15ページ目

論語に学ぶ人事の心得第八回 「上に立つリーダー心がけ次第で企業文化や組織風土が形成される」

 曾子は学而1-4に登場した人物です。毎日三度、自分の行ったこと―仕事にあたって誠意で取り組んだだろうか? 交友で約束を破らなかっただろうか? 知り得たことを実践しただろうか?と反省していると述べたあの弟子です。姓は曾(曽)、名は參(参)、字は子輿。後世、尊称して曽子と呼ばれるようになりました。孔子と同じ魯国出身、親子二代にわたり孔子に指導を受けました。曽子は孔子より46歳年少でした。孔子の存命中は師からあまり評価されなかったようですが、孔子の没後一門のリーダー的存在になります。通常は先生という意味での子という言葉は使われないのですが曾子という尊称がつけられているのは孔子の孫・子思の師匠だったためと伝えられています。

 学而1-9「曾子(いわ)曰く、終(おわり)を愼(つつし)み、遠きを追わば、民の德厚きに歸り矣(たら)ん。」
 「終(おわり)を愼(つつし)み」とは為政者が人生の終末を大切にして亡くなった人を弔うこと。「遠きを追わば」とは先祖を敬い、祀り事をおこなうこと。「民の德厚きに歸り矣(たら)ん」とは人民は先人を大切にする為政者の徳を多として社会全体に風潮が広がってゆくこと。

 論語の教え9:「いつの時代にも、上に立つリーダーが創業の原点を忘れず、行動すれば社員はおのずとそれに従い、やがては優れた組織風土になる」

 上に立つリーダーの五つの条件に付いて前回述べました。今回の教えはリーダーの行為はやがて組織全体に浸透してゆくことを述べています。
 組織ができるとそこには必ず風土が形成されます。風土とはその構成員を拘束する価値観のことです。社会の最小単位である家には家風があります。企業には企業風土があります。地域にも、国にも文化という名の風土が存在します。風土というと空気見たいなもので目に見えないからなかなか気付き難いのですが、異なった風土の間には淡水と塩水くらいの違いがあると言ってもいいでしょう。所属する組織風土に馴染むには必至に努力しても相当の時間が求められます。
 それは風土間を移動すればよくわかることです。転職すれば前職と現職の組織風土の違いに相当強いストレスを感じます。子供の転校でいじめの問題が発生するのも風土の違いから発生していることです。すべて価値観のぶつかり合いが原因となって人間関係の軋轢となって組織全体の不協和音を発生させています。

 それでは誰が組織の風土形成者なのでしょうか?
 組織の長と名のつく人が風土を作っているのです。どんな小さな組織でもその組織のリーダーが風土すなわち価値観を作っています。家では家長である人が家風を作っています。会社では会社の最高責任者であり権威者である会長や社長といった役職者が風土形成者です。国であれば為政者です。営利、非営利を問わずこの定義が当てはまります。
 リーダー以外の個々人が風土形成者であることはまずありません。

 徳のあるリーダーこそよき風土形成者である。
 リーダーの優れた特性が自分を成長させるだけでなく、組織全体に影響していることを考えて行動する必要があります。なぜなら、組織全体の盛衰に多大の影響与えるからです。
 家の盛衰は家長が握り、企業の盛衰は会長や社長が握っています。
 古今東西の不変の真理はリーダーこそ組織の命運を握るキーマンだということです。時代とともに何を即応させ、何を堅持するか胸に刻みながら行動することが求められます。
 それができる人こそ真のリーダーだと言えると思います(了)


論語に学ぶ人事の心得第七回 「上に立つリーダーの五つの条件」

 この論語に学ぶ人事の心得の最初に述べましたように、孔子は思想家であり政治家でありました。儒教の開祖であり、出身の魯国の大司冠に上り詰めた人でもありました。
 しかし、それだけなら歴史に名を遺した人物として評価されるだけにとどまったでしょう。何より孔子が2500年の時空をこえて、今日まで燦然と輝き続けているのは教育者として多くの弟子を育て、さらに、その弟子が弟子を育てるというように「知の大河」ともいうべき人脈を作り上げ、中国だけでなく世界に知のゲノムとなって脈々と受け継がれてきた最大の功績者であったからだと思います。
 今回取り上げる教えには孔子の教育者としての面目躍如たる側面が表れています。

 学而1-8「子曰く、君子重(おも)からざれば則ち(すなわち)威(おごそか)ならざれ。學(まな)ばば則ち固(かたくな)ならざれ。忠(まごころ)と信(まこと)主(まもり)り、友の己に如(し)かざる者を無からしめよ。過ちては、則ち改(あらた)むるに憚(はばかる)る勿れ」

 「君子」とは学而編の最初に出てきた言葉。孔子が弟子に求める目標とする人物像のことでひときわ立派な人物を指す。「重からざれば則ち威(おごそか)ならざれ」の意味は他人から重々しく見られたなら威張らないということ。「學ばば則ち固(かたくな)ならざれ」とは学問を修めれば頭が柔軟になり頑固ではなくなること。
 「忠(まごころ)と信(まこと)主(まも)り」とは自分を偽らず誠実に生きること。「友の己に如かざる者を無からしめよ」自分より劣る人を無くすことに努めること。過ちては則ち改(あらた)むるに憚(はばかる)る勿れ」間違ったときには潔く過ちを認め改めること


論語の教え8:「上に立つリーダーの五つ条件とは?」
1.リーダーは権威で部下をリードするな。
2.リーダーは常に自己啓発を怠るな。
3.リーダーは無私無欲で仕事に専念せよ。
4.リーダーは自分より劣っている他者を育成せよ
5.リーダーは過ちを素直に認め改めよ

第一の条件 リーダーは権威で部下をリードするな。
 リーダーが部下を統率することはあくまでも自分の目標や職責を果たすために部下に協力を求めることです。権威を振りかざして部下に威張り、扱使(こきつか)うことでありません。パワーハラスメントと最近になって言われ始めましたが上司の権限を振りかざして、部下に罵詈雑言を浴びせ、精神的苦痛を与えるばかりか死に至るまで追い詰めるような事件が現代産業社会において多発しています。人間としてのあるまじき行為で、まったく言語道断です。立派なリーダーほどその穏やかな人柄で気持ちよく部下の協力を引き出さなければならないとの教えです。

第二の条件 リーダーは常に自己啓発を怠るな
 リーダーが学ぶことをやめたらその組織はそこから退歩が始まります。学ばないリーダーほど知ったかぶりをし、自分のことはさておいて、部下の能力不足を挙げへつらうようになります。部下の能力不足を嘆いているリーダーがいたら、そのリーダーは自分の勉強不足と成長が止まっていること自ら言いふらしていると断定してもまず間違いないと思います。リーダーが学ばないことは本人だけでなく組織全体に影響を与えるだけに大きな問題です。自己を成長させることの責任意識を無くし学びたくないならリーダーをやめるべきです。

第三の条件 リーダーは無私無欲で仕事に専念せよ
 リーダーは私利私欲のために地位に就くのではありません。あくまでも組織の目的や目標を遂行し、達成するための責任を果たすためにリーダーの地位に就くのです。その結果、成果を得ることができれば、貢献度に応じて経済的報酬を得ることができます。経済的報酬を先に求めるのは本末転倒と言わざるを得ません。現代においても経済原則を第一動機づけ要因として考えている人が多くいますが間違いです。とりわけ、リーダーの地位に就く人はこの考えを捨てる必要があります。

第四の条件 リーダーは自分より劣っているものを育成せよ
 第二条件と関連しています。自己啓発をしているリーダーは部下を常に適材適所に配置することを念頭に置いて日常の仕事を行っています。また、部下の不足する知識や技能の発見に努めるとともに職務が求める要件とその本人の能力とのギャップを具体的に把握することで部下一人ひとりの育成計画を頭に描いて仕事を与えたり、指導を行っています。孔子が「友の己に如(し)かざる者を無からしめよ」と弟子に行っているのは能力が劣っているのがわかっていながらそのことの目をそらすのではなく手助けすれば一本の木が成長して複数になり、林となって周りに潤いを与えることになります。そして、それがやがては緑に覆われた深緑の森へと発展します。一本の木も、一人の人間も同じように成長して組織が社会になり国へと発展するのだと教えているのです。全体を良くしようと思えば、まず、身近な個人から着手せよとの教えだと受け止めましょう。

第五の条件 リーダーは過ちを素直に認め改めよ。
 リーダーといっても全能の神でありません。しばしば過ちを犯します。過ちを犯したら素直にそれを認め反省して2度と同じ過ちを犯すなという教えです。過ちを犯しても部下に責任を転嫁するリーダーもいます。そういうリーダーほど成功すると部下の成功を横取りするのです。上に立つ人の風上にも置けないリーダーがこの世の中には結構いるものです。

 私見を一つ述べさせていただきます。大きな成功を収めている人は小さな失敗を何度も繰り返しますが同じ失敗を二度としません。そして、数多く失敗したことから多くのことを学び成功につなげていることです。成功している人は失敗をしても致命的な失敗はしていません。
 一方、大きな失敗をしている人は大きな成功を何回も繰り返して実現しています。そして、成功したのと同じ理由で大きな失敗をしてしまっています。
 心当たりのある方もいるでしょう。一体、なぜだと思われますか? 考えてみて下さい。(了)


論語に学ぶ人事の心得第六回 「見かけの学歴よりその本人の真の能力を見抜き用いる」

 子夏は学而1-3に出てくる曽子と同世代の人で孔門十哲の一人です。孔子より44歳若く、子夏は字、姓は卜(ぼく)、名は商(しょう)と言いました。師をうならせるほどの文才の持ち主だったと言われています。
 孔門十哲とは孔子の高弟には70名ほどの秀才がいましたが、その中でとりわけ優れた弟子の十名を指します。これからもこの論語にしばしば登場する人たちです。
 顔回(がんかい)、閔子騫(びんしけん)、冉泊牛(ぜんはくぎゅう)、仲弓(ちゅうきゅう)、宰我(さいが)、子貢(しこう)、冉有(ぜんゆう)、子路(しろ)、子游(しゆう)、子夏(しか)の十名です。この人たちの人となりは登場したときに紹介します。


 学而1-7「子夏曰く、賢を賢として色に易へ、父母に事へて能く其の力を竭し、君に事へて能く其の身を致し、朋友與交るに言ふ而信有らば、未だ學ばずと曰うと雖も、吾れは之れを學びたりと必ず謂ふ。

 「賢を賢として色に易へ」とは賢者を敬い美女を遠ざけること。「父母に事へて能く其の力を竭し」は父母への孝行に力の限りを尽くすこと。「朋友與交るに言ふ而信有らば」は友人との交際で自分の言ったことに誠実であること。「未だ學ばずと曰うと雖も、吾れは之れを學びたりと必ず謂ふ」は正式な学問を受けていなくても私は学問のある人と認める。


論語の教え7:「見かけの学歴よりその本人の真の能力を見抜き用いる」
◆公正な人事を怠るな
 高い学歴を有する人はそれなりの才能や努力した成果を示しているので認めるべきですが、だからと言って学歴のある人はすべて有能で社会に貢献していると言い切れることではありません。
 「ハロー効果」という言葉があります。ハローとは後光がさすことを言います。後ろから光が差し込むとその人を際立たせることからこの言葉が用いられます。現代風に言いますとどこの国においても最高学府と言われる入学に最難関の学校を卒業したという学歴を見ただけで有能だと信じ込むこととです。
 ハロー効果はほかにもあります。親の職業を見てその人の子供にも才能があると鵜呑みしてしまうことです。

◆採用を軽く見るな
 人にはいろいろな事情によって正式な学校教育を受けられない人がいます。
 だからと言って、その人に社会に出て能力を発揮できないかというと全くの別問題です。知っていることとできることと混同してはいけません。社会に出て必要な能力は習得したことの応用力と実践力です。また、その組織への適応能力と適材配置ができるかどうかで決まります。それを判定するのが入社の第一関門である採用試験です。
 人事は採用に始まり採用で終わるという言葉があります。採用で入社後の人事管理のすべてが左右されるという意味です。とりわけ幹部社員の採用は会社の根幹を揺さぶるほどの影響力を与えます。
人の才能を見抜くのは人事の最高技術の一つです。
 採用の失敗は教育訓練でカバーできず、会社にとっても社員にとっても不幸なことをも意味しています。


論語に学ぶ人事の心得第五回 「学習をして知識を習得する前に人間としての徳を磨く」

 孔子は思想家でありましたが何よりも特筆すべきことは実践家だったことです。論語で取り上げられている教えはすべて実践の中から体得したことを弟子に説いています。
 現代風に言えば自ら体得した経験法則を弟子とともに共有したとでも言っていいと思います。今回取り上げる教えもまさにその典型的な教えの一つです。
 孔子は親孝行や年長者を敬うことの大切さを説いていますが決して無理強いしたり、義務で行くことを求めているのではありません。人生を送る上で、良い人間関係を作り上げることの大切さを教えているのです。
 人事の要諦のもう一つは「職場における上下左右のよき人間関係作りだ」といっても言い過ぎではありません。上司を敬い、同僚と誠実に仕事ができればこれほど楽しい職場はないでしょう。
 私たちはともすれば他人に変わることを求めがちですが、その前に自ら変われるよう努力しましょう。

 学而1-6「子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎く衆を愛し而仁に親しみ。行ひて餘れる力有らば、則ち以って文を學べ」

 「弟子」とは孔子の弟子だけでなく広く若い人たちのことです。「入りて孝」とは家庭内では親に孝行を尽くすこと、「出でては則ち弟」家の外では年長者には素直な態度で接することです。「謹みて信あり」とは真面目に誠実を心がけることです。誠実とは前にも出てきましたが言葉や行動する上で、私利私欲に走るのでは無く、また、ごまかしや不正がなく、正直である人のことを言います。
 「汎く衆を愛し而仁に親しみ」とは多くの人々には愛情をもって接するとともに、仁を心得た人や志のある人物と親しくすると自分もそのような人から教えられることが多いという意味です。仁はこの論語にしばしば出てくる言葉です。
 孔子の教えの中で5つの徳「仁・義・礼・智・信」の一つとして説かれた最高徳目の一つです。その意味は己に克ち、他に対するいたわりのある心のことです。「餘れる力有らば、則ち以って文を學べ」とは、これらが自然に行えるようになってから、やっと学問をすることができるという意味です。
 論語の教え7:「学習をして知識を習得する前に人間としての徳を磨く」
人材育成は知識を増やすことではないという人を育てることの本質を突いた教えです。この教えには意味が二つあると思います。
 第一の教えは、人間としての徳を身に着けていない人がいくら知識を習得してもそれを正しく活用することはできないということです。
 第二の教えは、知識というものは手段であり目的ではないということです。孔子は知識を増やすことを決して否定しているわけではありません。
 冒頭に述べましたように。知識を身に着け実践することの大切さをことのほか分かった人でした。しかしながら、何よりも大切なことは人間としての徳を磨くこと、人格の陶冶こそ人材育成の究極の目的であると教えているのです。
 まず、人間としての徳を磨け、しかる後に知識を習得せよと言っています。とくに、管理者や経営幹部のように上に立つリーダーの育成には徳育、知育、体育のバランスが取れたプログラムが必要でしょう。
 では、徳を磨くにはどのようにすべきなのでしょうか。この「論語に学ぶ人事の心得」の最重要なテーマです。これから、皆さんとともに考察していきたいと思います。


論語に学ぶ人事の心得第四回 「人事の要諦は社員との信頼関係を築き上げることである」

 孔子は政治家として成功した人ではありませんでしたが政治的理想は高邁で生涯にわたりぶれることはありませんでした。今回取り上げた教えはまさに孔子が描いた理想を唱えたものです。しかし、これは政治だけでなく時空を超えて現在の経営や人事の金字塔になった教えです。

 学而1-5「子曰く、千乗の国を道びくに、事を敬みて信、用を節して人を愛し、民を使うに時をもってす」
 「千乗の国を道びく」とは魯の国のような諸侯の国を治めることです。信とは信義のこと。信義は真心をもって約束を守り、国民に対するつとめを果たすことを指しています。国民に義務を強いる前に為政者が固民を信頼し、無駄を排して国民のためになる政治を行うことが必要だと説いているのです。
 現代にも全く適用できる話です。いな、世界的に、現代ほど政治の信頼を構築する必要性に迫られている時代は歴史上になかったと言っても言い過ぎではないと思います。
 世界のリーダーはこの教えに耳を傾けるべきだと思います。政治的リーダーだけでなく、企業をリードする経営者にも当てはまることです。政治の乱れは政治家の乱れであり、経営の乱れは経営者の乱れだと言われます。腐敗は常に上層部から始まります。
 ところが政治家は民の徳不足をあざ笑い、経営者は社員の能力不足を嘆いています。まったく本末転倒で認識不足も甚だしいと言ったらいい過ぎでしょうか

 論語の教え6:人事の要諦は社員との信頼関係を築き上げることである。そのためには社員を大切にしなければならない」

 社員に愛情を持つことが人事の基本です。
 人事でいう愛情とは単なる好き嫌いの話ではありません。社員一人ひとりの違いを発見し社員の個別ニーズに対応することが原則です。
 当社が本格的に人事労務コンサルティング事業を開始して4年目を迎えています。最近になって、華東地域の日系企業では人事管理に目覚め、諸制度の改革に取り組む企業が増えてきましたがそれまでは人事管理とは程遠い状況が続いていました。いわゆる労務管理全盛時代だったのです。大量に採用して大量に辞めさせるのが当たり前でした。

 人事管理と労務管理は真逆です。
 人事管理は前述したように社員の個別ニーズを把握しきめ細やかにニーズに応える管理手法です。労務管理は集団管理です。集団隔離は社員の個別ニーズに応えることを必要としていません。主たる管理は勤怠管理だけです。働いた時間で賃金が支給されるだけですので組織上に人事機能を持った部署がありません。
 シンプルといえば聞こえはいいのですが社員を単に人手や人足としてしか見ていないのです。社員を人として認識していないのですからそこには信頼関係を構築する余地や必要性が存在しません。

 そんな管理をしながらも会社は社員に高い質を求めます。
 社員の質が低いと製品の質が低く、顧客からの苦情が絶えないからです。
 かつて、関係している会社で製品の品質不良で顧客からの苦情に悩まされ続けている会社がありました。経営者に詳しく話を訊いてみました。すると、その経営者は業績不振のため高い賃金が払えないから社員が定着しないのだと思い込んでいました。賃金をこれ以上上げられないから手の打ちようがないと半ばあきらめ顔で語っていた姿を思い出します。
 本当にそうでしょうか。私には全く別の理由だと思われました。
 社員は離職するときは賃金の低さを理由にすることがよくあります。それは退職理由として最も有効であることを社員がよく知っているからです。しかしながら、本当の理由が別にあることが多いのです。
経営者の認識不足や洞察力の無さによって対策が的外れになります。

 社員と会社に信頼関係が築き上げられている会社ではこのような事態は起こりません。社会の発展に伴って社員の価値観が多様化してきます。いつまでもワンパターンの集団管理を続けていたら企業も社員も取り残され、やがては企業そのものが衰退し没落することになるでしょう。


RSS 2.0 Login