6ページ目

論語に学ぶ人事の心得第十一回 「社会人のマナーについて:社会人の生き方には周りとの調和を大切にして生きることと理想を追求して生きることと均衡させることが重要である」

 有子は孔子の高弟の一人で学而編の1-2に出てくるのと同一人物です。姓は有、名は若、字(あざな)は子有といいます。孔子没後有子(有先生)と尊称されます。『孟子』によれば、顔が孔子に似ていたとも言われています。孔子の代わりに一門のリーダー的存在に押そうとされますが弟子の一部が反対し、纏まらず結局、沙汰やみになったと伝えられています。生没年未詳です。孔子との年齢差については、『史記』では46年少、『孔子家語』古本では33年少、現行本では36年少とするなど諸説あり正確にはわかっていません。
 学而1-12「有子(ゆうし)曰(いわ)く、禮(れい)の和(わ)を用(もっ)て貴(とおと)しと爲(な)すは、先王之(の)道にして、斯(こ)れを美(び)と爲(な)す。小大(しょうだい)之(これ)に由(よ)るも、行はれざる所有り。和を知り而(て)和すれども、禮(れい)を以(もっ)て之(これ)を節(ただ)さざらば、亦(おおい)に行はる可(べ)からざる也。」

 「禮(れい)の和(わ)を用(もっ)て貴(とおと)しと爲(な)す」とは礼法が調和をおもんじること。禮(れい)とは元服の儀式、婚礼、葬礼など社会行事に関する作法全般のこと。「先王之(の)道にして、斯(こ)れを美(び)と爲(な)す」先王とは昔の王。とりわけ聖天子とされる堯(ぎょう)や舜(しゅん)や禹(う)、殷(いん)の湯(とう)王や周(しゅう)の文(ぶん)王・武(ぶ)王を指す。その王たちが実践した禮(れい)のやり方が素晴らしかった。「小大(しょうだい)之(これ)に由(よ)るも」とは、大きいことも小さいことも何もかも調和を大事にするとかえってうまくゆかなくなる。「和を知り而(て)和すれども、禮(れい)を以(もっ)て之(これ)を節(ただ)さざらば、亦(おおい)に行はる可(べ)からざる也」とは、調和させること大切さを認識して調和させるにしても、やはり礼法を以てそれに節度を加えないと、規律が維持できない」

 論語の教え12:「社会人のマナーについて:社会人の生き方には周りとの調和を大切にして生きることも大事であるが自分が掲げた理想を実現させるために生きることと均衡させることが大切ある」

人間の行動は環境とパーソナリティーの関数である
 唐突ですが、これは行動科学の創始者でアメリカのハーバード大学教授でもあったクルト・レヴィン博士の言葉です。
 博士はB=F(E P)という方程式を導き出しました。
 BはBehavior(行為)です。FはFunction(関数)でEはEnvironment(環境)、PはPersonality(人格)です。要するに人間の行動はその人が所属する生活環境とその人の人格で決まるというものです。人は生まれて、社会の最小単位である家族の影響を受けます。学令期に達すると先生や友人との人間関係の中から自我に目覚めてゆきます。社会に出てからは上司や同僚との人間関係から自己研磨します。このようにおよそ人間は生まれてからりあしてゆい過ぎではありません。
 ここで大切なことは二つあります。
 その第一は、「環境は与えられるものばかりでなく、自ら作り出すものだ」ということです。ご承知の通り、幼少期は選択の幅が小さいのですが齢を重ねるにしたがって人生の岐路に立つ選択が求められます。それらは職業の選択であり、人生を共にするパートナーの選択です。人生を成功させた人は岐路に立つ選択を誤らなかった人でもあります。ここでいう人生の成功とは経済的豊かさのみを意味しているのではありません。成功とは理想を掲げ、それを実現するために一つ一つクリアしてゆくことです。
 その第二は環境を自ら作り出すためには理想を掲げ、その理想に一歩、一歩近づける努力をすることです。周りに気配りして調和を意識しすぎると有子が述べているようにかえってうまくゆかなくなるのです。周りから影響されるのではなく、周りに影響を与えるくらいの気概を持つことも必要でしょう。それは王のような権力者だけでなく理想を掲げてひたすら追求し続けている人には誰でもなしえることです。

生涯を共にする心友を得ることの大切さ
 親と上司は選べない。友人は選ぶことができると言われます。とりわけ、何でも打ち明けられる心の友を持つことが人生の成功の大きな部分を占めています。論語の学而編の第一に孔子は「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」と述べています。友人との交流や語らいの中に自分の理想を実現することや生きることの迷いを払しょくするヒントを得ることができるのです。親兄弟に相談できないことでも相談しあえる而も切磋琢磨しあえる友人に巡り合えるかどうかで人生の成功が決まると言っても言い過ぎではないでしょう。(了)


論語に学ぶ人事の心得第十回 「仕事を引き継ぐ際の心得:事業の後継や引き継ぐ際には前任者の思いや行動を尊重する」

 今回の教えは親孝行の話です。孝行は孔子の思想の根幹をなす一つですが現代ビジネス風に後継者や後任者の心得として捉えてみました。
 事業の継承は会社の盛衰を握っている重要課題の一つです。どの企業にとっても後継者の育成が最重要な経営課題の一つであることには間違いありません。また、どの企業や組織でもいずれ必ず訪れるのが継承問題です。
 そして、事業の継承とまでいかなくても定期的に行われる人事異動によって事業や業務の引継ぎがあります。後継者や後任者には前の人の仕事のやり方の粗(あら)がよく見えます。そして、そのあとの行動が問われます。すぐにその見えた粗を改善と称して変えるのか、しばらくじっくりと観察して時機を待つのかです。ビジネスには正解がありませんがどう考えるべきでしょうか?
 論語の教えを参考にしながら考察してみたいと思います。

 学而1-11「子曰く、父在(いま)さば其の志を觀(み)、父沒(みまか)らば其の行(おこない)を觀(み)る。三年父の道(みち)於(を)改(あらた)むる無(な)からば、孝と謂(い)う可(べ)し。」

 「父在(いま)さば」とは、父親が存命中にはということ。其の志を觀(み)とは父親が何を目標に生きているのかよく観察する。父沒(みまか)らばとは父親が亡くなればといこと。其の行(おこない)を觀(み)るとは父親の生前の行いを思い起こすこと。三年父の道(みち於(を)改(あらた)むる無(な)からば)とは服喪中の三年間父のやり方をそのまま受け継ぐこと。孝と謂(い)う可(べ)しとはその子供は孝行ものである。

 論語の教え11:「仕事を引き継ぐ際の心得:前任者の目標や思いをよく観察し、その仕事を引き継いだ際にはやり方を焦って変えようとしてはならない」

 事業や業務を引き継いだ際には、最低一年間は観察し真因をつかめ。
 引き継いだ直後は前述したように前任者の粗(あら)が目についてとても気になります。そのこと自体は決して悪いわけではありません。新鮮な目で現実を見つめている証拠だからです。
 しかしながら、ここで焦って事態を変えようとしないことが大切です。
 何であれ物事には表層的(現象的)問題と深層的(本質的)問題があります。表面的問題に対症療法的に対応していたのでは何回も同じ問題が噴出します。いわゆる「もぐらたたき現象」が生じてしまいます。
 そこで、一定の期間現象的問題を収集し、原因分析をするのです。原因にも同じように表層的原因と本質的原因(真因)があります。表層問題ごとに表層原因がありますが本質的原因は絞り込むことが可能です。
 例えば、表層問題が三桁あったとしても本質的原因は数個に絞り込めます。そして、本質的問題の解決策をち密に計画して対処すれば所期の目的が達成できます。

 引き継がれる人と引き継ぐ人の両者に責任がある
 孝行の話に戻ります。孔子の教えでは孝行とは孝行する子供に孝行強いることではありません。親も子供から孝行されるほど徳のある生き方をしなければならないとの教えです。
ともすれば、親か子かのどちらかの問題ととらえがちですが親にも子にも徳を積む責任があるのです。
 同じように現代のビジネス社会においても事業を継承される人と継承する人との関係は共同責任です。そのどちらかが一方的に悪いのではありません。ところが自責でなく他責の気持ちが問題をこじらせることがしばしば起こります。引き継いだ人は「前任者がもっと計画的に人材育成に取り組んでくれていればわが社はさらに発展できたのにといい、引継ぎされた人はもっと有能だと思って後継者にしたのに期待外れだったといいます。
 ことの本質的原因を把握して解決行動を起こしていればこのような他責の話はないはずです。


論語に学ぶ人事の心得第九回 「常に見聞を広め、人格の陶冶に励んでいれば敢えて、求めなくても周りから頼りにされ、必要な情報が入ってくる」

 子貢は孔子門下の逸材です。孔門10哲の一人で、姓は端木、名は賜と言いました。衛国(現在の河北省南西部から河南省北部にわたる地域)出身です。大秀才であり、弁論にも秀でていました。孔子より31歳年少。春秋時代末期から戦国時代にかけて、外交官、内政官、大商人として活躍しました。子禽(しきん)は子貢の弟子です。姓は陳、名は亢(こう)と言いました。孔子より子貢を尊敬していたとも伝えられています。
 本項はその信頼する師弟関係の対話です。

 学而1-10「子禽(しきん)、子貢(しこう)に問ふて曰く、夫子(ふうし)のこの邦(くに)に至るや、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之(これ)を求むるや、抑ち(すなわち)之を与えたるか。子貢曰く、夫子は溫(おん)・良(りょう)・恭(きょう)・儉(けん)讓(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸人の之を求めたるには異ならんや。」
 子禽は師である子貢に質問した。孔子先生はある国を訪ねると必ず政(政治)をその国から相談された。これは先生が求めたのか先方から持ち掛けられたのかどちらであろうか。子貢はその資金の質問に答えて以下のように説明した。先生は温(おだやかさ)、良(素直さ)恭(うやうやしさ)、儉(つつましやか)、讓(ひかえめ)な人柄であるので自然とそのようななりいきになった。先生から求められたとしても他の人とは異なっていた。

 論語の教え10:「常に見聞を広め、人格の陶冶に励んでいれば敢えて、求めなくても周りから頼りにされ、必要な情報が入ってくる」

 おおよそ、人は企業経営や公共経営にかかわらずどんな組織に所属していても地位や力を求めて齷齪(あくせく)します。そこには、古来から悲喜こもごものドラマが繰り広げられてきました。

 本能というエンジンと理性というハンドル
 なぜ、人はここまでして権力や地位に固執するのでしょうか?
 それにはすべての人が生まれながらに持っている本能が地位を獲得する行動へと駆り立てるのだと思います。人は誰でも自己向上意欲が備わっていて自分の思い描いた目標を実現するために一生懸命になります。そのこと自体は決して悪いことではありません。
 一方、人間には理性が備わっています。理性が情念で駆り立てられた本能をコントロールしています。車に例えると本能がエンジンだとするなら理性はハンドルになるでしょうか。目的地に安全に効率よく到達するには両方が機能してこそ実現できます。

 地位は求めるものではなく迎えられるものである
 今回の教えは人間には誰でも獲得本能ともいうべき上方指向が備わっていますが、権力者に媚びて本能のままに地位を得ようとするのではなく、孔子のように常に人格を陶冶していれば、それを求めなくても先方から近づいてきて頼りにしてくれるのです。
 また、このような人間関係がいろんなところに構築できれば、おのずと斬新な情報が入ってきます。孔子は国内外を旅し見聞を広めました。それは生きた学問そのものでした。民の現実の姿を実地検分していますので為政者は興味をもって孔子との情報交換を望んだのだと容易に想像できます。しかも、媚びへつらうことなく真実を述べますから迫力満点です。
 名君ほど孔子を重用したのもうなずける話です。(了)


論語に学ぶ人事の心得第八回 「上に立つリーダー心がけ次第で企業文化や組織風土が形成される」

 曾子は学而1-4に登場した人物です。毎日三度、自分の行ったこと―仕事にあたって誠意で取り組んだだろうか? 交友で約束を破らなかっただろうか? 知り得たことを実践しただろうか?と反省していると述べたあの弟子です。姓は曾(曽)、名は參(参)、字は子輿。後世、尊称して曽子と呼ばれるようになりました。孔子と同じ魯国出身、親子二代にわたり孔子に指導を受けました。曽子は孔子より46歳年少でした。孔子の存命中は師からあまり評価されなかったようですが、孔子の没後一門のリーダー的存在になります。通常は先生という意味での子という言葉は使われないのですが曾子という尊称がつけられているのは孔子の孫・子思の師匠だったためと伝えられています。

 学而1-9「曾子(いわ)曰く、終(おわり)を愼(つつし)み、遠きを追わば、民の德厚きに歸り矣(たら)ん。」
 「終(おわり)を愼(つつし)み」とは為政者が人生の終末を大切にして亡くなった人を弔うこと。「遠きを追わば」とは先祖を敬い、祀り事をおこなうこと。「民の德厚きに歸り矣(たら)ん」とは人民は先人を大切にする為政者の徳を多として社会全体に風潮が広がってゆくこと。

 論語の教え9:「いつの時代にも、上に立つリーダーが創業の原点を忘れず、行動すれば社員はおのずとそれに従い、やがては優れた組織風土になる」

 上に立つリーダーの五つの条件に付いて前回述べました。今回の教えはリーダーの行為はやがて組織全体に浸透してゆくことを述べています。
 組織ができるとそこには必ず風土が形成されます。風土とはその構成員を拘束する価値観のことです。社会の最小単位である家には家風があります。企業には企業風土があります。地域にも、国にも文化という名の風土が存在します。風土というと空気見たいなもので目に見えないからなかなか気付き難いのですが、異なった風土の間には淡水と塩水くらいの違いがあると言ってもいいでしょう。所属する組織風土に馴染むには必至に努力しても相当の時間が求められます。
 それは風土間を移動すればよくわかることです。転職すれば前職と現職の組織風土の違いに相当強いストレスを感じます。子供の転校でいじめの問題が発生するのも風土の違いから発生していることです。すべて価値観のぶつかり合いが原因となって人間関係の軋轢となって組織全体の不協和音を発生させています。

 それでは誰が組織の風土形成者なのでしょうか?
 組織の長と名のつく人が風土を作っているのです。どんな小さな組織でもその組織のリーダーが風土すなわち価値観を作っています。家では家長である人が家風を作っています。会社では会社の最高責任者であり権威者である会長や社長といった役職者が風土形成者です。国であれば為政者です。営利、非営利を問わずこの定義が当てはまります。
 リーダー以外の個々人が風土形成者であることはまずありません。

 徳のあるリーダーこそよき風土形成者である。
 リーダーの優れた特性が自分を成長させるだけでなく、組織全体に影響していることを考えて行動する必要があります。なぜなら、組織全体の盛衰に多大の影響与えるからです。
 家の盛衰は家長が握り、企業の盛衰は会長や社長が握っています。
 古今東西の不変の真理はリーダーこそ組織の命運を握るキーマンだということです。時代とともに何を即応させ、何を堅持するか胸に刻みながら行動することが求められます。
 それができる人こそ真のリーダーだと言えると思います(了)


論語に学ぶ人事の心得第七回 「上に立つリーダーの五つの条件」

 この論語に学ぶ人事の心得の最初に述べましたように、孔子は思想家であり政治家でありました。儒教の開祖であり、出身の魯国の大司冠に上り詰めた人でもありました。
 しかし、それだけなら歴史に名を遺した人物として評価されるだけにとどまったでしょう。何より孔子が2500年の時空をこえて、今日まで燦然と輝き続けているのは教育者として多くの弟子を育て、さらに、その弟子が弟子を育てるというように「知の大河」ともいうべき人脈を作り上げ、中国だけでなく世界に知のゲノムとなって脈々と受け継がれてきた最大の功績者であったからだと思います。
 今回取り上げる教えには孔子の教育者としての面目躍如たる側面が表れています。

 学而1-8「子曰く、君子重(おも)からざれば則ち(すなわち)威(おごそか)ならざれ。學(まな)ばば則ち固(かたくな)ならざれ。忠(まごころ)と信(まこと)主(まもり)り、友の己に如(し)かざる者を無からしめよ。過ちては、則ち改(あらた)むるに憚(はばかる)る勿れ」

 「君子」とは学而編の最初に出てきた言葉。孔子が弟子に求める目標とする人物像のことでひときわ立派な人物を指す。「重からざれば則ち威(おごそか)ならざれ」の意味は他人から重々しく見られたなら威張らないということ。「學ばば則ち固(かたくな)ならざれ」とは学問を修めれば頭が柔軟になり頑固ではなくなること。
 「忠(まごころ)と信(まこと)主(まも)り」とは自分を偽らず誠実に生きること。「友の己に如かざる者を無からしめよ」自分より劣る人を無くすことに努めること。過ちては則ち改(あらた)むるに憚(はばかる)る勿れ」間違ったときには潔く過ちを認め改めること


論語の教え8:「上に立つリーダーの五つ条件とは?」
1.リーダーは権威で部下をリードするな。
2.リーダーは常に自己啓発を怠るな。
3.リーダーは無私無欲で仕事に専念せよ。
4.リーダーは自分より劣っている他者を育成せよ
5.リーダーは過ちを素直に認め改めよ

第一の条件 リーダーは権威で部下をリードするな。
 リーダーが部下を統率することはあくまでも自分の目標や職責を果たすために部下に協力を求めることです。権威を振りかざして部下に威張り、扱使(こきつか)うことでありません。パワーハラスメントと最近になって言われ始めましたが上司の権限を振りかざして、部下に罵詈雑言を浴びせ、精神的苦痛を与えるばかりか死に至るまで追い詰めるような事件が現代産業社会において多発しています。人間としてのあるまじき行為で、まったく言語道断です。立派なリーダーほどその穏やかな人柄で気持ちよく部下の協力を引き出さなければならないとの教えです。

第二の条件 リーダーは常に自己啓発を怠るな
 リーダーが学ぶことをやめたらその組織はそこから退歩が始まります。学ばないリーダーほど知ったかぶりをし、自分のことはさておいて、部下の能力不足を挙げへつらうようになります。部下の能力不足を嘆いているリーダーがいたら、そのリーダーは自分の勉強不足と成長が止まっていること自ら言いふらしていると断定してもまず間違いないと思います。リーダーが学ばないことは本人だけでなく組織全体に影響を与えるだけに大きな問題です。自己を成長させることの責任意識を無くし学びたくないならリーダーをやめるべきです。

第三の条件 リーダーは無私無欲で仕事に専念せよ
 リーダーは私利私欲のために地位に就くのではありません。あくまでも組織の目的や目標を遂行し、達成するための責任を果たすためにリーダーの地位に就くのです。その結果、成果を得ることができれば、貢献度に応じて経済的報酬を得ることができます。経済的報酬を先に求めるのは本末転倒と言わざるを得ません。現代においても経済原則を第一動機づけ要因として考えている人が多くいますが間違いです。とりわけ、リーダーの地位に就く人はこの考えを捨てる必要があります。

第四の条件 リーダーは自分より劣っているものを育成せよ
 第二条件と関連しています。自己啓発をしているリーダーは部下を常に適材適所に配置することを念頭に置いて日常の仕事を行っています。また、部下の不足する知識や技能の発見に努めるとともに職務が求める要件とその本人の能力とのギャップを具体的に把握することで部下一人ひとりの育成計画を頭に描いて仕事を与えたり、指導を行っています。孔子が「友の己に如(し)かざる者を無からしめよ」と弟子に行っているのは能力が劣っているのがわかっていながらそのことの目をそらすのではなく手助けすれば一本の木が成長して複数になり、林となって周りに潤いを与えることになります。そして、それがやがては緑に覆われた深緑の森へと発展します。一本の木も、一人の人間も同じように成長して組織が社会になり国へと発展するのだと教えているのです。全体を良くしようと思えば、まず、身近な個人から着手せよとの教えだと受け止めましょう。

第五の条件 リーダーは過ちを素直に認め改めよ。
 リーダーといっても全能の神でありません。しばしば過ちを犯します。過ちを犯したら素直にそれを認め反省して2度と同じ過ちを犯すなという教えです。過ちを犯しても部下に責任を転嫁するリーダーもいます。そういうリーダーほど成功すると部下の成功を横取りするのです。上に立つ人の風上にも置けないリーダーがこの世の中には結構いるものです。

 私見を一つ述べさせていただきます。大きな成功を収めている人は小さな失敗を何度も繰り返しますが同じ失敗を二度としません。そして、数多く失敗したことから多くのことを学び成功につなげていることです。成功している人は失敗をしても致命的な失敗はしていません。
 一方、大きな失敗をしている人は大きな成功を何回も繰り返して実現しています。そして、成功したのと同じ理由で大きな失敗をしてしまっています。
 心当たりのある方もいるでしょう。一体、なぜだと思われますか? 考えてみて下さい。(了)


RSS 2.0 Login