論語に学ぶ人事の心得第49回 「歴史は実録など客観的で確実な証拠が伝承されていて初めて史実となる」

子張(しちょう)像 出典:Bing

 本項は為政編2-23子張(しちょう)との対話で孔子が歴史観を語っていることの延長線上にあります。そこで孔子は何を語っていたのでしょうか?子張(しちょう)は孔子に対して「十代先の王朝を予知することが可能でしょうか」と質問しました。すると孔子は次のように答えます。
 「殷(いん)王朝は夏(か)王朝の礼法制度を受け継いでいるから察知できるはずだ。
 ゆえに、例え百代先でもその王朝を察知できるはずだ」(詳細は為政編2-23参照)と述べているのです。
 本項ではこの回答を覆されたわけではないのですが、証拠が十分残されていないので自説を実証することができないことを憂いています。
 因みに夏(か)王朝は中国で最古の王朝です。殷(いん)王朝は実在が確認できる最後の王朝です。その両方とも末裔国に礼法が伝承されていないために、孔子自身は実証できてもほかの人ができるだろうかとその客観性に疑問を呈しています。


 八佾篇第3―9「子曰(いわ)く、夏(か)の礼(れい)は吾(わ)れ能(よく)く之(これ)を言えども、杞(き)は徵(しるし)とするに足らざる也(なり)。殷(いん)の礼(れい)は吾(わ)れ能(よ)く之(これ)を言えども、宋(そう)は徵(しるし)とするに足らざる也(なり)。文獻(ぶんけん)足(たら)ざるが故(ゆえ)也(なり)。足らば則(すなわ)ち吾(わ)れ之(これ)を徵(しるし)とせん」
 師は言われた。「夏(か)の禮(れい)は吾(わ)れ能(よく)く之(これ)を言えども」とは「夏(か)王朝の礼法制度を私は説明できるけれど。「杞(き)は徵(しるし)とするに足らざる也(なり)」とは夏王朝の末裔の国である杞(き)国にはそれを実証するものが不足している。「殷(いん)の礼(れい)は吾(わ)れ能(よ)く之(これ)を言えども」とは殷(いん)王朝の礼法制度を私は説明できるけれども
 「宋(そう)は徵(しるし)とするに足らざる也(なり)」とは殷(いん)王朝の子孫が住んでいる宋(そう)国にはそれを実証する記録や賢者が足りない。「足らば則(すなわ)ち吾(わ)れ之(これ)を徵(しるし)とせん」とはそれらが十分に存在していたら私は私の説を説明できるのだが。

 論語の教え49: 「伝統とは単に長く継続された結果でなく、ある意図のもとに作り上げられた創造物である」

◆リーダーは良き企業文化の伝道者たれ


孔子廟 出典:Bing


 ミレニアムレベルの文化には、必ず、その支柱となる伝承ツールが存在します。例えば、宗教でいえばキリスト教には聖書があり、イスラム教にはコーランがあります。仏教には経典があります。おそらくどの宗教でも伝承されている教義があると思われます。孔子の開いた儒教にも教義がありますし、論語のように後年弟子によって編纂された論語もります。物理的な伝承物としてはキリスト教には教会があり、イスラム教にはモスクがあり、仏教にはお寺があります。また、それぞれの宗教には聖職者もいます。要するに自然と続いてきたのではなく、伝道者の命を懸けた努力により松明の火が受け継がれてきたのです。
 企業はゴーイングコンサーンだと言われます。要するに企業は一時的存在ではなく、長く継続することを前提に設立されるということです。従って、企業の状況を記録したものが、長期的に保存されることになります。しかしながら、企業を継続させることは並大抵の努力では実現できません。これまでにも、多くの企業が雨後の筍のごとく設立されていますが、時の経過とともに消えていきます。天才的発明家が創業した企業でも継続することは至難なことです。とりわけ、事業の後継時に曲がり角が来ていることは歴史が示す通りです。もちろん、事業がうまく継承されていく企業も多くあります。継承されない企業と継承される企業にはどんな違いがあるのでしょうか。
 私は継続する企業には組織の隅々にまで浸透した企業文化が継承されているからだと思います。企業文化というと空気のような存在ですからよくわからないと思われるかもしれません。しかし、前段で述べました通り企業文化の伝承ツールを整えてあらゆる機会を利用して浸透させてゆきます。その最前線で率先実行するのがリーダーの使命になります。

◆伝統を継承するには「変えていいこと」と「変えてはならないこと」を区別せよ
 ご承知の通り「企業は変化即応業である」と言われます。この意味するところは企業のあらゆるものは環境の変化により陳腐化するので変化を嗅ぎ分け環境適応させなければならないということです。「成功は失敗の母」ともいわれます。これは成功したという同じ理由で失敗するという教訓です。
 企業には、毎日、陳腐化の波が押し寄せています。とりわけ、顧客価値を生み出す基幹プロセスの陳腐化を発見し未然に防止することは企業存続の生命線です。
 ここで、大切なことは「不易と流行」ということばで示されていますように、環境がどんなに変化しても「変えてはならないもの」と「変化に合わせて変えてゆかなければならないものが存在すということ」です。企業のリーダーは日々陳腐化する経営資源を注意深く観察し、自社の何をグレードアップすべきかを決断することが最重要な任務であることを改めて自覚することが大切だと思います。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第48回 「師に問題意識をぶつけて対話を触媒にして、自分の見識を深める」

孔子と弟子との対話 出典:Bing

 本項は愛弟子「子夏(しか)」との対話です。「子夏(しか)」は学而編1-7で取り上げられていますが、再度その人となりを紹介しておきます。
 子夏は学而1-3に登場する曽子と同世代の人で孔門十哲の一人です。孔子より44歳若く、子夏は字、姓は卜(ぼく)、名は商(しょう)と言いました。 
 師をうならせるほどの文才の持ち主だったと言われています。
 孔門十哲とは孔子の高弟には70名ほどの秀才がいましたが、その中でとりわけ優れた弟子の十名を指します。これからもこの論語にしばしば登場する人たちです。
 顔回(がんかい)、閔子騫(びんしけん)、冉泊牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)、宰我(さいが)、子貢(しこう)、冉有(ぜんゆう)、子路(しろ)、子游(しゆう)、子夏(しか)の十名です。
 
 本項の対話でも子夏(しか)は師に質問を投げかけながら、自己の見識を深めようとしています。そして、師の回答に自分の意見を加えて思考することで、より深い知見を体得する姿勢が孔子の望むところです。
 それらを通じて、孔子自身も弟子、子夏(しか)から啓発されることをとても喜んでいます。孔子の弟子を育成する方針は、単に知識を授けることでなく思考力を高め、思索して実践につなげることでした。 
 その意味で今回の対話は、現代に生きる私たちにも孔子の喜びようが見えるようです。

 八佾篇第3―8「子夏(しか)問いて曰(いわ)く、巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目盼(びもくはん)たり、素(そ)をもって絢(あや)をなすとは、何の謂(いい)ぞや。子曰(いわ)く、繪(え)の事は素(しろ)きを後にす。曰く、禮(れい)は後(のち)か。子曰(いわ)く、予(わ)れを起(おこ)す者は商(しょう)なり、始めて与(とも)に詩を言ふべきのみと」

 「子夏(しか)問いて曰(いわ)く」が子夏(しか)とは子夏(しか)が訊ねた。「巧笑倩(こうしょうせん)たり、美目盼(びもくはん)たり、素(そ)をもって絢(あや)をなすとは、何の謂(いい)ぞや」とはにっこり笑うとえくぼがくっきり、つぶらな瞳はぱっちりと、色の白さは美しさを際立たせるという歌があるがどういう意味ですかと師に尋ねた。。「絵というものは白色を最後に加えるものだ。「曰く、禮(れい)は後(のち)か」とは子夏(しか)は言った。礼が人生の最後の仕上げということですか?「子曰(いわ)く、予(わ)れを起(おこ)す者は商(しょう)なり、始めて与(とも)に詩を言うべきのみと」とは師は答えた。
 「私を触発(しょくはつ)してくれるのは商(しょう:子夏の本名)だけだ。お前とこそ一緒に詩の話ができるというものだ

 論語の教え48: 「人は躍動的な対話で、断片的な情報を見えざる糸でつなぎ、アイデアを泉のごとく湧き出させる」

◆上司を使いこなす部下になれ
 そんなことができるのかと思われるかもしれません。しかしながら、能力の高い人は上司をまるで自分の部下のように使いこなしています。上司に、あらゆる場面で質問を投げかけ、上司の意見を求めます。上司に質問することを通じて回答を求めているばかりではありません。自分の見解が客観的に見て正しいかどうかの確認をしています。上司も、また質問されるとうれしいので対話がはずみます。部下に回答したことが正しかったかどうか確認するために改めて調べなおすこともあります。さらに、上司もまた他の専門家と対話して知見を深めていきます。いわゆる「知的探求の連鎖」が始まります。この「知的探求の連鎖」はいいことずくめです。まず、上司と部下の風通しがよくなります。上司と部下の信頼関係も深まります。そして、その結果、上司と部下は深い絆で結ばれます。二人の間にラポート(心と心の懸け橋)がかかるという究極の人間関係が形成されるのです。ラポートがかかれば、組織は活力を持ちます。最終的には、結果として業容発展につながります。

◆常に何事も、問題意識をもって観察せよ
 断片的にせよ、系統だっているにせよ、問題意識があれば情報は集まります。それはまるで磁石が鉄くずを引き付けるような様相を呈します。問題意識がなければどんなに情報が有り余るほど飛び交っていても、情報が氾濫していても捉えることができません。心に磁石を持たない人には大切な情報はすべて通り過ぎてしまいます。能力の高い人は問題意識を必ず持って世の中を観察しています。この問題意識の深さが収集する情報の質に直結しています。


出典:Bing

 質の高い情報を入手しようと思うなら問題意識を研ぎ澄ますことです。
 では問題意識とは何かを述べたいと思います。初めにお断りしておきたいのは、問題意識はある特定の人にのみ備わった資質ではないということです。すべての人に神が平等に与えた資質です。
まず、問題とは何かを考えてみましょう。問題とは目標と現状のギャップです。そして、そのギャップは埋めなければならないものです。私たちは誰でも、公的にも私的にも必ず目標と現状があります。同じようにそれは埋める必要があります。問題意識とは自分の目標と現状のギャップを埋めようと常に意識していることを言います。情報が集まらない人、問題意識が希薄な人は自分の目標と現状のギャップを認識することから始めてください。

◆躍動的な対話こそ問題解決の近道
 困難に直面した時に、一人で考え込むことほど時間の無駄で無意味なことはありません。困ったら一人で考え込むなと言いたいのです。どんな人でも一人の力は複数の人の英知の結集には負けます。だから私たちは組織を作り、集団のチームワークで平凡が非凡へと脱皮できるのです。これには前提条件があります。自然人には血液が全身に酸素をめぐらすように組織や集団でも隅々に酸素を送り込む状況を作り出すことが必要です。それはとりもなおさず個人同士の対話を活発にすることであり、報連相により組織の血液である情報を共有することにはかなりません。私たちは誰でも一人で悶々としていたことが対話で断片的な情報がまるで命の糸で結ばれたように生き生きと活動を始める経験を持っています。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第47回 「他から尊敬される人物は見苦しい争いごとは避けるものだ。争ったとしてもルールに則り競う程度のものだ」

 孔子は単に思想家であるばかりではなく、政治家であり、優れた武術家でもありました。
 思想家というとイメージ的には、ひ弱な文士が浮かんできますが、武術に長じていたとすると別の顔が見えてきます。
 孔子が武術家として優れていたのも魯国の優れた将軍であった父親の血を受け継いだものでしょう。孔子は体格も2メートルを超える偉丈夫であったと伝えられています。


孔子立像:出典 Bing

 孔子は六つの芸に秀でていたと言われています。礼はそのうちの一つで他にも五つがあります。書、数学、音楽、そして弓と御(ぎょ)です。
 御(ぎょ)というのは御者という言葉もある通り馬車の操縦する技術のことです。
 これまでに何度も述べてきたように孔子の生きた時代は群雄が割拠した下剋上の時代です。全国いたるところで戦乱が繰り広げられました。その戦争の時に用いられた有力な武器が弓と刀です。そして、戦士を運ぶのが馬車でした。孔子はそのいずれにも長けていたことになります。
 この時代は武術の中でも弓術が盛んでした。弓術の試合は「射礼」と称されていたように細かくルールが決められていて儀式あるいは現代風にいうとスポーツのように規則に則っとって優勝劣敗を決めるようなものでした。試合後は負けたものが罰杯を受けることが習わしになっていたようです。
 本項で取り上げているのも射礼の際の約束事にひっかけて述べています。揖讓(ゆうじょう)というのはあいさつの一種で両手を胸の前で組み合わせ上下させながら会釈し譲り合う作法です。

 八佾篇第3―7「子曰く、君子は爭(あらそ)う所無し。必ずや射(しゃ)か。揖讓(ゆうじょう)して升(のぼり)り、下り而(しこうして)飮む、其の爭(あらそい)や君子なり」先生は言われた。「君子は爭(あらそ)う所無し」とは君子は何事につけても争はない。「必ずや射(しゃ)か」とは争うとすればきっと弓の勝負ぐらいだろう。「揖讓(ゆうじょう)して升(のぼり)り下り而(しこうして)飮む」とは試合の開始前には挨拶して先を譲り合いながら正堂の階段を上り下りして試合に臨み、勝負が終われば酒を飲む。「其の爭(あらそい)や君子なり」とは争い方も君子らしく争う

 論語の教え47: 「一角(ひとかど)の優れた人はみだりに争いごとを仕掛けない。止むえず、争いに巻き込まれても徳を以て対応する」


老子像:出典Bing

◆争わずして勝つ
 このことを生涯通じて探求した二人の偉人がいます。老子と孫子です。まず、老子について紹介したいと思います。
 「善く敵に勝つ者は与にせず」と言っています。つまり、うまく敵に勝つ者は、敵と戦わないということです。さらに、「優れた戦士は怒りを表さないし、猛々しくもない」と説いています。人と争って、力ずくで相手を封じ込め、勝利を奪い取ったとしてもその反動は後になって必ず自分に返ってくるものです。力に任せて傷つけあって“勝ち”を手に入れようとするのは、「ありのままを大切にする“道”の教えに反している」と老子は戒めています。
  一方『孫子』は次のように述べています。
 孫子の兵法には、「およそ兵を用うる法は、国を全うするを上となし国を破るはこれに次ぐ。この故に、百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」と。
 これもまた「不争」を教えているのです。
 老子や孫子の教えでは、「百戦百勝よりも大事なことがある」と。
 これがつまり、はじめから「争わないこと」「戦わないこと」。両者とも、「不争」に重きを置いていたわけですね。 


孫子像:出典Bing

 現代社会でも、賢い人ほど無駄に人と争ったりしないものです。
 そんなエネルギーと暇があるなら、他にやるべきことがあるハズです。
 「いかにして、戦わずして勝つか」これを極めることができた人だけが
 本当の意味で「人の上に立つ」ことを許されるといえるのではないでしょうか。
 老子は次のような言葉で不争の極意を教えています。
 「吾不敢為主而為客」(吾敢えて主とならずして客となる)
 自分が中心となって行動しようとせず、「受け身に回れ」と言うのです。
 つまり、戦争を避けられない状況に陥ったとしても、基本的には「不争」のスタンスでいけよ、自分から攻めたりするなよ、ということです。
 あくまでも、「戦わないこと」「争わないこと」が“徳”であり“道”だと強調しているのです。

◆能ある鷹は爪を隠す
 前項の不争とは少しニュアンスが違うかもしれませんが、よく言われる格言です。
 本当に力のある人は心技体ともその力を見せびらかさないというものです。小人や臆病者ほど居丈高にふるまいます。目下に強いのに目上の人に腰砕けになる人もいます。
 外剛内柔という言葉もあります。外見はとても強そうに見えますが心が弱い人のことを言います。反面、外柔内剛という言葉があります。これは前者の反対語です。外見はとても弱々しく見えて内面の意思が強固であると人のことを言います。
 ことほど左様に人にはいろいろなタイプがありますが、できる人ほど自分のことを自慢げに人前でペラペラしゃべらないものです。



(了)


論語に学ぶ人事の心得第46回 「上に立つ人の礼を失する行為には勇気をもって諫言せよ」

冉有(ぜんゆう)像 故宮博物館蔵

 本項は弟子冉有(ぜんゆう)への礼に対する行動について、孔子が意見する場面です。
 まず、冉有(ぜんゆう)について紹介しておきましょう。冉有(ぜんゆう)は姓を冉(ぜん)、名は求(きゅう)、字は子有と言いました。孔子より29歳年少です。孔子からは政治の才を評価され、孔門十哲の一人となっています。季氏に仕え、その執事を務めたほか、武将としても名をはせました。孔子の遊説にも同行しましたが途中で魯に戻り、季氏に仕え、孔子の帰国を促したと伝えられています。
 次に季孫氏(きそんし)です。本編八佾(はちいつ)の冒頭にも出てきますが、季氏は確かに魯国の三大貴族の一員で位は高いのですが、君主の単なる重臣に過ぎません。それがあろうことか天子にのみ許された八佾(はちいつ)を自分の家の庭先で舞ったのです。何を勘違いしたのか、分をわきまえろと孔子は怒りをあらわにしています。
 今回も、また泰山で、天子にしか許されていない山神を祭る暴挙を行ったというのです。泰山は魯国国都・曲阜の北80kmほどに位置する聖山と言われていました。道教の聖地である五つの山(=五岳)の筆頭です。この山を祭る封禅の儀式は、天子の特権とされていました。封禅(ほうぜん)の儀式とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式です。
 孔子は十哲にも数えられるほどの優秀な弟子冉有(ぜんゆう)が林放(りんぽう)のような一書生に過ぎないものに比べられることに恥じ入ることがないのかと叱責をしているのです。師は筋を通せない冉有(ぜんゆう)に対して歯がゆい思いをしたのでしょう

 八佾篇第3―6「季氏(きし)泰山に旅(りょ)す。子冉有(ぜんゆう)に謂(い)ひて曰(いわ)く、女(なんじ)救(すく)ふこと能(あた)ざるか。対(こた)えて曰く、能(あた)わずと。子曰く、嗚呼(ああ)、曾(すなわち)泰山(たいざん)を林放(りんぽう)に如(し)かずと謂(い)えるか。  

 「季氏(きし)泰山に旅(りょ)す」とは季孫氏(きそんし)が泰山で山神を祭った。「子冉有(ぜんゆう)に謂(い)ひて曰(いわ)く」とは、孔子が弟子の冉有(ぜんゆう)いった。「女(なんじ)救(すく)ふこと能(あた)ざるか」とは、冉有(ぜんゆう)よ、おまえは季孫氏(きそんし)に意見を言えなかったのか?「対(こた)えて曰く、能(あた)わずと」冉有(ぜんゆう)はできませんでした答えていった。「子曰く、嗚呼(ああ)、曾(すなわち)泰山(たいざん)を林放(りんぽう)に如(し)かずと謂(い)えるか」とは そこで孔子は言った。ああ、なんとおまえは礼のすべてを知っているのに泰山(たいざん)の神について訊いた林放(りんぽう)にもおよばないと思っているのか。

 論語の教え46: 「上司といえども礼に反する行為は諫める勇気と覚悟を持て」

 ◆「義を見てなさざるは、勇なきなり」
 孔子は第二編の為政編最終項の2-26項でこの言葉を述べています。
侠(きょう)の精神は義を貫く人たちです。孔子は自分の先祖でもないのに、有力者からと言って祀るのは、有力者をおもねることで卑怯なことだと断罪しました。これこそ、義に反する行為だと厳しく批判


出典:Bing


したのです。「義(ぎ)を見て爲(な)さざるは、勇(ゆう)無き也」というのは現代の社会でも用いられ、格言として定着しています。
 社会や組織のリーダーが礼に反する行為をした時に黙って見過ごすことは、いろいろな面で悪弊をはびこらせることになります。これまでの倣いでは、徳を刻むとともに、悪弊はますます肥大化し、取り返しがつかなくなります。だから、小さい芽のうちにつまんでおくことが大切であります。今回の冉有(ぜんゆう)のように季孫氏の側近で、執事の立場にしかできない人が勇気をもって正してゆくことができなければ、ほかの誰ができるというのだと孔子は冉有(ぜんゆう)に迫っているのです。

 ◆より広い共同体感覚を持て
 本項は季孫氏をめぐる狭い共同体の中での話です。冉有(ぜんゆう)が季孫氏の執事ですから極めて強固な縦の関係で結ばれています。
 だから、冉有(ぜんゆう)は主人である季孫氏の礼に反した行為に対して何も言えなかったのです。小さい社会に閉じ込められ、自分を小さくしてしまっている冉有(ぜんゆう)に対して、それが孔子にはいかにもふがいなく映ったのでしょう。孔子なら同じ場面では、きっぱりと季孫氏に諫言しているでしょう。
 なぜ、師と弟子の間にこのような違いが出るのでしょうか?孔子は冉有(ぜんゆう)に比較してより広い共同体感覚を持っているからだと思います。より広い共同体感覚とは何か?それは季孫氏と縦に関係ではなく横の関係を意識しており、季孫氏から縦の関係を切られてもなんの問題も生じないばかりか、切られた時から季孫氏との共同体関係より、より広い共同体関係を構築する自信があるからです。人間の器の大きさを如実に示す好例といえましょう。

 ◆自己を偽り、自己矛盾に陥ることを避けよ
 「義をみてなさざる時」には、自分の弱さに対して、自己嫌悪に陥ります。自分で自分を嫌いになったら誰が自分を好きになってくれるでしょうか。常に、そのような状況を抱えることを自己矛盾に陥ると言います。
 自己矛盾に陥ることを避けるには以下の三点に留意する必要があります。
第一は常に、自らの言行を一致させることです。
   他人に厳しく、自己に甘い人は信用されません。
第二は他人の言行を変えたい時は、常に自らの言行を変えることです。
   「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる」というのは真実です。
第三は常に、自己との対話を怠らないことです。
   人間は誰でも心の中に二人の自分がいます。積極的な自分と消極的な自分です。肯定的な自分と否定的な自分であることもあります。二人の自分との対話を心掛けると自分が偏っているかどうかを確認できます。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第45回 「たとえ、リーダーがいなくてもその社会に豊饒な文化が根付いていれば、文化のない社会より安心できる」

孔子立像 出典:Bing

 本項で孔子は伝統的に培ってきた文化や文明の大切さを説いています。代々、脈々と受け継がれてきた中国の文化や文明あれば、たとえ、君主がいなくても、新興してきた周辺地域の君主がいる異民族よりは勝っていると説いています。
 孔子の生きた時代はまさに乱世です。いつ君主が倒れ、誰が次の君主になるのかも予見できない不透明な時代でした。
 いわゆる、下剋上の時代です。社会は秩序に向かうのではなく限りなく混沌へと向かっていました。このような時代の社会と人心は大海原のうねりのごとく揺れています。人々は、ただ不安におののきながら、時代がなすが儘(まま)に身をゆだねるほかはなかったのです。
 しかしながら、孔子は違いました。多くの弟子を抱え、民の心を鎮める役割も担っていました。 
 そこで懸命に周囲に向かって、自分たちの祖国中国の伝統に自信を持ちなさいと訴えたのでした。

 八佾篇第3―5「子曰く、夷狄(いてき)の君(きみ)有るは、諸夏(しょか)の亡きに若(し)かざる。」師は言われた。「夷狄(いてき)の君(きみ)有るは」とは異民族に君主がいたとしても、「諸夏(しょか)の亡きに若(し)かざる」とは中国に君主がいないよりは劣っている。

 論語の教え45: 「社会でも企業でも文化の持つ影響力は岩を動かすほどの力を持っている」


中国春秋時代 出典:Bing

◆文化の正体とは何か
 辞書によりますと「文化とは、人間により創造されたもの、人工物であり、その社会において後天的に学ぶべきもの全般のことであると言える。そのような意味で、文化の種類としては言語、宗教、音楽、料理、絵画、哲学、文学、ファッション、法律などが挙げられる」とあります。
 辞書の定義を否定するものではありませんが、私は「文化とは空気だ」と思います。
 文化は空気と同じように目に見えません。
 しかし、所属する社会や組織では文化や空気無くして人は生きてゆけません。そして、空気も文化も、ともに人々の生活に密着しています。
 その土地、土地に根付いた特有の文化が存在しています。君主が無くても人々は生きてゆけますが、空気や文化無くして生きてゆけません。空気をさらに踏み込んでいきますと、文化とは人々の生活空間に存在する価値観を共有することだと言えます。この価値観を共有できなければそこで生活することはできません。
 文化の正体は生活空間に存在する「空気であり価値観の共有である」と言えるでしょう。

◆文化は誰が作り出すのか
 それでは、文化は誰が作り出すのでしょうか?
 そこに生活する人々です。そこには君主もいれば為政者もいます。文化は、その社会を治める人と治められる人との総和で醸し出されることになります。どちらが文化を創り出すのに影響力を持つのかというと社会のリーダーになります。しかし、文化を根付かせるには治められる大多数の人の実践がものを言います。この両輪が相まって文化が形成されてゆくのです。
 ここで、注視すべきポイントがあります。
 それは、文化は無限に続く存在であるのに対して、文化を創り出す人も文化を実践する人々も有限の存在であることです。論語は2500年もの長きにわたり人々を癒し、心を潤してきました。この間に論語に関係した人々は何百万人、あるいは何千万人といるでしょう。影響を受けた人は何億人にもなるはずです。その人はこの世からすでにいなくなっていますが、論語はこれまでも、そしてこれからも、人類がこの世からいなくならない限り永遠に続いていくことになります。

◆現在でも企業社会の文化は強い
 現代の社会で最も如実に文化の違いで幸福な人生を切り開けるか、不幸な人生を送る羽目になってしまうのか。その分岐点にあるには企業文化です。今日では、企業というのは、利益追求の手段としては洋の東西を問わず、イデオロギーを超えて最強の組織です。利益追求という目的のために手段を択ばず、がむしゃらに突き進んだとしたら現代社会はどうなるでしょうか。
 地球全体が破滅の道に突き進むことは火を見るより明らかです。
 企業が持続可能な社会の実現に向けて新たな企業文化を創造していることはご高承のとおりです。その実現するスピードで次代を主導する企業となれるかどうかが決まると思われます。
(了)


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