったような学者ではありませんでした。2500年も前のことですから高い学問を習得したのでもありませんし高貴な指導者に指導を受けたわけでもありませんでした。
魯の国の下級官吏に任官され、社会生活のスタートを切りますがやがて魯国のクーデターで国王とともに国を追われ隣国斉に亡命します。30代半ばに亡命先から帰国し弟子の指導を始めます。長らく弟子の指導に専念しますが、再び国王に取り立てられて行政職に復帰します。
大司冠(裁判官の最高位)にまで上り詰めました。55歳で官を辞し、弟子たちとともに13年間の諸国漫遊の旅に出ます。
孔子は儒教の開祖ですが特定の指導者に学んで開眼したのではなく自らの体験と学習からから編み出したものです。弟子のひとりは「先生は特定の師を持たなかった」と語っていますのでおそらく事実なのでしょう。誰であっても謙虚に耳を傾け自分のものにしたと言います。まさに、生涯にわたり活学を実践されたと言えると思います。

それでは引き続き論語の「学而編」移りましょう。
学而1-4 曾子曰く、吾れ日に三たび吾が身を省みる。人の爲に謀りて忠ならざる乎、朋友と交りて信ならざる乎、習わざるを傳ふる乎。
曽子が言った。「私は毎日必ず何度も自分を点検することにしている。仕事にあたって誠意で取り組んだだろうか? 交友で約束を破らなかっただろうか? 知り得たことを実践しただろうか? と。」
曾子は孔子と46歳も離れた最若年の弟子の一人です。孔子の没後、頭角を現し指導的地位についたと伝えられています。

論語の教え5:「たとえ易しいことであっても毎日何度も自己反省することが大切である」
これらはビジネスマナーの基本であり、本質です。

①仕事にあたって誠意を持って取り組んだか?
誠意をもって仕事するとは私利・私欲を離れて、正直に、熱心に事にあたることを意味しています。簡単なようであって、実に難しいことです。

②交友関係で約束を破らなかったか?
これも易しいようでなかなか難しいことです。例えば、約束を守ることは人間関係の基本です。時間を守ること、決められたことを守ること、指示されたことをやり遂げることなど仕事をする上でのすべてにあてはまります。

③知りえたことを実践したか?
何事も目的指向で実践することが大切です。私たちは何のために学ぶのでしょうか?
学んだことを活用して役立てることです。単に知識を蓄積することだけでは意味がありません。

上記三つのことはなにも難しいことではありません。たとえやさしいと思われる事であっても日々に反省することに重要な意味があります。このような生活習慣を心がけ実践することが成功への道だと論語が説いてい.ます。


論語に学ぶ人事の心得第二回 論語が生まれた時代背景と孔子の人となり

前回から「論語に学ぶ人事の心得」と題して、論語の教えを人事管理にどのように役立てるかを取り上げることにしました。2500年も前の英知が現在に十分有効であるばかりでなく未来の人事管理にも燦然と輝く北極星のようにあるべき姿を指し示してくれているように思います。
論語の教えに入る前に孔子の人となりと孔子が生きた時代を簡単に紹介しておきます。孔子が生きたのは古代中国の春秋時代です。群雄割拠し戦乱に明け暮れていた時代でもありました。孔子は紀元前551年9月28日に魯の国(現在の山東省南部)に生まれ、紀元前479年4月11日74歳で波乱万丈の生涯を終えています。魯の国は、もともと弱小国で、貧しく人心も安定していませんでした。父親は魯の国の将軍でしたが孔子が幼いころ(3歳)に戦死します。母は側室でした。父の死後酒造り職人であった母とともに辛酸をなめる生活に追い込まれます。その母も孔子が17歳の時に亡くなります。天涯孤独の孤児となりました。このようにその出自は決して恵まれたとはいえず、むしろどん底の貧しい家庭に育ったのです。
このシリーズでは孔子がこのような逆境の中からいかにして儒教の開祖といわれるまでの思想家になれたのかを紐解くことができればとも考えております。
どうか楽しみにしていただければ幸いです。

学而1-2有子曰く、その人と為りや高弟にして、而も上を犯すことを好むものは鮮し。上を犯すことを好まずして而も乱をすことを好む者は未だこれ有らざるなり。君子は本を務む。立ちて道生ず。孝弟なる者はそれ仁の本なるか。
「高弟の有子がこのように解説しました。年長者を敬い控えめな者は目上の人に逆らうことを好む人はめったにません。目上に逆らうことを好まない人で、不作法や謀反を起こしたりする人はかつて誰もいませんでした。優れた人は基本を大切にします。基本が確立さると、正しいやり方が生まれます。孝行や年少者として控えめな態度を身につけた人は、それこそが仁の基本を身に着けた人であろうと思われます」

論語の教え3:目上の人の意見を傾聴することの大切さ
他者への傾聴を心掛けている人は情報が入りやすくなり、人間関係も良くなります。とりわけ自分と反対の意見を持っている人や個性的な人の意見を重視していると真に必要な情報が入りやすくなります。部下を持つ人は部下に従順さを求めるあまり反対者や反対意見を遠ざけることがよくありますが、諫言を傾聴し快く受け入れる人こそ真のリーダーです。

論語の教え4:基本的な原則の修得し何事に対処するにもぶれないことが重要である。
何事にも基本があり本質があります。基本を身につけておけば応用ができます。基本が理解できていないのにむやみに変化させると目的や原則とかけ離れた制度や仕組みになってしまいます。いわゆる手段が目的化することです。人事の事例で異動を取り上げましょう。人事異動は社員の適材適所の配置のために行われるのが基本原則です。現在の所属で十分能力を発揮しているのに上司の部下に対する好みで人事異動させてしまうことがよくあります。その逆もあります。上司が今の部下がとても従順で使い易いからいつまでも抱え込んでおきたいといって離さなかったとしたらどうなるでしょうか。部下はマンネリに陥り便利屋としての価値しかなくなります。その人の職業人生は上司によって抹殺されることになってしまいます。
仁とは孔子による儒教の教えの中で5つの徳「仁・義・礼・智・信」の一つとして説かれた概念です。


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