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論語に学ぶ人事の心得第23回 「人間にしかできない孝行とはどうすればいいのか」

子游(しゆう)国立故宮博物館蔵

 本項は孝行に対する弟子との対話です。子游(しゆう)は孔子より45歳年下の弟子。孫ほどの年の開きがありました。姓は言(げん)、名は偃(えん)と言いました。文学(古典研究)の才を孔子に評価されました。孔門十哲のひとりです。弟子との対話では前掲の孟懿子(もういし)などの有力者とは異なり気楽な気分で応えています。
 実はここに孔子の指導の真髄が隠されているのです。
 孔子の人材育成の基本は自ら考え自ら行実行する人づくりでした。

 そのためにどうしたのでしょうか?
 第一は三者三様の教えです。
 個人ごとに指導の仕方を変えます。人を見てその人に合った指導をしました。同じ質問をされても同じことを回答していません。その人の性格や能力に応じた指導方法を選択したのです。
第二は正解を導き出す思考過程の教えです。
 質問されたときにすべての正解を教えず、考えさせる示唆(ヒント)を与える回答をしています。孟懿子(もういし)のような権力者には孝を問われて「外れないことだ」と相手に考えさせるとうに答えています。また、その子孟武伯には病にかかって親に心配かけないことが孝行だと回答しています。
 第三は常に事実を検証することの教えです。
 学んだことは「鵜呑みにせず必ず調査分析しして確認しなさい」そして、必ず自分の意見を添えて納得して習得しなさいというものでした。要するに、学ぶことは知識そのものを増やすことが目的でなく学んだ知識をよく思索して実践することが大切であるというものです。

 本項の子游(しゆう)との対話はこれらを裏付けるに最適な場面です。孔子は子游(しゆう)には噛んで含むような表現で孝を説いています。

 為政2-7「子游(しゆう)、孝を問ふ。子曰(しいわ)く、今の孝(こう)なる者、是(これ)能(よ)く養(やしな)ふを謂(い)ふ。犬馬於(けんばに)至るまで、皆(みな)能く養(やしな)う有り。敬(うやま)はずんば、何を以(もっ)て別(わか)たん(乎)。」

 「為政2-7「子游(しゆう)、孝を問ふとは子游が先生に孝について質問した。先生はこのように言われた。今の孝(こう)なる者、是(これ)能(よ)く養(やしな)ふを謂(い)ふとは今どきの孝行は親を養うことを言っている。犬馬於(けんばに)至るまで、皆(みな)能く養(やしな)う有りとはしかしそれだけなら犬や馬でも食糧を与えて養っている。
 敬(うやま)はずんば、何を以(もっ)て別(わか)たんやとは親への敬愛する気持ちがなければ何の区別が付けられようか」

 論語の教え24:「人間にしかできない真の孝行とは親を養うことだけでなく親を敬うことだ」

 孝行とは単に物質的に親を養うことではない
 若い弟子からの問いに対して孔子の答えは「今頃は親を養うことが孝行だという風潮があるようだが、親を養うだけなら馬や犬でもやっている。そんなことで孝行というなら犬や馬と何ら変わらない」という回答でした。
 そして、「本当の孝行とは親を敬うことなんだよ」と諭すように教えたのでした。
 前述したように45歳も年の離れた孫のような存在の弟子に噛んで含めたように世間での誤った風潮をただしながら、それには直接触れずに「孝」の本当の意味を説いています。
 それにしても、驚くのは2500年後の現代社会においても燦然と輝く珠玉(しゅぎょく)のアドバイスであることです。人間社会の進歩は遅々として進まない証(あかし)でもあります。

 現代のビジネス社会における孝行とは上司を敬うことだ
 それでは現代のビジネス社会では孔子の教えをどのように取り入れるべきでしょうか。ビジネス社会は何度も出てくるように血のつながりで構成される社会ではありません。でも孔子の考えは現在のビジネス社会においても全く当てはまることばかりです。
 ビジネス社会といえば所属する組織の中の人間関係です。その関係性や影響力は血族社会より濃密です。会社生活は時間にすれば家庭生活より長いのです。人生の大半は会社生活にあると言えます。その会社生活が面白くなく充実していなかったとしたら大変です。
 子供が親を選択できないのと同様に、職業人生においては上司を選択することはできません。社会に出るまでは親の指導に基づいて子供は成長しますが、実社会に出ると親に変わって上司が育成してくれるのです。職業人生で成長するかしないかは上司で決まると言っても言い過ぎではないでしょう。前回述べたように若かりし頃は親でもないのになぜ厳しく叱られたり小言を言われなければならないのだと反発したのに、いずれ自分も部下を持つようになると同じ状況に対して上司に感謝の念を持つようになります。それはほかでもない上司を敬う気持ちが生じたからです。自分を一人前の社会人に育ててくれた上司への感謝の念を持つことにより会社生活はますます充実してきます。
 「上司は部下を理解するのに三年かかるが、部下は上司を理解するのに三日もあればよい」という諺(ことわざ)があります。ここでの問題は部下が上司の欠点ばかり見てしまうことです。
 孔子は上司を敬うには上司の欠点でなく優れたところを見抜くことが大切だと説いています。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第22回 「親孝行とは病弱で親に心配をかけないことです」

孟武伯 出典:Bing

 前回同様「親孝行論」です。しかも、権力者である貴族の親子から同じ質問を受けています。
 孟武伯(もうぶはく)は前項の孟懿子(もういし)の息子で魯国三大貴族孟氏(孟孫氏)の跡取り息子、第10代当主です。興味深いのは親も子も同じ質問したのに対し回答は異なっていることです。史実では明らかになっていませんが、孟武伯(もうぶはく)については病への懸念があったかもしれません。
 孔子は親の孟懿子(もういし)には前項で述べたように「外れないこと」と含みをもたせて答えています。  
 つまり、孝行とは世の中のしきたりや慣習に背かないで先祖に尽くすことですと相手に考えさせる示唆をしたのです。
 子供の孟武伯(もうぶはく)には、親孝行とは病気になって親に心配かけないことだと答えました。
 「親より先に逝く子供ほど親不孝者はいない」というのは古(いにしえ)から現代まで続く道徳律です。病は生きとし生けるものを死に至らしめる元凶です。人の世にあっては、どんな権力者でも自己の不摂生で病にかかってしまいます。だから、不摂生をせず、親に心配かけないことが大切で、親孝行は病気にかからないことだと明示的に回答したのです。

 為政2-6「孟武伯(もうぶはく)、孝を問(と)ふ、子曰く、父母は唯(た)だ、其の疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)ふ。

 「孟武伯(もうぶはく)、孝を問(と)ふ」とは孟武伯(もうぶはく)が孝行について先生に質問した。「子曰く、父母は唯(た)だ、其の疾(やまい)を之(こ)れ憂(うれ)ふ」とは先生は「両親は子供の病気だけがしんぱいごとであるので心配をかけないようにすることが孝行だと答えた。

 論語の教え23:「実の親子関係であれ、組織の上下関係であれ個人の人格をお互いに尊重することが大切だ」


孔子像 出典:Bing

 お互いに個人の人格を認め合うこと
 「親の心、子知らず」という諺(ことわざ)があります。親が子の立派な成長を願う気持ちは、なかなか子供に通じないものです。子供は親の気持ちを理解できないので自分勝手な振る舞いをするものだという意味ですが、この諺は親の一方的な解釈で親の価値観を押し付けるものであってはならないということです。子供は親が生んだことには間違いがないのですが生まれてからは別人格です。子供を私物化するものではありません。たとえ、血族であったとしても親が相互の人格を無視した言動があった時、つまり、子どもにとって、人間関係上の踏み込んではならない第一線を踏み超え、逃げ場を無くして追い詰められた時には「窮鼠猫を噛む」行動を取ります。取り返しのつかない反社会的行動を引き起すこともあります。
 これは血族社会だけの話だけではありません。企業などの利益追求社会においても全く同じ現象が生じます。上司が良かれと思って部下を厳しく叱責したり、追及したりします。現代風にいうとパワーハラスメントです。上司が部下を育てるつもりが部下の自信を喪失させ精神的病を引き起こしてしまいます。
 親子であっても、上司と部下であっても両者に共通する留意点は次の通りです。
 第一に、お互いの心の境界線を踏み越えないこと。
 第二に、お互いの人格を認め合うこと。
 が社会や組織を健全に維持発展させる黄金律だと思います。

 「子をもって知る、親の恩」と「部下をもって知る上司の恩」
 一方、「子をもって知る、親の恩」という諺もあります。子を持って知る親の恩とは、自分が親の立場になって初めて子育ての大変さがわかり、親の愛情深さやありがたさがわかるという意味です。
 自分がその立場に立って真の意味を理解できるということです。血族社会の原点を表す諺だと思います。
 企業社会においても全く同様の現象があります。「部下をもって知る上司の恩」という言葉です。部下を持ったことがない人には上司の指導や忠告はうるさいものです。「親でもないのに何であそこまで口うるさく言われなければならないのだ」と反発心を持ちます。
 ところが、管理職になって部下を持つと、上司の気持ちが不思議と理解できるようになります。上司に反発心を抱いた同じ言葉に対して「親でもないのに、自分のことを思ってよくぞここまで育ててくれた」と感謝の念を持ちます。
 そこで初めて更なる成長ができるかどうかのポイントをつかむことができるのです。心から上司の恩を感じ取った人には大いなる飛躍がもたらされます。(了)


論語に学ぶ人事の心得第21回 「孝行とは礼に外れないことをすることだ」その意味は?

 孝行は強要するものでない

 古代の中国では、祖先を崇拝する考えが一般的でした。というのも、血族でつながった家父長制家族が社会の構成単位だったからです。このような社会的背景にあって、孔子は、親を敬い、礼に従って親に仕えることを生涯、説き続けました。しかしながら、孔子の説く孝行は子孫にそれを強要するものではありませんでした。親の側も子供から敬われるような君子の生き方をしなければならないというのが真の意味です。


樊遲(ぼんち)像:国立故宮博物館蔵

 本項では論語に初めて登場する人物が二人います。孟懿子(もういし)と樊遲(ぼんち)です。孟懿子(もういし)は魯国の三大貴族の一角を占める実力者でした。別名・仲孫何忌。魯国の三桓の一家孟孫氏の第9代当主でした。
 樊遲(ぼんち)は姓、樊、名は須、字は子遲(遅)です。孔子とは30歳上も離れていた弟子です。孟懿子(もういし)を訪ねた時には馬車の御者を務めていました。本項はその帰り道での孔子と樊遲(ぼんち)との会話です。孔子が外出する際には同行を求められています。現代風にいうと秘書のような存在の弟子であったと思われます。
 孟懿子(もういし)のような身分の高い人から「孝」についての質問がありました。権力者の質問ですから、孔子は「外れないことだ」と余韻を持たせた深い回答をします。樊遲(ぼんち)のような若い人には何を言っているのか理解できません。孔子が樊遲(ぼんち)に孝行の意味を解説しているのが本項です。

 為政2-5「孟懿子(もういし)孝を問ふ。子曰く、違(たが)ふ無かれと。樊遲(ぼんち)御(ぎょ)たり。子之に吿げて曰く、孟孫(もうそん)孝を我に問ひ、我對(こた)へて曰く、違ふ無かれと。樊遲(ぼんち)曰く、何の謂(いい)ぞや。子曰く、生くれば之に事(つか)ふるに禮を以(もっ)てし、死すれば之を葬るに禮を以(もっ)てし、之を祭るに禮を以(もっ)てす」

 「孟懿子(もういし)孝を問ふ」とは孟懿子(もういし)から孝行についてたずねられた。
 「子曰く、違(たが)ふ無かれと」とは先生は外れないようにすることと回答した。「樊遲(ぼんち)御(ぎょ)たり」とは樊遲(ぼんち)が帰途御者を務めた。
 「子之に吿げて曰く、孟孫(もうそん)孝を我に問ひ、我對(こた)へて曰く、違ふ無かれと」とは先生は樊遲(ぼんち)に孟孫が私に孝行について尋ねたので外れないようにすることだと答えた。「樊遲(ぼんち)曰く、何の謂(いい)ぞや」とは樊遲(ぼんち)は外れないこととはどんな意味かと質問した。
 子曰く、生くれば之に事(つか)ふるに禮を以(もっ)てし、死すれば之を葬るに禮を以(もっ)てし、之を祭るに禮を以(もっ)てす」とは先生は言われた。両親が生きていいるときには礼をもって仕え、亡くなった時には礼を持って葬り、法要を行うときには礼をもって行うことだ。

 論語の教え21:「親に孝行することは生前の親の恩に報い、礼に従い見送って、子孫に引き継ぐことだ」

 人生は孝行のバトンリレーだ
 礼とは儒教の五常の一つです。礼は法律や規則というより、特に明文化されてはいませんがその地域や社会で長い時間をかけて醸成された、とても大切にされているしきたりや掟(おきて)のようなものです。掟(おきて)とはそこに住む全員が守らなければならないと認識している事柄です。掟を破ったらそこで生活することができません。克己復礼(こっきふくれい)という言葉があります。孔子の言葉ですが、その意味するところは私情や私欲に打ち勝って、社会の規範や礼儀にかなった行いをすることで社会から認められるということです。
 孝は親が生きているときには親に誠意をもって仕え、亡くなったらその地域社会の風習に従い弔(とむら)います。そして風習に従い末永く法要して先祖を敬うのです。
 これら生と死を超え、心のこもった親を敬う行為は自分の子供や孫にまで伝わります。自分が先祖を敬う行為はやがて子孫から敬われることになるのです。

 上司・先輩から謙虚に学び、仕事を通じて実践的に伝承する
 孝行は家庭にあっては親に孝養を尽くすことですが、外にあっては年配者を敬うことです。現代風に言えば職業人生において先輩や上司に礼を尽くすことだと思います。このことは具体的に全編の学而1-6でも明確に述べられています。身近な人との人間関係を円滑に築けない人は多くの人をリードする立場に立つことができません。孔子は上に立つリーダーが常に心掛けなければならない言動の誠実さや慎重さを説きました。この結果、周りの人々との人間関係を密にし、さらにその輪を広げることができるのだと教えました。ビジネス社会でいえば上司や先輩から謙虚に教わり、そのことを職場内で仕事を通じて後輩や部下に伝承してゆくのです。このようにすればその組織は実践的な人材育成が可能になります。孔子は実践的な指導を行って、さらに余裕があれば、自分を成長させるための学問をしなさいと教えています。(了)


論語に学ぶ人事の心得第20回 「私たちは波乱万丈の孔子の生涯から何を学ぶべきか?」

 ままならないのが人生
 本項は論語の多くの教えの中でももっとも有名な一つです。皆さんの中には一度はこの言葉を見たり聞いたことがあると思います。孔子は、晩年になって自らの波乱万丈の生涯を段階的に回顧したものです。


孔子と弟子たち 出典:Bing

 そして、後年になって孔子の生涯を区分して15歳を「志学」、30歳を「而立」、40歳を「不惑」、50歳を「致命」、60歳を「耳順」と名付けられました。
 ところで、私たちにとって人生とは何でしょうか。人生の送り方は人さまざまです。100人いたら100通りの人生があります。
 人々は「豊かな人生を送りたい」「会社の経営者になって金持ちになりたい」「芸術家になりたい」「政治家になって人を指導する立場になりたい」などなど将来のありたい姿を描き、それを実現するために努力します。
 しかし、思い通りに行かないのが人生です。いったんは描いた夢を実現しても実現できた同じ理由で壊してしまうこともあります。「成功は失敗の母である」と言われる所以です。 
 逆説も成り立ちます。「失敗は成功の母」ということです。挑戦して失敗することから多くを学び成功を勝ち取ることができるという意味です。

 逆境に立ち向かい切り開いた人生
 孔子の人生はまさにこのような人生でした。孔子の母親は身分の低い家の出身でした。また、孔家の嫡子でもありませんでした。軍人である父親が三歳の時に戦死したため、非常に貧しい少年時代を送ります。劣悪な環境の中で育ったにもかかわらず学問で身を立てようと志します。やがて、母親もこの世を去り天涯孤独の身になりますが、しばらくして、19歳で結婚し家族に恵まれました。多くの弟子に慕われるようにもなり、30歳になった時、学問で身を立てることの目途が立ちました。
 四十代、五十代は学問に自信を持ち、魯の君主に乞われて大司寇に登りつめますが、政治改革を巡って三大貴族との政争で敗れ、故国を追われ弟子とともに諸国の遊説を余儀なくされます。14年間もの遊説の結果、諸国から理解されず悲嘆にくれて故国に戻り、弟子の育成に生涯をささげました。このように孔子の生涯は順風満帆ではありませんでした

 為政2-4「子曰く、吾(われ)十有五にして學於(がくに)志(こころざ)す。三十にして立つ。四十にして惑(まど)はず。五十にして天命を知る。六十にして耳に順(したが)ふ。七十にして心の欲する所を縦(ほしいまま)にするも、矩(のり)を踰(こ)えず」

 先生は言われた。「吾(われ)十有五にして學於(がくに)志(こころざ)す」とは私は15歳になった時に学問をしようと決意した。「三十にして立つ」とは30歳になった時、学問的に自立した。「四十にして惑(まど)はず」とは40歳になった時、自信ができて迷わなくなった。「五十にして天命を知る」とは50歳になった時に天が私に与えた使命を悟った。「六十にして耳に順(したが)ふ」とは60歳になった時はっきりと物の善悪がわかった。「七十にして心の欲する所を縦(ほしいまま)にするも、矩(のり)を踰(こ)えず」とは70歳になって欲望のままに行動しても社会から後ろ指をさされるようなことは無くなった。

 論語の教え20:「生涯をかけられる揺るぎないテーマをバックボーンに探求すれば納得できる人生が送れる」
 ―自己矛盾に陥らない伸び伸びした人生を送るために

 孔子の揺るぎない支柱は五常と五倫
 孔子の生涯は一口で言うと真理を探究する生涯であったと言えると思います。
 現代風に言うと真理を探究することがライフワークでした。それが前項で述べた儒教という思想体系でした。五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することに発展させました。


五常:出典Bing

 高弟によりますと孔子は自分を売り込んだり、地位を求めたことは一度もありませんでした。祖国「魯」で枢要な地位に就いた時も、他国から指導を求められた時もすべて乞われて受け入れたのでした。
 したがって、権力におもねることもなく真理に反することに対しては誰に対しても遠慮会釈なく毅然として正論を吐き続けることができました。
 孔子のこの正論は学而編でも述べられているように単に理屈をこねまわす空理空論ではなく、実践の中から紡ぎだされた経験法則だったので説得力がありました。

 自己矛盾に陥らない人生―真理を追究すること
 また、孔子の考えはいかなることがあっても主張にぶれることはありませんでした。一貫性を持っていましたので後でつじつまを合わせることや一切の弁解も必要としませんでした。鋭い切り口で未来を洞察していましたので相手は従わざるを得なかったのです。
 納得できる人生を送るとは自己矛盾に陥らない人生を送ることです。自己矛盾とは自分の考えと行動につじつまが合わないことで誰かの操り人形になって人生を送ることです。
 これほど寂しい人生はありません。自己矛盾に陥らない最高の特効薬は生涯をかけて真理を追究し続けることだと孔子は教えてくれているのだと思います。(了)


論語に学ぶ人事の心得第19回 「リーダーはどうすれば人々を正しい方向に導くことができるのか?」

 孔子の生きた「春秋」という時代は人間が虫けら同然に扱われていた時代です。群雄が割拠し、覇権を握るための殺戮(さつりく)がいたるところで繰り返されていました。尊い命ですら大切にされることは微塵(みじん)もありませんでした。


春秋時代の中国 出典:Bing

 本項の「政(まつりごと)は徳を以てする」はこのような乱世を生きた孔子の揺るぎない信念であり、社会の目指すべき理想を描いてその実現に向けて行動し続けた生涯でした。その偉大さに只管(ひたすら)首を肯(がえん)じざるを得ません。
 本編冒頭にあります為政2-1でも、為政者の徳による統治の大切さを説いています。人々を威圧的に治めれば、必ず抜け道を考え出し、それをさらに厳しくすればするほど人は必ず抜け道を考え出します。 
 そして、人々は悪びれることなく犯罪を繰り返すことになります。解決しても問題が次々と派生するまるでもぐらたたきのような様相を呈するようになります。やがては隆盛を誇った社会も衰退してしまいます。
 二千数百年も前から現代まで人類が繰り返し続けてきた過ちを、今日(こんにち)も依然として犯し続けているのです。この愚かな人類の行く末を見透かして警鐘を鳴らしていた孔子の人間の本性を見抜く慧眼に唯々(ただただ)驚嘆せざるを得ません。

 為政2-3「子曰く、之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以ってし、之を齊(ととの)ふるに刑を以(もち)ゐば、民免(まぬか)れ而(て)恥(はじ)無し。之を道(みちび)くに德を以(もち)ゐ、之を齊(ととの)ふるに禮を以(もち)ゐば、恥(はじ)有りて且つ格(ただ)し。」

 先生は言われた。「之を道(みちび)くに政(まつりごと)を以ってし、之を齊(ととの)ふるに刑を以(もち)ゐば、民免(まぬか)れ而(て)恥(はじ)無し」とは人々をみちびくにあたっては法令や規則によって取り締まったならば、人々は刑罰から逃れることばかりを考え犯した罪を恥じることがなくなる。
 「之を道(みちび)くに德を以(もち)ゐ、之を齊(ととの)ふるに禮を以(もち)ゐば、恥(はじ)有りて且つ格(ただ)し」とは人々を導くには徳をもって行い、礼をもって接すれば人々は罪を犯したことの恥を知り正しい道理にかなった行動をするようになる。

 論語の教え19:「人々や社員を導くことは法制度や就業規則で厳しく締め付けることではない。正しく導く唯一の方策は自らの徳を積むことの大切さを人々に気づかせることだ」
 
 教え1.「まず、上に立つ人が徳を身に着けよ。しかる後に徳を全体に普及させよ」
 孔子は、常に弟子を含む社会のリーダーに徳を積み重ねることの大切さを説いてきました。為政者など指導者はまず民を治める前に自己を磨きなさいと教えているのです。それが前項でもありましたように徳を積んでいるリーダーには人々は黙って従うのです。
 社会の最小単位は家族です。いくつかの家族が集まって共同体社会(血族・地縁社会)が形成されます。一方、共同体社会が進展しますと目的や目標を共有した利益社会(組織的社会)が形成されます。  
 共同体社会にも利益社会にも必ずリーダーが存在します。また、基本的な価値観を共有しています。本項で、孔子は初めてリーダーの徳に加えて、人々が徳を積むことによって社会全体の健全な発展が可能になることに言及しました。法律や規則で厳しい罰則規定を設けて、人々を締め付けても人々は必ず抜け道を考え出し、罰則逃れをするだけで何ら本質的な解決にならないとの指摘です。現代社会においても企業内の就業規則違反や犯罪行為に対して罰則を厳しくして社員を取り締まろうとするのですが、社員は反発こそすれ、順守するのではなく、就業規則違反が少なくなったり、無くなったという話は聞いたことがありません。問題解決の処方箋が間違っていたのです
 ことほど左様に、人々を指導する方策のあり方で社会全体を正しい方向にリードできるかどうかが決まります。それでは的確な方策が選択されるにはどうあるべきでしょうか。

 教え2.徳は人々に押し付けて習得させるものではない。本人に気付かせることによって体得させよ。
 リーダーが人々を正しい方向に導く有効な基本的方策は二つ考えられます。


孔子廟 出典:ウイキペディア

 第一は。組織の統治者であるリーダーは価値観を明示することです。これは、リーダーのみに与えられた権能です。価値観とはその組織の構成員が最も大切にすべき判断基準のことです。
 孔子は価値観を共有するために儒教という思想体系を構築し社会に浸透させました。そして五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教えました。
 これらの一連の流れは、現代の企業社会においては経営幹部が経営理念、経営方針、経営戦略を確立することとその実践にあたります。それは、企業の存在意義とステークホルダーである顧客、社員、品質、納期に対する姿勢、経営の方向性をあきらかにすることです。
 第二は、執行に当たっては責任を明確化するとともに、可能な限り権限委譲することです。
 どのような社会や組織においてもリーダーは価値観を策定し制定することはできますが価値観を組織に浸透させ、価値を実現することには無力です。そこは人々や社員を信頼し権限を委譲して実行する以外に方法はありません。権限の委譲に関しては組織の進化と関連しますが別項に譲ります。
 権限移譲されれば人々に自己責任意識が芽生えます。自責の念で仕事を分担すればおのずと自立、自律の意識が醸成されます。リーダーから一々細かな指示命令を受けなくてもやるべきことが浮かんできます。自ら考え実行することにより、過ちもありますがその過程で多くの気づきを得ることができます。その気づきこそ組織と個人の成長エンジンとなります。
(了)


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