論語に学ぶ人事の心得第61回 「君主のご下問に対し、臣下は深慮遠謀のうえ回答せよ。決して軽々しく答えてはならない」

宰我(さいが)像 国立故宮博物館蔵

 本項は君主哀公(あいこう)と弟子宰我(さいが)との対話です。孔子と哀公(あいこう)との対話は為政編19項に出てきたことはご承知のとおりです。この時は孔子に対して国の治め方を尋ねています。
 本編19項に登場する定公(ていこう)は哀公(あいこう)の実父です。前494年に父の定公(ていこう)の没後、魯国第27代君主に即位しました。
 哀公(あいこう)は、当時、絶対的権力を握っていた三桓氏の武力討伐を行いましたが、三桓氏の軍事力に屈せざるを得なくなり、衛国(えいこく)や鄒国(すうこく)を転々とした後に、越国(えつこく)へ国外追放され、前467年にその地で没した悲劇の君主です。
 「社」とは土地の生産力をまつる土地神祭りのことです。本項はその神木が焼けてなくなってしまったため、何にすることがよいのかを尋ねたことに対し、弟子宰我(さいが)の君主に対する答え方を孔子が批評した内容になっています。
 弟子宰我(さいが)は姓を宰(さい)、名を予(よ)と言いました。孔子より29歳年少です。弁舌の才を孔子に認められ、孔門十哲の一人となりました。実利主義的で仁徳を軽視したことが孔子からしばしば叱責されています。
 宰我(さいが)は孔門十哲の一人となるほどの才人でありましたので、孔子はその才能を十分認めていたはずです。たびたび叱責されたのはできる弟子は厳しく指導して更なる成長を期待していたのかもしれません。それと、孔子は礼に背くなど、許しがたい行動をした弟子には怒りをあらわにするなど喜怒哀楽を率直に出す裏表のない指導者でもありました。

 八佾篇第3―21「哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う。宰我(さいが)対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松を以(もっ)てし、殷人(いんびと)は柏(はく)を以(もっ)てす、周人(しゅうびと)は栗(くり)を以(もっ)てす、曰く、民をして戰慄(せんりつ)せしむ。子之を聞いて曰(いわ)く、成事(せいじ)は說(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」

 「哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う」とは君主哀公(あいこう)が弟子の宰我(さいが)に社(しゃ)について尋ねた。「宰我(さいが)対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松を以(もっ)てし、殷人(いんびと)は柏(はく)を以(もっ)てす、周人(しゅうびと)は栗(くり)を以(もっ)てす」とは宰我(さいが)が答えた。夏王朝は神木に松を用いました。殷(いん)人々は檜木(ひのき)を神木に用いました。周王朝の人々は栗の木を神木に用いました。栗の木を用いたのは民衆を戦慄させるためです。「子之を聞いて曰(いわ)く」とは孔子がこの話を聞いて次のようにはなされた。「成事(せいじ)は說(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」とはやってしまったことはあれこれ言わない。済んでしまったことは諫めない。過ぎ去ったことは咎め建てしない。

 論語の教え61:「リーダーには、その場の空気を読んで、目的指向で対応せよ」

◆能ある鷹は爪を隠す
 能ある鷹は爪を隠すとは「能力のある人は自分の能力を普段から自慢げに見せびらかさないこと」を言います。非常に謙虚で奥ゆかしい人なので周りの人から尊敬され認められています。中途半端にできる人ほど数少ない自慢話を吹聴(ふいちょう)します。これらの人は周りから疎(うと)まれます。


能ある鷹は爪を隠す 出典:Bing

 本項で取り上げられた宰我(さいが)はこのような低いレベルの人ではありませんでしたが、孔子から見ると本当の賢者は自分の持っている知識をすべて開けかすのではなく、今、君主に何を提言するのが最もふさわしいのかよく考える必要があると説いているのです。とりわけ「戦慄(せんりつ)」のような人々を恐怖に貶めるような過去の事例を持ち出して提言することは得策ではないと注意しているのです。現代風に言えば「その場の空気をよく読みなさい」ということでしょう。そして、その場に最もふさわしい提言すべきであると。宰我(さいが)よ!君は、まだまだ、修養が足りないと言わんばかりです。

◆原因論でなく目的論で対応せよ
 人は誰でも人生に行き詰まることがあります。その時に、悲観的になり、今できない原因を過去の原因に求めるのではなく、どうすればできるかという目的指向で対応すれば、閉塞感から解放され、人生は開け、豊かさを取り戻すことができます。
 この考えを確立したのはオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーです。さらに、アドラーは言います。私たち人間は自分を変革でき、幸せをつかむことができるのに自分を変えたくないから変革できない理由付けをして生きていると言っています。人間を自分の人生を描く画家であるとも言っています。だから自分の人生を思いう通りに描くことができるのだということです。
 私たちは、また同じ世界に住んでいると思いがちですが個々人が意味づけした社会に住んでいるので同じ社会に生きているとは言えないのです。過去が原因でそこから逃げられずに行き詰っている人は早く意味づけを変えて人生を前向きに生きてください。

◆部下はリーダーの言うことに従うのではなく、行動に従う
 部下は上司の一挙手一投足を実に正確に観察しています。上司は時々自分が過去に行ったことを忘れてしまうこともありますが、部下は上司の言ったことを正確に覚えています。だから、上司の言行不一致を即座に見抜いてしまいます。そして、上司がいうことには従わず、上司が行うことを真似します。
 ここに悪しき慣行や二重の標準基準が発生する温床が生じます。
 ここで、上司たるもの、絶対にこれまで言ってきたことを変えてはならないと言っているのであありません。時には朝礼暮改も必要です。時代の変化があれば価値観の変化も伴います。かつての不正解がこれからの正解に変わることはいくらでもあります。
 大切なことは部下に変わったことの説明責任を果たすことです。説明をしなければ、上司がこれまで自分たちに伝えてきたことを翻す意味が分かりません。そこから上司への信頼感が崩れ始めます。そして、部下は上司の言うことより上司の行動をたどりながら自分の行動を決めます。
 組織は方針に基づいて一糸乱れることなく目標に向かっていかなければなりませんが、組織目標より上司の行動をまねて、社員がばらばらに好き勝手に行動を始めます。このような組織では経営者が旗を振っても社員はついてきてくれません。経営の崩壊の始まりが訪れます。(了)


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