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論語に学ぶ人事の心得第47回 「他から尊敬される人物は見苦しい争いごとは避けるものだ。争ったとしてもルールに則り競う程度のものだ」

 孔子は単に思想家であるばかりではなく、政治家であり、優れた武術家でもありました。
 思想家というとイメージ的には、ひ弱な文士が浮かんできますが、武術に長じていたとすると別の顔が見えてきます。
 孔子が武術家として優れていたのも魯国の優れた将軍であった父親の血を受け継いだものでしょう。孔子は体格も2メートルを超える偉丈夫であったと伝えられています。


孔子立像:出典 Bing

 孔子は六つの芸に秀でていたと言われています。礼はそのうちの一つで他にも五つがあります。書、数学、音楽、そして弓と御(ぎょ)です。
 御(ぎょ)というのは御者という言葉もある通り馬車の操縦する技術のことです。
 これまでに何度も述べてきたように孔子の生きた時代は群雄が割拠した下剋上の時代です。全国いたるところで戦乱が繰り広げられました。その戦争の時に用いられた有力な武器が弓と刀です。そして、戦士を運ぶのが馬車でした。孔子はそのいずれにも長けていたことになります。
 この時代は武術の中でも弓術が盛んでした。弓術の試合は「射礼」と称されていたように細かくルールが決められていて儀式あるいは現代風にいうとスポーツのように規則に則っとって優勝劣敗を決めるようなものでした。試合後は負けたものが罰杯を受けることが習わしになっていたようです。
 本項で取り上げているのも射礼の際の約束事にひっかけて述べています。揖讓(ゆうじょう)というのはあいさつの一種で両手を胸の前で組み合わせ上下させながら会釈し譲り合う作法です。

 八佾篇第3―7「子曰く、君子は爭(あらそ)う所無し。必ずや射(しゃ)か。揖讓(ゆうじょう)して升(のぼり)り、下り而(しこうして)飮む、其の爭(あらそい)や君子なり」先生は言われた。「君子は爭(あらそ)う所無し」とは君子は何事につけても争はない。「必ずや射(しゃ)か」とは争うとすればきっと弓の勝負ぐらいだろう。「揖讓(ゆうじょう)して升(のぼり)り下り而(しこうして)飮む」とは試合の開始前には挨拶して先を譲り合いながら正堂の階段を上り下りして試合に臨み、勝負が終われば酒を飲む。「其の爭(あらそい)や君子なり」とは争い方も君子らしく争う

 論語の教え47: 「一角(ひとかど)の優れた人はみだりに争いごとを仕掛けない。止むえず、争いに巻き込まれても徳を以て対応する」


老子像:出典Bing

◆争わずして勝つ
 このことを生涯通じて探求した二人の偉人がいます。老子と孫子です。まず、老子について紹介したいと思います。
 「善く敵に勝つ者は与にせず」と言っています。つまり、うまく敵に勝つ者は、敵と戦わないということです。さらに、「優れた戦士は怒りを表さないし、猛々しくもない」と説いています。人と争って、力ずくで相手を封じ込め、勝利を奪い取ったとしてもその反動は後になって必ず自分に返ってくるものです。力に任せて傷つけあって“勝ち”を手に入れようとするのは、「ありのままを大切にする“道”の教えに反している」と老子は戒めています。
  一方『孫子』は次のように述べています。
 孫子の兵法には、「およそ兵を用うる法は、国を全うするを上となし国を破るはこれに次ぐ。この故に、百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」と。
 これもまた「不争」を教えているのです。
 老子や孫子の教えでは、「百戦百勝よりも大事なことがある」と。
 これがつまり、はじめから「争わないこと」「戦わないこと」。両者とも、「不争」に重きを置いていたわけですね。 


孫子像:出典Bing

 現代社会でも、賢い人ほど無駄に人と争ったりしないものです。
 そんなエネルギーと暇があるなら、他にやるべきことがあるハズです。
 「いかにして、戦わずして勝つか」これを極めることができた人だけが
 本当の意味で「人の上に立つ」ことを許されるといえるのではないでしょうか。
 老子は次のような言葉で不争の極意を教えています。
 「吾不敢為主而為客」(吾敢えて主とならずして客となる)
 自分が中心となって行動しようとせず、「受け身に回れ」と言うのです。
 つまり、戦争を避けられない状況に陥ったとしても、基本的には「不争」のスタンスでいけよ、自分から攻めたりするなよ、ということです。
 あくまでも、「戦わないこと」「争わないこと」が“徳”であり“道”だと強調しているのです。

◆能ある鷹は爪を隠す
 前項の不争とは少しニュアンスが違うかもしれませんが、よく言われる格言です。
 本当に力のある人は心技体ともその力を見せびらかさないというものです。小人や臆病者ほど居丈高にふるまいます。目下に強いのに目上の人に腰砕けになる人もいます。
 外剛内柔という言葉もあります。外見はとても強そうに見えますが心が弱い人のことを言います。反面、外柔内剛という言葉があります。これは前者の反対語です。外見はとても弱々しく見えて内面の意思が強固であると人のことを言います。
 ことほど左様に人にはいろいろなタイプがありますが、できる人ほど自分のことを自慢げに人前でペラペラしゃべらないものです。



(了)


論語に学ぶ人事の心得第46回 「上に立つ人の礼を失する行為には勇気をもって諫言せよ」

冉有(ぜんゆう)像 故宮博物館蔵

 本項は弟子冉有(ぜんゆう)への礼に対する行動について、孔子が意見する場面です。
 まず、冉有(ぜんゆう)について紹介しておきましょう。冉有(ぜんゆう)は姓を冉(ぜん)、名は求(きゅう)、字は子有と言いました。孔子より29歳年少です。孔子からは政治の才を評価され、孔門十哲の一人となっています。季氏に仕え、その執事を務めたほか、武将としても名をはせました。孔子の遊説にも同行しましたが途中で魯に戻り、季氏に仕え、孔子の帰国を促したと伝えられています。
 次に季孫氏(きそんし)です。本編八佾(はちいつ)の冒頭にも出てきますが、季氏は確かに魯国の三大貴族の一員で位は高いのですが、君主の単なる重臣に過ぎません。それがあろうことか天子にのみ許された八佾(はちいつ)を自分の家の庭先で舞ったのです。何を勘違いしたのか、分をわきまえろと孔子は怒りをあらわにしています。
 今回も、また泰山で、天子にしか許されていない山神を祭る暴挙を行ったというのです。泰山は魯国国都・曲阜の北80kmほどに位置する聖山と言われていました。道教の聖地である五つの山(=五岳)の筆頭です。この山を祭る封禅の儀式は、天子の特権とされていました。封禅(ほうぜん)の儀式とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式です。
 孔子は十哲にも数えられるほどの優秀な弟子冉有(ぜんゆう)が林放(りんぽう)のような一書生に過ぎないものに比べられることに恥じ入ることがないのかと叱責をしているのです。師は筋を通せない冉有(ぜんゆう)に対して歯がゆい思いをしたのでしょう

 八佾篇第3―6「季氏(きし)泰山に旅(りょ)す。子冉有(ぜんゆう)に謂(い)ひて曰(いわ)く、女(なんじ)救(すく)ふこと能(あた)ざるか。対(こた)えて曰く、能(あた)わずと。子曰く、嗚呼(ああ)、曾(すなわち)泰山(たいざん)を林放(りんぽう)に如(し)かずと謂(い)えるか。  

 「季氏(きし)泰山に旅(りょ)す」とは季孫氏(きそんし)が泰山で山神を祭った。「子冉有(ぜんゆう)に謂(い)ひて曰(いわ)く」とは、孔子が弟子の冉有(ぜんゆう)いった。「女(なんじ)救(すく)ふこと能(あた)ざるか」とは、冉有(ぜんゆう)よ、おまえは季孫氏(きそんし)に意見を言えなかったのか?「対(こた)えて曰く、能(あた)わずと」冉有(ぜんゆう)はできませんでした答えていった。「子曰く、嗚呼(ああ)、曾(すなわち)泰山(たいざん)を林放(りんぽう)に如(し)かずと謂(い)えるか」とは そこで孔子は言った。ああ、なんとおまえは礼のすべてを知っているのに泰山(たいざん)の神について訊いた林放(りんぽう)にもおよばないと思っているのか。

 論語の教え46: 「上司といえども礼に反する行為は諫める勇気と覚悟を持て」

 ◆「義を見てなさざるは、勇なきなり」
 孔子は第二編の為政編最終項の2-26項でこの言葉を述べています。
侠(きょう)の精神は義を貫く人たちです。孔子は自分の先祖でもないのに、有力者からと言って祀るのは、有力者をおもねることで卑怯なことだと断罪しました。これこそ、義に反する行為だと厳しく批判


出典:Bing


したのです。「義(ぎ)を見て爲(な)さざるは、勇(ゆう)無き也」というのは現代の社会でも用いられ、格言として定着しています。
 社会や組織のリーダーが礼に反する行為をした時に黙って見過ごすことは、いろいろな面で悪弊をはびこらせることになります。これまでの倣いでは、徳を刻むとともに、悪弊はますます肥大化し、取り返しがつかなくなります。だから、小さい芽のうちにつまんでおくことが大切であります。今回の冉有(ぜんゆう)のように季孫氏の側近で、執事の立場にしかできない人が勇気をもって正してゆくことができなければ、ほかの誰ができるというのだと孔子は冉有(ぜんゆう)に迫っているのです。

 ◆より広い共同体感覚を持て
 本項は季孫氏をめぐる狭い共同体の中での話です。冉有(ぜんゆう)が季孫氏の執事ですから極めて強固な縦の関係で結ばれています。
 だから、冉有(ぜんゆう)は主人である季孫氏の礼に反した行為に対して何も言えなかったのです。小さい社会に閉じ込められ、自分を小さくしてしまっている冉有(ぜんゆう)に対して、それが孔子にはいかにもふがいなく映ったのでしょう。孔子なら同じ場面では、きっぱりと季孫氏に諫言しているでしょう。
 なぜ、師と弟子の間にこのような違いが出るのでしょうか?孔子は冉有(ぜんゆう)に比較してより広い共同体感覚を持っているからだと思います。より広い共同体感覚とは何か?それは季孫氏と縦に関係ではなく横の関係を意識しており、季孫氏から縦の関係を切られてもなんの問題も生じないばかりか、切られた時から季孫氏との共同体関係より、より広い共同体関係を構築する自信があるからです。人間の器の大きさを如実に示す好例といえましょう。

 ◆自己を偽り、自己矛盾に陥ることを避けよ
 「義をみてなさざる時」には、自分の弱さに対して、自己嫌悪に陥ります。自分で自分を嫌いになったら誰が自分を好きになってくれるでしょうか。常に、そのような状況を抱えることを自己矛盾に陥ると言います。
 自己矛盾に陥ることを避けるには以下の三点に留意する必要があります。
第一は常に、自らの言行を一致させることです。
   他人に厳しく、自己に甘い人は信用されません。
第二は他人の言行を変えたい時は、常に自らの言行を変えることです。
   「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる」というのは真実です。
第三は常に、自己との対話を怠らないことです。
   人間は誰でも心の中に二人の自分がいます。積極的な自分と消極的な自分です。肯定的な自分と否定的な自分であることもあります。二人の自分との対話を心掛けると自分が偏っているかどうかを確認できます。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第45回 「たとえ、リーダーがいなくてもその社会に豊饒な文化が根付いていれば、文化のない社会より安心できる」

孔子立像 出典:Bing

 本項で孔子は伝統的に培ってきた文化や文明の大切さを説いています。代々、脈々と受け継がれてきた中国の文化や文明あれば、たとえ、君主がいなくても、新興してきた周辺地域の君主がいる異民族よりは勝っていると説いています。
 孔子の生きた時代はまさに乱世です。いつ君主が倒れ、誰が次の君主になるのかも予見できない不透明な時代でした。
 いわゆる、下剋上の時代です。社会は秩序に向かうのではなく限りなく混沌へと向かっていました。このような時代の社会と人心は大海原のうねりのごとく揺れています。人々は、ただ不安におののきながら、時代がなすが儘(まま)に身をゆだねるほかはなかったのです。
 しかしながら、孔子は違いました。多くの弟子を抱え、民の心を鎮める役割も担っていました。 
 そこで懸命に周囲に向かって、自分たちの祖国中国の伝統に自信を持ちなさいと訴えたのでした。

 八佾篇第3―5「子曰く、夷狄(いてき)の君(きみ)有るは、諸夏(しょか)の亡きに若(し)かざる。」師は言われた。「夷狄(いてき)の君(きみ)有るは」とは異民族に君主がいたとしても、「諸夏(しょか)の亡きに若(し)かざる」とは中国に君主がいないよりは劣っている。

 論語の教え45: 「社会でも企業でも文化の持つ影響力は岩を動かすほどの力を持っている」


中国春秋時代 出典:Bing

◆文化の正体とは何か
 辞書によりますと「文化とは、人間により創造されたもの、人工物であり、その社会において後天的に学ぶべきもの全般のことであると言える。そのような意味で、文化の種類としては言語、宗教、音楽、料理、絵画、哲学、文学、ファッション、法律などが挙げられる」とあります。
 辞書の定義を否定するものではありませんが、私は「文化とは空気だ」と思います。
 文化は空気と同じように目に見えません。
 しかし、所属する社会や組織では文化や空気無くして人は生きてゆけません。そして、空気も文化も、ともに人々の生活に密着しています。
 その土地、土地に根付いた特有の文化が存在しています。君主が無くても人々は生きてゆけますが、空気や文化無くして生きてゆけません。空気をさらに踏み込んでいきますと、文化とは人々の生活空間に存在する価値観を共有することだと言えます。この価値観を共有できなければそこで生活することはできません。
 文化の正体は生活空間に存在する「空気であり価値観の共有である」と言えるでしょう。

◆文化は誰が作り出すのか
 それでは、文化は誰が作り出すのでしょうか?
 そこに生活する人々です。そこには君主もいれば為政者もいます。文化は、その社会を治める人と治められる人との総和で醸し出されることになります。どちらが文化を創り出すのに影響力を持つのかというと社会のリーダーになります。しかし、文化を根付かせるには治められる大多数の人の実践がものを言います。この両輪が相まって文化が形成されてゆくのです。
 ここで、注視すべきポイントがあります。
 それは、文化は無限に続く存在であるのに対して、文化を創り出す人も文化を実践する人々も有限の存在であることです。論語は2500年もの長きにわたり人々を癒し、心を潤してきました。この間に論語に関係した人々は何百万人、あるいは何千万人といるでしょう。影響を受けた人は何億人にもなるはずです。その人はこの世からすでにいなくなっていますが、論語はこれまでも、そしてこれからも、人類がこの世からいなくならない限り永遠に続いていくことになります。

◆現在でも企業社会の文化は強い
 現代の社会で最も如実に文化の違いで幸福な人生を切り開けるか、不幸な人生を送る羽目になってしまうのか。その分岐点にあるには企業文化です。今日では、企業というのは、利益追求の手段としては洋の東西を問わず、イデオロギーを超えて最強の組織です。利益追求という目的のために手段を択ばず、がむしゃらに突き進んだとしたら現代社会はどうなるでしょうか。
 地球全体が破滅の道に突き進むことは火を見るより明らかです。
 企業が持続可能な社会の実現に向けて新たな企業文化を創造していることはご高承のとおりです。その実現するスピードで次代を主導する企業となれるかどうかが決まると思われます。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第44回 「礼の根本は外形でなく、心のこもったものでなければ意味がない」

孔子像 出典:ウイキペディア

 本項は林放(りんぽう)との対話です。林放(りんぽう)は弟子の一人とも伝えられていますが詳細は分かっていません。祭礼を派手ににぎやかに行うのは今も昔も変わりません。だから、師に林放(りんぽう)が礼の作法としてどうすべきかを質問したのです。
 林放(りんぽう)は、どうすべきか無知で師に質問したのではなく、師から直接礼の作法を確認するための質問であったとも読み取れます。師の口から礼における華美を戒める言葉を引き出したかったのかもしれません。
 前項で礼に対する孔子の答えは明快に出ています。敢えて二度も続けて礼に対する孔子の回答を引き出そうとしているのはよほどの背景(例えば、華美が目に余るなど)があってのことだと推測したくなるのは筆者だけではないと思います。

 八佾篇第3―4「林放(りんぽう)、禮(れい)の本(もと)を問う。子曰く、大いなる哉(かな)問(とい)や。禮(れい)は其の奢(おご)らん与(よ)りは、寧(むし)ろ儉(けん)せよ。喪(そう)は其の易(おさ)めん与(よ)りは、寧(むし)ろ戚(いた)め。」

 「林放(りんぽう)、禮(れい)の本(もと)を問う」とは林放(りんぽう)が礼の根本を質問した。師は答えられた。「大いなる哉(かな)問(とい)や」とは重大な質問だ。「禮(れい)は其の奢(おご)る与(よ)りは、寧(むし)ろ儉(けん)せよ」晴れの祭礼は豪華に飾り立てるよりつつましやかなほうがよい。「喪(そう)は其の易(おさ)める与(よ)りは、寧(むし)ろ戚(いた)め」とは喪中の礼は派手にするより悲しむほうがよい。


 論語の教え44: 「礼は頭で考えることでなく、根本原理に従い身体を動かして実践することである」

 礼は「仁」の具体的な行動として表したもの
 口では立派なことを言っているのに行動は真逆の人がいます。その最たることは公私の区別ができない人です。
 公金を私用することは犯罪ですが、それに近いことが行われています。例えば、私用で行った旅行などの領収書を用いて会社に旅行費用を請求する行為です。その他、費用だけでなく、部下を私用に使う上司もいます。顧客の接待を装って、私用で飲み食いする営業部員もいます。時間外労働をしてもいないのに誰も見ていないからと言って会社に時間外賃金を請求しています。
 このように事例を挙げればきりないほど公私の混同が悪しき慣行になっている企業があることは礼に反する行為です。孔子は見る事・聴く事・言う事・行動の全て、何事にわたっても仁の実践行動からはずれないのが大事だと説いています。

 礼は自分だけでなく周りの人を巻き込んで実践する
 二例紹介しましょう。昨今、私たちの周りでスマフォを寝るとき以外は離したことがない人を見かけませんか?朝目が覚めたらすぐに手に取り、朝食中もスマフォに目を落としています。出勤途上も歩きながら画面を見ています。もちろん、交通機関のなかでも夢中になっています。
 勤務中はさすがにスマフォから一時的に目を離しますが、休憩中やトイレの中でも用を足しながらスマフォをいじっています。会社が終わってからも家路につく時には逆コースでスマフォを離しません。夕食中もスマフォを見ながらで家族との会話はありません。一日で手にスマフォを持っていないのはシャワーを浴びるときと寝る時です。この有様は如何にも異常としか言いようがありません。


 後の一例は、やはりスマフォ関連です。大きな音を出してスマフォの映像を見ている人が多いことです。しかも、電車の中やレストランで食事中に騒音が鳴り出すのです。あえて、騒音と言いたいと思います。聴いている人は音楽やドラマと一体になっていますが周りからすると騒音でしかありません。イヤーホーンやヘッドホーンがあるのです。着用するというのが他人に対する礼だと思いますが無神経にもこれが当たり前だと言わんばかりです。
 このような光景に出合ったら見て見ぬふりは止めましょう。非難するのではなく優しくやめるよう声掛けしましょう。それが社会を明るくすることになります。
何事も、行き過ぎはよくありません。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第43回 「人はうわべの格好をつけたとしても中身が整わなければ、すぐ見破られてしまう」

琴を弾く孔子 出典:Bing


 今回は徳の真髄に迫る孔子の話です。「仁」は五常(ごじょう)または五徳(ごとく)とも言われる、需教で説く5つの徳目のことです。これまでにも何回も登場しましたので覚えている方もいると思いますが、仁・義・礼・智・信を指しています。その中でも「仁」は人への思いやりと人間愛を表し、孔子は、仁をもって最高の道徳であると常々のべています。日常生活から遠いものではありませんが、一方では容易に到達できぬものとしています。
 孔子自身も自分は仁者でないとも言っていますがこれは謙遜でしょう。誰だって徳を積んだ人は自らの徳を自慢げに語る人はいません。あくまでも、第三者が評価することです。孔子は自らの実践行動の中から五常を導き出したのです。
 世の中には外見だけで思いやりがありそうに見せる人は多くいます。しかし、そのような軽薄な人物はすぐ見破られてしまいます。音楽についてもそうです。この時代の音楽は社会上の儀礼として正式な行事で執り行われたものです。心のこもらない儀式をいくら執り行っても意味がないと孔子は指摘しているのです。
 八佾篇第3―3「子曰く、人にして仁(じん)ならずんば、禮(れい)を如何(いか)にせん。人にして仁(じん)ならずんば、樂(がく)を如何(いか)にせん。」

 先生は言われた。「人にして仁(じん)ならずんば」とは人間としての誠実な思いやりや愛情を持たないなら、「禮(れい)を如何(いか)にせん」とは礼を学んだとて何になろう。「人にして仁(じん)ならずんば」とは人間としての誠実な思いやりや愛情を持たないなら、「樂(がく)を如何(いか)にせん」とは音楽を学んだとて何になろう。

 論語の教え43: 「私たちは何のために学ぶのか?仁を極めるために学ぶのではないのか?」

◆五常を統合して仁者になれる
ここで五常を簡単にまとめておきましょう。
●仁は人を思いやる気持ちのことです
●義は利にとらわれず人として成すべきことを成すことです。
●礼は仁を実行するための行動規範のことです。
●智は道理をよく知ることです。
●信は信頼に足る言行をすることです。
 これらはすべて人間関係に関連する徳目です。この世の中で人間が抱える問題や悩みはすべて人間関係であるといった心理学者がいますが、人間にとり、古代も現代も人間関係がむつかしい証左でもあります。


仁者と言われた顔回 出典:ウイキペディア

 本項を通じて注目しなければならないのは五常を個別ではなく統合的に理解し習得して実践する必要があるということです。なぜなら、これらの五つの徳目は底流にすべて深い関係を持っているからです。バランスよく体得してゆくことが仁者への近道だということを孔子は示唆しているのだと思います。

 ◆五倫が備わればさらに仁者に近づける
 五常とともに儒教の最高教義だと言われています。「五倫」はまさに人間関係の徳目です。
以下に示す通りです。この道徳は孔子ではなく孟子によって確立されてと伝えられています。
現代では、五輪は時代錯誤だと思われるかもしれませんが、少し言葉を置き換えますと実は現代でも十分通用することばかりです。

●父子の親とは父と子の間には親愛の情を持つこと。
●君臣の義とは君主と臣下の間には慈しみの心があるということ。
●夫婦の別とは夫婦の間には役割分担があるということ。
●長幼の序とは年少者は年長者を尊敬し従順するということ。
●朋友の信とは友は互いに信頼関係を持つということ。

 ●父子の親とは父と子の間には親愛の情を持つことです。
 父だけではありません。親子の間には親愛の情がなければならないということです。親しき中にも礼儀あり、親は子供を私物化してはならず、一人の人間として人格を尊重しなければならないとの教えでもあります。
 子供の将来に対して、自分の将来でもないのに親が介入することで家庭が崩壊することがよくある話ですが、人生における親子の課題は別物であり混同してはいけません。親が良かれとしてやっていることが子供の人生を台無しにしていることがあるのです。しかも、罪の意識や無意識に…。

 ●君臣の義とは君主と臣下の間には慈しみの心があるということです。
 今の世の中は民主主義の時代ですから、社会的には君臣関係ではありません。現代でも君臣に近い関係性が維持されているのは企業社会です。とりわけ、創業者や専制的な経営者が君臨する企業では君臣関係が厳然と存在します。あまりにも横暴なトップの言動に社員はひれ伏さんばかりの態度を強要されていることは珍しくありません。それでも、厳しさの中に慈しみの心があれば救いもあるのですが、体には冷たい血が流れているのではないかと錯覚するほど自己中心的です。
 企業という小さな共同体社会で絶対権力者である経営者の価値観がすべてです。ついてゆけないと思いつつも退職する勇気が出ないまま、無意味に人生を送っている人々を目の当たりにして、私は、やり切れらない思いをしたことがしばしばあります。このような経営者に言いたいのは企業の私物化を直ちにやめること、さもなければ良識ある後継者もしくは所有者に経営権を譲渡してくださいというしかありません。

 ●夫婦の別とは夫婦の間には役割分担があるということです。
 夫婦には社会の最小単位である家族を維持発展させてゆく責任があります。そこには経済的要素と精神的要素が存在します。どちらかに偏向してしまうとそこから家族の崩壊が始まります。私たちが社会生活を営むには基本的人権が尊重されなければなりません。それには権利と義務が前提になります。権利ばかり主張したのでは社会は成り立ちません、ところが多くの家族崩壊した事例を見ると家庭の中でも権利を主張して義務を果たしていないことがわかります。社会と家族は別だという誤解からすべてが始まっています。冒頭に述べたように社会の最小単位が家族でありますから家族の一員はすべて権利と義務を負う責任が生じていることを話し合っておくべきでしょう。

 ●長幼の序とは年少者は年長者を尊敬し従順するということです。
 この徳目は決して強要すべきものではありません。自然に尊敬心が醸成される性格のものです。孝行という概念に対しても同じことがいえると思います。この点に関して孔子は為政編で細かく述べていますのでそちらに譲りますが同じような趣旨のことを説いています。
 年長者には誰であれ、歩んできた人生の経験法則を体得していてます。そして、そこから醸し出される教えは傾聴に値する教えが数多くあり、素直に従えば自分が得するするということです。年長者を馬鹿にしたり、粗末に扱った人は必ず自分が年取った時に同じような扱いを受けると言われます。それはやってはならないことを子孫の前で実践しているからにほかなりません。

 ●朋友の信とは友は互いに信頼関係を持つということです。
 本項の意味するところは、信頼関係というのはギブアンドテイクの関係ではなく、ギブアンドギブの関係だということです。利害関係で成り立っている限り信頼関係は成り立ちません。相手の心の探り合いと駆け引きしかありません。
 「相手が信頼してくれないから信頼できない」という人によく出会います。しかし、この言葉に「相手が信頼してくれても私は相手を信頼できません」という心の声が筆者には聞こえてきます。何かの見返りを期待しているから相手を信用できないのです。最初から見返りを期待していなければ裏切られることはなにもありません。朋友でないのに朋友ぶるのは疲れます。朋友とは心を許せる、心のオアシスになれる人間関係を表していることをお忘れなく。
 単なる仕事上の知り合いと区別して付き合えば裏切られることもないでしょう。(了)


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