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論語に学ぶ人事の心得第71回 「人から尊敬されたいと思うなら、たとえどんな状況になろうとも仁の心を離してはいけない」

 孔子は富貴になることを否定はしませんでしたが、それを目的化し追求することもしませんでした。
本項では明確にそのことを指摘しています。現代にも通じる話です。手段を択ばず利益を追求し、よしんばそれが実現したとしても財力で地位や名誉を買うことは、仁の徳義に反することである説いています。


出典:Bing

 人間の欲望には限りがないのは古今東西変わりません。財がない時はそれを求めて血眼(ちまなこ)になり、財ができれば、その財を背景にして権力を得ようと権謀術策の限りを尽くします。孔子はこのような人間の弱さを知り尽くしていました。目的のために手段を択ばないような人は少なくとも尊敬に値する人物ではないことを説き、弟子たちにもそのような人物になってはいけないことを本項で指摘したのです。
 
 里仁編4-5「子曰く、富(とみ)と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所なり。其(そ)の道を以(もっ)てせざれば、之(これ)を得(うる)とも処(お)らざるなり。貧(まず)しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以てせざれば、之を得(うる)とも去らざるなり。君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は食を終える間も仁を違うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。」
 師は言われた。「富(とみ)と貴(たっと)きとは、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほっ)する所なり」とは富むことと身分が高いことを人が欲しがるものだ。「其(そ)の道を以(もっ)てせざれば、之(これ)を得(うる)とも処(お)らざるなり」とは、しかし、正当な方法によらなければ、これを手に入れてもそこに安住するべきでない。「貧(まず)しきと賤(いや)しきとは、是れ人の悪(にく)む所なり」とは貧しいことと身分が低いことは人が嫌がるものだ。「其の道を以てせざれば、之を得(うる)とも去らざるなり」とは貴賤になった場合には正当な方法で抜け出せないなら、それから逃げてはいけない。
 「君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん」とは一角(いっかど)の立派な人は仁を離れてどうして名誉が成就できよう。「君子は食を終える間も仁を違うこと無く、造次(ぞうじ)にも必ず是(ここ)に於いてし、沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす」とは君子(一角の立派な人)はごはんを食べる間も仁から遠ざかることなく、あわただしい時でも必ず仁を離れない。つまずいて、倒れることがあっても仁を離れない。

論語の教え71:「リーダーにとり欠かすことのできない仁の心は日常の生活とともにある」
 ◆仁の心は頭だけでなく体全体で体現せよ。
 里仁4-3で紹介したように、孔子は「仁徳を体得した人だけが真に人を好み、人を憎むことができる」と述べています。この意味するところは、仁の心を体得したひとのみ人を正しく評価することができるということです。単に誰にでも優しくすることを仁者と言っているのではありません。もし、その人が品性下劣だったとしたらそれを憎んで厳しい態度で臨むということです。人を正しく評価する眼力を持っているかどうかが重要なのです。眼力とは人の本質を見抜く力を持っているかどうかです。言い換えれば、本質を見抜く目を持たないのに人の品定めを感情だけでしてはならないということです。孔子は誰に対してもこの姿勢を貫きました。たとえ、君主や貴族であっても直言し諫言しています。これは論語全体に通じる支柱となる教えの一つです。


出典:Bing

◆体得した仁の心は日常生活で習慣化せよ。
 五常はこれまでにも何回も紹介したように仁、義。礼、智、信のことです。その中で、仁と礼が密接につながっています。つまり、仁の徳義が行動に現れるのが礼だからです。社会生活を行う上で日常的に必要なことは礼です。礼は、人、時、場所によって使い分けるものではありません。また、礼の行為は断続的に行う者でもありません。さらに、礼はまた権威の象徴でもありません。礼は誰でも日常的に、継続的に行う仁徳の実践行動です。
 習慣化するには通常次のような原則があります。
 第一原則 目的明示の原則
 人は目的を分かち合い共感すればどんな苦痛でも耐えて実現のために耐えて行動する
 第二原則 重点指向の原則
 人も組織も数多くのことを同時に行うことが困難である。
 第三原則 業務一体化の原則 
 業務と習慣化しなければならない項目は一体にならなければ習慣化されない。
 第四原則 日常性の原則
 意識をせずに行動が先に来たり、その行動をしなければ、毎日が始まらないといった心理状態になることである
 第五原則 興味関心の原則
 興味関心がなくても実践してから、当初、想像できなかったような習慣化のパワーが生じる事例が多く報告されている。
 第六原則 フィードバックの原則
 フィードバックとは自分が認識できていな行動変容を構成員相互に伝えあうことをいう。
 第七原則 レビューの原則
 レビューを定期的に行わないとある時有効な習慣も環境が変われば悪習になる。
 ◆リーダーは仁の心を社会全体に伝播させよ。
 前項、里仁4-4でご紹介した松下幸之助氏の功績を改めて紹介しましょう。
 「仁」の心を組織に作り出し、自らも「仁」の心を体得し、そして、管理職に「仁」の心を浸透させ、ひいては組織全体を「仁」の組織風土まで構築できた経営者は、歴史上、松下電器産業株式会社(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏を超える経営者はいないのではないかと思います。前にも取り上げましたようにたった三人で起業した同社を今日の10万人を擁するグローバル企業にまで発展させました。折に触れ、経営理念を発せられ、おびただしい数の経営に関する著作を残し、「仁」の心を説いています。しかも第二次大戦直後、日本社会が混乱のさなかにあり、社会全体が混とんへと向かっているのか、秩序ある社会へと向かっているのか誰にもわからないときに社外にPHP研究所を設立しました。PHPとは、Peace and Happiness through Prosperity (繁栄によって平和と幸福を)という英語の頭文字をとったものだそうです。名前もおしゃれですが、PHP研究所の理念がもっと素晴らしいと思います。
 中国の開放政策を推進した鄧小平氏が来日し、同社のテレビ工場を視察されたとき、開放政策への協力を要請されました。松下氏は快諾されました。自らも北京に出向き中国の状況を視察され当時の中国のリーダーに多くの助言をされました。中国近代化に対して多大の貢献をされたと思います。
このような偉大な先達の功績に思いを馳せながら、今日、我々に何ができるだろうと考えることもリーダーには必要なのではないでしょうか。(了)


論語に学ぶ人事の心得第70回 「仁は大切な徳義だが、真摯に学べば手に入れることができる」

 孔子は、本項では「仁」を志せばこの世の中から悪事は無くなると言い切っています。
 非常に短い文章の中に、孔子の強い意志が感じ取れる内容です。前項では孔子は「仁」を極めることは安っぽく愛情を振りまくことではないと述べていました。だから、感情を抑制することなく善い人には善い人として評価し、品性の下劣な人には厳しい態度で臨むことを説きました。


図 1孔子像:出典Bing

 他人の善悪を見極めるには、それなりの修行を経て眼力を習得しなければなりません。しかし、本項では「仁」はそんなに手の届かないところにあるのではなく、自分さえ求めれば手に入れることができるとも述べています。論語の述而編7-29に「子曰く、仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、ここに仁至る」との記述もあります。
 確かに、「仁」という高度な徳義は一般人のみならず高い志をもつ弟子にとっても手の届かないものだと尻込みするものだったに違いありません。そんなことを察知した孔子が真摯に励めば手中にできることを折に触れ説いたのです。

 里仁編4-4「子曰く、苟(いやし)くも仁に志(こころざ)せば、悪(あ)しきこと無きなり」
師は言われた。「苟(いやし)くも」とはもし少しでも~すれば。「仁に志(こころざ)せば」とは仁を志せば。「悪(あ)しきこと無きなり」とは悪事はこの世の中から無くなる。

 論語の教え70:「仁のこころが組織に浸透すれば、その組織は衰退することはない」

◆どんな小さな組織であっても「仁」の心が組織風土として根付けば構成員は幸せになれる。
 まず、組織風土とは何かについて述べておきたいと思います。組織の全員が暗黙に合意している価値観のことです。会社の規則を守ろうとする組織風土が組織の隅々まで浸透していれば、その組織は規律正しい組織運営ができます。ところが、会社の規則が制定されている組織であっても実態はその規則が形骸化していることがよくあります。このような会社では、就業規則上始業が毎朝8時半と決められていても毎日遅刻する人が後を絶ちません。「私一人くらい遅刻しても会社に何の影響もない」と自分勝手な解釈で毎日遅刻する人がいたとすると一人だった遅刻者が複数あるいは二けたの複数になることはまず間違いありません。
 これらの現象には組織に欠落している二つの重要なキーワードがあります。第一は「悪しき慣行」ということです。悪しき慣行は組織の中にダブルスタンダードが存在することです。規則と実態が長年放置されたまま続くことによって生じます。いったん根付いてしまった悪しき慣行はそれを是正することが極めて困難になります。第二は「見て見ぬふりをする」ことです。規則違反をしていることはその組織の多くの人が知っているのです。でもいろいろな理由でだれも該当者に注意することをしません。基本的な理由としてはその組織には信頼関係が存在しないことから生じます。注意して逆切れされても困るということから周りは触らぬ神にたたりなしです。また、とにかく、自分が与えられて仕事だけをしていればいいのだという無関心派と言われる人もいます。「悪しき慣行」も「見て見ぬ振り」もすべて最初に小さな違反行為から始まります。それが次第にエスカレートしてしまうのです。
 一方で、組織の構成員がたとえ一般社員であっっても会社を代表しているように行動している活性化された組織もあります。お客様の苦情にも真正面から受け止め、お客様の立場に立って解決行動を起こしています。自己の職務責任や業務目標も自己認識しています。その責任を全うし、指示されたことだけでなく自主的に目標設定し目標達成行動を起こしています。上司からは職務遂行に対する介入はほとんどありません。任された仕事はすべて自由裁量で行うことができます。まさに、達成動機で構成された集団が維持されているのです。このような組織を「仁」が根付いた組織風土と言えると思います。
 
 ◆「仁」が組織風土として根付くのは何よりもリーダーが「仁」の徳義を体得することだ。
 それでは、どのようにすれば仁の心を育み根付かすことができるのでしょうか。私はこれにはリーダーの役割が大きいと思います。とりわけ、トップリーダーの役割は大きいと思います。しかしながら、トップリーダーだけではありません。組織の規模にもよりますが中間管理職のリーダーシップが第一線の職場風土形成に重要な役割を果たすからです。
 経営者は組織風土の基(もと)になる経営理念を制定します。しかし、それだけでは十分ではありません。作った理念を浸透させなければ前述の悪しき慣行が生じてきます。そこで重要な役割を果たすのが管理職です。上位者である経営者は経営理念を創ることに重要な役割を果たしますが組織に浸透させるには無力と言わざるを得ません。私は会社の方針が末端まで浸透しないと嘆く経営者に幾度となく出会いました。これには二つの特徴があります。一つの特徴は専制的経営者で自己の力を過信している経営者です。二つ目は人材育成に関心がなく、指示されてことしかできない管理職に囲まれている経営者です。企業の規模からいうと圧倒的に多いのが小規模企業です。これらの企業では、短期的な企業の業績確保に辣腕をふるっているのですが長期的視野に欠けています。人を育成することには無関心でもあります。
 組織を健全に維持発展させるには、まず、トップリーダーが自らの仁徳を高めることに努力すべきであると思います。しかる後に、自分の直属部下である管理職に仁の心を根づかせることで組織は間違いなく維持発展すると思います。

 ◆「仁」の心が自然に組織に浸透するのではない。浸透させる努力が必要だ。


松下幸之助氏と鄧小平氏:出典Bing


 「仁」の心を組織に作り出し、自らも「仁」の心を体得し、そして、管理職に「仁」の心を浸透させ、ひいては組織全体を「仁」の組織風土まで構築できた経営者は、歴史上、松下電器産業株式会社(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏を超える経営者はいないのではないかと思います。前にも取り上げましたようにたった三人で起業した同社を今日の10万人を擁するグローバル企業にまで発展させました。折に触れ、経営理念を発せられ、おびただしい数の経営に関する著作を残し、「仁」の心を説いています。しかも第二次大戦直後、日本社会が混乱のさなかにあり、社会全体が混とんへと向かっているのか、秩序ある社会へと向かっているのか誰にもわからないときに社外にPHP研究所を設立しました。PHPとは、Peace and Happiness through Prosperity (繁栄によって平和と幸福を)という英語の頭文字をとったものだそうです。名前もおしゃれですが、PHP研究所の理念がもっと素晴らしいと思います。

 第1は、過去において私たちの先人たちが、人生や社会など、人間に関するあらゆる問題について積み重ねてきた思索と体験を、有効適切に生かしていきたいということ。
 第2に大切にしたいのは、先人の方がたの成果に、お互い現代人の知恵を加え、新たな創造を生み出していくという姿勢です。
 第3には、以上の2つの姿勢を基本としつつも、お互いに何物にもとらわれない素直な心で、人間の本性、本質を究め、いわゆる天地自然の理、真理というものを究めていきたいということ。以上三つを基本姿勢としています。(出典:同社HP)
 戦後の日本人は戦前の価値観の崩壊から、何を信じて生きていけばいいのかアイデンティティを喪失していました。PHP研究所の設立を通じて自社だけでなく、社会全体に自信と生きる目標を与えたかったのかもしれません。
 このような偉大な先達とまでいかなくとも、リーダーはトップであれ、ミドルであれ自分の行動だけでなく組織全体を巻き込むことが仁の心を組織に浸透させる要諦でもあろうかと思います。(了)


論語に学ぶ人事の心得第69回 「仁を極めた人は自らの感情を抑制することなく摂理に適った行動をとることができる」

出典:Bing

 本項は「仁」に関する具体的な行為を明らかにしたものです。孔子が自らを自らが語っているようにともとれる内容になっています。「摂理」とは、この世界に存在するあらゆるものを支配する法則のこと言います。 「生きているものはいつか死ぬ」といったように、自然に存在するもの全てに、等しく適応される法則を指します。人が逆らうことのできない、そうあるものだと受け入れるべき事象のことです。
 ここまで言及できるのは、仁者には慈しむに足る人物や憎むに足る人物を見抜く眼力が備わっていることになります。だから、「あの人がそういうなら」とみんなが納得するのです。世間は嫉妬の海と言われるほど嫉(そね)みや妬(ねた)みが渦巻いています。このような中で人をあげつらったり、貶めたりしても周りは納得しません。
 本項で孔子は仁の徳義を積めば納得してもらえるのだと説いているのです。ここでこれまで説いてきた「仁」の概念を人の行為として具体的に明示したものと言えます
 里仁篇第4―3「子曰く、惟(ただ)仁者(じんしゃ)のみ能(よ)く人を好(この)み、能(よ)く人を悪(にく)む。」
 師は言われた。「惟(ただ)仁者(じんしゃ)のみ能(よ)く人を好(この)み」とは、唯一仁者すなわち人間に対する誠実な思いやりを持つ人だけが人を愛することができる。「能(よ)く人を悪(にく)む」とは仁者だけが品性下劣な人を憎むことができる。

 論語の教え69:「徳を積むには自然の摂理に適っていると言われるまで極めよ」



◆「仁」を極めれば人の本質が見えてくる
 孔子がいう「仁」とは盲目的に誰に対しても愛情を振り向けることではありません。自らの感情を抑制することなく、善い人には愛情をもって接し、品性下劣な人間には厳しい態度で臨むという摂理に適った行動をとれる人のことを言います。
 言葉を変えて言えば、孔子は「仁」を修め、体得すれば相手がどんな人かその人の本質が見えてくると説いているのです。よく純粋な人には邪(よこしま)な人が見えてくると言います。この言葉も同じような意味です。他人(ひと)は、なかなか、複雑で理解するのが難しいという言葉も聞きます。これは、孔子の説く「仁」や「純粋」といった清らかな基準を習得していないからではないでしょうか。
 昔から、「水清ければ不魚住」とか「清濁合わせ飲む」とかの格言があります。まるで、純であることがよくないことのような言葉が残されていますが、私は究極の徳である「仁」や個人として純粋な気持ちを持ち続けることは人生の旅路な必需品のように思えます。それは、人生の様々な不祥事や事件、事故に巻き込まれないためです。

◆他人を品定めする前に自己に問いかけなさい
 私たち人間は、とかく他人(ひと)のことを話題にするのが好きな動物のようです。古(いにしえ)の時代から、男が寄れば女性のことを話題にし、女が寄れば、男のことを品定めします。人を評価するこの習性は、古今東西、今昔を問いません。この中から悲喜劇も生まれました。
 しかし、私は「他人を指さす前に自分を顧みなさい」と言いたいと思います。自分は全(まった)き人間でもないのに、他人(ひと)に対して全(まった)き人間であることを求めています。最近、不寛容ということが流行しています。他の価値観を受け入れないという社会的断絶から、自分と異なる価値観を持っている個人または集団を否定することです。ダイバーシティ(多様性)という言葉も流行(はや)っています。両者は真逆の概念です。この地球上の植物を含めすべての生き物は多様性の中に生きていることを忘れてはなりません。
 他人を指させば後の三本の指は自分に向かっているという言葉もあります。言葉の遊びをするために持ち出したのではありません。物事が順調に運んでいるときはいいのですが、逆風になった時や失敗に終わった時に、責任を他者に押し付けようとします。他者に責任を転嫁するまえに自己反省をすることの大切さを説いている言葉です。

◆「仁」を極める道のりは遠く、そして険しい
 「仁」を語るのは易し、行うは難しだと思います。孔子が73年の生涯をかけて築き上げたものを普通の人が悟れるとは思えません。私はここで大切なことは五常(仁・義・礼・智・信)を包括的に人生の目標として掲げ一つでも昨日より今日、今日より明日の自分が変れることを目指すことが大切だと思います。このプロセスを実践することが「仁」の悟りを極めることにつながるのではないでしょうか。
 繰り返します。他人をとやかく言う前に自分がどうかということを自問してください。仁者でもないあなたの他人(ひと)の品定めには納得する人はまずいないでしょう。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第68回 「人生の安住の地は仁(じん)の境地を切り開くことだ」

孔子像:Bing

 孔子は逆境の人でした。出自も恵まれたものではありませんでした。ここで再び孔子の生涯を振り返ってみましょう。
 紀元前552年に、現在の山東省曲阜(きょくふ)で鄹邑大夫の次男として生まれました。父は既に 70歳を超えていました。名は叔梁紇(しゅくりょうこつ)または孔紇(こうこつ)とも言いました。母は身分の低い16歳の巫女であった顔徴在(がんちょうざい)です。
 父は三桓氏のうち比較的弱い孟孫氏に仕える軍人戦士で、たびたびの戦闘で武勲をたてていました。沈着な判断をし、また腕力に優れたと伝えられています。
 また、『史記』には、叔梁紇が顔氏の娘との不正規な関係から孔子を生んだと記されています。出生に関しては諸説あるものの、いずれにしても決して貴い身分では無かったようです。
孔子は私生児ではありませんでしたが、嫡子ではなく庶子であったようです、孔子はのちに「吾少(わか)くして賎しかりき、故に鄙事に多能なり」と語っています。
 孔子は3歳の時に父の叔梁紇を失い、母の顔徴在とともに曲阜の街へと移住しました。17歳の時に母も失い、孤児として育ちながらも勉強に励んで礼学を修めました。しかし、成長してから、どのようにして礼学を学んだのかは分かっていません。
 そのためか、礼学の大家を名乗って国祖の周公旦を祭る大廟に入ったときには、逆にあれは何か、これは何かと聞きまわるなど、知識にあやふやな面も見せているが、細かく確認することこそこれが礼である(八佾3-15)との説もあります。


 弟子の子貢はのちに「夫子はいずくにか学ばざらん。しかも何の常の師かあらん。(先生はどこでも誰にでも学ばれた。誰か特定の師について学問されたのではない)」(子張篇)と答えました。
 孔子の生活は、明るく楽しいものでは在りませんでした。姉もたくさんいて、足の不自由な兄もいました。
 紀元前538年に15歳の孔丘が学に志しています。
 紀元前534年、孔子19歳のときに宋の幵官(けんかん)氏と結婚します。翌年、子の孔鯉(字は伯魚)が誕生。
 紀元前525年、28歳の孔子はこの頃までに魯に仕官し、まず倉庫を管理する委吏に、次に牧場を管理する乗田となりました。
 ここまで幼少時代からの孔子の生い立ちを振り返りました。青年時代からの生い立ちは後述することとしますが、儒教を開祖し現代にまでつづく大思想家ですからよほどの天才なのではないかと思われがちですが、ごく普通に生まれ、逆境に鍛えに鍛え抜かれて王道を歩むこととの大切さを悟ったのだと思います。
 里仁篇第4―2「子曰く、不仁者(ふじんしゃ)は以(もっ)て久しく約(やく)に処(よ)るべからず。以(もっ)て長く楽しきに処(よ)るべからず。仁者(じんしゃ)は仁に安(やす)んじ、知者は仁を利とす」
 師は言われた。「不仁者(ふじんしゃ)は以(もっ)て久しく約(やく)に処(よ)るべからず」とは仁徳を持たないものは長らく困窮した生活に耐えられず、「以(もっ)て長く楽しきに処(よ)るべからず」とは長らく豊かな生活を送ることもできない。「仁者(じんしゃ)は仁に安(やす)んじ、知者は仁を利とす」とは仁徳を体得した人は仁の境地を切り開き、そこに落ち着く。優れた知性を持つ人は仁を自分の成長に役立たせる

 論語の教え68:「心の豊かさを持ちなさい。真の豊かさは物質的豊かさでない。心の豊かさだ」

 ◆不仁者になってはいけない。ながらく貧乏な生活を続けると良からぬ行為に走り、長らく豊かな生活を続ければ傲慢になる。


 不仁者とは仁者の反対の人です。人をいつくしみ優しさを以て人に対応できない人のことを言います。経済的に貧しい時には、豊かになるために手段を選びません。そして、必死になってつかみ取った富を獲得した暁には、それを減らさないように執心し、さらにその富を増やすために、人々を苦しめます。物質的貧富はその人の徳によって毒にもなり薬にもなるのです。孔子は仁の追求に生涯をささげた人でした。多くの弟子に仁者としての生き方を説いてきました。3000人ともいわれる弟子が慕い続けたのも孔子の一貫した仁者としての生き方を目の当たりにしてぶれなかったことではないかと思われます。
 ◆物質的豊かさを追求すればするほど安住の地が無くなり不安が高じてくる。
 通常、人は物質的に豊かになると、蓄積した財産を減らさないための行為に走ると言われています。夜、寝ても財産を減らしてしまう夢を見、目が覚めても、どうすれば財産を減らさないようにできるかを考えます。寝ても覚めても財をめぐる不安が高じてくるのです。不仁者になれば、本項で取り上げたように、徳を鍛錬するのではなく、現状に耐えられなくなります。
そんな人生では幸せな人生と言えません。
 心の豊かさを追求する結果として物質的豊かさが実現できれば真の豊かさの実現になるのではないでしょうか。

 ◆他人と自己を比較することを人生の生きる目標にしてはならない。人生の目標はあくまでも自己を鍛錬することである。
 人生は他人の生きざまを比較しながら送るのではありません。あなたの人生はあなたが責任を以て豊かな生活を実現することです。他人との比較の中で優越感を感じたり、劣等感を感じるのはもうやめにしませんか。
 それらには何の意味もないからでです。そんな暇があったら、自分を磨く努力をすることです。見聞を広めるために旅行することです。人生は旅に例えられることがよくあります。未知との出会いが人生を豊かにしてくれます。孔子も弟子とともに知見を広めるためのたびを生涯つづけました。(了)


論語に学ぶ人事の心得第67回 「人間は環境の動物だ。仁の気風のある所に住めば仁者になれる」

 本項から第四篇「里仁」が始まります。
 「仁」は五常の最初に出てくる徳義です。「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことです。誠実な思いやりや人間愛などいろいろな要素を包括しています。
今や、人間は環境の動物であることはだれも疑わない事実ですが、この時代に、孔子が環境の動物であるがゆえに仁者の気風のある場所を選んで住むことは知者として大切なことであることを喝破していることに驚きを禁じえません。


孟子像 出典:Bing

 実は孔子は他の編でも環境が人間に与える影響について言及しています。儒教では、現在確立されている社会心理学的視点にも深い関心を寄せていたと思われます。
 環境の大切さに関して「孟母三遷の教え」という有名な故事があります。教育には学ぶ環境が大切であるという教えです。また、教育熱心な母親の例えでもあります。孟母とは孟子の母親のことです。孟子の一家は、最初は墓地のそばに住んでいましたが、幼い孟子が葬式のまねごとをするので、母はそれを嫌い、市場の近くに引っ越しました。ところが、今度は孟子が商人の駆け引きのまねをするようになったので、また引っ越します。今度の住まいは、学校のそばでした。孟子も学校で教えている礼儀作法をまねるようになったので、母は、これこそ教育に最適の場所だと考えて定住しました。
 後に偉大な学者となる孟子は「性善説」を唱えた人です。孔子の孫である「子思」の門人に学業を受けたとされ、儒教では孔子に次いで重要な人物とされています。
 人は生まれながらにして悪人も善人もいません。育った環境によって長じてから様々な人格形成をへて悪人になったり、善人になったりするのです。孔子が生きた時代は身分制度がはっきりしていた時代です。一方、社会全体は下剋上の時代でもありました。下剋上とは下位身分の者が上位身分を倒し権力を奪取することです。まさに動乱の時代です。秩序が激しく入れ替わっていたものと思われます。
 だから、できるだけ住む環境が生育に良いところを選択することが大切であることを強調したのです。とりわけ、孔子は需家思想として環境の大切さを説いています。

 里仁篇第4―1「子曰く、仁(じん)に里(お)るを、美(よ)しと為す。択(えら)んで仁(じん)に処(よ)らずんば、焉(いずく)んぞ知なるを、ん」
 師は言われた。「仁(じん)に里(お)るを、美(よ)しと為す。」とは集落は仁の気風があるところがよい。「択(えら)んで仁(じん)に処(よ)らずんば、焉(いずく)んぞ知なるをん」とは住まいを選ぶ場合も仁の気風があるところに安住できなければ、どうして知者といえようか

論語の教え67:「リーダーの最大の任務は自発的に学ぶ環境を作ることである」

◆自発的に学ぶ組織とは?
 「そもそも組織とは何ぞや」というところから話を進めたいと思います。組織には、必ず目的と目標があります。そして、それらは一人で達成できませんから、人々の協力を得ることになります。組織とは基本的に人の集団のことです。そして、組織には必ずリーダーがいます。リーダーのいない集団は組織とは言いません。それは単なる群衆だからです。組織のリーダーは組織の発展に伴い、一人のリーダーで統率できなくなります。リーダーの統率能力により組織は小さく分割されます。そのほうがきめ細かく組織を管理することができるからです。
 ところで、個人も組織も生き物です。個人と同じように元気な時もあれば病気にかかる時もあります。能力の高い組織もあれば、能力の低い組織もあります。
 なぜ、組織が元気で無くなったり、病気になったりするのでしょうか?
 それは組織を取り巻く環境が大いに関係しています。組織は環境変化に適応できなければ必ず元気をなくし病気になります。環境適応できなければ組織の目的や目標を達成できなくなるからです。組織の病気とは烏合の衆となり組織全体が目標を見失い無気力になることです。
 また、病気になりやすい組織の最大の特徴は考えることを放棄してしまった組織です。この組織は自ら学ぶことが忘れてしまっています。環境変化を自らの肌感覚で察知し、誰に言われるまでもなく自らを自発的に変化に即応できる組織こそ最強の組織ということができます。

◆自発的に学ぶ組織はどのようにすれば作られるか?
 私たちは組織というと個人に目がゆきがちですが、大切なことは個人の能力と組織能力をバランスよく向上させることです。組織能力を向上させませんと個人能力をいくら向上させようとしても無理が生じます。
 そのからくりをお話ししましょう。ある一人の人が非常に熱心に勉強して、多くの知識を得てその職場に活用しようとしたとします。周りの人が無関心であったら何の成果もあげられませんし、周りから反対でもされたら一人浮かされてしまいます。組織能力は目にも言えませんから気づきにくいのですがその組織を左右するほどの大切な存在です。
 では、組織能力とは何でしょうか?
 組織能力とは組織内の個人のモチベーションや行動に影響を与える仕組みや規範のことです。仕組みとは制度や規則のことで可視化されていますが、厄介なのは規範です。規範は目に見えない慣行や職場風土を指しています。一人だけやる気になって、どんなに頑張ってもほかの人が無気力だったら、その組織は無気力になってしまいます。
 では、どうすればよいのでしょうか?
 その組織に大きな影響力を持っているのはリーダーです。そのリーダーシップにより組織は蘇ったり萎えてしまったりします。リーダーとメンバーとの信頼関係が組織の自発性を決めると言っても言い過ぎではありません。


ピーター・センゲ 出典:Bing

◆自発的に学ぶ組織の構成員の価値観は?
 ピーター・センゲという米国のマサチューセッツ工科大学の教授によりますと自発的に学ぶ組織には以下のような特徴があります。
第一に互いに力を伸ばし心から望む結果を実現する組織です。
第二に革新的で発展的な思考パターンがはぐくまれている組織です。
第三に共通の目標に向かって自由に羽ばたく組織です。
第四に共同して学ぶ方法を絶えず学び続ける組織です。

 より詳しく知りたい方はセンゲの著書「最強組織の法則」五つのディシプリンをぜひお読みください。

 これらの組織に共通するのは、まず、
 第一に過去にとらわれるのではなく未来志向であるということです。以前にも述べたことがありますが、過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられるということです。
 第二に、自分だけでなく周りを巻き込んで成長していくことです。前述したように自分一人が成長しても組織には何の影響を与えることもできません。周りとともに成長することこそ組織を成長することにつながるのです。
 第三に何事にも先入観を持たないことです。物事を色眼鏡で見まてしまいますと事実を隠してしまいます。
 ここで注目すべきことはこれらの組織は自然にできるのではなく、組織の構成員の意識的な行動の習慣化で初めて実現できることを忘れてはならないことです。(了)


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