論語に学ぶ人事の心得第74回 「穏やかな安定した社会が到来したら、思い残すことはない。私は天命に従う」

 本項はリーダーの真情を語る大変有名な言葉です。儒教を開いた孔子の万感の思いを吐露しています。「道」とは五常が花を開いた理想郷だからです。


 当時の弱小国「魯国」を取り巻く環境は、いつ他国に攻め込まれて国が滅びても不思議ではない緊迫した春秋という時代背景にありました。しかも、国政は三桓という貴族に実権を握られ、君主ですら操(あやつ)られていました。
 いつ起きるとも知れない下剋上の世界でしたから、夢を見るような話です。孔子の言う「道」とは穏やかで安定した理想的な社会(ユートピア)を実現することです。そんな社会が実現できたら、その日に天に召されても悔いはないと孔子は思わず弟子を前に本音を吐いたのでした。
 孔子は簡単に「道」が実現できないことは百も承知していました。だから、ありえない現実を前にして、自分の夢を語り、夢が現実のものになるなら天命に従い、いつでも天国に行く覚悟ができていることを語ったのでした。
 後世にも、乾坤一擲の事態に直面したリーダーがしばしば口にしたのもこの言葉です。本当に死ぬかどうか別として、命を賭して与えられた責務にまい進するリーダーの気迫の籠った言葉として心情にあふれています。

 里仁編4-8「子曰く、朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。」
 師は言われた。「朝(あした)に道を聞かば」とは、朝、節度と調和にあふれる理想的な社会が到来したと聞いたら、「夕(ゆうべ)に死すとも可なり」とはその夜死んでもかまわない。

論語の教え74: 「命を賭して取り組んだ生涯目標に到達できれば、いつでも身を引く覚悟だ」


◆事をなすとは内在する二人の自己との戦いで勝利すること。
 本項での孔子の教えは事業を起こしたすべてのリーダーに当てはまる教えだと思います。
 すべてのリーダーは、当初崇高な使命感を持ち、豊かな想像力を発揮して、事業を始めます。事
業が成功し始めると心の中にあるもう一人の私利私欲という自分が頭を持ち上げてきます。もう
一人の自分を自制心でコントロールできる人は次の発展へと駒を進めることができす。
 為政編2-1「子曰く、政(まつりごと)を為すに徳を以てす。譬(たと)えば、北辰の其の所に居て、衆星(しゅうせい)の之に共(むか)うがごとし」とあります。これはいわゆるガバナンスのことですがすべての組織を率いるリーダーに言えることです。北辰とは北極星のことです。この意味するところは「北極星のようにリーダーは徳を以て燦然と輝け、そうすれば多くの人々はリーダーの剣や権に従うのではなく、徳に従うようになる」ということです。
 しかし、世の中はそう簡単に進みません。多くの場合には自己制御が効かなくなって、せっかく築いた事業や組織を崩壊させてしまうのもまたリーダーです。人類の歴史はその繰り返しであったと言っても言い過ぎではないでしょう。「人間とは愚かさと賢明さを同居させた生き物である」いえると思います。
 それだけに一人の人間を神聖化し、妄信してはならないのです。

◆自然人には限りがあるが、法人は永遠に続く
 これも当たり前の話です。どんなに優れたリーダーであっても永遠の存在ではありません。必ず、終わりがありす。しかし、社会が必要と認める限りは、法人には終わりがありません。何百年と続いている国家や企業があります。今から20年ほど前に「ビジョナリーカンパニー」という著書がベストセラーになったことがありました。その本の中に「時を告げる人を作るのではなく、時計を作る人を作れという」言葉ありました。この言葉の意味するところは「組織にはカリスマ的指導者はいらない。永遠に社会に価値を届けられる仕組みを作れ」という意味です。本項で取り上げられているテーマと全く同じ意味です。
 ビジョナリーカンパニーに共通するのは次のような特徴が備わっています。
 第一に、一貫性を持った基本理念がある。
 第二に、カルトのような文化を持っている
 第三に、基本理念を共有する。
 第四に、時計を作る経営者がいる
 第五に、二者択一でなく、両方を成立させる
 第六に、シンプルなコンセプトに特化した戦略を持っている

◆リーダーは晩節を汚すことなく、後進に道を譲る
 「成功者は成功したのと同じ理由で失敗者になる」との格言があります。失敗は成功の母とは与よく聞く言葉ですが、その逆説で、成功は失敗の母というわけです。一方、政治的な格言で「権力は必ず腐敗する」という言葉もあります。
 これらの言葉には不思議と訴える真実の強さのようなものを感じます。おそらく、頭の中で考え出された観念的な真理ではなく、現実の現象から導き出された経験法則であるからだと思います。
 而も、一度や二度ではなく、何度も何度も繰り返し起こっている現象でもあるからだと思います。古(いにしえ)の時代から今なおかつ引き起こされることに驚きを禁じざるを得ません。私自身の短い人生の中でも、いくつも晩節を汚す事例を目の当たりにしてきました。
 なぜ、このようなことが繰り返されるのか、その背景を考えてみたいと思います。
 一つは、事業の私物化です。事業を自分の子供と錯覚していることです。晩節を汚しているリーダーの最大の要因の一つです。
 二つは、自己過信です。時代が変化しているのに過去と現在が同じであると錯覚していることです。
 三つは、他者不信です。自分以外誰も信用しません。極端な事例として自分の子息も信用せず廃嫡します。
 これらは、すべて老化現象による正常な思考力と判断力を喪失した結果であり、周りはすべてわかっているのですが、気づいていないのは本人だけです。悲劇が起こる前に組織としてこれらを回避することを考えておく必要性があります。(了)


論語に学ぶ人事の心得第73回 「人の過ちを見れば、仁の人か、不仁(ふじん)の人かおおよその見当がつく」

出典:Bing

 本項では人間の特性をマイナスの行為から見抜けることを指摘したものです。
 「各々(おのおの)其の党に於いてす」とあるように党とは人の範疇のことで人柄を意味します。  つまり、犯した罪(過ち)を見れば、その人の人柄が類推出来というのです。
 ここでも孔子は「人は環境の動物である」と言っているのです。人はそれぞれの立場で社会生活を行っています。その役割や地位に応じた過ちを犯してしまいます。
 例えば、君主であっても、一般庶民であっても、役人であっても、軍人であってもそこに当てはまる過失を犯すのです。そして、犯した過ちを見れば仁の心を持っている人か、不仁(ふじん)の人か見分けることができるというのです。これは、誰にでもできる話ではありません。孔子にしかできないことなのかというと「そうではない」と私は思います。なぜ、孔子は本項で人の特質を見抜くことを取り上げたかということですが、弟子に対して人の特質を見抜く基準の大切さを説いているのだと思います。仁か不仁(ふじん)かを見抜けるのは基準をしっかりと習得することです。
 孔子は弟子に仁か不仁(ふじん)かを見抜く確かな目を持つことを奨励しているのだと私には思えます。だから、五常を学び、実践し、身体で覚え込むこと、すなわち、悟りをすることの大切さを訴えているのです。
 里仁編4-7「子曰く、人の過(あやま)ちや、各々(おのおの)其の党に於いてす。過ちを観れば、斯(ここ)に仁を知る。」
師は言われた。「人の過(あやま)ちや、各々(おのおの)其の党に於いてす」とは人が過失を犯すのはそれぞれの類(たぐい)による。「過ちを観れば、斯(ここ)に仁を知る」とは過失を見ればその人の仁のほどが見える。

 論語の教え73:人事の基本は「人は、過去にどのような生活をしてきたのか?現在、どのように人生を送っているのか?未来にどのような目標を以て人生を切り開こうとしているのか?」を把握することである。

◆人間の過去はその人の人格が形成された期間である。
 人事は一人ひとりの違いを把握することが基本です。
 一人ひとりの違いを把握するために最も大切なプロセスはその過去をさかのぼり、人格形成のプロセスを分析することです。そのために人事担当者の大切なスキルはカウンセリングスキルを習得することです。カウンセリング技法は「訊く」「聞く」「聴く」の三つです。
 「訊く」とは質問技法のことです。効果的な質問により相手が話したくなる状況を作り出すことです。


出典:Bing


 「聞く」とは関心を示すことです。まじめな関心を示すことで相手は信頼を寄せることになります。「聴く」とは共感的理解を示すことです。単なる同情を示すことではありません。共感的理解とはあたかも自分が感じているかのように感じ取ること、しかも同時に、それに巻き込まれない冷静な立場を保つことです。人の体験には、簡単に他人に話せないような過去があります。よほどの信頼関係がないとその過去を他人に話すことはまずありません。
 でも相手が共感的理解を示してくれれば心の扉を開き始めます。これを心理学ではラポートがかかると言います。質問者と答える人との間に心と心の懸け橋ができることを言います。こうなればしめたものです。大抵の人の過去にどのような形で人格形成されたか手に取るようにわかります。
ここで、聴き手にとって大切なことがあります。話し手が語ったことは口が裂けても他言してはならないことです。他言するようなことがあれば信頼関係は一瞬にして崩壊し、以後いかなることがあっても復元することは絶対にありません。

◆人間の現在は新しい人格を模索する期間である。
 時間軸でいえば人間の過去と現在は決して切れることはありません。過去の蓄積の中に現在があることには間違いがありません。しかし、人間には大切な価値観があります。価値観は本編でよく話題になるように環境との相互作用です。人格は環境によって影響を受けながら形成されてゆくのです。そして私たちは、変える必要のある過去と変えてはならない過去を常に共存させながら生きています。孔子はこの二面性を常に意識していました。ことあるごとに弟子を励まし、徳を積むことにとって新たな価値観を習得することを弟子たちに説きました。本編「里仁」に流れている思想は、徳を積むことは、単に無盲目的に他人に思いやりを注ぎこむことではなく、品性の下劣なものに対してはそれがだれであっても率直に批判し是々非々で対応できる人こそ仁徳者だと教えました。他人を巻き込みながら、未来に向かって確固たる意志を築き上げる生活を送ることが現在なのです。

◆人間の未来は新しい人格を形成する期間である。
 そして、未来は自ら掲げたありたい姿を鮮明にイメージすることです。人間には誰にでもミッショ(使命患)、ビジョン(夢)、バリュー(価値観)があります。それは、意識するとしないのでは大違いです。そしてそれらを目的として到達点としての目標があります。もし、私たちが目標を掲げなければ何を目指して生きるのかを見失います。
 人生は経済的豊かさを追求するだけでは不十分です。経済的豊かさや権力を追求するだけで人生は空虚です。それらはあくまでも結果にすぎません。とりわけ、孔子はそれに執着する人を認めませんでした。弟子の中でも、五常に生きる人を信頼し評価しました。前にも述べましたが、孔子は富裕に夏ことを決して否定していません。金や権力の亡者になるなと言っているのです。(了)


論語に学ぶ人事の心得第72回 「私(孔子)の周りには、仁を用いることに能力の不足を感じた者は誰もいなかった」

孔子と弟子たち:出典Bing  

 孔子は弟子に対して非常に面倒見のいい師でした。  
 論語第一篇学而編で多く取り上げられているように弟子の一人ひとりの能力や性格の違いを的確にとらえ指導していました。
 まさに、人事の極意を地で行くような指導方法でした。
 時には、本項でもあるように、仁を用いることに尻込みする弟子たちを励ましながら学び続けることの大切さを説きました。厳しいだけでは、弟子は付いてきません。3000人もの弟子を従えたのは、一人ひとりの弟子に対して肌理(きめ)細やかに、しかも根気よく指導したからに違いありません。もちろん、孔子の唱えた五常五倫の教義と孔子自らそれらを実践している姿が弟子を魅了したことは言うまでもありません。
 「私(孔子)は仁を用いることに能力の不足を感じた者は周りに誰もいなかった」と孔子が言い切れるのは指導者としての弟子を含む他人の本質を見抜くことができる自信だと思います。「そういう人(能力に不足する人)は、いるかもしれないが、少なくとも私(孔子)は見たことがなかった」とも語っています。これだけで、孔子に指導を仰ぐ弟子たちは、本当に向学の精神に燃えた人たちの集団であったことを垣間見ることができます。
 やはり、弟子たちは学びの環境が整っていたからこそ、向学の志を持った人が多く集まったのでしょう。本編の最初4-1でもとりあげられている通りです。

 里仁編4-6「子曰く、我れ未(いま)だ仁を好む者(もの)、不仁(ふじん)を悪(にく)む者を見ず。仁を好む者は、以(もっ)て之(これ)に尚(くわ)うる無し。不仁を悪(にく)む者は、其れ仁を為(な)さん。不仁者(ふじんしゃ)をして其の身に加えしめず。能(よ)く一日も其の力を仁に用うること有らんか。我未(いま)だ力の足らざる者を見ず。蓋(けだ)し之れ有らん。我未だ之を見ざるなり。」
 師は言われた。「我れ未(いま)だ仁を好む者(もの)、不仁(ふじん)を悪(にく)む者を見ず」とは私は(孔子)は本当に仁を好む人間、本当に不仁を憎む人間に会ったことがない。「仁を好む者は、以(もっ)て之(これ)に尚(くわ)うる無し」とは仁を好む人間にはまったく申し分がない。「不仁者(ふじんしゃ)をして其の身に加えしめず」とは不仁(ふじん)を憎む人間もやはり仁を行っていることになる。「能(よ)く一日も其の力を仁に用うること有らんか」とは不仁を悪む人も、また決して不仁者の悪影響をうけることがない。誰だって一日くらいは自分の力を仁に用いることができるものがいるとしたら。「我未(いま)だ力の足らざる者を見ず」とはその力に不足する人間を見たことがない。「蓋(けだ)し之れ有らん。我未だ之を見ざるなり。」とは、いやそういう人間はいるかもしれないが、私(孔子)は未だそんな人間に会ったことはない。

論語の教え72:「人間の潜在能力は湧きいずる泉の如し、仁の心は必ず開花する」
◆リーダーは部下の足りなさをあげつらう前に、どうすれば不足を補えるか考え指導せよ。
 長らく人事のコンサルティングをしていますと多くの経営者や人事担当者とその組織の管理者などと交流します。その中で体験し共通していることを二点述べたいと思います。
第一点は、上司でありながら、部下の能力不足を指摘する人がいかに多いかということです。
私はこのような人は自分の指導力の無さを公言しているようなものだと思います。自分のことはさておいて、部下の欠点だけ気になります。そして、部下を十把一絡げにして、一人ひとりの個性や違いを見ていません。「人事は他との違いを認識するとから始まる」という格言があります。人間はこの世の中で、一人として同じ人はいません。その個性を大切にすることが人事の基本です。


 人事コンサルティング活動をしていますと少数派ですが、立派に指導力を発揮している人にも出会います。このような優れた人には部下の不足を指摘する人は誰もいません。これらの人は部下をよく観察し、部下をどのようにすればやる気にさせるか知っていて指導力を発揮しているからです。
部下の欠点を他人に言う前に、自分自らの指導で部下の欠点を黙って補い、誰にも自慢げに言いふらしません。それがリーダーの責任であることをよくわかっているからです:
 孔子の弟子を指導する方針と非常によく似ていると思います。
 第二点は、いくら指導しても部下がなかなか変わらないと指摘する人がいかに多いかということです。
 これも人に対する無理解から来ています。人間のパーソナリティは深層部分から気質、性格、態度、技能、知識で構成されています。気質は親から受け継いだものですから可変要素はほとんどありません。性格も幼少期に形成されますので変容させるのは不可能に近いと思います。積極性や協調性のない人に急に変われと言っても無理だからです。これらは採用基準の問題です。自社の採用基準が明確であれば採用試験でチェックできるからです。性格の合わない人を採用しなければいいという簡単な話です。
 可変要素があるのは態度と技能、知識ですが、それでも長い間にその組織に沁みついた慣行は個人の態度を変えれることを難しくしています。人を態度変容させるには組織的対応と個人的な対応の二側面があることを忘れてはなりません。つまり、組織的対応とは職場風土を変革させることであり、個人的対応とは一人ひとりの特徴を把握し、その人に合った指導をすることです。孔子が弟子の指導に用いた全く同じ方法を用いることが絶大な効果を発揮すると思います。。

◆自己の可能性を信じて生きている人には、自己に否定的な、消極的な人は集まってこない。
 自己の成長の可能性を否定した途端に、人は人生に希望を持てなくなります。人はなぜ生きるのかと問われたら、私は自分の可能性を追求するために生きるのだと答えたいと思います。そして、自分の可能性を追求して生きていると、不思議にそのような人々と人間関係ができるようになります。 
絶えず前向きに生きていれば、結果としてその可能性は現実のものとなっていきます。ポール・J・マイヤーいうアメリカ人は自分の体験から「成功とは予め目標を設定し、それに向かって一つずつ近づいていくことである」と言っています。同じような価値観を持ち、同じような志で同じ行動をしていれば、当然のことですが、同じような果実を享受することができます。そして、多くの共感者が生まれ、個人から始まった活動はグループへと発展し、組織全体へと広がるのです。
 一方、消極的な人も、後ろ向きな人で集団を形成します。これらの集団の中で、前向きな生き方をすることはできません。この集団を抜け出せば、自らの考えを変えることは可能になりますが、いったん入り込んでしまうとよほどのことがない限り抜け出せません。ただ、いたずらに時間が過ぎ、後に残るのは後悔だけです。

◆人は生まれながらにして仁の心を持っている。それをどう顕在化させることができるかだ。
 人は生まれながらに悪い人はいません。生まれてから育つ環境により人格が形成されるのです。
小学校の教師の話です。一人の児童があまりにも授業を妨害し、学級崩壊が近づいたことに危機感を持ったその教師は、親に相談のために自宅訪問しました。親に会ったところ、子供以上に性格異常者でありました。とうとう、自宅訪問をした目的を明かせず帰らざるを得なかったという述懐を聞いたことがあります。そこで、その教師は現状とはかけ離れた困難な選択をしました。親に変わってその子供を指導し善導することを決断したのです。私は、厳しい環境下での決断を下した教師の勇気に敬意を表さざるを得ませんでした。
 一朝一夕に成果を期待できない話です。逃げないで正面から問題に立ち向かったなら、その成否にかかわらず、私は得るものが多いと思います。これも前に述べたことですが、どんな人の心の中にも仁の心と不仁(ふじん)の心が併存しています。両者はいつも一人の人間の心の中でせめぎ合いをしています。このせめぎ合いを激しくさせ、仁の心の占有度合いを大きく顕在化させることで成功が可能であると私は確信しています。教師に心からの声援を送りたいと思いました。(了)


論語に学ぶ人事の心得第71回 「人から尊敬されたいと思うなら、たとえどんな状況になろうとも仁の心を離してはいけない」

 孔子は富貴になることを否定はしませんでしたが、それを目的化し追求することもしませんでした。
本項では明確にそのことを指摘しています。現代にも通じる話です。手段を択ばず利益を追求し、よしんばそれが実現したとしても財力で地位や名誉を買うことは、仁の徳義に反することである説いています。


出典:Bing

 人間の欲望には限りがないのは古今東西変わりません。財がない時はそれを求めて血眼(ちまなこ)になり、財ができれば、その財を背景にして権力を得ようと権謀術策の限りを尽くします。孔子はこのような人間の弱さを知り尽くしていました。目的のために手段を択ばないような人は少なくとも尊敬に値する人物ではないことを説き、弟子たちにもそのような人物になってはいけないことを本項で指摘したのです。
 
 里仁編4-5「子曰く、富(とみ)と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所なり。其(そ)の道を以(もっ)てせざれば、之(これ)を得(うる)とも処(お)らざるなり。貧(まず)しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てせざれば、之を得(うる)とも去らざるなり。君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は食を終える間も仁を違うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。」
 師は言われた。「富(とみ)と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所なり」とは富むことと身分が高いことを人が欲しがるものだ。「其(そ)の道を以(もっ)てせざれば、之(これ)を得(うる)とも処(お)らざるなり」とは、しかし、正当な方法によらなければ、これを手に入れてもそこに安住するべきでない。「貧(まず)しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり」とは貧しいことと身分が低いことは人が嫌がるものだ。「其の道を以てせざれば、之を得(うる)とも去らざるなり」とは貴賤になった場合には正当な方法で抜け出せないなら、それから逃げてはいけない。
 「君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん」とは一角(いっかど)の立派な人は仁を離れてどうして名誉が成就できよう。「君子は食を終える間も仁を違うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす」とは君子(一角の立派な人)はごはんを食べる間も仁から遠ざかることなく、あわただしい時でも必ず仁を離れない。つまずいて、倒れることがあっても仁を離れない。

論語の教え71:「リーダーにとり欠かすことのできない仁の心は日常の生活とともにある」
 ◆仁の心は頭だけでなく体全体で体現せよ。
 里仁4-3で紹介したように、孔子は「仁徳を体得した人だけが真に人を好み、人を憎むことができる」と述べています。この意味するところは、仁の心を体得したひとのみ人を正しく評価することができるということです。単に誰にでも優しくすることを仁者と言っているのではありません。もし、その人が品性下劣だったとしたらそれを憎んで厳しい態度で臨むということです。人を正しく評価する眼力を持っているかどうかが重要なのです。眼力とは人の本質を見抜く力を持っているかどうかです。言い換えれば、本質を見抜く目を持たないのに人の品定めを感情だけでしてはならないということです。孔子は誰に対してもこの姿勢を貫きました。たとえ、君主や貴族であっても直言し諫言しています。これは論語全体に通じる支柱となる教えの一つです。


出典:Bing

◆体得した仁の心は日常生活で習慣化せよ。
 五常はこれまでにも何回も紹介したように仁、義。礼、智、信のことです。その中で、仁と礼が密接につながっています。つまり、仁の徳義が行動に現れるのが礼だからです。社会生活を行う上で日常的に必要なことは礼です。礼は、人、時、場所によって使い分けるものではありません。また、礼の行為は断続的に行う者でもありません。さらに、礼はまた権威の象徴でもありません。礼は誰でも日常的に、継続的に行う仁徳の実践行動です。
 習慣化するには通常次のような原則があります。
 第一原則 目的明示の原則
 人は目的を分かち合い共感すればどんな苦痛でも耐えて実現のために耐えて行動する
 第二原則 重点指向の原則
 人も組織も数多くのことを同時に行うことが困難である。
 第三原則 業務一体化の原則 
 業務と習慣化しなければならない項目は一体にならなければ習慣化されない。
 第四原則 日常性の原則
 意識をせずに行動が先に来たり、その行動をしなければ、毎日が始まらないといった心理状態になることである
 第五原則 興味関心の原則
 興味関心がなくても実践してから、当初、想像できなかったような習慣化のパワーが生じる事例が多く報告されている。
 第六原則 フィードバックの原則
 フィードバックとは自分が認識できていな行動変容を構成員相互に伝えあうことをいう。
 第七原則 レビューの原則
 レビューを定期的に行わないとある時有効な習慣も環境が変われば悪習になる。
 ◆リーダーは仁の心を社会全体に伝播させよ。
 前項、里仁4-4でご紹介した松下幸之助氏の功績を改めて紹介しましょう。
 「仁」の心を組織に作り出し、自らも「仁」の心を体得し、そして、管理職に「仁」の心を浸透させ、ひいては組織全体を「仁」の組織風土まで構築できた経営者は、歴史上、松下電器産業株式会社(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏を超える経営者はいないのではないかと思います。前にも取り上げましたようにたった三人で起業した同社を今日の10万人を擁するグローバル企業にまで発展させました。折に触れ、経営理念を発せられ、おびただしい数の経営に関する著作を残し、「仁」の心を説いています。しかも第二次大戦直後、日本社会が混乱のさなかにあり、社会全体が混とんへと向かっているのか、秩序ある社会へと向かっているのか誰にもわからないときに社外にPHP研究所を設立しました。PHPとは、Peace and Happiness through Prosperity (繁栄によって平和と幸福を)という英語の頭文字をとったものだそうです。名前もおしゃれですが、PHP研究所の理念がもっと素晴らしいと思います。
 中国の開放政策を推進した鄧小平氏が来日し、同社のテレビ工場を視察されたとき、開放政策への協力を要請されました。松下氏は快諾されました。自らも北京に出向き中国の状況を視察され当時の中国のリーダーに多くの助言をされました。中国近代化に対して多大の貢献をされたと思います。
このような偉大な先達の功績に思いを馳せながら、今日、我々に何ができるだろうと考えることもリーダーには必要なのではないでしょうか。(了)


論語に学ぶ人事の心得第70回 「仁は大切な徳義だが、真摯に学べば手に入れることができる」

 孔子は、本項では「仁」を志せばこの世の中から悪事は無くなると言い切っています。
 非常に短い文章の中に、孔子の強い意志が感じ取れる内容です。前項では孔子は「仁」を極めることは安っぽく愛情を振りまくことではないと述べていました。だから、感情を抑制することなく善い人には善い人として評価し、品性の下劣な人には厳しい態度で臨むことを説きました。


図 1孔子像:出典Bing

 他人の善悪を見極めるには、それなりの修行を経て眼力を習得しなければなりません。しかし、本項では「仁」はそんなに手の届かないところにあるのではなく、自分さえ求めれば手に入れることができるとも述べています。論語の述而編7-29に「子曰く、仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、ここに仁至る」との記述もあります。
 確かに、「仁」という高度な徳義は一般人のみならず高い志をもつ弟子にとっても手の届かないものだと尻込みするものだったに違いありません。そんなことを察知した孔子が真摯に励めば手中にできることを折に触れ説いたのです。

 里仁編4-4「子曰く、苟(いやし)くも仁に志(こころざ)せば、悪(あ)しきこと無きなり」
師は言われた。「苟(いやし)くも」とはもし少しでも~すれば。「仁に志(こころざ)せば」とは仁を志せば。「悪(あ)しきこと無きなり」とは悪事はこの世の中から無くなる。

 論語の教え70:「仁のこころが組織に浸透すれば、その組織は衰退することはない」

◆どんな小さな組織であっても「仁」の心が組織風土として根付けば構成員は幸せになれる。
 まず、組織風土とは何かについて述べておきたいと思います。組織の全員が暗黙に合意している価値観のことです。会社の規則を守ろうとする組織風土が組織の隅々まで浸透していれば、その組織は規律正しい組織運営ができます。ところが、会社の規則が制定されている組織であっても実態はその規則が形骸化していることがよくあります。このような会社では、就業規則上始業が毎朝8時半と決められていても毎日遅刻する人が後を絶ちません。「私一人くらい遅刻しても会社に何の影響もない」と自分勝手な解釈で毎日遅刻する人がいたとすると一人だった遅刻者が複数あるいは二けたの複数になることはまず間違いありません。
 これらの現象には組織に欠落している二つの重要なキーワードがあります。第一は「悪しき慣行」ということです。悪しき慣行は組織の中にダブルスタンダードが存在することです。規則と実態が長年放置されたまま続くことによって生じます。いったん根付いてしまった悪しき慣行はそれを是正することが極めて困難になります。第二は「見て見ぬふりをする」ことです。規則違反をしていることはその組織の多くの人が知っているのです。でもいろいろな理由でだれも該当者に注意することをしません。基本的な理由としてはその組織には信頼関係が存在しないことから生じます。注意して逆切れされても困るということから周りは触らぬ神にたたりなしです。また、とにかく、自分が与えられて仕事だけをしていればいいのだという無関心派と言われる人もいます。「悪しき慣行」も「見て見ぬ振り」もすべて最初に小さな違反行為から始まります。それが次第にエスカレートしてしまうのです。
 一方で、組織の構成員がたとえ一般社員であっっても会社を代表しているように行動している活性化された組織もあります。お客様の苦情にも真正面から受け止め、お客様の立場に立って解決行動を起こしています。自己の職務責任や業務目標も自己認識しています。その責任を全うし、指示されたことだけでなく自主的に目標設定し目標達成行動を起こしています。上司からは職務遂行に対する介入はほとんどありません。任された仕事はすべて自由裁量で行うことができます。まさに、達成動機で構成された集団が維持されているのです。このような組織を「仁」が根付いた組織風土と言えると思います。
 
 ◆「仁」が組織風土として根付くのは何よりもリーダーが「仁」の徳義を体得することだ。
 それでは、どのようにすれば仁の心を育み根付かすことができるのでしょうか。私はこれにはリーダーの役割が大きいと思います。とりわけ、トップリーダーの役割は大きいと思います。しかしながら、トップリーダーだけではありません。組織の規模にもよりますが中間管理職のリーダーシップが第一線の職場風土形成に重要な役割を果たすからです。
 経営者は組織風土の基(もと)になる経営理念を制定します。しかし、それだけでは十分ではありません。作った理念を浸透させなければ前述の悪しき慣行が生じてきます。そこで重要な役割を果たすのが管理職です。上位者である経営者は経営理念を創ることに重要な役割を果たしますが組織に浸透させるには無力と言わざるを得ません。私は会社の方針が末端まで浸透しないと嘆く経営者に幾度となく出会いました。これには二つの特徴があります。一つの特徴は専制的経営者で自己の力を過信している経営者です。二つ目は人材育成に関心がなく、指示されてことしかできない管理職に囲まれている経営者です。企業の規模からいうと圧倒的に多いのが小規模企業です。これらの企業では、短期的な企業の業績確保に辣腕をふるっているのですが長期的視野に欠けています。人を育成することには無関心でもあります。
 組織を健全に維持発展させるには、まず、トップリーダーが自らの仁徳を高めることに努力すべきであると思います。しかる後に、自分の直属部下である管理職に仁の心を根づかせることで組織は間違いなく維持発展すると思います。

 ◆「仁」の心が自然に組織に浸透するのではない。浸透させる努力が必要だ。


松下幸之助氏と鄧小平氏:出典Bing


 「仁」の心を組織に作り出し、自らも「仁」の心を体得し、そして、管理職に「仁」の心を浸透させ、ひいては組織全体を「仁」の組織風土まで構築できた経営者は、歴史上、松下電器産業株式会社(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏を超える経営者はいないのではないかと思います。前にも取り上げましたようにたった三人で起業した同社を今日の10万人を擁するグローバル企業にまで発展させました。折に触れ、経営理念を発せられ、おびただしい数の経営に関する著作を残し、「仁」の心を説いています。しかも第二次大戦直後、日本社会が混乱のさなかにあり、社会全体が混とんへと向かっているのか、秩序ある社会へと向かっているのか誰にもわからないときに社外にPHP研究所を設立しました。PHPとは、Peace and Happiness through Prosperity (繁栄によって平和と幸福を)という英語の頭文字をとったものだそうです。名前もおしゃれですが、PHP研究所の理念がもっと素晴らしいと思います。

 第1は、過去において私たちの先人たちが、人生や社会など、人間に関するあらゆる問題について積み重ねてきた思索と体験を、有効適切に生かしていきたいということ。
 第2に大切にしたいのは、先人の方がたの成果に、お互い現代人の知恵を加え、新たな創造を生み出していくという姿勢です。
 第3には、以上の2つの姿勢を基本としつつも、お互いに何物にもとらわれない素直な心で、人間の本性、本質を究め、いわゆる天地自然の理、真理というものを究めていきたいということ。以上三つを基本姿勢としています。(出典:同社HP)
 戦後の日本人は戦前の価値観の崩壊から、何を信じて生きていけばいいのかアイデンティティを喪失していました。PHP研究所の設立を通じて自社だけでなく、社会全体に自信と生きる目標を与えたかったのかもしれません。
 このような偉大な先達とまでいかなくとも、リーダーはトップであれ、ミドルであれ自分の行動だけでなく組織全体を巻き込むことが仁の心を組織に浸透させる要諦でもあろうかと思います。(了)


RSS 2.0 Login