論語に学ぶ人事の心得第37回 「政治の根本原理は家を治めることである」

                    2021年
        新年明けましておめでとうございます。
 本年も、皆様にとりよいお年でありますよう衷心より祈念します。



晩年の孔子像 出典:百度

 本項は、これまで形と異なり、対談した相手は特定されていません。晩年、ある人から「あなたのような功績があり、仁者と言われる人がなぜ政治に関与して民衆のための政治に関(かか)わらないのでしょうか」と訊ねられたことに対する、孔子の考えを述べたものです。
 孔子の考え方は明快でした。それは、「書経」に書かれているように、政治家や権力者だけが政治を行うのではなく、政治の基本は社会の最小単位である家を、どううまく治めるかであること、もちろん、そのためには個人として確固たる考えを持つ必要があることを説きました。後に、孔子が創始した儒教の政治理念の根本原理である「修身、斉家、治国、平天下」として、集大成されることになります。
 本項にある「書」つまり「書経」に関してウイキペディアに以下のような解説がありますので紹介させていただきます。

 『書経』(しょきょう)は、中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている 。 『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある 。 内容に違いがある2種類の本文が伝わっており、それぞれを「古文尚書」・「今文尚書」と呼んで区別する 。 現代に伝わっている「古文尚書」は由来に偽りがあることが断定されているので「偽古文尚書」とも呼ばれる 。もともとの「古文尚書」は失われており、現代には伝わっていない。(出典:ウイキペディア)

 為政2-21「或るひと孔子に謂(い)いて曰(いわ)く、子奚(なん)ぞ政(まつりごと)を爲(な)さざる。子曰く、書(しょ)に云う、孝なるかな惟(こ)れ孝、兄弟に友なり、有政(ゆうせい)に施(ほどこ)すと。是れ亦(ま)た政(まつりごと)を爲すなり。奚(なん)ぞ其れ政を爲すことを爲さん」
 「或るひと孔子に謂(い)いて曰く、子奚(なん)ぞ政(まつりごと)を爲(な)さざる」とは、ある人が孔子になぜあなたは政治にかかわらないのですかと訊ねた。孔子は次のように答えられた。「書(しょ)に云う、孝なるかな惟(こ)れ孝、兄弟に友なり、有政(ゆうせい)に施(ほどこ)すと」とは、「書経」にひたすら親孝行に務め、兄弟仲睦まじければ政治に貢献したことになると書かれている。「是(こ)れ亦(また)政(まつりごと)を爲(な)すなり」とは、これもまた政治にかかわることだ。「奚(なん)ぞ其れ政を爲(な)すことを(な)爲さん」とは、強いて国の政治に関わることではあるまい。

 論語の教え38: 「家(うち)を治められないものがどうして公(おおやけ)を治められようか?」


弥勒菩薩(みろくぼさつ)像


上に立つ人には「公人」も「私人」もない。「ノーブレス・オブリージュ」を自覚せよ。
 政治家や経営者など、人の上に立つ人々には、公的立場や私的立場の区別はありません。社会からその行為を批判されて「私的なことだから」と言い訳する人がいますが、誤解していると思います。
上に立つ人には、少なくとも倫理的な言行に対しては「公人」も「私人」もないことを自覚する必要があります。もし、世間から批判されるような不始末をしてしまったら、その不名誉は、当事者である本人はもとより、所属する組織全体の名誉を傷つけることになるからです。組織にとって、その損害は計り知れません。
 西洋の道徳観に「ノーブレス・オブリージュ」という考えがあります。この言葉には、とても深い意味があります。身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという意味です。究極の地位である王族には、私権より責任が優先されますし、国の有事には真っ先に先頭に立たなければなりません。その重責に対する覚悟と一生涯国民に奉仕し続けることが求められているのです。

上に立つ人は公私混同が致命傷だ!
 一見、上記と矛盾するように見えますが、全く異なる概念です。上に立つ人は、「私有物と公有物を厳格に区別して管理せよ」ということです。さらに、私生活で発生した費用と公的生活で発生した費用を混同するなということです。
 そして、人事処遇に関して、「自分の身内や血族関係者をただそれだけの理由で、特別扱いして優遇するな」ということです。
 古今東西、公私混同で、社会や組織を混乱させた事例は枚挙にいとまがありません。とりわけ、専制的な体制の組織では現代でも、公私混同はまかり通っています。地位を利用して私服を肥やすこともしばしば新聞紙上を賑やわせます。苦労して会社を軌道に乗せた創業的オーナーは、自分の会社だから何をしてもかまわないと開き直るかもしれません。そんな経営者は、会社を大きくしないほうがよいのです。企業はあくまでも社会の公器です。とりわけ、資本を公開した企業は社会の多くの出資者から資金を預かります。公器である以上、反社会的行為は許されません。発展する企業には、必ず、そこに牽制制度が存在し機能しています。

上に立つ人は自己管理が絶対条件である。
 上に立つ人の資格要件は、多くの識者がこれまでにも、能力面、性格面、資質面で語りつくすほど語られています。何も残されていないほど、語りつくされたと言っても言い過ぎではありません。
論語でも、孔子は折に触れ、上に立つ人の心構えを語っています。これらを俯瞰してみますと、私は「自己管理こそリーダーの最重要要件ではないか」と思います。
 組織の盛衰は、すべてリーダーの自己管理力と不可分の関係になったいることを、感じざるを得ません。
 とりわけ、リーダーの心理を左右しているのが成功と失敗の法則です。「失敗は成功の母である」のと、同時に、「成功は失敗の母でもある」ということです。
 小さな成功を繰り返した後、経営者の慢心による大きな失敗は、その組織にとって、取り返しがつかないほどの大きなダメージを与えます。私は、長年のビジネス生活で、嫌というほどこれらの現実を見せつけられてきました。この「成功は失敗の母になる」ほとんどの原因は経営者の「自己過信」という自己管理の甘さから来ています。
 それでは、成功を勝ち得た人がどのように自己管理し、最終的な栄冠を勝ち取ったのかというと、理由は三つありそうに見えます。
 第一は、小さな失敗を数多くして失敗から学び、大きな成功につなげている人です。
 第二は、成功や失敗に一喜一憂せず、そのどちらであっても、常に冷めて物事を見れる人です。
 第三は、成功した時ほど、組織に対して「鬼面」を演じ、失敗した時ほど、組織に「仏面」で演じることができる人です。

 最後に、コロナ化でパンデミックが依然として猛威を振るっていますが、天が人類に平等に与えた試練です。専門家によりますと防ぐに奇手奇策はなさそうです。「マスク」「手洗い」「換気」という極めてベーシックな対策が有効であるとのことです。どうか、この一年が画期的な年でありますよう祈念します。
(了)


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