論語に学ぶ人事の心得第73回 「人の過ちを見れば、仁の人か、不仁(ふじん)の人かおおよその見当がつく」

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 本項では人間の特性をマイナスの行為から見抜けることを指摘したものです。
 「各々(おのおの)其の党に於いてす」とあるように党とは人の範疇のことで人柄を意味します。  つまり、犯した罪(過ち)を見れば、その人の人柄が類推出来というのです。
 ここでも孔子は「人は環境の動物である」と言っているのです。人はそれぞれの立場で社会生活を行っています。その役割や地位に応じた過ちを犯してしまいます。
 例えば、君主であっても、一般庶民であっても、役人であっても、軍人であってもそこに当てはまる過失を犯すのです。そして、犯した過ちを見れば仁の心を持っている人か、不仁(ふじん)の人か見分けることができるというのです。これは、誰にでもできる話ではありません。孔子にしかできないことなのかというと「そうではない」と私は思います。なぜ、孔子は本項で人の特質を見抜くことを取り上げたかということですが、弟子に対して人の特質を見抜く基準の大切さを説いているのだと思います。仁か不仁(ふじん)かを見抜けるのは基準をしっかりと習得することです。
 孔子は弟子に仁か不仁(ふじん)かを見抜く確かな目を持つことを奨励しているのだと私には思えます。だから、五常を学び、実践し、身体で覚え込むこと、すなわち、悟りをすることの大切さを訴えているのです。
 里仁編4-7「子曰く、人の過(あやま)ちや、各々(おのおの)其の党に於いてす。過ちを観れば、斯(ここ)に仁を知る。」
師は言われた。「人の過(あやま)ちや、各々(おのおの)其の党に於いてす」とは人が過失を犯すのはそれぞれの類(たぐい)による。「過ちを観れば、斯(ここ)に仁を知る」とは過失を見ればその人の仁のほどが見える。

 論語の教え73:人事の基本は「人は、過去にどのような生活をしてきたのか?現在、どのように人生を送っているのか?未来にどのような目標を以て人生を切り開こうとしているのか?」を把握することである。

◆人間の過去はその人の人格が形成された期間である。
 人事は一人ひとりの違いを把握することが基本です。
 一人ひとりの違いを把握するために最も大切なプロセスはその過去をさかのぼり、人格形成のプロセスを分析することです。そのために人事担当者の大切なスキルはカウンセリングスキルを習得することです。カウンセリング技法は「訊く」「聞く」「聴く」の三つです。
 「訊く」とは質問技法のことです。効果的な質問により相手が話したくなる状況を作り出すことです。


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 「聞く」とは関心を示すことです。まじめな関心を示すことで相手は信頼を寄せることになります。「聴く」とは共感的理解を示すことです。単なる同情を示すことではありません。共感的理解とはあたかも自分が感じているかのように感じ取ること、しかも同時に、それに巻き込まれない冷静な立場を保つことです。人の体験には、簡単に他人に話せないような過去があります。よほどの信頼関係がないとその過去を他人に話すことはまずありません。
 でも相手が共感的理解を示してくれれば心の扉を開き始めます。これを心理学ではラポートがかかると言います。質問者と答える人との間に心と心の懸け橋ができることを言います。こうなればしめたものです。大抵の人の過去にどのような形で人格形成されたか手に取るようにわかります。
ここで、聴き手にとって大切なことがあります。話し手が語ったことは口が裂けても他言してはならないことです。他言するようなことがあれば信頼関係は一瞬にして崩壊し、以後いかなることがあっても復元することは絶対にありません。

◆人間の現在は新しい人格を模索する期間である。
 時間軸でいえば人間の過去と現在は決して切れることはありません。過去の蓄積の中に現在があることには間違いがありません。しかし、人間には大切な価値観があります。価値観は本編でよく話題になるように環境との相互作用です。人格は環境によって影響を受けながら形成されてゆくのです。そして私たちは、変える必要のある過去と変えてはならない過去を常に共存させながら生きています。孔子はこの二面性を常に意識していました。ことあるごとに弟子を励まし、徳を積むことにとって新たな価値観を習得することを弟子たちに説きました。本編「里仁」に流れている思想は、徳を積むことは、単に無盲目的に他人に思いやりを注ぎこむことではなく、品性の下劣なものに対してはそれがだれであっても率直に批判し是々非々で対応できる人こそ仁徳者だと教えました。他人を巻き込みながら、未来に向かって確固たる意志を築き上げる生活を送ることが現在なのです。

◆人間の未来は新しい人格を形成する期間である。
 そして、未来は自ら掲げたありたい姿を鮮明にイメージすることです。人間には誰にでもミッショ(使命患)、ビジョン(夢)、バリュー(価値観)があります。それは、意識するとしないのでは大違いです。そしてそれらを目的として到達点としての目標があります。もし、私たちが目標を掲げなければ何を目指して生きるのかを見失います。
 人生は経済的豊かさを追求するだけでは不十分です。経済的豊かさや権力を追求するだけで人生は空虚です。それらはあくまでも結果にすぎません。とりわけ、孔子はそれに執着する人を認めませんでした。弟子の中でも、五常に生きる人を信頼し評価しました。前にも述べましたが、孔子は富裕に夏ことを決して否定していません。金や権力の亡者になるなと言っているのです。(了)


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