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論語に学ぶ人事の心得第38回 「人間として信用できない者は楔(くさび)のない車と同じだ」

聖人孔子像 出典:Bing

 本項も前項と同じように誰と対談したかは明らかではありません。
 誰かが孔子に訊ねたのでしょう。「人として最も大切なことは何でしょうか」と。いつも、師の答えは明快で、本質をついています。
 人間としての価値そのものに迫る答えです。今回の回答は、さらに、個人だけでなく、人と人との交流にも関係があります。もっと言えば、会社、そのトレードマークや暖簾(のれん)にも当てはまります。個人であれ、商売であれ、最も大切なことは人間としての「信用」だということです。命の次に大切なのは、「お金ではなく信用だ」ということを言っています。
 車にくさびが無いのは車でないのと同じように、「人間が信義を誠実に守らなければ、人間としての値打ちがない」と喝破したのです。

 孔子が生きた春秋時代に、最も大切な交通手段であった牛車や馬車を例えにして、人間の何よりも大切なことは、信義であることを説いたのです。

 為政2-22「子曰く、人にして信無くば、其の可(か)なることを知らざる也(なり)。大車(たいしゃ)に輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)に軏(げつ)無くんば、其れ何を以て之を行(や)らんや。」
 先生は言われた。「人にして信無くば、其の可(か)なることを知らざる也(なり)」とは、人でありながら誠実に信義を守らないものは、良いところつまりその人の可能性が見いだせない。「大車(たいしゃ)に輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)に軏(げつ)無くんば」とは、牛車に輗(げい)すなわち、楔(くさび)がなく、馬車に馬をつなぐ横木の楔(くさび)が無ければ、「其れ何を以て之を行(や)らんや。」とは、どうして車を前に進められようか?


 論語の教え39: 「信用の構築は重き荷物を背に、遠い道を行くが如く、信用の崩壊は火花の如し」
 信用を築くのは並大抵の辛苦ではできないが、信用を無くすのは一瞬である。
信用を築く三条件
①約束を厳守する
 約束に大小はありません。小さなことだと自分勝手に判断して、約束を守れない人がいますが、このような人は大きな約束も守れません。たとえ、少額な金銭の貸し借りであったとしても、借りたものは必ず返済しなければなりません。借りた人は時々忘れるのですが、貸した人はどんな少額でも、必ず、覚えています。お金だけではありません。書物などの本を借りた時には、期日までに借りたものは必ず返すことが、信頼を築くには不可欠です。

②秘密を厳守する
 口が堅いことは信用を築く大切な第一歩です。
 口の堅い人は、わざわざ、他言無用、部外秘とは断らなくても、これは、他言してはいけないと直感できる人です。
 大切な話を「ここだけの話」と、やたらに、打ち明けてしまうような人には大切な情報や相談がまず来ません。と言うことは大切な仕事が任されないことです。大切な仕事を任されないことは組織にとって日常的な繰り返し行われる仕事のみ行うことになります。いつまでたってもルーティンワークをしていては会社にとって必要な人でなくなります。

③時間を厳守する
 時間にルーズな人は基本的に信用されません。待たされる人は自分を軽く見ていると思うからです。また、顧客との約束時間に、遅れる人はよほどの理由がない限り、その商談は成功しないでしょう。一回だけならともかく、何回も時間に遅れると顧客から取引停止になるのが普通です。親しい関係だからといって多少は遅れてもいいだろうと思うかもしれませんが許されません。親しき中にも礼儀ありというのが、ビジネスマナーです。
 会議や研修への出席に関しても同じことです。自分だけ遅れてもあまり関係ないだろうと自己判断してはなりません。あなたが遅れたために、会議の開催が遅れたら、それだけで時間が浪費されます。出席者の人件費を考えたら会社にとっては莫大な無駄を発生させていることになります。



◆信用を落とさないための留意点
 信用を落とさないためには上記のことをしっかりと厳守すればいいのですが、それ以外に、心掛けると信用が増加する留意点をあげます。

①言い訳しないこと。
 人間は神様では無いので、万が一、厳守できないことがあるかもしれません。その時は「くどくど」と言い訳をしないことです。素直に謝るよう心掛けましょう。そして、二度と同じ失敗をしないよう心がけましょう。

②うそを言わないこと
 約束を守れなかった時には、私たちは、つい苦し紛れにその場しのぎで、軽いうそをついてしまいがちです。嘘は、必ず、ばれると心得るべきです。嘘が嘘を呼ぶような事態になれば最悪です。ここでも、やはり、勇気をもって潔く謝ることが大切です。人は誰でも一度の失敗は許すものです。

③報連相を欠かさないこと。
 報連相は人間関係の円滑油です。ビジネスをうまく進めるソフトウエアでもあります。どんな些細なことでも自己判断せず関係者に報連相しましょう。
 ここで、特に大切なことを二点あげておきます。
 第一は、悪い情報ほど先に報告せよ言うことです。
 いい情報は、矢のごとく早く上位職位に届きます。ところが、組織にとって悪い情報は途中でもみ消されたりして届かなかったり、届いたとしても事態が悪化して、にっちもさっちもいかなくなってから、責任者に届くことがよくあります。これでは遅すぎます。
このような場合には、組織の文化として悪い情報は早く報連相することを確立する必要があります。

 第二は、報連相は下位職位からのものではないということです。
 報連相は、「上司が部下から受けるものだ」という企業が結構あります。それは誤解です。
報連相には、上位職位も下位職位もありません。報連相が円滑で活性化されて組織では、上位職位からの報連相が活発です。
 上位職位が活発に報連相すれば下位職位からの報連相も活発になります。
 報連相はやまびこと同じです。発信すればするほど帰ってきます。
 かつて、私は、ある会社からこのような相談を受けたことがありました。その会社の管理部長は「うちの会社の連中はまったく報連相ができないのです。だから、私たちは現場のことがよくわかりません。そこで、報連相が活発に行われるための研修をやってほしいのです。」とのことでした。
 早速、中堅幹部を全員集めて報連相の研修を行いました。研修生の反応は管理部長の依頼内容とは全く異なっていました。逆だったのです。私たちが報連相しているのに上司は何の反応も示さないと参加者が私に訴えました。
 紙数の関係で詳細は省きますが、このような会社は一社や二社ではありません。

④人によって接する態度を変えないこと。
 上司には作り笑いをしたり、おべっかを言って腰を低くするのに、部下に対しては、反り返った態度や乱暴な言葉遣いで接することは、厳に慎んでほしいと思います。
 このような上司の顔色を見て仕事をする人は、誰からも尊敬されないばかりか、信用されません。明末の陽明学者、崔後渠(さいこうきょ)の「六然」という格言がありますのでここで紹介しましょう。



<自ら処すること超然(ちょうぜん)>
   自分自身に関しては、いっこう物に囚われないようにする。
  <人に処すること藹然(あいぜん)>
   人に接して相手を楽しませ、心地良くさせる。
<有事には斬然(ざんぜん)>
   事があるときは、ぐずぐずしないで活発にやる。
  <無事には澄然(ちょうぜん)>
   事なきときは、水のように澄んだ気でいる。
  <得意には澹然(たんぜん)>
   得意なときは、淡々とあっさりしている。
<失意には泰然(たいぜん)>
   失意のときは、泰然自若(じじゃく)としている。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第37回 「政治の根本原理は家を治めることである」

                    2021年
        新年明けましておめでとうございます。
 本年も、皆様にとりよいお年でありますよう衷心より祈念します。



晩年の孔子像 出典:百度

 本項は、これまで形と異なり、対談した相手は特定されていません。晩年、ある人から「あなたのような功績があり、仁者と言われる人がなぜ政治に関与して民衆のための政治に関(かか)わらないのでしょうか」と訊ねられたことに対する、孔子の考えを述べたものです。
 孔子の考え方は明快でした。それは、「書経」に書かれているように、政治家や権力者だけが政治を行うのではなく、政治の基本は社会の最小単位である家を、どううまく治めるかであること、もちろん、そのためには個人として確固たる考えを持つ必要があることを説きました。後に、孔子が創始した儒教の政治理念の根本原理である「修身、斉家、治国、平天下」として、集大成されることになります。
 本項にある「書」つまり「書経」に関してウイキペディアに以下のような解説がありますので紹介させていただきます。

 『書経』(しょきょう)は、中国古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている 。 『尚書』または単に『書』とも呼ばれ、儒教の重要な経典である五経の一つでもある 。 内容に違いがある2種類の本文が伝わっており、それぞれを「古文尚書」・「今文尚書」と呼んで区別する 。 現代に伝わっている「古文尚書」は由来に偽りがあることが断定されているので「偽古文尚書」とも呼ばれる 。もともとの「古文尚書」は失われており、現代には伝わっていない。(出典:ウイキペディア)

 為政2-21「或るひと孔子に謂(い)いて曰(いわ)く、子奚(なん)ぞ政(まつりごと)を爲(な)さざる。子曰く、書(しょ)に云う、孝なるかな惟(こ)れ孝、兄弟に友なり、有政(ゆうせい)に施(ほどこ)すと。是れ亦(ま)た政(まつりごと)を爲すなり。奚(なん)ぞ其れ政を爲すことを爲さん」
 「或るひと孔子に謂(い)いて曰く、子奚(なん)ぞ政(まつりごと)を爲(な)さざる」とは、ある人が孔子になぜあなたは政治にかかわらないのですかと訊ねた。孔子は次のように答えられた。「書(しょ)に云う、孝なるかな惟(こ)れ孝、兄弟に友なり、有政(ゆうせい)に施(ほどこ)すと」とは、「書経」にひたすら親孝行に務め、兄弟仲睦まじければ政治に貢献したことになると書かれている。「是(こ)れ亦(また)政(まつりごと)を爲(な)すなり」とは、これもまた政治にかかわることだ。「奚(なん)ぞ其れ政を爲(な)すことを(な)爲さん」とは、強いて国の政治に関わることではあるまい。

 論語の教え38: 「家(うち)を治められないものがどうして公(おおやけ)を治められようか?」


弥勒菩薩(みろくぼさつ)像


上に立つ人には「公人」も「私人」もない。「ノーブレス・オブリージュ」を自覚せよ。
 政治家や経営者など、人の上に立つ人々には、公的立場や私的立場の区別はありません。社会からその行為を批判されて「私的なことだから」と言い訳する人がいますが、誤解していると思います。
上に立つ人には、少なくとも倫理的な言行に対しては「公人」も「私人」もないことを自覚する必要があります。もし、世間から批判されるような不始末をしてしまったら、その不名誉は、当事者である本人はもとより、所属する組織全体の名誉を傷つけることになるからです。組織にとって、その損害は計り知れません。
 西洋の道徳観に「ノーブレス・オブリージュ」という考えがあります。この言葉には、とても深い意味があります。身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという意味です。究極の地位である王族には、私権より責任が優先されますし、国の有事には真っ先に先頭に立たなければなりません。その重責に対する覚悟と一生涯国民に奉仕し続けることが求められているのです。

上に立つ人は公私混同が致命傷だ!
 一見、上記と矛盾するように見えますが、全く異なる概念です。上に立つ人は、「私有物と公有物を厳格に区別して管理せよ」ということです。さらに、私生活で発生した費用と公的生活で発生した費用を混同するなということです。
 そして、人事処遇に関して、「自分の身内や血族関係者をただそれだけの理由で、特別扱いして優遇するな」ということです。
 古今東西、公私混同で、社会や組織を混乱させた事例は枚挙にいとまがありません。とりわけ、専制的な体制の組織では現代でも、公私混同はまかり通っています。地位を利用して私服を肥やすこともしばしば新聞紙上を賑やわせます。苦労して会社を軌道に乗せた創業的オーナーは、自分の会社だから何をしてもかまわないと開き直るかもしれません。そんな経営者は、会社を大きくしないほうがよいのです。企業はあくまでも社会の公器です。とりわけ、資本を公開した企業は社会の多くの出資者から資金を預かります。公器である以上、反社会的行為は許されません。発展する企業には、必ず、そこに牽制制度が存在し機能しています。

上に立つ人は自己管理が絶対条件である。
 上に立つ人の資格要件は、多くの識者がこれまでにも、能力面、性格面、資質面で語りつくすほど語られています。何も残されていないほど、語りつくされたと言っても言い過ぎではありません。
論語でも、孔子は折に触れ、上に立つ人の心構えを語っています。これらを俯瞰してみますと、私は「自己管理こそリーダーの最重要要件ではないか」と思います。
 組織の盛衰は、すべてリーダーの自己管理力と不可分の関係になったいることを、感じざるを得ません。
 とりわけ、リーダーの心理を左右しているのが成功と失敗の法則です。「失敗は成功の母である」のと、同時に、「成功は失敗の母でもある」ということです。
 小さな成功を繰り返した後、経営者の慢心による大きな失敗は、その組織にとって、取り返しがつかないほどの大きなダメージを与えます。私は、長年のビジネス生活で、嫌というほどこれらの現実を見せつけられてきました。この「成功は失敗の母になる」ほとんどの原因は経営者の「自己過信」という自己管理の甘さから来ています。
 それでは、成功を勝ち得た人がどのように自己管理し、最終的な栄冠を勝ち取ったのかというと、理由は三つありそうに見えます。
 第一は、小さな失敗を数多くして失敗から学び、大きな成功につなげている人です。
 第二は、成功や失敗に一喜一憂せず、そのどちらであっても、常に冷めて物事を見れる人です。
 第三は、成功した時ほど、組織に対して「鬼面」を演じ、失敗した時ほど、組織に「仏面」で演じることができる人です。

 最後に、コロナ化でパンデミックが依然として猛威を振るっていますが、天が人類に平等に与えた試練です。専門家によりますと防ぐに奇手奇策はなさそうです。「マスク」「手洗い」「換気」という極めてベーシックな対策が有効であるとのことです。どうか、この一年が画期的な年でありますよう祈念します。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第36回 「統治者として民衆を従わせるにはどうすべきか?」

季康子(きこうし)像 出典:Bing

 前回は魯国の君主、哀公(あいこう)との対話でした。今回は実質統治者である権力者との対話です。
 季康子(きこうし)は魯国の三大貴族「三桓」、季孫氏の一族です。
 三桓の筆頭、季氏の当主でもあります。魯国正卿BC492年に父・季桓子(季孫斯)の跡を継いで当主となりました。
 魯国の重鎮がこぞって政治の根幹である民の統治について孔子に相談を持ち掛けています。季氏と孔子は親である季桓子(季孫斯)の代から因縁浅からぬ関係でありました。
 孔子を師として仰ぐのでもなく時として近づけたり、遠ざけたりしました。権力者としての身勝手で孔子の見識を利用したきらいが透けて見えます。
 孔子はこれらの一連の季氏の態度に利用されたふりをして季孫氏の一族の権力者としての行動を見抜いていました。本項はまさにその場面を如実に物語っています。民を統治する本質を季康子(きこうし)に伝えながら為政者としての心構えを教えています。まるであなたが民を従わせる能力がないから民が従わないのですと言わんばかりです。

 為政2-20「季康子(きこうし)問ふ、民をして敬忠(けいちゅう)にして以(もっ)て勸(すすま)しめんには、之を如何せん。子曰く、之に臨(のぞ)むに莊(そう)を以(持っ)てすれば則(すなわ)ち敬、孝慈ならば則(すなわ)ち忠、善を擧げて不能を敎れば則ち勸(すす)む。」

 季康子(きこうし)が孔子に尋ねた。「民をして敬忠(けいちゅう)にして以(もっ)て勸(すすま)しめんには、之を如何せん」とは民衆が真心を込めて務め、真心を込めて尽くすようにさせるにはどうしたらといでしょうか?
 孔子は答えた。「之に臨(のぞ)むに莊(そう)を以(持っ)てすれば則(すなわ)ち敬、孝慈ならば則(すなわ)ち忠、善を擧げて不能を敎れば則ち勸(すす)む」とは民衆に対してきちんと公正な態度で臨まれたならば、民は真心を込めて務めるようになり、老人をいたわり子供を愛護すれば、真心を尽くすようになり、有能なる者を登用し能力のないものを親切に指導したなら、自発的に励むようになります。

 論語の教え37: 「経営幹部(実質権限者)は自己の一挙手一投足が組織風土を形成することを自覚せよ」

 ◆組織風土とは何か?
 人は二人以上いれば必ず風土が形成されます。家には家風があります。会社には企業風土があります。地域や国にも風土があります。風土というと空気みたいなもので、とても分かりにくいと思われがちです。風土というのはその組織または集団の構成員で共有されている価値観です。言葉、文化、風俗、習慣、行動規範を含みます。要するにその所属する組織の価値観を共有できなければ同じ組織や集団に所属することはできません。いわゆる組織の「掟」(おきて)です。掟(おきて)とは公式にも非公式にも組織やグループで守らなければならないとされるそれぞれの組織や集団・グループ内の規範の総称を表します。
 以前にも触れたことがありますが人間は所属する環境に影響されながら生きる動物です。一人で自由に生きているという人がいるかもしれませんえがそれは錯覚です。その人の価値観は必ず環境により形成されています。


組織風土概念図


 ◆組織風土は誰が作るのか?
 それでは、組織風土は誰が作るのでしょうか?誰だと思いますか?
 組織風土の形成者はその組織の最高権威者です。家風を決めるのは必ずしも父親であるとは限りません。母親である場合もあります。親が高齢化すれば子供に移る場合もあります。企業の場合はどうでしょうか?企業全体の組織風土はその企業の実権者が形成します。一概に社長とは言えません。会長とも言えません。実質的に最高権限を行使する人が組織風土の形成者です。国でも同じ事です。古代中国春秋時代の魯国の場合には長らく三桓の筆頭、季氏の当主が風土形成者でした。君主である定公(ていこう)や哀公(あいこう)が握っていたわけではありません。孔子はそのことをよく知っていました。だから哀公(あいこう)と季康子(きこうし)は本項にあるように異なったことを教えています。
 要するに民に求める前に風土形成者であるあなたが行動を律してゆけば自然と民がそれに従うのですと厳しく指摘しているのです。それにしても孔子の慧眼には驚くほかはありません。

 ◆良き組織風土を維持するには?
 しかしながら、権力者だけで良き風土を維持できません。君主が仁者であってもそれは必要条件であっても十分条件とはなりません。

 孔子が本項で指摘しているように、良き風土を形成し維持するためには、能力のあるものを抜擢して配置し善政を行うことが非常に重要です。孔子はこの点についても君主である哀公(あいこう)にも言っていますし、本項の季康子にも伝えています。
 現代の経営であれば公正な登用基準で中堅幹部を抜擢することです。次が最も大切なことですが人材育成です。このことも孔子が季康子に説いています。上位からいくら立派な方針が出されても実際に行動する一般人が理解できなければ政策が実現できないからです。

(了)


論語に学ぶ人事の心得第35回 「どうすれば民(たみ)は君主を尊敬し、従うようになるのだろうか?」

 本項は魯国の君主哀公(あいこう)との対話です。君主と言っても孔子とは孫ほどの年齢の差がありました。孔子が十三年余りの諸国遊説の旅を終え、68歳で魯国に戻った時、哀公(あいこう)から相談があったものと思われます。このとき、魯国では農民の反乱が多発していました。
 ここで、君主哀公(あいこう)についてもう少し述べておきたいと思います。
 「孔子の祖国魯国の第26代君主の定公(ていこう)の子として生まれます。その後、BC494年に父の定公(ていこう)に代わり魯国第27代君主に即位しました。
 即位中のBC487年に隣国の呉に攻められましたが奮戦し、和解しました。その後、斉に攻められ敗北しました。    
 BC485年には呉と同じく斉へ攻め込み大勝しました。BC483年に権力を誇っていた簡公(かんこう)討伐に孔子が進軍を勧めますが実行しませんでした。  


哀公(あいこう)像

 その3年後のBC481年、斉の簡公(かんこう)が宰相の田恒(でんこう)に弑殺(しいさつ)されたのを受けて、孔子が再び斉への進軍を3度も勧めましたが、哀公(あいこう)はこれを聞き入れませんでした。BC468年に、魯の第15代君主の桓公(かんこう)の3兄弟を祖とし当時絶対的権力を握っていた三桓(さんかん)氏の武力討伐を試みるも三桓(さんかん)氏の軍事力に屈し、衛(えい)や鄒(すう)を転々とした後に越(えつ)へ国外追放され、BC467年にその地で没しました。(出典:ウイキペディア)

 為政2-19「哀公(あいこう)問いて曰く、何を爲(な)さば則(すなわ)ち民(たみ)服せん。孔子對(こた)えて曰く、直(なおき)きを擧げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)はさば、則ち民(たみ)服す。枉(まが)れるを擧(あ)げて諸(これ)を直(なお)きに錯(お)けば、則(すなわ)ち民(たみ)服せず」


孔子の言葉 出典:Bing

 論語の教え36: 「人びとが会社を信頼し服務するのは公正な人事を進めることに勝る方策はない」

 ◎公正な人事とは?
 まず、公正とは何かということです。公正とは個人の能力及び会社への貢献度以外の要素で不当に差別されないことです。
 公正な人事には管理される側と管理する側の論理があります。 
 大切なことは「管理される人」が公正と思わない限り真の公正な人事が行われているとは言えないことです。例えば、「管理する」経営者サイドが、いくら「わが社は公正な人事を進めている」と言っても経営者や管理職の大半が総経理の血縁者で固められていたとしたら、社員は元より部外者であっても公正な人事が行われているとは判断しません。
 公正な人事には以下の三つの原則があります。第一は「機会均等の原則」、第二は「能力評価の原則」、第三は「成果配分の原則」です。

 ◆「機会均等の原則」
 機会均等には社員一人ひとりの能力開発と登用の機会均等があります。能力開発には社内外の研修参加やキャリア開発のための職能や職務の選択について、誰に対しても門戸が開放されていることが大切です。特定の人だけに門戸が開かれていては大多数の社員がやる気をなくします。社員の昇進や昇格についても同様です。

 ◆「能力評価の原則」
 社員の能力でなく、上司の好き嫌いで恣意的に評価されることは社員が最も嫌うことです。人は誰でも努力した結果、貢献度に応じて格差がつく事を嫌がりません。最も嫌うのは公正に評価されないことです。何らかの理由で特定の人が依怙贔屓(えこひいき)されることによって人事を不透明にしてしまいます。
 大切なことは人事評価に客観性があることです。人が人を評価するのですから、評価には勢い主観的要素が入り込みます。評価から主観性をどう排除するかが人事評価の最重要ポイントといっても良いでしょう。
 次の大切なポイントは納得性です。評価者と被評価者の両者が納得するものである必要があります。評価される側の貢献度を日常の業務活動から注意深く観察し、記録にとどめておかなければ、評価は主観的になり、納得性が得られないものになってしまいます。

 ◆「成果配分の原則」
 機会均等と能力評価が公正に行われれば最後に成果配分が公正に行われているかどうかが問われます。
 成果配分には月例給与と期末賞与があります。月例給与は生計給としての基本給と能力給とで構成されます。月例給与は下方硬直性が高いので業績をあげたからと言って大判振る舞いをしていると業績が悪化しても給与を下げられませんので賃金体系がいびつになります。業績を上げた社員には賞与で報いるようにすべきです。賞与は業績連動の成果配分なので上下することは当たり前です。従って、評価制度も業績評価と能力評価の二本立てが望ましいのです。

 ◎川の水は下流から濁らない
 組織で起きる現象を川の流れに例えて、公正な人事が行われなかったために上位職位から不正や悪しき慣行が組織全体にひろがることを表現しています。
 本項で孔子が哀公(あいこう)にアドバイスしたのはまさにこのことだったと思われます。「正しい者を抜擢して不正なものを統治すれば多くの人々は従う。不正なものを抜擢して正しいものを統治させれば多くの人々は従わない」と答えたのには意味がありました。
 古今東西、人事の原則は仁者を抜擢して人々を統治させることが国家の安寧を約束することです。ところが哀公(あいこう)は孔子のアドバイスを聞かないばかりか人を見抜く目も持っていませんでした。
 だから、公正な人事を行わなかったために、反乱が頻発したものと思われます。このことは哀公(あいこう)の末路を見れば明らかです。
 現代社会においても全く同じようなことがよく聞きます。歴史が繰り返されるということです。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第34回 「官職に就いて成功するにはどう心掛けるべきか?」

子張(しちょう)像:国立故宮博物館蔵

 孔子と最年少弟子、子張(しちょう)との対話です。
 孔子の直弟子です。姓は顓孫(せんそん)、名は師(し)、字は子張(しちょう)と言います。 孔子より48歳年少でした。孫ほどの年差があります。
 本項は第二編為政—18ですが、論語19編に子張(しちょう)編として特別に大きく取り上げられています。子張(しちょう)は孔門十哲には入っていませんが、若手のリーダーともいうべき存在で、優秀な弟子でした。
 孔子の弟子には官職を目指す弟子が多かったのですが子張(しちょう)もその一人でした。
 自信に満ちた駿馬のごとき子張(しちょう)を目の前にして孔子独特の考えさせる指導方法で対応します。
 急(せ)いては事を仕損じると言わんばかりです。
 老練な孔子ならではの示唆に富んだアドバイスがひときわ異彩を放っています。

 為政2-18「子張、祿を干(もと)むるを學ぶ。子曰く、多く聞きて疑はしきを闕(か)き、愼(つつし)んで其の餘(あまり)を言へば、則ち尤(とがめ)寡(すくな)し。多く見て殆(あやうき)を闕(か)き、愼みて其の餘(あまり)を行へば、則(すなわ)ち悔(くい)寡(すくな)し。言(げん)に尤(とがめ)寡(すくな)く、行(おこない)に悔(くい)寡(すくな)ければ、祿(ろく)其の中(うち)に在り。」

 「子張(しちょう)、祿を干(もと)むるを學ぶ」とは「子張(しちょう)は官職に就き俸給を得る方法を師に尋ねた。先生は言われた。
 「多く聞きて疑はしきを闕(か)き、愼(つつし)んで其の餘(あまり)を言えば、則ち尤(とがめ)寡(すくな)し」とは、できるだけ多くのことを聞いて疑わしいことは口にせず、確かなことを慎重に扱えば過ちが少なくなる。
 「多く見て殆(あやうき)を闕(か)き、愼みて其の餘(あまり)を行えば、則(すなわ)ち悔(くい)寡(すくな)し」とは、できるだけ多くのことを見て、あやふやなものを除き、確かなことのみを慎重に行えば後悔しなくて済む。
 「言(げん)に尤(とがめ)寡(すくな)く、行(おこない)に悔(くい)寡(すくな)ければ、祿(ろく)其の中(うち)に在り」とは、言葉に過ちが少なく、行動に後悔が少なければ、官職や俸給は後からついてくる。

 論語の教え35: 「先憂後楽の精神」で仕事に励めば、結果は自ずとついてくる」


正のスパイラル:出典Bing


 ◆先憂後楽とは?
 その意味するところは、「常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。転じて、先に苦労・苦難を体験した者は、後に安楽になれる」ということです。「憂」は心配することです。中国,北宋の政治家で文学者でもあった范仲淹(はんちゅうえん)の著作「岳陽楼記」がこの名言の語源です。
 「天下の憂えに先んじて憂え、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」ということから国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと。志士や仁者など、りっぱな人の国家に対する心がけを述べた語」(出典:コトバンク)だと言われています。
 この話は現代にも十分通じる話です。経営者が自分たちの利を先に考え、従業員の福祉を後回しにすれば従業員は士気を下げてしまって働く意欲を無くしてしまいます。従って上に立つ指導的立場の人に先憂後楽の精神があれば会社はボトムアップすることが必定です。
そして、会社が発展するための正のスパイラルが回り始めます。

 ◆人事処遇は求めるものでなく、作り出すもの
 給与、賞与、昇進、昇格などの人事処遇は会社から与えられるものではありません。本項で孔子が子張(しちょう)にアドバイスしているようにやるべきことをきちんとやっていれば、自分から求めなくとも結果は後からついてきます。
 やるべきこともやらずに権利だけ主張していても、会社に支払い能力がなければどうにもなりません。私たちのこれまでのコンサルティング経験によりますと給与や昇進などの処遇に動機づけられている社員が多い企業ほど業績が悪く、社員の求めるところとは反対に給与や賞与などの処遇が悪くなって社員の不満が鬱積しています。
 先に正のスパイラルのことを述べましたがこのような企業は逆に負のスパイラルに陥ってしまっています。これではどんな対策を打っても的外れになってしまいます。
 まず、分配する原資を全社一丸となって稼ぎ出すことです。自分たちの人事処遇の源泉は顧客がそのすべてを握っていることを全社員が心底認識することが大切です。(了)


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