論語に学ぶ人事の心得第54回 「尊崇する周公旦が、先人の知恵に学び、礼法を作り上げた、それに従わない手はない」

周公旦像 出典:ウイキペディア

 本項は孔子が周(しゅう)国の文化を称(たた)える内容となっています。二代とは周王朝に先行する夏(か)・殷(いん)王朝のことです。夏(か)王朝は史書に記された中国最古の王朝です。
 史書には、初代の禹(ゆ)から末代の桀(けつ)まで14世17代471年間続き、殷(いん)の湯(ゆ)王に滅ぼされたと記録されています。 
 また、殷(いん)王朝は、紀元前17世紀 周の反乱により滅亡します。
 殷(いん)王朝は考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝です。紀元前11世紀に帝辛(紂王)の代に周国(しゅうこく)によって滅ぼされました。その周王朝の建国と礎(いしづえ)を築くのに多大の貢献をしたのが武王の弟であった周公旦(しゅうこんたん)です。
 周公旦(しゅうこんたん)は礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したと言われています。周公旦(しゅうこんたん)の時代から時が流れること約500年。春秋時代に儒教を開いた孔子は魯の出身であり、文武両道の周公旦(しゅうこうたん)を理想の聖人と崇(あが)め、常に周公旦(しゅうこうたん)を夢に見続けるほどに敬慕したと伝えられています。

 八佾篇第3―14「子曰く、周(しゅう)は二代に監(かんが)みて、郁郁乎(いくいくこ)て文(あやな)す哉(かな)。吾(われ)は周に從(したが)わん」

 師は言われた。「周(しゅう)は二代に監(かんが)みて」とは周王朝は夏・殷王朝と二代続いた王朝を参考にして作られた。「郁郁乎(いくいくこ)て文(あやな)す哉(かな)」とは馥郁(ふくいく)とかぐわしく麗しい文化を創った。「吾(われ)は周に從(したが)わん」とは私は周の文化に従いたい。


 論語の教え54: 「私たちは何を学ぶか大事だが、誰から学ぶかのほうがもっと大事だ」


孔子像 出典:Bing

◆人生の幸せは、大事な選択を間違わないことである
 人は、誰でも影響を受けた人がいます。そのことは、その人の人生に転機をもたらし、あるいは、その人の人生そのものを決めてしまうことにもなります。
 人生の節目、節目にいろいろな出会いがもたらされるのです。幼少期には、親から影響を受けることになりますが、年齢を重ねるとともに、影響を受ける人は多様になります。友人になり、学校の教師が加わります。さらに、社会に出ると上司が加わり、会社の経営者が加わります。
 ところで、人生は選択と出会いの連続であるとも言えると思います。とりわけ、重要なのは三つあります。第一は学校の選択であり、第二は職業の選択であり、第三は伴侶の選択です。この三つの選択を間違わなければ充実した人生を送れることはまず間違いがありません。
 ここで、良き選択をするための背景を考えてみましょう。そこには、必ず人生の目標と師がいるということです。人生の目標は素朴な実現したい願望のようなものからスタートする場合もあるでしょう。
 ある物理学者の話です。物理学に目覚めたのは、宇宙の果てはどうなっているのだという素朴な疑問から始まったというのです。彼は、子供心にそのことを父親に問いかけました。父親は満足のゆく回答はできませんでしたが、好奇心を刺激する話をしてくれました。ますます、気持ちを掻き立てられた少年は宇宙の果てを知りたくて物理学を志ます。自分の知りたいことを研究している大学を選択し、そこで生涯の恩師に出会います。そして、生涯かけて、物理学を研究して世界的な理論を打ち立てます。その師に出会わなければ、今日の自分は無かったと述懐しています。

◆信頼できない師からは学ぶものは少ない
 前述したように、自己の目標を実現するために生涯の探究テーマを決めたとしても師に恵まれなければ、その目標を達成することが難しいでしょう。古今東西、一時的ではなく継続して大きな成功を収めた人には必ず師が存在します。そして、師弟関係には強い信頼関係が存在しています。
 激しくも厳しい指導に耐え、やり遂げられるのも師との信頼関係が存在するからです。かつて、こんな場面を見たことがあります。その人は、今風に言うなら、強烈なパワーハラスメントではないかというほど上司から毎日激しく罵られ叱責されていました。どんなに無茶な要求に対しても、決して反発することはありませんでした。周りから見ると目を覆わんばかりの哀れな状況でしたが、約二年間、上司のしごきに耐え抜きました。
 周りを心配させるほどの光景が繰り広げられていました。とうとうノイローゼになり、何度も放心状態になりながらも会社を辞めずに我慢しました。
 後になってのその人の告白です。「最初は、反発心だけだった。辞表をたたきつけて、そのまま故郷(くに)に帰ろうと何度も思った」。
 ところが、不思議なことに、ある時点から、親でもないのに、よくぞ、ここまで自分を育ててくれようとする上司に感謝の気持ちが湧いてきた。そこから、どんなことがあろうともこの上司についてゆこうと決心した」と告白してくれました。その人は、若かりし頃の経験を活かし、その後も順調に昇進して、その会社のトップ層の役員にまで上り詰めました。
 人生で選ぶことができないのは上司と親です。同じ局面を迎えた時にどのように覚悟を決めるかで天と地の差が生じます。運も偶然でなく呼び込むことができるのです。

◆師から知識を学ぶのではなく思考を学ぶのだ
 前述した師弟関係は普遍的なものでないかもしれません。ただ一つ言えることは教える側も教えられる側も真剣だったことです。加えて、師弟が真摯に向き合いました。そして、いい結果を生み出しました。人を育てると簡単に言う人が合います。しかし、よほどの覚悟を決めないと人は簡単に育ちません。また、人づくりは単なる知識の伝承ではなく、人間改造のプロセスでもあります。
孔子自身も弟子の人づくりに生涯をかけました。その教えは「自ら考え自ら実行する人づくり」でした。
 そのためにどうしたのでしょうか?為政編のまとめで取り上げました。再度この項でも取り上げます。

第一は、「三者三様の教え」です。
 個人ごとに指導の仕方を変えます。人を見てその人に合った指導をしました。同じ質問をされても同じことを回答していません。その人の性格や能力に応じた指導方法を選択したのです。

第二は、「正解を導き出す思考過程」の教えです。
 質問されたときにすべての正解を教えず、考えさせる示唆(ヒント)を与える回答をしています。孟懿子(もういし)のような権力者には孝を問われて「外れないことだ」と相手に考えさせるとうに答えています。また、その子孟武伯には病にかかって親に心配かけないことが孝行だと回答しています。

第三は、「常に事実を検証すること」の教えです。
 学んだことは「鵜呑みにせず必ず調査分析して確認しなさい」そして、必ず自分の意見を添えて納得して習得しなさいというものでした。要するに、学ぶことは知識そのものを増やすことが目的でなく学んだ知識をよく思索して実践することが大切であるというものです。(了)


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