論語に学ぶ人事の心得第72回 「私(孔子)の周りには、仁を用いることに能力の不足を感じた者は誰もいなかった」

孔子と弟子たち:出典Bing  

 孔子は弟子に対して非常に面倒見のいい師でした。  
 論語第一篇学而編で多く取り上げられているように弟子の一人ひとりの能力や性格の違いを的確にとらえ指導していました。
 まさに、人事の極意を地で行くような指導方法でした。
 時には、本項でもあるように、仁を用いることに尻込みする弟子たちを励ましながら学び続けることの大切さを説きました。厳しいだけでは、弟子は付いてきません。3000人もの弟子を従えたのは、一人ひとりの弟子に対して肌理(きめ)細やかに、しかも根気よく指導したからに違いありません。もちろん、孔子の唱えた五常五倫の教義と孔子自らそれらを実践している姿が弟子を魅了したことは言うまでもありません。
 「私(孔子)は仁を用いることに能力の不足を感じた者は周りに誰もいなかった」と孔子が言い切れるのは指導者としての弟子を含む他人の本質を見抜くことができる自信だと思います。「そういう人(能力に不足する人)は、いるかもしれないが、少なくとも私(孔子)は見たことがなかった」とも語っています。これだけで、孔子に指導を仰ぐ弟子たちは、本当に向学の精神に燃えた人たちの集団であったことを垣間見ることができます。
 やはり、弟子たちは学びの環境が整っていたからこそ、向学の志を持った人が多く集まったのでしょう。本編の最初4-1でもとりあげられている通りです。

 里仁編4-6「子曰く、我れ未(いま)だ仁を好む者(もの)、不仁(ふじん)を悪(にく)む者を見ず。仁を好む者は、以(もっ)て之(これ)に尚(くわ)うる無し。不仁を悪(にく)む者は、其れ仁を為(な)さん。不仁者(ふじんしゃ)をして其の身に加えしめず。能(よ)く一日も其の力を仁に用うること有らんか。我未(いま)だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)し之れ有らん。我未だ之を見ざるなり。」
 師は言われた。「我れ未(いま)だ仁を好む者(もの)、不仁(ふじん)を悪(にく)む者を見ず」とは私は(孔子)は本当に仁を好む人間、本当に不仁を憎む人間に会ったことがない。「仁を好む者は、以(もっ)て之(これ)に尚(くわ)うる無し」とは仁を好む人間にはまったく申し分がない。「不仁者(ふじんしゃ)をして其の身に加えしめず」とは不仁(ふじん)を憎む人間もやはり仁を行っていることになる。「能(よ)く一日も其の力を仁に用うること有らんか」とは不仁を悪む人も、また決して不仁者の悪影響をうけることがない。誰だって一日くらいは自分の力を仁に用いることができるものがいるとしたら。「我未(いま)だ力の足らざる者を見ず」とはその力に不足する人間を見たことがない。「蓋(けだ)し之れ有らん。我未だ之を見ざるなり。」とは、いやそういう人間はいるかもしれないが、私(孔子)は未だそんな人間に会ったことはない。

論語の教え72:「人間の潜在能力は湧きいずる泉の如し、仁の心は必ず開花する」
◆リーダーは部下の足りなさをあげつらう前に、どうすれば不足を補えるか考え指導せよ。
 長らく人事のコンサルティングをしていますと多くの経営者や人事担当者とその組織の管理者などと交流します。その中で体験し共通していることを二点述べたいと思います。
第一点は、上司でありながら、部下の能力不足を指摘する人がいかに多いかということです。
私はこのような人は自分の指導力の無さを公言しているようなものだと思います。自分のことはさておいて、部下の欠点だけ気になります。そして、部下を十把一絡げにして、一人ひとりの個性や違いを見ていません。「人事は他との違いを認識するとから始まる」という格言があります。人間はこの世の中で、一人として同じ人はいません。その個性を大切にすることが人事の基本です。


 人事コンサルティング活動をしていますと少数派ですが、立派に指導力を発揮している人にも出会います。このような優れた人には部下の不足を指摘する人は誰もいません。これらの人は部下をよく観察し、部下をどのようにすればやる気にさせるか知っていて指導力を発揮しているからです。
部下の欠点を他人に言う前に、自分自らの指導で部下の欠点を黙って補い、誰にも自慢げに言いふらしません。それがリーダーの責任であることをよくわかっているからです:
 孔子の弟子を指導する方針と非常によく似ていると思います。
 第二点は、いくら指導しても部下がなかなか変わらないと指摘する人がいかに多いかということです。
 これも人に対する無理解から来ています。人間のパーソナリティは深層部分から気質、性格、態度、技能、知識で構成されています。気質は親から受け継いだものですから可変要素はほとんどありません。性格も幼少期に形成されますので変容させるのは不可能に近いと思います。積極性や協調性のない人に急に変われと言っても無理だからです。これらは採用基準の問題です。自社の採用基準が明確であれば採用試験でチェックできるからです。性格の合わない人を採用しなければいいという簡単な話です。
 可変要素があるのは態度と技能、知識ですが、それでも長い間にその組織に沁みついた慣行は個人の態度を変えれることを難しくしています。人を態度変容させるには組織的対応と個人的な対応の二側面があることを忘れてはなりません。つまり、組織的対応とは職場風土を変革させることであり、個人的対応とは一人ひとりの特徴を把握し、その人に合った指導をすることです。孔子が弟子の指導に用いた全く同じ方法を用いることが絶大な効果を発揮すると思います。。

◆自己の可能性を信じて生きている人には、自己に否定的な、消極的な人は集まってこない。
 自己の成長の可能性を否定した途端に、人は人生に希望を持てなくなります。人はなぜ生きるのかと問われたら、私は自分の可能性を追求するために生きるのだと答えたいと思います。そして、自分の可能性を追求して生きていると、不思議にそのような人々と人間関係ができるようになります。 
絶えず前向きに生きていれば、結果としてその可能性は現実のものとなっていきます。ポール・J・マイヤーいうアメリカ人は自分の体験から「成功とは予め目標を設定し、それに向かって一つずつ近づいていくことである」と言っています。同じような価値観を持ち、同じような志で同じ行動をしていれば、当然のことですが、同じような果実を享受することができます。そして、多くの共感者が生まれ、個人から始まった活動はグループへと発展し、組織全体へと広がるのです。
 一方、消極的な人も、後ろ向きな人で集団を形成します。これらの集団の中で、前向きな生き方をすることはできません。この集団を抜け出せば、自らの考えを変えることは可能になりますが、いったん入り込んでしまうとよほどのことがない限り抜け出せません。ただ、いたずらに時間が過ぎ、後に残るのは後悔だけです。

◆人は生まれながらにして仁の心を持っている。それをどう顕在化させることができるかだ。
 人は生まれながらに悪い人はいません。生まれてから育つ環境により人格が形成されるのです。
小学校の教師の話です。一人の児童があまりにも授業を妨害し、学級崩壊が近づいたことに危機感を持ったその教師は、親に相談のために自宅訪問しました。親に会ったところ、子供以上に性格異常者でありました。とうとう、自宅訪問をした目的を明かせず帰らざるを得なかったという述懐を聞いたことがあります。そこで、その教師は現状とはかけ離れた困難な選択をしました。親に変わってその子供を指導し善導することを決断したのです。私は、厳しい環境下での決断を下した教師の勇気に敬意を表さざるを得ませんでした。
 一朝一夕に成果を期待できない話です。逃げないで正面から問題に立ち向かったなら、その成否にかかわらず、私は得るものが多いと思います。これも前に述べたことですが、どんな人の心の中にも仁の心と不仁(ふじん)の心が併存しています。両者はいつも一人の人間の心の中でせめぎ合いをしています。このせめぎ合いを激しくさせ、仁の心の占有度合いを大きく顕在化させることで成功が可能であると私は確信しています。教師に心からの声援を送りたいと思いました。(了)


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