論語に学ぶ人事の心得第22回 「親孝行とは病弱で親に心配をかけないことです」

孟武伯 出典:Bing

 前回同様「親孝行論」です。しかも、権力者である貴族の親子から同じ質問を受けています。
 孟武伯(もうぶはく)は前項の孟懿子(もういし)の息子で魯国三大貴族孟氏(孟孫氏)の跡取り息子、第10代当主です。興味深いのは親も子も同じ質問したのに対し回答は異なっていることです。史実では明らかになっていませんが、孟武伯(もうぶはく)については病への懸念があったかもしれません。
 孔子は親の孟懿子(もういし)には前項で述べたように「外れないこと」と含みをもたせて答えています。  
 つまり、孝行とは世の中のしきたりや慣習に背かないで先祖に尽くすことですと相手に考えさせる示唆をしたのです。
 子供の孟武伯(もうぶはく)には、親孝行とは病気になって親に心配かけないことだと答えました。
 「親より先に逝く子供ほど親不孝者はいない」というのは古(いにしえ)から現代まで続く道徳律です。病は生きとし生けるものを死に至らしめる元凶です。人の世にあっては、どんな権力者でも自己の不摂生で病にかかってしまいます。だから、不摂生をせず、親に心配かけないことが大切で、親孝行は病気にかからないことだと明示的に回答したのです。

 為政2-6「孟武伯(もうぶはく)、孝を問(と)ふ、子曰く、父母は唯(た)だ、其の疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)ふ。

 「孟武伯(もうぶはく)、孝を問(と)ふ」とは孟武伯(もうぶはく)が孝行について先生に質問した。「子曰く、父母は唯(た)だ、其の疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)ふ」とは先生は「両親は子供の病気だけがしんぱいごとであるので心配をかけないようにすることが孝行だと答えた。

 論語の教え23:「実の親子関係であれ、組織の上下関係であれ個人の人格をお互いに尊重することが大切だ」


孔子像 出典:Bing

 お互いに個人の人格を認め合うこと
 「親の心、子知らず」という諺(ことわざ)があります。親が子の立派な成長を願う気持ちは、なかなか子供に通じないものです。子供は親の気持ちを理解できないので自分勝手な振る舞いをするものだという意味ですが、この諺は親の一方的な解釈で親の価値観を押し付けるものであってはならないということです。子供は親が生んだことには間違いがないのですが生まれてからは別人格です。子供を私物化するものではありません。たとえ、血族であったとしても親が相互の人格を無視した言動があった時、つまり、子どもにとって、人間関係上の踏み込んではならない第一線を踏み超え、逃げ場を無くして追い詰められた時には「窮鼠猫を噛む」行動を取ります。取り返しのつかない反社会的行動を引き起すこともあります。
 これは血族社会だけの話だけではありません。企業などの利益追求社会においても全く同じ現象が生じます。上司が良かれと思って部下を厳しく叱責したり、追及したりします。現代風にいうとパワーハラスメントです。上司が部下を育てるつもりが部下の自信を喪失させ精神的病を引き起こしてしまいます。
 親子であっても、上司と部下であっても両者に共通する留意点は次の通りです。
 第一に、お互いの心の境界線を踏み越えないこと。
 第二に、お互いの人格を認め合うこと。
 が社会や組織を健全に維持発展させる黄金律だと思います。

 「子をもって知る、親の恩」と「部下をもって知る上司の恩」
 一方、「子をもって知る、親の恩」という諺もあります。子を持って知る親の恩とは、自分が親の立場になって初めて子育ての大変さがわかり、親の愛情深さやありがたさがわかるという意味です。
 自分がその立場に立って真の意味を理解できるということです。血族社会の原点を表す諺だと思います。
 企業社会においても全く同様の現象があります。「部下をもって知る上司の恩」という言葉です。部下を持ったことがない人には上司の指導や忠告はうるさいものです。「親でもないのに何であそこまで口うるさく言われなければならないのだ」と反発心を持ちます。
 ところが、管理職になって部下を持つと、上司の気持ちが不思議と理解できるようになります。上司に反発心を抱いた同じ言葉に対して「親でもないのに、自分のことを思ってよくぞここまで育ててくれた」と感謝の念を持ちます。
 そこで初めて更なる成長ができるかどうかのポイントをつかむことができるのです。心から上司の恩を感じ取った人には大いなる飛躍がもたらされます。(了)


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