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論語に学ぶ人事の心得第62回 「人間の真の価値は仕事ができることでなく、仁者であることだ」

管仲(かんちゅう)像出典:ウイキペディア

 本項は孔子より100年前に活躍した春秋時代初期の斉(せい)国の名宰相と言われた管仲(かんちゅう)の器量に対する孔子の考えを述べたものです。管仲(かんちゅう)は、君主桓公(かんこう)に仕え、斉国を覇者に仕立て上げました。
 管仲(かんちゅう)は、斉国では政治の中心的役割を果たしました。数々の改革を成し遂げ、斉国の発展に貢献しました。名臣の一人です。孔子は管仲(かんちゅう)の政治的力量に対しては、高い評価をしておりました。しかし、ここでは誰もが評価している管仲(かんちゅう)を厳しく批判しています。なぜでしょうか?それは管仲(かんちゅう)が礼節を弁(わきま)えていないと孔子は判断したからです。孔子は管仲(かんちゅう)だけでなく、誰に対しても自分の立場を超えて礼節を弁(わきま)えない人に対してはとても厳しく糾弾しました。例えば、魯国の三大貴族であった三桓氏(さんかんし)に対しても同様でした。臣下であるのに君主の儀式をまねた行為に激しい憤りを感じています。本編八佾(はちいつ)の冒頭には、八佾(はちいつ)は君主のみに許された先祖を敬うために奉ずる舞ですが、こともあろうに季孫氏は自分の庭先で執り行いました。これにはとても我慢できないと記述されています。礼を弁(わきま)えないことに対する怒りは孔子の一貫した姿勢です。

 八佾篇第3―22「子曰く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)は小さき哉(かな)。或(あ)るひと曰く、管中(かんちゅう)儉(けん)なるか。曰く、管氏に三歸(さんき)有り。官の事攝(か)ねず、焉(いずく)んぞ儉(けん)なるを得ん。然(しか)らば、則(すなわ)ち、管仲(かんちゅう)は禮(れい)を知れるか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ、菅氏(かんし)もまた樹(じゅ)して門を塞ぐ。邦君(ほうくん)は兩君(りょうくん)の好(よしみ)を爲(な)すに反坫(はんてん)有り、菅氏(かんし)もまた反坫(はんてん)有り。菅氏にして、禮(れい)を知れば、孰(だれ)か禮を知らざらん。」

 「子曰く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)は小さき哉(かな)」とは師はいわれた管仲(かんちゅう)の器量は小さいな。「或(あ)る人曰く、管仲(かんちゅう)儉(けん)なるか」とはある人が師に尋ねた。管仲(かんちゅう)は倹約かだったのですか。
 「曰く、管氏に三歸(さんき)有り。官の事攝(か)ねず、焉(いずく)んぞ儉(けん)なるを得ん」
 とは、師は言われた。管仲(かんちゅう)には三人も夫人がいて、配下の役人にもいくつかの仕事を兼任させなかった。どうして倹約かといえようか。
 「然(しか)らば、則(すなわ)ち、管仲(かんちゅう)は禮(れい)を知れるか」とはある人がまた師に尋ねた。管仲(かんちゅう)は礼を心得ていたのですか。
 「曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ、菅氏(かんし)もまた樹(じゅ)して門を塞ぐ。」とは師は答えた。君主は石の衝立を立てて門内が見えないようにするが管仲(かんちゅう)もまた石の衝立を立てて門内が見えないようにした。
 「邦君(ほうくん)は兩君(りょうくん)の好(よしみ)を爲(な)すに反坫(はんてん)有り、」とは君主は他国と友好を結ぶにあたり、献酬の杯をおく台を設ける。
 「菅氏(かんし)もまた反坫(はんてん)有り」とは管仲(かんちゅう)もまた献酬の杯をおく台を設けた。
 「菅氏にして、禮(れい)を知れば、孰(だれ)か禮を知らざらん」とは管仲(かんちゅう)が礼を心得ているというなら、礼を心得ていない人間はどこにもいないことになる。

論語の教え62:「能力ある人物と礼節を弁(わきま)えた人物のどちらを用いるか」
◆責任ある地位に就けばつくほど徳を磨け
 地位が高くなればなるほど仁者でなければならないと孔子は事あるごとに説いています。管理職のように小さな組織なら個性や能力でリーダーが務まるかもしれません。しかし、事業や企業を代表するような責任ある立場では徳がないと務まりません。


 それでは徳とは何でしょうか。徳は人間の道徳的卓越性を表します。孔子の始めた儒教では五常五倫のことを言います。具体的には仁・義・礼・智・信のことです。これまでにも何度も出てきましたので覚えている方がいるかもしれません。
 論語の主柱となる概念です。ここで、再度意味を確認しましょう。
 五常とは?
「仁」とは人を思いやることです。
「義」とは利欲にとらわれず、なすべきことをすることです。
「礼」とは「仁」を具体的な行動として表したものです。
「智」とは道理をよく知り得ている人のことです。
「信」とは友情に厚く、真実を告げること、約束を守ること、誠実であることです。

 また、五倫とは?「父子の親」、「君臣の義」、「夫婦の別」、「長幼の序」、「朋友の信」を言います。
 「父子(おやこ)の親」とは父(おや)と子の間は親愛の情で結ばれなくてはなりません。
 「君臣の義」とは君主と臣下は互いに慈(いつく)しみの心で結ばれなくてはならないといことです。
 「夫婦の別」とは夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なります。
 「長幼の序」とは年少者は年長者を敬い、したがわなければならないと言うことです。
 「朋友の信」とは友はたがいに信頼の情で結ばれなくては友とはいません。
 これらの言葉や概念は現代風に言うとやや堅苦しく、理屈っぽく見えます。しかし、私たちには揺るぎない究極の到達点が必要であることも事実です。リーダーでなくても到達点に向けて一歩でも近づけば、必ず世の中が変わると思います。努力してみてください。

◆真に任せられる人間は仕事だけできる人物ではない
 誰しも人は能力の向上を目指して努力して生きています。一方、私たちは一人で生きてゆくことができません。必ず、だれかとの関(かかわ)りが無ければ、どんなに優れた人であっても何もできません。自己の能力向上とともに周囲の人間関係の絆が深くなることでいい仕事ができるのです。その人間関係を築くプロセスの中で周りとの貸し借りの論理が発生します。貸しとは恩を売ることであり、借りとは恩を売られることです。この論理でいえば、仕事のできる人は多くの人に貸しを作ることができます。つまり恩を売ることができるのです。しかし、このできる人は人から信頼されることとは何の関係もありません。また、責任ある事業や組織を任せられるかどうかとも関係がありません。まわりと強調しながら確実に貸し借りの論理を均衡させている人こそ信頼されています。
 職責を果たすことは仕事の達成度や成果の多寡だけではありません。最も大切なことはその人が信用できるかどうかです。

◆企業永続的繁栄の真髄は仁者を育成することにある
 企業は、よくゴーイングコンサーン(継続する存在)と言われます。それは社会的存在だからです。企業も自然人と同じように老化します。自然人との決定的な違いは企業には寿命が無いことです。その時代に、ふさわしい顧客価値を提供し続ければ永遠に生き続けることができるのです。1000年以上も生き続けている企業がこの世の中にいます。さらに、業界がとっくに消滅した音楽のレコード会社やレコード針を創っている会社も形を変えて存在しますし、写真のフィルム会社に至っては今や製薬会社として隆盛を誇っている会社もあります。
 反面、一時は飛ぶ鳥を落とすと言われた会社が今や見る影もなく、買収されたり、倒産した企業があります。この決定的な違いがどこから起こってきているでしょうか?
 それには二つの原因があるあるように思われます。二つとも事業の後継に関する問題です。
 第一は事業の発展させた経営者は自分が有能なため事業を巨大化させたのですが、後継者の育成をしてこなかった経営者です。自分が有能すぎてお眼鏡にかなう人を見つけるまえに自分が高齢者になってしまったケースです。自己過信型の経営者です。
 第二は企業を私物化した経営者です。身内の後継者を早期に決めて地位につけているのですが形だけです。実質は自分が経営の実権を握っている経営者です。これは一番多いケースです。私物化したいのなら企業を大きくしたり、株式を公開しなければよいのですが、地位も名誉も財力も得たいため動機不純で公開しますが、企業の文化や風土は惨憺たるものです。
 企業をつぶしているのは社長だと断言している元経営者がいます。経営の神様と言われた松下幸之助氏です。世の経営者とりわけ社長に聴かせたい言葉です。(了)


論語に学ぶ人事の心得第61回 「君主のご下問に対し、臣下は深慮遠謀のうえ回答せよ。決して軽々しく答えてはならない」

宰我(さいが)像 国立故宮博物館蔵

 本項は君主哀公(あいこう)と弟子宰我(さいが)との対話です。孔子と哀公(あいこう)との対話は為政編19項に出てきたことはご承知のとおりです。この時は孔子に対して国の治め方を尋ねています。
 本編19項に登場する定公(ていこう)は哀公(あいこう)の実父です。前494年に父の定公(ていこう)の没後、魯国第27代君主に即位しました。
 哀公(あいこう)は、当時、絶対的権力を握っていた三桓氏の武力討伐を行いましたが、三桓氏の軍事力に屈せざるを得なくなり、衛国(えいこく)や鄒国(すうこく)を転々とした後に、越国(えつこく)へ国外追放され、前467年にその地で没した悲劇の君主です。
 「社」とは土地の生産力をまつる土地神祭りのことです。本項はその神木が焼けてなくなってしまったため、何にすることがよいのかを尋ねたことに対し、弟子宰我(さいが)の君主に対する答え方を孔子が批評した内容になっています。
 弟子宰我(さいが)は姓を宰(さい)、名を予(よ)と言いました。孔子より29歳年少です。弁舌の才を孔子に認められ、孔門十哲の一人となりました。実利主義的で仁徳を軽視したことが孔子からしばしば叱責されています。
 宰我(さいが)は孔門十哲の一人となるほどの才人でありましたので、孔子はその才能を十分認めていたはずです。たびたび叱責されたのはできる弟子は厳しく指導して更なる成長を期待していたのかもしれません。それと、孔子は礼に背くなど、許しがたい行動をした弟子には怒りをあらわにするなど喜怒哀楽を率直に出す裏表のない指導者でもありました。

 八佾篇第3―21「哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う。宰我(さいが)対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松を以(もっ)てし、殷人(いんびと)は柏(はく)を以(もっ)てす、周人(しゅうびと)は栗(くり)を以(もっ)てす、曰く、民をして戰慄(せんりつ)せしむ。子之を聞いて曰(いわ)く、成事(せいじ)は說(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」

 「哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う」とは君主哀公(あいこう)が弟子の宰我(さいが)に社(しゃ)について尋ねた。「宰我(さいが)対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松を以(もっ)てし、殷人(いんびと)は柏(はく)を以(もっ)てす、周人(しゅうびと)は栗(くり)を以(もっ)てす」とは宰我(さいが)が答えた。夏王朝は神木に松を用いました。殷(いん)人々は檜木(ひのき)を神木に用いました。周王朝の人々は栗の木を神木に用いました。栗の木を用いたのは民衆を戦慄させるためです。「子之を聞いて曰(いわ)く」とは孔子がこの話を聞いて次のようにはなされた。「成事(せいじ)は說(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」とはやってしまったことはあれこれ言わない。済んでしまったことは諫めない。過ぎ去ったことは咎め建てしない。

 論語の教え61:「リーダーには、その場の空気を読んで、目的指向で対応せよ」

◆能ある鷹は爪を隠す
 能ある鷹は爪を隠すとは「能力のある人は自分の能力を普段から自慢げに見せびらかさないこと」を言います。非常に謙虚で奥ゆかしい人なので周りの人から尊敬され認められています。中途半端にできる人ほど数少ない自慢話を吹聴(ふいちょう)します。これらの人は周りから疎(うと)まれます。


能ある鷹は爪を隠す 出典:Bing

 本項で取り上げられた宰我(さいが)はこのような低いレベルの人ではありませんでしたが、孔子から見ると本当の賢者は自分の持っている知識をすべて開けかすのではなく、今、君主に何を提言するのが最もふさわしいのかよく考える必要があると説いているのです。とりわけ「戦慄(せんりつ)」のような人々を恐怖に貶めるような過去の事例を持ち出して提言することは得策ではないと注意しているのです。現代風に言えば「その場の空気をよく読みなさい」ということでしょう。そして、その場に最もふさわしい提言すべきであると。宰我(さいが)よ!君は、まだまだ、修養が足りないと言わんばかりです。

◆原因論でなく目的論で対応せよ
 人は誰でも人生に行き詰まることがあります。その時に、悲観的になり、今できない原因を過去の原因に求めるのではなく、どうすればできるかという目的指向で対応すれば、閉塞感から解放され、人生は開け、豊かさを取り戻すことができます。
 この考えを確立したのはオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーです。さらに、アドラーは言います。私たち人間は自分を変革でき、幸せをつかむことができるのに自分を変えたくないから変革できない理由付けをして生きていると言っています。人間を自分の人生を描く画家であるとも言っています。だから自分の人生を思いう通りに描くことができるのだということです。
 私たちは、また同じ世界に住んでいると思いがちですが個々人が意味づけした社会に住んでいるので同じ社会に生きているとは言えないのです。過去が原因でそこから逃げられずに行き詰っている人は早く意味づけを変えて人生を前向きに生きてください。

◆部下はリーダーの言うことに従うのではなく、行動に従う
 部下は上司の一挙手一投足を実に正確に観察しています。上司は時々自分が過去に行ったことを忘れてしまうこともありますが、部下は上司の言ったことを正確に覚えています。だから、上司の言行不一致を即座に見抜いてしまいます。そして、上司がいうことには従わず、上司が行うことを真似します。
 ここに悪しき慣行や二重の標準基準が発生する温床が生じます。
 ここで、上司たるもの、絶対にこれまで言ってきたことを変えてはならないと言っているのであありません。時には朝礼暮改も必要です。時代の変化があれば価値観の変化も伴います。かつての不正解がこれからの正解に変わることはいくらでもあります。
 大切なことは部下に変わったことの説明責任を果たすことです。説明をしなければ、上司がこれまで自分たちに伝えてきたことを翻す意味が分かりません。そこから上司への信頼感が崩れ始めます。そして、部下は上司の言うことより上司の行動をたどりながら自分の行動を決めます。
 組織は方針に基づいて一糸乱れることなく目標に向かっていかなければなりませんが、組織目標より上司の行動をまねて、社員がばらばらに好き勝手に行動を始めます。このような組織では経営者が旗を振っても社員はついてきてくれません。経営の崩壊の始まりが訪れます。(了)


論語に学ぶ人事の心得第60回 「人から尊敬されるような品格の備わった人は、バランス感覚が秀でている」

孔子像 出典:Bing

 本項は詩経にある關雎(かんしょ)という詩の一節に対する孔子の感想を述べたものです。
 人生の良き伴侶と巡り合えることがなかなか難しいことです。良き娘と出会えないという苦しみを得ても、心が挫(くじ)けてしまうまでには至らせないことです。念願かなって、いい娘さんと出会って結婚しても、過度に女色に耽溺するのではなく、節度をもって夫婦生活を営むのが立派な人の生き方だと説いています。当時は、力(権力と金)さえあれば、正妻以外の女性を何人も抱えていた時代です。子供も二桁いる家はそれほど珍しいことでもありませんでした。
 孔子自身の出自も庶子でしたから、そのような環境でありましたし、何も反社会的な行為ではありませんでしたが、生育の過程でずいぶんと嫌な思いをしたことは想像に難くありません。そんなこともあって、孔子は生涯一人の女性を妻とし、一人の子供をもうけました。
 關雎(かんしょ)は「詩経」の国風(こくふう)の冒頭に配された「周南(しゅうなん)」の最初の一節だと言われています。
 關關(かんかん)と鳴(な)く雎鳩(しょうきゅう)は、
 河(かわ)の洲(す)に在り。
 窈窕(ようよう)たる淑(よ)き女(むすめ)は、
 君子の好き逑(つれあい)

 かあかあと鳴くミサゴの鳥は
 川の中州にいる。
 上品でよい娘は
 立派な方の良い連れ合いだ
  

 八佾篇第3―20「子曰く、關雎(かんしょ)は樂しみて淫(いん)ならず、哀(かな)しみて傷(やぶ)らず」

 師は言われた。「關雎(かんしょ)は樂しみて淫ならず」とは關雎(かんしょ)の詩は楽しげでありながら、節度を守って耽溺(たんでき)することはない。「哀しみて傷(やぶ)らず」とは悲哀(ひあい)の感情もあるが心を鋭く傷つけることはない。

論語の教え60: 「リーダーとは嵐に立ち向かう船長のようなものだ」

◆公私ともに大切なことは何事にも行き過ぎないことだ
 「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という格言は誰でも知っています。論語第十三「先進篇16項」で孔子が語っている言葉です。
 「知っていること」と「やっていること」は全く別物であることは今も昔も変わりません。この格言の教訓とは別の行動をとり、失敗する人は今なお、後を絶ちませんし枚挙にいとまがありません。
企業経営でいえば業績が最高に達したときに組織全体が酔いしれていたら、必ず、そこに業績悪化の陰りが忍び寄っていたという話は敗軍の将の反省の弁です。一方、家庭生活でも幸せの絶頂期にいた時に、病魔が忍び寄っていたなどという話も聞きます。
 優れた経営者ほど絶頂期に最悪期の準備をすると言います。世の中はいいことばかりが巡ってくるわけではないことをよく知っているからです。順風満帆の時もあれば暴風雨が吹き荒れる時もあります。その時のために余裕のある時に準備を怠らないことが大切です。嵐を真にして、命の次に大切な積み荷を海に捨てても、命を守り切る大航海時代の船長のような行動が必要です。
 どんな艱難辛苦にも耐え、目的地に到着できる船長のみに備わった資質です。

◆欲望を自己管理できなければリーダーになれない
 欲望のままに生きることはある意味幸せな人生を送れると言えるかもしれません。
 しかしながら、私たちは人生の節目、節目に社会的にも、私生活的にも責任を伴う立場に立たなければなりません。職業生活では組織のリーダーになります。最初は小規模で一チームからのスタートから始まります。部下の数も十人未満のリーダーですが、次第に重い責任を負う立場へと進展してゆきます。場合によれば、企業全体の責任を負う立場に立つことも大いにあり得ます。 責任」とは、どういう意味があるのでしょうか?辞書によりますと「責任とはしなくてはならない務めのこと、その他に、悪い結果が生じたときに損失や罰を引き受けるという意味だ」と定義しています。ということは自己中心の欲望にとらわれた行動ができないことを意味しています。



 リーダーとは自己管理ができる人のことだと置き換えることもできます。欲望のままに生きることと真逆のことになります。
 本項でいえば、まさしく孔子が述べてている言葉のすべてが自己管理をすることの大切さを説いていると言っても言い過ぎではないでしょう。

◆企業経営も家族経営もバランスが大切だ
 何事にもバランスが必要だというのが論語で孔子が一貫して主張している考え方です。孔子の美学
だと言ってもいいでしょう。孔子がさらに素晴らしいのは言行を一致させていることです。
 ご承知の通り、企業経営では企業の活動状況を財務諸表にまとめます。その中核にあるのがバランスシートと呼ばれている貸借対照表です。同様に家族経営でも資産と負債がバランスしていないと遠からずその家族は破綻することになります。
 一番心掛けなければならないのは結果の数字を把握して反省することではなく、結果を生み出す企業経営や個人の生活態度そのものをバランスさせなければならないことです。数字のアンバランスは行動のアンバランスと直結しています。
 行動変革しなければ数字のバランスはとれませんし。行動変革させるには意識変革をしなければなりません。意識変革をするためには前述した自己管理が不可欠であると言えると思います。

(了)


論語に学ぶ人事の心得第59回 「君主は臣下に何を求め、臣下を統率するにはどうすればよいのだろうか」

孔子像 出典:Bing

 本項は魯国の君主「定公(ていこう)」との対話です。
 この頃の孔子は君主の最側近にまで上り詰めていました。魯国の重臣の一人です。孔子は3000人にも及ぶ弟子が慕っていた偉大な教育者もありました。さらに、儒学を開祖した思想家でもあります。しかし、研究生活に籠(こも)るような単なる学究ではありません。
 この時点では、政治という結果を問われる世界に足を踏み入れ、政治闘争の日々を送っていました。本編八佾(はちいつ)では、他の項で、やっかみや妬(ねた)みの場面が登場します。孔子はこれらの心無い人との軋轢に対しても、心が乱れることなく、我が礼法の道を淡々と進みます。
 定公(ていこう)は魯の第26代君主でした。名は宋と言います。第23代君主襄公の子で25代君主昭公(しょうこう)の弟です。家老の闘鶏が元になったいさかいで、国外逃亡した兄の昭公が晋の乾侯で客死すると、その後を受けて魯国の君主となりました。在位は15年でした。孔子は定公(ていこう)に抜擢され、大臣ポストの一つである大司寇に就任しました。
 この時代の国の行政組織は六卿という6人の最高官が行政を取り仕切っていました。大司寇(だいしこう)というのは刑罰を取り仕切る法務大臣のような重要な地位です。他にどのような官職があったのかというと以下のとおりです。大宰(たいさい)は6官の長を兼ね、その際の官名を「冢宰」(ちょうさい)とも言いました。大司徒は教育、人事、土地を掌りました。大宗伯は礼法、祭祀礼を掌りました。大司馬は軍政と兵馬、大司空は土木と工作を担当しました。
 本項では君主が臣下である孔子に教えを乞うています。孔子の掌(つかさど)る司法の話ではありません。国の統治の考えを訊いているのです。まるで、子弟が老師に教えを乞うているような場面です。 
 孔子は明快に質問に応えています。小気味良さすら感じます。

 八佾篇第3―19「定公(ていこう)問う、君、臣を使(つか)い、臣、君に事(つか)うる、之を如何(いかん)。孔子対(こた)えて曰く、君(きみ)、臣を使うに禮(れい)を以(もち)ってし、臣(しん)、君(きみ)に事(つか)うるに忠(ちゅう)を以(もっ)てす。

 「定公(ていこう)問う、君、臣を使(つか)い、臣、君に事(つか)うる、之を如何(いかん)」とは、君主定公(ていこう)は孔子に尋ねた。君主が臣下を用い、臣下が君主に仕えるにはどうすればいいだろうか?と。孔子は答えて言われた。「君(きみ)、臣を使うに禮(れい)を以(もち)ってし、臣(しん)、君(きみ)に事(つか)うるに忠(ちゅう)を以(もっ)てす」とは君主が臣下を用いる際には礼によって用い、臣下が君主に仕えるさいには誠心誠意まごころを尽くしてお仕えすることですと。

 論語の教え59: 「統治の要諦は上位職位が礼を尽くすこと、そうすれば社員は真心をもって返してくれる」

◆上司は部下を尊重すれば、部下は上司に忠義を尽くす
 例え上司であっても、部下だからと言って顎(あご)で使うような傲慢な態度は許されません。上司と部下は基本的に人間の上下の関係ではありません。上司は部下より人間的に優れているわけでなく、両社はそれぞれの役割と責任を果たしているにすぎません。また、部下の功績は上司の功績でもあります。だからこそ、部下が忠義を尽くしてくれることにより、功績をあげてくれたなら、すべてが上司の功績でもあります。このように考えると上司は部下に感謝こそすれ、部下を糾弾することなどありえないことです。
 ところが、上司は業績がいい時には自分の手柄にします。業績が悪くなると手のひらを返したように部下の責任にします。また、業績を上げたくてしょうがない人ほど部下を大切にしない傾向があります。いわゆる、部下をこき使うタイプの上司です。このような上司は部下の不足をあげつらいますが、部下を育てることをしません。これらの上司は、部下から見てすべて見透かされています。どんなにきれいな言葉で部下に懐柔しようとしても部下には通じません。部下は上司と常に一定の心理的距離を確保していますし、上司と異なった価値観で適当に付き合います。情熱をもって上司に仕えようとしませんし、ましてや忠義を尽くすようなことは絶対にありません。部下がよそよそしくなった時には、部下の変化を問うのではなく、自分の変化を自己反省すると自分に非があることがわかります。上司と部下はお互いに鏡で照らし合っているような存在だからです。

◆部下に信頼を求める前に、まず、自ら部下を信頼せよ
 会社の経営者や経営幹部の中には、社員が会社を信頼していないことを公言する人がいます。
 そこで、私はそのような経営者に「あなたは社員を信頼していますか」と訊ねると、大抵の人は、はたと困った顔をします。その心を読み解きますと社員に一方的に信頼を求めていることが明らかです。


 しかも、自分は社員を信頼していないこともありありとしています。事程左様に、相手に一方的に信頼を強要しても信頼関係は成立しません。信頼は双方が信じあうことにより成り立つ関係です。また、社員に信頼してもらいたかったら、まず、経営者が社員を信頼することが先です。
 社員が不正を働いたような事故に遭った経営者の最初の言葉です。「これまでにあれほど信頼して任せていたのに裏切られた」この経営者はどうも「信頼すること」と「放任すること」の区別が理解できていないようです。信頼すればするほど、不正が発生しないよう牽制制度を機能させることに注力する必要があります。
 また、会社の中では部下と信頼関係を築くことができないという人もいます。信頼関係は血族社会の話ばかりではありません。むしろ、血のつながりで成り立っている社会では信頼関係は意識しなくても良いかも知れません。非血族社会にこそ信頼関係を意識して構築する必要があります。私は公的な信頼関係と私的な信頼関係に分けて考えています。公的な信頼関係は築こうと意識しなければ築けません。なぜなら、共同体を離れたら他人だからです。私的な信頼関係は築こうと思わなくても一緒にいることで信頼関係が築けます。なぜなら、それは血を分けた身内だからです。しかし、反道徳的、反社会的行為をすれば、話は別です。公私の両方の関係はともに脆く、たちまち、信頼関係は崩れます。築くのは容易ではありませんが崩れるのは一瞬です。

◆上司から頼られる部下になれ、それには上司に一目を置かれることだ
 本項は君主である定公(ていこう)から孔子に国の統治の仕方を尋ねられています。会社でいえば社長からこの会社の経営をどのようにすればうまくゆくのかを尋ねられたようなものです。会社の社長が部下に対してそのようなことを言うのは、まずありえないことです。君主から問われることは、孔子が君主からも一目を置かれていることの何よりの証拠です。そして、「待っていました」とばかり明快に回答しています。ある意味コンサルタントとクライアントのような関係です。
 人間にはゼネラリストタイプとスペシャリストタイプがいます。孔子のようにオールマイティの人は別ですが、一目置かれるにはスペシャリストになるほうが早道であると思います。「ナロー&ディープ」という言葉があります。文字通り狭く深くということです。自分の得意領域は狭くても深く掘り下げることにより他から抜きんでることができるのです。私は自分の得意領域を定めたら、わき目を触れずに深堀をすることを進めたいと思います。専門領域のない人は単に便利屋として使われるだけです。また、自己の良心に逆らって上司の言いなりになるだけです。
 人生には譲ってはならないことを求められることがあります。その時に専門領域があれば断固として拒否をする勇気が湧いてきます。(了)


論語に学ぶ人事の心得第58回 「他人(ひと)のやっかみ半分の噂話に付き合う暇はない」

孔子立像 出典:Bing

 やっかみとは人を羨(うらや)み妬(ねた)むことです。順調に出世する人を羨望(せんぼう)する気持ちは古今東西変わりません。孔子はこの時代の羨望の的になっていたと思われます。
 本編3-15で初代君主周公旦を祭った大廟(たいびょう)を参詣した時に、孔子が係りの人に参拝の手順をいちいち尋ねていたことを見た人は、その様子から、孔子は礼法に非常に詳しいと聞いていたが、本当は礼法に詳しくないのではないかと非難されます。しかし孔子はいささかも感情を乱すことなく「このように参拝の手順を訊くことが大廟(たいびょう)を参詣した時の礼法なのだ」と答えています。
 本項においても孔子が本来の礼法に従い君主に腰を低くして、丁重に接する姿を見た人が孔子を媚び諂っていると批判しています。孔子はもともと権力者にこのような弱腰の人ではないことが知られていましたし、孔子は、また、この時代を代表する礼法学者だと言われていますから、礼法を知らないことや礼法に反する行動をとるとはおよそ考えにくいとすれば、以下の二つのことが考えられます。その一つは批判している人を含め礼法なるものを習得している人は当時いなかった、その二つ目として、その当時、孔子自身、幾多の紆余曲折(うよきょくせつ)を得て高い地位についていましたので単なる嫉妬心から出たものの二種類が想定できます。
 リーダーにはとかく批判がつきものです。あること無いこと巷間(こうかん)で囁(ささや)かれます。非難には事実に基づき反論する必要がありますが、批判にいちいち反応していては君子の品格が疑われます。孔子は批判を無視していませんが、受け止めて礼法を実践したのでした。

 八佾篇第3―18「子曰く、君(きみ)に事(つか)うるに禮(れい)を盡(つく)せば、人以(もっ)て諂(へつら)えりと爲(な)す也(なり)

 師は言われた。「君(きみ)に事(つか)うるに禮(れい)を盡(つく)せば」君主に仕えるさいに礼法に則り、決められた通りふるまうと、「人以(もっ)て諂(へつら)えりと爲(な)す也(なり)」それを見ていた人は君主にへつらっているという。


 論語の教え58: 「リーダーはとかく批判されるものだ。批判されたくないならリーダーにならないほうがよい」

◆リーダーは批判や非難に異なる対応をすべきだ
 批判と同じような言葉に「非難」という言葉があります。明確な違いがありますので明らかにしておきたいと思います。批判は物事の良し悪しを論理的に判断することです。非難は相手の悪い点を責めることを言います。まず、リーダーは自分が批判されているのか非難されているのかを見極めましょう。
 批判されていると思ったら相手の見解に真摯に対応しましょう。非難されたら、相手の責め立てる理由を自己判断しましょう。思い当たる節があれば素直に正すことが筋です。しかし、思い当たる節もないのに、ただ貶(おとし)めるための非難なら話が異なります。相手と徹底的に戦うことになるでしょう。しかし、その場合でも相手によります。相手が品行方正(ひんこうほうせい)であれば謙虚に耳を傾ける必要があるかもしれません。もともと、品行方正な方が、ただ相手を貶めるだけで非難をすることはないと思われるからです。そうでない場合は、相手の邪(よこしま)な心を糺(ただ)すことに注力します。
 しかし、リーダーは、どんな場合でも、他人から誤解を受けるような言行は慎むべきでしょう。


シュンペーター像 出典:ウイキペディア

◆リーダーは批判や非難より無視されることが問題だ
 人は他から無視されるほどつらいことはありません。とりわけ、リーダーが無視されることは恐ろしい結果を生みます。あなたがリーダーとしての存在を認められていないことを暗黙的に示しているからです。リーダー個人の問題のみならず組織の崩壊にもつながります。
 あなたが組織の進むべきほう方向を示しても、メンバーは素直に従ってくれません。メンバーはリーダーが示した一定の方向ではなくバラバラに動き始めます。指示命令が機能しなくなり、組織の規律は維持されません。このようになってしまうとリーダーは無力です。組織は単なる群衆になってなってしまいます。従って、リーダーは批判や非難されている時に、メンバーに対して誠実な対応を目に見える形で示すことが極めて重要です。
 面従腹背という言葉があります。顔でリーダーに従いながら、心は従わないことを言います。それはリーダーには面と向かって反対意見を言えない(反対意見を言ったら不利益を被ることを知っている)から、表面的には従うふりをして実際には抵抗していることになります。専制主義的リーダーシップを発揮しているリーダーによく見られる傾向です。
 しかし、どんな絶対権力者でもただ権力だけで人を意のままに動かすことはできません。短期的に可能であっても長期的には不可能です。無視されない唯一の方策はメンバーと揺るぎない信頼関係をすることです。

◆リーダーは革新的な施策を推進すればするほど批判される
 革新的な施策には現状を否定するところから始まります。「革新」(イノベーション)という概念を生み出したオーストリアの経済学者ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは革新することを「創造的破壊」と言っています。新しい取り組みをすればするほど現状が破壊されていきます。大抵の人は現状安定を望みますから革新的施策を批判し反対します。
 これに対し、先見性のある人は将来の変化を洞察できますから、反対を押し切っても革新策を遂行します。企業は変化即応業です。企業経営者は自社を変化の波に乗せることができなければ永続的な発展など望むことができません。目先の利益に目を奪われ、戦略的投資を怠れば気づいた時にはどうにもならない窮地に追いやられることでしょう。この点に関しては批判に耳を傾けることは大事ですが、批判を恐れてはなりません。
 経営者の責任は事業の「将来構想構築、戦略的意思決定、執行管理」の三つです。企業は永続する存在です。世紀を超えて発展する企業を作り上げるためには革新無くして実現することはできません。
 どんなに批判されようと事業の定義を常に見直し、変化に対応でいているかどうかを検証することが大切です。(了)


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