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論語に学ぶ人事の心得第21回 「孝行とは礼に外れないことをすることだ」その意味は?

 孝行は強要するものでない

 古代の中国では、祖先を崇拝する考えが一般的でした。というのも、血族でつながった家父長制家族が社会の構成単位だったからです。このような社会的背景にあって、孔子は、親を敬い、礼に従って親に仕えることを生涯、説き続けました。しかしながら、孔子の説く孝行は子孫にそれを強要するものではありませんでした。親の側も子供から敬われるような君子の生き方をしなければならないというのが真の意味です。


樊遲(ぼんち)像:国立故宮博物館蔵

 本項では論語に初めて登場する人物が二人います。孟懿子(もういし)と樊遲(ぼんち)です。孟懿子(もういし)は魯国の三大貴族の一角を占める実力者でした。別名・仲孫何忌。魯国の三桓の一家孟孫氏の第9代当主でした。
 樊遲(ぼんち)は姓、樊、名は須、字は子遲(遅)です。孔子とは30歳上も離れていた弟子です。孟懿子(もういし)を訪ねた時には馬車の御者を務めていました。本項はその帰り道での孔子と樊遲(ぼんち)との会話です。孔子が外出する際には同行を求められています。現代風にいうと秘書のような存在の弟子であったと思われます。
 孟懿子(もういし)のような身分の高い人から「孝」についての質問がありました。権力者の質問ですから、孔子は「外れないことだ」と余韻を持たせた深い回答をします。樊遲(ぼんち)のような若い人には何を言っているのか理解できません。孔子が樊遲(ぼんち)に孝行の意味を解説しているのが本項です。

 為政2-5「孟懿子(もういし)孝を問ふ。子曰く、違(たが)ふ無かれと。樊遲(ぼんち)御(ぎょ)たり。子之に吿げて曰く、孟孫(もうそん)孝を我に問ひ、我對(こた)へて曰く、違ふ無かれと。樊遲(ぼんち)曰く、何の謂(いい)ぞや。子曰く、生くれば之に事(つか)ふるに禮を以(もっ)てし、死すれば之を葬るに禮を以(もっ)てし、之を祭るに禮を以(もっ)てす」

 「孟懿子(もういし)孝を問ふ」とは孟懿子(もういし)から孝行についてたずねられた。
 「子曰く、違(たが)ふ無かれと」とは先生は外れないようにすることと回答した。「樊遲(ぼんち)御(ぎょ)たり」とは樊遲(ぼんち)が帰途御者を務めた。
 「子之に吿げて曰く、孟孫(もうそん)孝を我に問ひ、我對(こた)へて曰く、違ふ無かれと」とは先生は樊遲(ぼんち)に孟孫が私に孝行について尋ねたので外れないようにすることだと答えた。「樊遲(ぼんち)曰く、何の謂(いい)ぞや」とは樊遲(ぼんち)は外れないこととはどんな意味かと質問した。
 子曰く、生くれば之に事(つか)ふるに禮を以(もっ)てし、死すれば之を葬るに禮を以(もっ)てし、之を祭るに禮を以(もっ)てす」とは先生は言われた。両親が生きていいるときには礼をもって仕え、亡くなった時には礼を持って葬り、法要を行うときには礼をもって行うことだ。

 論語の教え21:「親に孝行することは生前の親の恩に報い、礼に従い見送って、子孫に引き継ぐことだ」

 人生は孝行のバトンリレーだ
 礼とは儒教の五常の一つです。礼は法律や規則というより、特に明文化されてはいませんがその地域や社会で長い時間をかけて醸成された、とても大切にされているしきたりや掟(おきて)のようなものです。掟(おきて)とはそこに住む全員が守らなければならないと認識している事柄です。掟を破ったらそこで生活することができません。克己復礼(こっきふくれい)という言葉があります。孔子の言葉ですが、その意味するところは私情や私欲に打ち勝って、社会の規範や礼儀にかなった行いをすることで社会から認められるということです。
 孝は親が生きているときには親に誠意をもって仕え、亡くなったらその地域社会の風習に従い弔(とむら)います。そして風習に従い末永く法要して先祖を敬うのです。
 これら生と死を超え、心のこもった親を敬う行為は自分の子供や孫にまで伝わります。自分が先祖を敬う行為はやがて子孫から敬われることになるのです。

 上司・先輩から謙虚に学び、仕事を通じて実践的に伝承する
 孝行は家庭にあっては親に孝養を尽くすことですが、外にあっては年配者を敬うことです。現代風に言えば職業人生において先輩や上司に礼を尽くすことだと思います。このことは具体的に全編の学而1-6でも明確に述べられています。身近な人との人間関係を円滑に築けない人は多くの人をリードする立場に立つことができません。孔子は上に立つリーダーが常に心掛けなければならない言動の誠実さや慎重さを説きました。この結果、周りの人々との人間関係を密にし、さらにその輪を広げることができるのだと教えました。ビジネス社会でいえば上司や先輩から謙虚に教わり、そのことを職場内で仕事を通じて後輩や部下に伝承してゆくのです。このようにすればその組織は実践的な人材育成が可能になります。孔子は実践的な指導を行って、さらに余裕があれば、自分を成長させるための学問をしなさいと教えています。(了)


論語に学ぶ人事の心得第20回 「私たちは波乱万丈の孔子の生涯から何を学ぶべきか?」

 ままならないのが人生
 本項は論語の多くの教えの中でももっとも有名な一つです。皆さんの中には一度はこの言葉を見たり聞いたことがあると思います。孔子は、晩年になって自らの波乱万丈の生涯を段階的に回顧したものです。


孔子と弟子たち 出典:Bing

 そして、後年になって孔子の生涯を区分して15歳を「志学」、30歳を「而立」、40歳を「不惑」、50歳を「致命」、60歳を「耳順」と名付けられました。
 ところで、私たちにとって人生とは何でしょうか。人生の送り方は人さまざまです。100人いたら100通りの人生があります。
 人々は「豊かな人生を送りたい」「会社の経営者になって金持ちになりたい」「芸術家になりたい」「政治家になって人を指導する立場になりたい」などなど将来のありたい姿を描き、それを実現するために努力します。
 しかし、思い通りに行かないのが人生です。いったんは描いた夢を実現しても実現できた同じ理由で壊してしまうこともあります。「成功は失敗の母である」と言われる所以です。 
 逆説も成り立ちます。「失敗は成功の母」ということです。挑戦して失敗することから多くを学び成功を勝ち取ることができるという意味です。

 逆境に立ち向かい切り開いた人生
 孔子の人生はまさにこのような人生でした。孔子の母親は身分の低い家の出身でした。また、孔家の嫡子でもありませんでした。軍人である父親が三歳の時に戦死したため、非常に貧しい少年時代を送ります。劣悪な環境の中で育ったにもかかわらず学問で身を立てようと志します。やがて、母親もこの世を去り天涯孤独の身になりますが、しばらくして、19歳で結婚し家族に恵まれました。多くの弟子に慕われるようにもなり、30歳になった時、学問で身を立てることの目途が立ちました。
 四十代、五十代は学問に自信を持ち、魯の君主に乞われて大司寇に登りつめますが、政治改革を巡って三大貴族との政争で敗れ、故国を追われ弟子とともに諸国の遊説を余儀なくされます。14年間もの遊説の結果、諸国から理解されず悲嘆にくれて故国に戻り、弟子の育成に生涯をささげました。このように孔子の生涯は順風満帆ではありませんでした

 為政2-4「子曰く、吾(われ)十有五にして學於(がくに)志(こころざ)す。三十にして立つ。四十にして惑(まど)はず。五十にして天命を知る。六十にして耳に順(したが)ふ。七十にして心の欲する所を縦(ほしいまま)にするも、矩(のり)を踰(こ)えず」

 先生は言われた。「吾(われ)十有五にして學於(がくに)志(こころざ)す」とは私は15歳になった時に学問をしようと決意した。「三十にして立つ」とは30歳になった時、学問的に自立した。「四十にして惑(まど)はず」とは40歳になった時、自信ができて迷わなくなった。「五十にして天命を知る」とは50歳になった時に天が私に与えた使命を悟った。「六十にして耳に順(したが)ふ」とは60歳になった時はっきりと物の善悪がわかった。「七十にして心の欲する所を縦(ほしいまま)にするも、矩(のり)を踰(こ)えず」とは70歳になって欲望のままに行動しても社会から後ろ指をさされるようなことは無くなった。

 論語の教え20:「生涯をかけられる揺るぎないテーマをバックボーンに探求すれば納得できる人生が送れる」
 ―自己矛盾に陥らない伸び伸びした人生を送るために

 孔子の揺るぎない支柱は五常と五倫
 孔子の生涯は一口で言うと真理を探究する生涯であったと言えると思います。
 現代風に言うと真理を探究することがライフワークでした。それが前項で述べた儒教という思想体系でした。五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することに発展させました。


五常:出典Bing

 高弟によりますと孔子は自分を売り込んだり、地位を求めたことは一度もありませんでした。祖国「魯」で枢要な地位に就いた時も、他国から指導を求められた時もすべて乞われて受け入れたのでした。
 したがって、権力におもねることもなく真理に反することに対しては誰に対しても遠慮会釈なく毅然として正論を吐き続けることができました。
 孔子のこの正論は学而編でも述べられているように単に理屈をこねまわす空理空論ではなく、実践の中から紡ぎだされた経験法則だったので説得力がありました。

 自己矛盾に陥らない人生―真理を追究すること
 また、孔子の考えはいかなることがあっても主張にぶれることはありませんでした。一貫性を持っていましたので後でつじつまを合わせることや一切の弁解も必要としませんでした。鋭い切り口で未来を洞察していましたので相手は従わざるを得なかったのです。
 納得できる人生を送るとは自己矛盾に陥らない人生を送ることです。自己矛盾とは自分の考えと行動につじつまが合わないことで誰かの操り人形になって人生を送ることです。
 これほど寂しい人生はありません。自己矛盾に陥らない最高の特効薬は生涯をかけて真理を追究し続けることだと孔子は教えてくれているのだと思います。(了)


論語に学ぶ人事の心得第19回 「リーダーはどうすれば人々を正しい方向に導くことができるのか?」

 孔子の生きた「春秋」という時代は人間が虫けら同然に扱われていた時代です。群雄が割拠し、覇権を握るための殺戮(さつりく)がいたるところで繰り返されていました。尊い命ですら大切にされることは微塵(みじん)もありませんでした。


春秋時代の中国 出典:Bing

 本項の「政(まつりごと)は徳を以てする」はこのような乱世を生きた孔子の揺るぎない信念であり、社会の目指すべき理想を描いてその実現に向けて行動し続けた生涯でした。その偉大さに只管(ひたすら)首を肯(がえん)じざるを得ません。
 本編冒頭にあります為政2-1でも、為政者の徳による統治の大切さを説いています。人々を威圧的に治めれば、必ず抜け道を考え出し、それをさらに厳しくすればするほど人は必ず抜け道を考え出します。 
 そして、人々は悪びれることなく犯罪を繰り返すことになります。解決しても問題が次々と派生するまるでもぐらたたきのような様相を呈するようになります。やがては隆盛を誇った社会も衰退してしまいます。
 二千数百年も前から現代まで人類が繰り返し続けてきた過ちを、今日(こんにち)も依然として犯し続けているのです。この愚かな人類の行く末を見透かして警鐘を鳴らしていた孔子の人間の本性を見抜く慧眼に唯々(ただただ)驚嘆せざるを得ません。

 為政2-3「子曰く、之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以ってし、之を齊(ととの)ふるに刑を以(もち)ゐば、民免(まぬか)れ而(て)恥(はじ)無し。之を道(みちび)くに德を以(もち)ゐ、之を齊(ととの)ふるに禮を以(もち)ゐば、恥(はじ)有りて且つ格(ただ)し。」

 先生は言われた。「之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以ってし、之を齊(ととの)ふるに刑を以(もち)ゐば、民免(まぬか)れ而(て)恥(はじ)無し」とは人々をみちびくにあたっては法令や規則によって取り締まったならば、人々は刑罰から逃れることばかりを考え犯した罪を恥じることがなくなる。
 「之を道(みちび)くに德を以(もち)ゐ、之を齊(ととの)ふるに禮を以(もち)ゐば、恥(はじ)有りて且つ格(ただ)し」とは人々を導くには徳をもって行い、礼をもって接すれば人々は罪を犯したことの恥を知り正しい道理にかなった行動をするようになる。

 論語の教え19:「人々や社員を導くことは法制度や就業規則で厳しく締め付けることではない。正しく導く唯一の方策は自らの徳を積むことの大切さを人々に気づかせることだ」
 
 教え1.「まず、上に立つ人が徳を身に着けよ。しかる後に徳を全体に普及させよ」
 孔子は、常に弟子を含む社会のリーダーに徳を積み重ねることの大切さを説いてきました。為政者など指導者はまず民を治める前に自己を磨きなさいと教えているのです。それが前項でもありましたように徳を積んでいるリーダーには人々は黙って従うのです。
 社会の最小単位は家族です。いくつかの家族が集まって共同体社会(血族・地縁社会)が形成されます。一方、共同体社会が進展しますと目的や目標を共有した利益社会(組織的社会)が形成されます。  
 共同体社会にも利益社会にも必ずリーダーが存在します。また、基本的な価値観を共有しています。本項で、孔子は初めてリーダーの徳に加えて、人々が徳を積むことによって社会全体の健全な発展が可能になることに言及しました。法律や規則で厳しい罰則規定を設けて、人々を締め付けても人々は必ず抜け道を考え出し、罰則逃れをするだけで何ら本質的な解決にならないとの指摘です。現代社会においても企業内の就業規則違反や犯罪行為に対して罰則を厳しくして社員を取り締まろうとするのですが、社員は反発こそすれ、順守するのではなく、就業規則違反が少なくなったり、無くなったという話は聞いたことがありません。問題解決の処方箋が間違っていたのです
 ことほど左様に、人々を指導する方策のあり方で社会全体を正しい方向にリードできるかどうかが決まります。それでは的確な方策が選択されるにはどうあるべきでしょうか。

 教え2.徳は人々に押し付けて習得させるものではない。本人に気付かせることによって体得させよ。
 リーダーが人々を正しい方向に導く有効な基本的方策は二つ考えられます。


孔子廟 出典:ウイキペディア

 第一は。組織の統治者であるリーダーは価値観を明示することです。これは、リーダーのみに与えられた権能です。価値観とはその組織の構成員が最も大切にすべき判断基準のことです。
 孔子は価値観を共有するために儒教という思想体系を構築し社会に浸透させました。そして五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えました。
 これらの一連の流れは、現代の企業社会においては経営幹部が経営理念、経営方針、経営戦略を確立することとその実践にあたります。それは、企業の存在意義とステークホルダーである顧客、社員、品質、納期に対する姿勢、経営の方向性をあきらかにすることです。
 第二は、執行に当たっては責任を明確化するとともに、可能な限り権限委譲することです。
 どのような社会や組織においてもリーダーは価値観を策定し制定することはできますが価値観を組織に浸透させ、価値を実現することには無力です。そこは人々や社員を信頼し権限を委譲して実行する以外に方法はありません。権限の委譲に関しては組織の進化と関連しますが別項に譲ります。
 権限移譲されれば人々に自己責任意識が芽生えます。自責の念で仕事を分担すればおのずと自立、自律の意識が醸成されます。リーダーから一々細かな指示命令を受けなくてもやるべきことが浮かんできます。自ら考え実行することにより、過ちもありますがその過程で多くの気づきを得ることができます。その気づきこそ組織と個人の成長エンジンとなります。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第18回 「私たちは教科書の詩経から何を学ばなければならないのか」

出典:Bing

 本項は孔子一門の教科書とされていた「詩経」についての孔子の思いが述べられています。「詩経」は中国最古の詩編であり、孔子自身が編纂されたものです。
 そして、「詩経」は、各国各地にあった民謡や詩歌を全国行脚しながら収集し三百五編にまとめたものです。当時は著作物と言ってもめぼしいものは何もありませんでした。地域で歌われていた民謡や語り継がれていた三千編の素朴な詩歌の中から絞り込んだと伝えられています。
 その構成は、
 1.各地の民謡を集めた「風(ふう)」すなわち国風(160篇)
 2.貴族や朝廷の公事・宴席などで奏した音楽の歌詞である「雅(が)」(小雅74篇、大雅31篇)
 3.朝廷の祭祀に用いた廟歌の歌詞である「頌(しょう)」(40篇)
の3つに大別されます。(出典:Wikipedia)

 為政2-2「子曰く、詩三百、一言(ひとこと)以(もっ)て之を蔽(おお)えば、曰(いわ)く、思ひて邪(よこしま)無し。」

 先生は言われた。「詩三百、一言(ひとこと)以(もっ)て之を蔽(おお)えば」とは詩経三百編を一言で総括すれば、「曰(いわ)く、思ひて邪(よこしま)無し」とは間違った事でなく人々の感情の純粋さということだろう。

 論語の教え18:『私たちが真に学ばなければならないのは純粋に善良な気持ちを持ち続けることだ』―純粋に善良な気持ちを持ち続けることは、邪(よこしま)を近づけないことを意味している。
 前述したように、孔子が各地を旅しながら収集したたくさんの詩歌を305編にまとめ上げました。その編纂した後、感想を一言でいえば邪(よこしま)を排除することだと総括したのです。邪とは正しくないこと。道にはずれていること。また、そのさまのことを言います。
 邪を排除することは常に善良な気持ちを持ち続けることです。ところが、時の為政者や権力者によって独善的に解釈され、素直な気持ちで額面通り受け止めるととんでもない事件や事故に巻き込まれることが歴史上枚挙にいとまないほど起こっています。
 だから、政治や経済など実社会では純粋だけでは生きていけないと言われます。また、何事も清濁併せ吞まなければ世渡りできないともいわれます。しかし、孔子は純粋に生きることの大切さを弟子に説いているのです。
 おそらく、この総括にある「邪(よこしま)を排除すること」は編集後に結果として出てきた感想でなく、詩経を編集するにあたって堅持してきた孔子の編纂方針だったと思います。いつの時代も実社会は一筋縄でいかないことばかりです。だからこそ、孔子は自分が生きている混沌とした社会に新しい価値観を植え付けなければならないと考えたのだと思います。
 翻って現代の社会にタイムスリップします。かつて私はある先輩からこんなアドバイスをもらったことがあります。本項と関連することなので紹介します。その人が言うには「純粋な心を持っている人ほど心の汚れた人を見分けることができる。だから純粋に生きることを誇りにしなかればならない。そして、汚れた心や邪(よこしま)な人と親しくすることはないので、その結果、邪(よこしま)な人との交流から過ちを犯すことを防止することができる」というのです。目からうろこが落ちる思いがしました。
 純粋な気持ちを持ち続けていることは決して短所でなく長所であることを教えられました。(了)


論語に学ぶ人事の心得第17回 「政治であれ、経営であれ指導者は何を価値基準にして実践行動することが重要か?」

 本項から論語の第二編「為政」です。為政とは文字通り政治を行うことですが、孔子は単に政治についての空理空論を振り回しいるのではありません。出身の魯国で宰相格の行政官を経験してきていますので自らの実践で習得した経験法則を弟子たちに伝承しようとしています。
 また、孔子は本項で政治的リーダーの心構えとして「徳」をもって行うことの大切さを説いていますが現代社会の企業経営でも全く通用することです。そこで敢えて企業経営を付け加えました。本項では孔子が生涯を通じて一貫して追求してきた「徳」について言及しています。
 この徳に関しては、前編学而1-6でも学ぶことの目的は単に知識を増やすことではなく「徳」を磨くことであると教えています。

 それでは儒教の開祖である孔子の説く「徳」とは何でしょうか?「徳」とは人間の道徳的卓越性を表します。仁・義・礼・智・信の五徳や孝・悌・忠の実践として表されます。そして、「徳」はさらに人間の道徳性から発展して統治原理とされ、治世者の優れた徳による教化によって秩序の安定がもたらされると考えられました。 
 孔子の言う「徳」というのは生まれながらにして備わっているものでありません。誰にでも備わっているもので後天的に学習によって磨き上げられるものです。規範的な価値を学び、実践し。社会的に認められることで決まります。

 為政2-1「子曰く、政(まつりごと)を爲(な)すに德(とく)を以(もっ)てせば、譬(たと)へば北辰(ほくしん)の、其の所に居て、衆星(しゅうせい)之に共(むか)ふが如(ごと)し」

 先生は言われた。「政(まつりごと)を爲(な)すに德(とく)を以(もっ)てせば」とは政治を行うのに徳によったならということ。「北辰(ほくしん)の、其の所に居て、衆星(しゅうせい)之に共(むか)ふが如(ごと)し」とは北極星を周りの星がこれに向かってお辞儀するように調和する。

 論語の教え17:『北極星のように輝く、「徳」を積んだ指導者には、礼をもって人々は従う』


北極星 出典Wikipedia

 教え1.上に立つ指導者は人々をリードする前に自らの徳を磨け、そうすれば人々は黙って従う。
 孔子が弟子に対して一貫して求め続けたのは指導者である前に求道者であれということでした。そして、求道者として何を追求するのか?それが徳を体得することでした。
 また、徳は生まれながらにして特定の人に備わっているのではなく誰にでも潜在的に備わっていて、毎日の精進によって顕在化してくることを説いたのです。孔子は自らの体験をもとにこの考えに昇華させたのではないかと思われます。
 というのも、孔子自身の出自は高貴な家の出ではありませんし、いわゆるエリート教育を受けたわけでもありません。権力や財力によって人々を従わせることと真逆の考えで指導者の地位を得ました。
 しかも自ら望んだのではなく乞われて指導者としての地位に就いたのです。孔子の教えを慕って3000人もの弟子が集まりました。親子二代にわたり教えを乞うた人もいたと伝えられているのはまさにこの教えを体現しているのではないでしょうか。

 教え2.組織が健全かどうかは指導者次第である。
 そもそも組織の健全度とは何でしょうか?
 何をもって組織の健全度を測るのでしょうか?

 組織の健全度とは何でしょうか? いろいろな解釈や説がありますが、私は「組織の健全度とは組織の変化適応力だ」と思います。
 なぜなら、人も組織も変化に適応できなければ衰退しやがては絶滅してしまうからです。まさに太古の昔から地球を支配してきた適者生存の法則にしたがいます。
 進化論で有名なチャールズ・ロバート・ダーウィンの言葉に「最も強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き延びるのでもない。 唯一生き残ることが出来るのは変化できる者である」と述べています。
変化適応には三つの要素があります。それは変化への感受性、変化への受容性、変化への柔軟性です。
 変化への感受性とは小さな変化も見逃さないことです。変化への受容性とは変化を各個人がばらばらに認識するのではなく組織として受け止め、変化を共有することです。そして、最後の三つめは共有した変化にたいして柔軟に、かつばらばらでなく組織だって変化していくことです。
 この三つの要素に対して影響力を持つキーパーソンがいます。お解りだと思います。そうです。組織を率いるリーダーです。この三つの要素の一つでも欠けるリーダーがいたらメンバーがどんなに優れていたとしてもその組織を救うことができません。一時的に活力を持ちますがやがて消え去ります。
 組織の健全度を測る尺度は指導者のリーダーシップ能力と組織のモラールサーベイを実施することで把握できます。ご関心のある方は当社宛てご一報ください。よろしくお願いします。
(了)


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