論語に学ぶ人事の心得第45回 「たとえ、リーダーがいなくてもその社会に豊饒な文化が根付いていれば、文化のない社会より安心できる」

孔子立像 出典:Bing

 本項で孔子は伝統的に培ってきた文化や文明の大切さを説いています。代々、脈々と受け継がれてきた中国の文化や文明あれば、たとえ、君主がいなくても、新興してきた周辺地域の君主がいる異民族よりは勝っていると説いています。
 孔子の生きた時代はまさに乱世です。いつ君主が倒れ、誰が次の君主になるのかも予見できない不透明な時代でした。
 いわゆる、下剋上の時代です。社会は秩序に向かうのではなく限りなく混沌へと向かっていました。このような時代の社会と人心は大海原のうねりのごとく揺れています。人々は、ただ不安におののきながら、時代がなすが儘(まま)に身をゆだねるほかはなかったのです。
 しかしながら、孔子は違いました。多くの弟子を抱え、民の心を鎮める役割も担っていました。 
 そこで懸命に周囲に向かって、自分たちの祖国中国の伝統に自信を持ちなさいと訴えたのでした。

 八佾篇第3―5「子曰く、夷狄(いてき)の君(きみ)有るは、諸夏(しょか)の亡きに若(し)かざる。」師は言われた。「夷狄(いてき)の君(きみ)有るは」とは異民族に君主がいたとしても、「諸夏(しょか)の亡きに若(し)かざる」とは中国に君主がいないよりは劣っている。

 論語の教え45: 「社会でも企業でも文化の持つ影響力は岩を動かすほどの力を持っている」


中国春秋時代 出典:Bing

◆文化の正体とは何か
 辞書によりますと「文化とは、人間により創造されたもの、人工物であり、その社会において後天的に学ぶべきもの全般のことであると言える。そのような意味で、文化の種類としては言語、宗教、音楽、料理、絵画、哲学、文学、ファッション、法律などが挙げられる」とあります。
 辞書の定義を否定するものではありませんが、私は「文化とは空気だ」と思います。
 文化は空気と同じように目に見えません。
 しかし、所属する社会や組織では文化や空気無くして人は生きてゆけません。そして、空気も文化も、ともに人々の生活に密着しています。
 その土地、土地に根付いた特有の文化が存在しています。君主が無くても人々は生きてゆけますが、空気や文化無くして生きてゆけません。空気をさらに踏み込んでいきますと、文化とは人々の生活空間に存在する価値観を共有することだと言えます。この価値観を共有できなければそこで生活することはできません。
 文化の正体は生活空間に存在する「空気であり価値観の共有である」と言えるでしょう。

◆文化は誰が作り出すのか
 それでは、文化は誰が作り出すのでしょうか?
 そこに生活する人々です。そこには君主もいれば為政者もいます。文化は、その社会を治める人と治められる人との総和で醸し出されることになります。どちらが文化を創り出すのに影響力を持つのかというと社会のリーダーになります。しかし、文化を根付かせるには治められる大多数の人の実践がものを言います。この両輪が相まって文化が形成されてゆくのです。
 ここで、注視すべきポイントがあります。
 それは、文化は無限に続く存在であるのに対して、文化を創り出す人も文化を実践する人々も有限の存在であることです。論語は2500年もの長きにわたり人々を癒し、心を潤してきました。この間に論語に関係した人々は何百万人、あるいは何千万人といるでしょう。影響を受けた人は何億人にもなるはずです。その人はこの世からすでにいなくなっていますが、論語はこれまでも、そしてこれからも、人類がこの世からいなくならない限り永遠に続いていくことになります。

◆現在でも企業社会の文化は強い
 現代の社会で最も如実に文化の違いで幸福な人生を切り開けるか、不幸な人生を送る羽目になってしまうのか。その分岐点にあるには企業文化です。今日では、企業というのは、利益追求の手段としては洋の東西を問わず、イデオロギーを超えて最強の組織です。利益追求という目的のために手段を択ばず、がむしゃらに突き進んだとしたら現代社会はどうなるでしょうか。
 地球全体が破滅の道に突き進むことは火を見るより明らかです。
 企業が持続可能な社会の実現に向けて新たな企業文化を創造していることはご高承のとおりです。その実現するスピードで次代を主導する企業となれるかどうかが決まると思われます。
(了)


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