論語に学ぶ人事の心得第74回 「穏やかな安定した社会が到来したら、思い残すことはない。私は天命に従う」

 本項はリーダーの真情を語る大変有名な言葉です。儒教を開いた孔子の万感の思いを吐露しています。「道」とは五常が花を開いた理想郷だからです。


 当時の弱小国「魯国」を取り巻く環境は、いつ他国に攻め込まれて国が滅びても不思議ではない緊迫した春秋という時代背景にありました。しかも、国政は三桓という貴族に実権を握られ、君主ですら操(あやつ)られていました。
 いつ起きるとも知れない下剋上の世界でしたから、夢を見るような話です。孔子の言う「道」とは穏やかで安定した理想的な社会(ユートピア)を実現することです。そんな社会が実現できたら、その日に天に召されても悔いはないと孔子は思わず弟子を前に本音を吐いたのでした。
 孔子は簡単に「道」が実現できないことは百も承知していました。だから、ありえない現実を前にして、自分の夢を語り、夢が現実のものになるなら天命に従い、いつでも天国に行く覚悟ができていることを語ったのでした。
 後世にも、乾坤一擲の事態に直面したリーダーがしばしば口にしたのもこの言葉です。本当に死ぬかどうか別として、命を賭して与えられた責務にまい進するリーダーの気迫の籠った言葉として心情にあふれています。

 里仁編4-8「子曰く、朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。」
 師は言われた。「朝(あした)に道を聞かば」とは、朝、節度と調和にあふれる理想的な社会が到来したと聞いたら、「夕(ゆうべ)に死すとも可なり」とはその夜死んでもかまわない。

論語の教え74: 「命を賭して取り組んだ生涯目標に到達できれば、いつでも身を引く覚悟だ」


◆事をなすとは内在する二人の自己との戦いで勝利すること。
 本項での孔子の教えは事業を起こしたすべてのリーダーに当てはまる教えだと思います。
 すべてのリーダーは、当初崇高な使命感を持ち、豊かな想像力を発揮して、事業を始めます。事
業が成功し始めると心の中にあるもう一人の私利私欲という自分が頭を持ち上げてきます。もう
一人の自分を自制心でコントロールできる人は次の発展へと駒を進めることができす。
 為政編2-1「子曰く、政(まつりごと)を為すに徳を以てす。譬(たと)えば、北辰の其の所に居て、衆星(しゅうせい)の之に共(むか)うがごとし」とあります。これはいわゆるガバナンスのことですがすべての組織を率いるリーダーに言えることです。北辰とは北極星のことです。この意味するところは「北極星のようにリーダーは徳を以て燦然と輝け、そうすれば多くの人々はリーダーの剣や権に従うのではなく、徳に従うようになる」ということです。
 しかし、世の中はそう簡単に進みません。多くの場合には自己制御が効かなくなって、せっかく築いた事業や組織を崩壊させてしまうのもまたリーダーです。人類の歴史はその繰り返しであったと言っても言い過ぎではないでしょう。「人間とは愚かさと賢明さを同居させた生き物である」いえると思います。
 それだけに一人の人間を神聖化し、妄信してはならないのです。

◆自然人には限りがあるが、法人は永遠に続く
 これも当たり前の話です。どんなに優れたリーダーであっても永遠の存在ではありません。必ず、終わりがありす。しかし、社会が必要と認める限りは、法人には終わりがありません。何百年と続いている国家や企業があります。今から20年ほど前に「ビジョナリーカンパニー」という著書がベストセラーになったことがありました。その本の中に「時を告げる人を作るのではなく、時計を作る人を作れという」言葉ありました。この言葉の意味するところは「組織にはカリスマ的指導者はいらない。永遠に社会に価値を届けられる仕組みを作れ」という意味です。本項で取り上げられているテーマと全く同じ意味です。
 ビジョナリーカンパニーに共通するのは次のような特徴が備わっています。
 第一に、一貫性を持った基本理念がある。
 第二に、カルトのような文化を持っている
 第三に、基本理念を共有する。
 第四に、時計を作る経営者がいる
 第五に、二者択一でなく、両方を成立させる
 第六に、シンプルなコンセプトに特化した戦略を持っている

◆リーダーは晩節を汚すことなく、後進に道を譲る
 「成功者は成功したのと同じ理由で失敗者になる」との格言があります。失敗は成功の母とは与よく聞く言葉ですが、その逆説で、成功は失敗の母というわけです。一方、政治的な格言で「権力は必ず腐敗する」という言葉もあります。
 これらの言葉には不思議と訴える真実の強さのようなものを感じます。おそらく、頭の中で考え出された観念的な真理ではなく、現実の現象から導き出された経験法則であるからだと思います。
 而も、一度や二度ではなく、何度も何度も繰り返し起こっている現象でもあるからだと思います。古(いにしえ)の時代から今なおかつ引き起こされることに驚きを禁じざるを得ません。私自身の短い人生の中でも、いくつも晩節を汚す事例を目の当たりにしてきました。
 なぜ、このようなことが繰り返されるのか、その背景を考えてみたいと思います。
 一つは、事業の私物化です。事業を自分の子供と錯覚していることです。晩節を汚しているリーダーの最大の要因の一つです。
 二つは、自己過信です。時代が変化しているのに過去と現在が同じであると錯覚していることです。
 三つは、他者不信です。自分以外誰も信用しません。極端な事例として自分の子息も信用せず廃嫡します。
 これらは、すべて老化現象による正常な思考力と判断力を喪失した結果であり、周りはすべてわかっているのですが、気づいていないのは本人だけです。悲劇が起こる前に組織としてこれらを回避することを考えておく必要性があります。(了)


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