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論語に学ぶ人事の心得第33回 「人間の仮面の裏側にある真の姿を見抜くためにはどうすべきか?」

子路像:国立故宮博物館蔵

 本項は子路と対話です。ここでも孔子の弟子に対する指導の仕方が明確に示されています。いわゆる「三者三様の教え」です。
 子路は孔子より九歳年少の弟子で、孔門十哲の一人です。孔子の最も初期の弟子の一人でもあります。姓は仲、名は由、字は子路です。
 政治の才を孔子に評価されました。初めて孔子に会った際は、武装して孔子をおどしたと伝えられています。
 若かりし頃は腕っぷしが強く剛直でした。ところが、孔子は子路の武骨な態度にはいささかたりとも動じませんでした。何しろ孔子自身は身長2mを超える大男でしたし気迫たるや子路をはるかに凌いでいました。最初は居丈高(いたけだか)だった子路も孔子と面会後心酔して、その生涯を終えるまで教えを乞うことになりました、
 孔子は子路の脅しに対してなぜ屈しなかったのでしょうか?
 孔子は子路がこのような外面とはまったく異なり、内面は神経質な男であることを見抜いていたからでした。

 為政2-17「子曰く、由(ゆう)、女(なんじ)にしるを誨(おし)へんか。之をしるを之をしると爲(な)し、しらざるをしらずと爲(な)す。是れしるなり。」

 先生は言われた。「由(ゆう)、女(なんじ)にしるを誨(おし)へんか」とは由(ゆう)よ、おまえに知るとはどうゆうことか教えよう。「之をしるを之をしると爲(な)し」とは分かったことは分かったこととする。「しらざるをしらずと爲(な)す」わからないことはわからないとする。「是れしるなり。」とはこれが知るということだ

 論語の教え34: 「人間はすべからく仮面(ペルソナ)をかぶった存在である。仮面の内側に人の真の姿が見える」

 ペルソナという言葉があります。英語のパーソン(人)の語源にもなったラテン語です。心理学用語では仮面のことです。心理学者ユングは人間の外的側面をペルソナと呼びました。人は誰でも仮面をかぶっているとの謂れ(いわれ)から用いたのです。

 仮面の内側に何があるか?
 私たちのパーソナリティの構造は内面から順に気質、性格、態度、技能、知識で構成されています。内側に行けば行くほど変革させることがむつかしくなります。


能面:出典Bing

 例えば、気質は親から遺伝的に受け継いだもので後天的に変わるものではありません。
 次の性格ですが、気質ほどの先天性はないにしても幼少期に形成され、その後の変容はほとんど見られないと言われています。
 態度は辞書によりますと「ある対象や個人を取り巻く環境の一部分に関連して、個人のパーソナリティのなかに形成されている行動や反応の準備状態」とあります。
 要するに可視化されたその人の素振(そぶ)りです。前述の子路が孔子に対してとった武力を用いた脅しなどがその典型的な事例です。
 態度の外側には技能があります。繰り返し訓練することで体に覚えさせている術(すべ)を言います。頭で理解しても体は動きません。
 繰り返し行動しても同じ結果が得られるのは訓練して体に覚えさせているからです。最後に最も表面的で頻繁に目に触れるのが知識です。繰り返し同じ知識が現れるわけではありませんし、現れたものがすべて私たちの頭の中に残るわけでもありません。知識はめまぐるしく私たちの周りに現れますがその大部分は忘却の彼方へと追いやられるか陳腐化してしまいます。

 「知っていること」と「知らないこと」
 「学べば学ぶほど学ぶ領域が見えてくる」あるいは「知れば知るほど知らないことが増えてくる」と言われます。
 知らないことを知っているように装うことを知ったかぶりと言います。学ばない人ほど自分は学ぶ必要がないと思い込んでいます。学ばないと自分に何が不足しているのか見えていないのです。
 単に知っていることは知らないことと同然であるとも言われます。知識はあるのですが何も主体的に行動しない人のことです。いわゆる評論家といわれる人々のことです。この人たちは問題が起こる前には何も言わず、起こってしまったら批判するのが得意です。
 知っていることと知らないことを意識的に観察していれば、知れば知るほど知らないことが見えてくるという冒頭の言葉が心の底からわかるようになります。
 本項で取り上げた孔子が子路に教えたかった真意はどこにあったのか考えてみてください。
 子路は一見豪放磊落な人物です。考える前に行動してしまう傾向があり、このような子路に考えさせ、孔子が指摘するのでなく自らの気づきにより態度変容を起こさせる方法を選択したのです。(了)


論語に学ぶ人事の心得第32回 「百花繚乱の諸説に惑わされないためにはどうあるべきか」

 百人寄れば百様の考えがあります。しかも、人はだれでも自分の考えが正しいと思っています。自分の考えが異端とか間違っているなどと思っている人は誰もいないでしょう。だから、自分の正義を人に押し付けます。
 しかし、その前にやるべきことがあるはずです。
 異端は正統の対語で用いられる言葉です。辞書によると『異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念は、「正統」という概念があって初めて成立するものであり、それ自体で独立して成立する概念ではない。「正統」と見なすものがあり、それではないものを「異端」と見なすということである』と解説されています。


孔子と弟子たち出典:Bing


 そうであるならば、孔子の正統とは何をもって正統とみなしたのでしょうか?
論語に関する参考書によりますとこれまでにはそれこそ異論、異説が続出し定まった説はないようです。
 そこで、私は大胆にも以下の説を考えました。読者の批判を仰ぎたいと思います。
孔子が考えた正統とは「物事の本質や自然の摂理のこと」であって、孔子の唱える「三綱五常」三綱(君臣、親子、夫婦)五常(仁・義・礼・智・信)のことではないかと思います。
 なぜ、このように解釈するかと申しますと、孔子は多くの弟子に対し学ぶことの基本原則を伝えたかったのだと思うからです。
 弟子の諸君よ! まず、基本原則を忠実に習得しなさい。学んだあと、そこから異なった考えを学習することで視野を広め、応用する能力が身に付くのだよと叫びたかったのだと思います。
 基本原則もわからないのに無秩序に多くのことを学んでも頭が混乱するだけだからです

 為政2-16「子曰く、異端(いたん)を攻(おさ)むるは、斯(こ)れ害(がい)あるのみ」

 先生が言われた。「異端(いたん)を攻(おさ)むるは」とは正統ではないよこしまな教えに入り込んでしまえば。「斯(こ)れ害(がい)あるのみ」とはこれはもう災いでしかない。


孔子廟出典:Bing


 論語の教え33: 「まず基本原則を習得せよ。しかる後に実践し応用することを考えよ」

 「よい理論」ほど「実践的」なものはない
 理論と実践は必ずしも一致しないという人が多くいます。理論は現場で実践してみて初めて役に立つともいわれます。ある意味正統な考え方でしょう。ここで大切なことは、私たちは自己の考え方のバックボーンとなるような優れた実践的な理論を学んでおくことが異端なものに惑わされないことへの備えだと思われます。
 ところで、優れた理論ほど実践的なものはないと主張した人がいます。行動科学の創始者Lewin, K.(クルト=レヴィンです。「アクションリサーチの祖」としても知られるレヴィンは、「研究」と「実践」のあいだを往還しながら、おそらく、そこに葛藤と可能性をおぼえ、自らの理論と実践を発展させていきました。自然科学系と異なり社会科学の「解」は実験で求められませんからどうしても試行錯誤の中での経験法則を導き出すという手間暇がかかります。
 私たちは先人の優れた功績を活用し経験法則を導き出すためには上記にある「実践」と「研究」を意識的に往復させながら自分流儀を編み出す必要があります。その繰り返しの中で自信もつき、確固たる信念が持てるようになるのだと思います。ここまでくれば占めたものだと思います。
 そして、次の進歩のためにこの世の中に百花繚乱のごとく存在する諸説に触媒されると新たな発想が蘇ってきます。
 B=F(P E) 人間の行動は個人の特性と取り巻く環境に影響されて起きる
 この方程式も前記の行動科学の創始者Lewin, K.(クルト=レヴィン)が見出した方程式です。Bは、behavior、行動 Pは、personality、個人の特性 Eは、environment、環境 です。
 私たちの人間行動は、自分のパーソナリティーだけでおきるのではなく、環境の影響を受けて起きているということです。
 ほかに類友の原則というのもあります。自分の周りには同じような考えを持った人が集まるというものですがこれも自分個人の考えだけでなく人との関係で同じ環境を選んでしまうこと指しています。
 たとえば、自分としては「一所懸命仕事したい」と思っていても、職場の同僚がやる気がなく「お前は何で会社の言いなりになるのだ」と否定的なことを言われたら、それをはねのけて一人だけで仕事をやり続けることは難しくなります。
 (P)は、仕事したいのです。でも、(E)は、仕事できる環境ではないのです。そこで、仕事しないという同調行動(B)になるのです。 だから、自分を取り巻く環境を前向きな考えを持つ人たちに取り巻かれるよう整えましょう。
(了)


論語に学ぶ人事の心得第31回 「私たちはなぜ学んで、考えなければならないのか?」

孔子立像出典:Bing

 本項は孔子の人材育成方針の真髄にあたる部分です。改めて孔子の人を育てる考え方を確認しておきましょう。
 孔子の人材育成方針は「自ら考え自ら実践する人材を育成する」ことでした。そのために三つの育成方法がありました。

 第一は、「三者三様の教え」です。
 個々人ごとに指導の仕方を変えています。 
 人を見てその人にマッチした指導方法を選択します。孔子は同じ質問をされても人が変われば同じ回答していません。その人の性格や能力に応じ理解させる指導方法があるからです。それはまた、人間は個人ごとに別人格を持ち、能力もニーズも違うからでもあります。

 第二は、「正解を導き出す思考過程の教え」です。
 質問されたときにはすべての正解を答えず、考えさせる示唆(ヒント)を与える回答をしています。質問されたことにダイレクトに答えているだけでは質問した人の依頼心が増えるだけで、自分で考えることや自分で正解を導き出す習慣が身に付きません。何回も同じような質問を繰り返すことになります。だから、考えさせる習慣を身に付けることが必要であり大切なのです。

 第三は、「常に事実を検証することの教え」です。
 学んだことは「鵜呑みにせず必ず調査分析して確認することです。そして、孔子が大切にしていることは必ず自分の意見を添えて、納得して自分のものにしなさいというものでした。要するに、学ぶということは知識そのものを増やすことが目的でなく、学んだ知識を深く思索して実践することが大切であるというものです。まさに今回取り上げた内容そのものです。

 本項は、とても2500年も前に対話された内容と思えません。はるかな時間を超えて現代にも脈々と通じているのです。

 為政2-15「子曰く、學んで思わざれば、則ち罔(くら)し。思ひて學ばざれば則ち殆(あや)うし。」

 先生は言われた。「學んで思わざれば、則ち罔(くら)し」とは書物や先生から学ぶが
 自分で考えないと単に知識が増えるだけで頭の中が整理されず混乱するだけだ。「思ひて學ばざれば則ち殆(あや)うし」とはその反対に、ただ思索にふけっているだけで学ばなければ、独善的で独りよがりになってしまう。

 論語の教え32: 「組織も個人も目的を明確にして、バランスの取れた育成と学習に取り組む」

 ◆初めに育成目的ありき
 「組織は戦略に従う」という言葉があります。この言葉の意図するところは「組織は会社の戦略を遂行し実現するために編成される」ということです。ここでいう組織とは組織機構図だけではありません。人材配置された実働部隊を意味します。この観点から人材育成の目的を考えてみましょう。

 目的1.会社の発展の確保
 ご承知の通り、会社には経営理念、経営ビジョン、経営方針があります。これらを実践し実現するのはすべてその会社の社員です。経営者だけでできるわけではありません。経営者のリーダーシップのもと社員の総力を結集し、日々切磋琢磨することで初めて実現できるものです。社員の成長のスピードが会社の成長のスピードと正比例すると言っても言い過ぎではありません。また、会社の競争力は社員の問題解決のスピードに正比例するともいわれます。このように社員を育成することは会社の発展に直結しています。

 目的2.戦略と人材育成の統合
 戦略と関連しない人材育成は意味がありません。それこそ、時間と資金の浪費というほかありません。
 第一義的に会社の発展に貢献できる人材育成を優先すべきです。人の能力には総合判断力と対人能力と専門能力があります。そのバランスは職責と職能で決まります。 
 一般的に会社の上位職位になればなるほど総合判断力が求められますし、下位職位ほど専門能力が求められます。管理職であれば、この三つの能力がバランスしていなければならないでしょう。
 第二には人材育成が戦略を妥協させてはなりません。タイミング的に最適な戦略を選択したとしても遂行する人材が育っていないからという理由で戦略を先送りしてしまわないことが重要です。人材育成に時間がかかるので戦略とのアンマッチが生じてしまうとどうしようもありません。ここに人事の先見性が求められる所以(ゆえん)があります。


人材育成概念図:出典Bing

 目的3.人材の量と質の確保
 会社にとっての人材は要因の質と量で決まります。要員の量は採用業務になります。要員の質は人材育成業務です。
 人材育成には長期的課題と短期的課題があります。前者は戦略的人材育成で会社の戦略(中長期計画)に対応しています。後者は問題解決型人材育成で会社の事業計画(1年以内の経営課題)に対応しています。ここで大切なことは人材育成には戦略と連携した目標組織図を描かなければならないことです。
 そうしなければ要員の質が見えてきません。当然のことながら人材育成計画も策定できなくなります。

 ◆人材育成施策の均衡と統合
 ①経験教育と知識教育の均衡
 人材育成はOJTと呼ばれる職場内教育とOFFJTと呼ばれる集合教育に大別されます。職場内内教育には上司からの個別的な指導に加えジョブローテーションやキャリアプログラムなど異質な職務や部門を経験することで能力向上を図る育成施策があります。集合教育には階層別教育や職能別教育があります。
 重要なことはこれらを均衡させることが重要であり、このどちらにも偏ってはならないことです。

 ②企業ニーズ(育成目標)と個人ニーズ(成長目標)の統合
 企業ニーズは言うまでもなく戦略を実現するための育成目標です。これが人材育成の支柱であります。しかしながら、社員個人の個別ニーズによる人材育成にも対応しなければなりません。社員には個人の生きがいややりがいをベースにした欲求があるからです。ここでは両者の均衡ということではなくあくまで統合すべきです。
 というのはあくまでも人材育成の中核は企業戦略を実現するためであり、その枠内で個人ニーズを充足することが望まれるからです。(了)


論語に学ぶ人事の心得第30回 「古代から現代まで繰り返される人間関係模様は?」

 本項は孔子が君子と小人の違いについて語ったものです。
 論語ではこの君子と小人を対比して語られる場面がしばしば登場します。
 君子という言葉は論語学而編1-1に登場してから何回もありました。君子とはもともと貴族を指した言葉ですが、一角(ひとかど)の立派な人物、指導的地位にある人、リーダーあるいは組織のトップという意味にも使われるようになりました。


孔子像:出典Bing

 一方、小人とは身分の低い階層に属し、芳しくない性向を持つ者という意味ですが、孔子は品性の下劣な人を指して使っています。つまらない人、器の小さい人といった意味に用いられます。人間関係は損得で決まるのではありません。
 しかしながら、論語里仁(りじん)編第四-16で「子曰わく、君子は義に喩り、小人は利に喩る」と本項と似たような取り上げられ方をしています。つまり、君子は正義に敏感に反応し、小人はお金に反応すると孔子はズバリ的をついています。
 優れた人物というのは人としてのあるべき姿を判断基準としているのに対し、小さな人物は自分が儲かるかどうかを判断基準にしていましす。このような人間関係では権力を持っている時には人は集まり媚びへつらいます。ところが、権力を亡くしたとたんにまるで引き潮のごとく人は去ります。

 為政2-14「子曰く、君子は周(あまね)くして比べず、小人は比べて周(あまね)からず。」

 先生は言われた。「君子は周(あまね)くして比べず」とは人の指導的立場に立つ人は節度をもって誠実に付き合い、派閥を作らない。「小人は比べて周(あまね)からず」とは、つまらない人物はその逆でなれ合いをしてべたべたとした付き合いをするが節度がない。また、すぐ、派閥を作りたがる。

 論語の教え31: 「良き人間関係のコツはヤマアラシのジレンマに陥らないことだ」

 ヤマアラシのジレンマとは?
 「ヤマアラシ・ジレンマ」とは、人と人との間の心理的距離が近くなればなるほど、お互いを傷つけ合うという人間関係のジレンマのことを言います。アメリカの精神分析医ベラックはこの現象を「ヤマアラシ・ジレンマ」と名付けました。


出典:Bing

 以下の話は現代のイソップ物語です。
 「ある冬の日、2匹のヤマアラシは嵐にあいました。2匹は寒いので、お互いの体を寄せ合って暖をとろうとしたところ、それぞれのトゲで相手の体を刺してしまいます。痛いので離れると、今度は寒さに耐えられなくなりました。2匹はまた近づき、痛いのでまた離れることを繰り返していくうちに、ついに、お互いに傷つけずにすみ、しかもほどほどに暖めあうことのできる距離を発見し、あとはその距離を保ち続けました。」

 人間同士がお互いに親しくなるためには「近づく」ことが必要です。
 いい例が夫婦関係です。結婚したてのときはお互いに新鮮な気持ちで緊張感をもって家庭生活を営みます。やがて、子どもができて家族生活を営むようになると遠慮がなくなり相手の粗(欠点)が気になり始めます。黙っていればよいのですが我慢できなくなって相手に不満を言います。この段階では相手が好きであるがゆえに相手のことが気になるいわゆるアンビバレンス(愛と憎しみが同居している)な状態にあります。
 ここではまだ、愛情や信頼関係が残されているのですが、しばらくたつと罵り合うような不毛の対立が始まります。このように、お互いに近寄りすぎると極度の緊張感にさいなまれ、それが進むと反発が起きます。かといって遠ざかり過ぎると精神的に疎外感が生まれたり、違和感を抱いたりしがちです。
 夫婦関係でなくとも、友人、知人の間でも同様のことが起こります。さらに言えば会社の上司と部下、同僚間でも起こりうる話です。
 結論的に言えば、いい人間関係を持続させるには適正な心理的距離をそれぞれがもつことが大切なのです。
 どうしたらうまく心の距離感をとれるのか、
 では、心理的距離をうまくとって人間関係をコントロールするにはどうしたらよろしいのでしょうか?
 それには、まずは次の三点に留意するといい人間関係が構築できます。

 第一は、相手の人格を認め自分の価値観を相手に押し付けすぎないことです。たとえ親子のような血族関係であったとしても相手の人格を尊重し節度をもって交流することを心掛けることです。ましてや血族関係を持たない第三者には組織の上下関係であっても相手を尊重することが大切です。

 第二は、相手の弱みに付け込み、欠点や不足することを指摘しすぎないことです。
 この世の中には完全な人間は誰もいません。必ず、長所と短所を持っています。相手の短所を無くそうといくら努力しても短所は無くなりません。指摘された相手を不快にするか反発されるだけです。そんなことに無駄な時間を使うなら相手の長所や強みを伸ばすことに時間を使ったほうがよほど生産的です。

 第三は、交流する際に相手に感じたことをストレートの出しすぎないことです。
 言い換えれば、相手の一挙手一投足に関心を持ちすぎないことです。また相手の態度や言動に一々口出しせず、出かかっても飲みこむことが大切です。良かれと思って口出しすることが相手には嫌味に映ります。清濁併せ呑む度量の大きさが人間関係をよくするコツであり、それらが、「ヤマアラシ・ジレンマ」に対する有効な解決方法です。そして、人とのグッド・コミュニケーションの近道だと思われます。(了)


論語に学ぶ人事の心得第29回 「高弟、子貢は指導者とはどうあるべきかを師に問うた」

子貢像:国立故宮博物館蔵

 本項は高弟、子貢(しこう)との対話です。孔子と子貢の対話はいつもテンポが速く、雄弁家同士の対話で見応えがあります。子貢(しこう)は学而編1-15に出てきたあの弟子です。改めて紹介しましょう。姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)、字は子貢(しこう)です。『史記』によれば衛国出身、孔子より31歳年少。弁舌(言語)の才を孔子に評価されました。孔門十哲の一人です。外交官として、また商人として当時の世に知られ、おそらくは孔子一門の財政をも担ったと伝えられています。
 子貢(しこう)との対話で留意したいのは孔子の人材育成方針です。「自ら考え自ら実行」というのが基本ですが、その中で以前にも触れましたように「三者三様の教え」に注目したいと思います。要するに個人の育成ニーズは個々人ごとに異なり存在するということです。
 と言いますのも、もともと子貢はとても能弁の人で、口から先に生まれたような人でした。口が達者であることを孔子自身が評価したのですが、そうであればこそ「子貢よ、お前は理屈を言う前にまず行動しなさい」と言いたかったのかもしれません。

 為政2-13「子貢(しこう)、君子を問ふ。子曰く、先(ま)ず行(おこな)ひ、其の言(かた)りは之(これ)に從(したが)へ。」

 「子貢(しこう)、君子を問ふ」とは子貢(しこう)は先生に指導者たるものはどうあるべきかを質問した。「子曰く、先(ま)ず行(おこな)ひ、其の言(かた)りは之(これ)に從(したが)へ」とは先生は子貢(しこう)にこう答えた。「指導者たるものは、まず言いたいことを実行し、そのあとで、言葉がついてくるような行動がとれる人でなければならない」

 論語の教え30: 「人の上に立つ指導者たるものは不言実行のできる人だ」


孔子立像出典:Bing


 「不言実行」と「有言実行」とは?
 ここでは、「不言実行」と「有言実行」の優劣を論じているのではありません。しかし、孔子は人の上に立つ指導的立場に立つ人はあれこれと理屈を言う前に黙って実行する人だと語っています。それは前述したように能弁である子貢から質問されたからです。
 「不言実行」とは、黙ってなすべきことを実行するという意味です。
 一方、「有言実行」とは、言ったこと、人の前で宣言したことを必ず実行することです。 例えばあなたが部下に「新規顧客を5社獲得する」と宣言したとします。実際にそれを実現させたら、あなたは有言実行したことになります。 言ったことは必ず実行したり実現させたりする人を「あの人は有言実行の人だ」と周りから尊敬され信頼されます。
 通常のビジネス社会では上に立つ人は「指示命令する人」、「引っ張る人」のイメージが強いのですが、黙って実行する人こそ行動力のあるのリーダーの証(あかし)だと言えると思われます。

 部下の美辞麗句に惑わされず、公正に人事管理する
 孔子は学而編1-3「巧言令色鮮し仁」で言葉巧みに人に取り入る人間は信用できないと述べています。孔子はぺらぺらと空疎な美辞麗句を操ることを極端に嫌いました。美辞麗句を並べる人物は古今東西どこにでもいます。このような人物も問題ですが、それより問題なのは上位者が表面的な気持ちよさから信じこんでしまうことです。
 権力を持てば持つほど媚びへつらう人や二枚舌を使う人が押し寄せます。二枚舌に乗せられる上司を脇が甘いとよく言われます。苦労したことがなく、周りから持ち上げられてきた人に多くみられる傾向です。心にもない美辞麗句に乗せられて人事の依怙贔屓(えこひいき)が組織に蔓延しますと上に立つ人の信用がなくなるだけですみません。組織そのものが活力を無くし、やがては衰退の道を進むことになります。私たち人類の歴史はこの騙し合いの歴史でもありました。今日まで綿々と繰り返されています。(了)


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