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論語に学ぶ人事の心得第57回 「時代の変わり目に、何に価値を置くか、よく考えなければならない」

子貢像 国立故宮博物館蔵

 本項は高弟子貢との対話です。子貢は学而編1-10にも登場する人物です。孔子より31歳年少で孔門十哲の一人です。
 弁論にすぐれた孔子門下の秀才でもありました。商才に長けた大商人で、おそらくは孔子一門の財政をも担ったとも伝えられています。その実利に価値観を置く子貢(しこう)と文化や伝統に価値観を置く孔子との対話には実に興味深いものがあります。子貢(しこう)は、吿朔(こくさく)の儀式が形骸化して、いけにえの羊を備えるなど無駄だというのです。吿朔(こくさく)の儀式は太陰暦の新月、周王(君主)から配布された暦を発表する祭礼のことを言います。この当時は、君主からもらわなくても諸侯は暦を入手することができましたので儀式そのものが軽く見られていました。子貢(しこう)には、まさに、商人としての真骨頂が出ています。それに対して孔子は確かに羊を備えるのは無駄かもしれないが、これまで続いてきた伝統の吿朔(こくさく)の儀礼が無くなることのほうが問題である。やはり、文化を大切にしなければならないと子貢を諭しています。


 八佾篇第3―17「子貢 吿朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊(ひつじ)を愛す、我は其の禮(れい)を愛す。」

 「子貢 吿朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す」とは子貢(しこう)がいけにえの羊を供える儀式を廃止しようとした。「賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊(ひつじ)を愛す」とは(賜(し)(子貢)の本名)端木賜(たんぼくし)のこと、師は言われた。おまえはその羊を惜しむが、私は吿朔(こくさく)の餼羊(きよう)の儀礼が無くなることのほうを惜しむ。

 論語の教え57: 「時が移ろいでも、残すものと変えていくべきものを間違えてはいけない」


ヘラクレイトス像 出典:Bing

◆万物は流転する。唯一流転しないことは、万物は流転するということである。
 このタイトルにある言葉はこの世の中で変化しないものはない。いつまでも、変化しないものといえば、いつの世も「変化するということである」という意味です。この言葉を普遍的な法則としてこの世に生み出したのは孔子と同じ時代に生きた古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスです。
だから、変化についてゆけないものは絶滅してしまいます。
 しかしながら、本項での対話は孔子が変化に抵抗しているのではないということです。吿朔(こくさく)という文化の儀礼に対して、子貢の商人としての合理性だけで物事を判断してはならないと言っているのです。とりわけ、孔子は民にとって文化の継承の大切さを説いてきました。中国という国の起こりを示す夏国や殷国の末裔が文化を継承しなかったばかりに国が存在したのかどうか多くの人に理解されなくなってしまっていると嘆いていることを前に取り上げました。
 要するに世の中の変化は必然的です。変化を止めることはできません。しかし、後世に伝えるものと伝えなくともいいものを見極めなければならないと思います。孔子は後世の私たちに語り掛けているものはその判断を間違うなと言っているだと読み解くことができます。

◆物の見方三原則:物事を一面的でなく多面的に見る。物事を表面的でなく本質的に見る。物事を短期的に見るのではなく長期的に見る。
 私たちは目の前にある事実や現象に接したときに、どのような見方をすれば判断を間違わないかということです。「物の見方三原則」として伝えられているのがタイトルに示した言葉です。多面的に見るとは、前後左右、上下から全体像を把握する必要があるということです。
 例え話です。盲人が象の足を触って、象というのは柱のように丸いと言います。鼻を触った盲人はゴムホースのように丸くてぐにゃぐにゃしていたと言います。腹を触った盲人は天井のように平らだったと言います。全体像を見ず、部分しかわからないで判断すると、誤ってしまうというイソップ物語です。本項で孔子が子貢に伝えたかったのもこのイソップ物語だったのではないでしょうか。
 すなわち、大局的に見ないで、一面的に見て判断すると気づかないうちに誤った判断をしてしまうと言っているのだと思います。心すべきことだと思います。

◆組織にとって文化を無くすことは歴史を無くすことである。
 文化とは、人間が、共同体を形成し、安全に生きてゆくために共有する価値観だと思います。そして、文化は社会の最小単位である家族から派生し社会全体へと広がっていくものと、逆に社会から家族へと浸透してゆく価値観の相互作用で進化を続けてきました。文化を無くすことは人の営みの一部分が断絶することになります。そこから歴史の一部が切り取られることにもなります。これまでの歴史が私たちに教えるところによれば、文化が切り取られたまま時が流れることはまずありません。必ず、異文化が侵入してきます。つまりマジョリティ(征服者)がマイノリティ(被征服者)を飲み込んでしまうことになります。「飲み込まれたほう」は自分たちのこれまでの価値観を「飲み込んだほう」の価値観を強要されることになります。大変な苦痛を強いられることになります。この繰り返しが私たち人類の発展史でもあります。
 しかし、ここにきて、その反省から多様性を認めることが世界的なコンセンサスになりつつあります。征服者と被征服者の関係ではなく個々の文化を尊重し相互発展するところに真の豊かさを実現することができるという概念が全地球規模で起こって来ていることは素晴らしいことだと思います。いわゆる、全世界の各大陸に、現在なお生き続けている先住民族と言われる人たちとその文化です。かけがえのないこの地球をより豊かにするのは経済原則の豊かさだけで築きえなかった価値観を文化的豊かさで築く真の豊かさを実現できる日が来ることを願ってやみません。(了)


論語に学ぶ人事の心得第56回 「射礼では単に結果を残すだけでは十分とは言えない。真摯に試合に臨んだかが問われる」

射礼 出典:Bing

 本編3-7項でも取り上げられていますが、弓の試合は射礼と称して、細かく約束事が決められた儀式の一つでした。射礼の際には、一組二人の選手が競技場から正堂の階段を上って主催者に挨拶をして、また競技場に戻るというのが習わしの一つでした。さらに、競技者が階段ですれ違う際には、必ず両者は胸の前で両手を組み合わせて挨拶をするのが決まりでした。当時の戦争では弓は最強かつ有力な武器でありました。その武器を用いて競う射礼にも厳かなルールが決められていたのです。人を殺し合う武器にも一定の規則に則った作法があったのは人間の持つ美意識のようなものが感じられます。現代にまで続いている弓道にも通じる興味深い内容です。
 孔子は弓の名手でもありましたので、射礼には一家言があったものと思われます。武器としての弓矢には的を射る目的がありますが、射礼となると厳かな儀式となります。競技者は、どれだけ、自分の能力に応じて真摯に取り組んだかということが結果よりも重視されることになるのです。

 八佾篇第3―16「子曰く、射(しゃ)は皮(ひ)を主(しゅ)とせず、力(ちから)の科(しな)を同じくせざるが爲(ため)なり、古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」

 師は言われた。「射(しゃ)は皮(ひ)を主(しゅ)とせず」とは弓の試合では的に命中させることが目的ではない。「力(ちから)の科(しな)を同じくせざるが爲(ため)なり」とは競技者の力の等級が異なるからである。「古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」とはこれこそ古い時代からの美しいやり方だ」

 論語の教え56: 「何事も道を極めるには、結果を残すことより、真剣に取り組む姿勢で人間としての成長を目指す」

◆「道」の意味するところを深く理解し精進する。
 道(どう)にはいろいろな文字が合わさって様々な概念が生まれています。武と合わさって武道(ぶどう)、弓と一体になって弓道(きゅうどう)、柔と重なり柔道、華と重なって華道(かどう)といった具合です。戦いの技術を身に着ける武道も、単に戦いに勝つ技術ではなく、心身を鍛える意味が込められています。本項で取り上げられている「古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」というのも弓術(きゅうじゅつ)の技量を高めることも大切ですが、それよりも大切なことは真摯な態度で試合に参加しているかどうかが大切であると。それが古くから伝わる美しい習わしであると孔子は説いているのです。こうなると当時の最高の武器であった弓矢も武器を超越して人格陶冶(じんかくとうや)の道具であると思えます。道という漢字は「首」と「しんにゅう」で組み合わされてできた言葉です。首は人を意味し、しんにゅうは人の往来を意味すると言われています。そこから派生して繰り返し繰り返し技を磨くことにより、技そのものの向上を目指すことにより生涯を通じて人間としての成長を目指すことを意味しているのです。

◆生きることそのものが道を極めることにつながる。
 人が一度しかない人生を送ることは「旅」にも例えられます。それは、自分を磨く旅でもあります。自分が掲げた目標に向けて達成するための旅路です。私は、人が人生の目標を無くしたら生きる意味を無くしたことになると思います。人生には様々な生き方があります。人の数だけ生き方があると言っても言い過ぎではないでしょう。人は人生のどの道を進むにせよ絶対に不可欠なのは目標を持つことです。
 そして、その目標に向かって、飽きることなく段階を一歩一歩踏みしめて近づいてゆくことで人は磨かれてゆくと思います。その繰り返し営まれる平凡な努力の積み重ねが非凡な成果を生むのです。目標もなくただ漫然と送る人生ほど無意味なものはないと思われます。人生の目的は単に経済的豊かさのみを求めることでなく、あらかじめ設定した目標に段階を追って近づいてゆくことです。

◆いい結果を残すにはいいプロセスを作り上げることだ。
 個人であれ、法人であれ、喉から手が出るほど欲しいのは物心両面のいい成果です。問題は、成果には勢い注目しますが、その過程、つまり、成果を出すための仕組みや行動には無関心であることです。しかも成果に執着心を持つ人ほどプロセスを無視してしまう皮肉な現象が生じています。
 これだけは明確です。いいプロセス無くしていい成果は絶対に生まれません。そのプロセスで最も大切なことは人です。いい仕組みがあってもそれを動かすのは人だからです。多くの企業では社員の能力に不足を感じています。しかし、会社の期待する人材と現実の人的資源との格差を埋める努力を怠っている企業が圧倒的に多いこともまた事実です。社員能力に不足を感じた時に直ちに人材育成に取り組む必要があります。人が育つ組織風土を作り上げることも大切になります。何もしないで嘆いているだけなら、その企業は「私たちは人材育成する能力がありません」と宣言しているようなものです。
 かつて、経営の神様と言われた松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助氏は社員にこのように伝えていたと言います。「顧客から貴社は何を創っている会社ですか」と訊ねられたら、「当社は人を創っています。併せて、電化製品も作っています」と答えなさいと指示していたと言います。これほど経営の本質を分かりやすく述べている言葉をほかに私は知りません。(了)


論語に学ぶ人事の心得第55回 「他人(ひと)が何と言おうが、己(おのれ)の信ずる礼の作法で始祖周公旦に最敬礼する」

大廟 出典:Bing

 「他人(ひと)が何と言おうが、己(おのれ)の信ずる礼の作法で始祖周公旦に最敬礼する」

 中国では、太廟(たいびょう)とはその国の初代君主を祭った施設ですが、墓所ではありません。ここは孔子が敬愛してやまない魯の始祖周公旦を祭った廟(びょう)です。周公旦は周王朝を立国した武王の弟です。魯国はもともと周公旦の封地でした。
 本項で取り上げられている内容はそこでのお参りに対して、孔子に周りから嫌がらせの言葉が投げかけられています。孔子が立派なのは、その嫌がらせに対して、いささかも揺さぶられることなく冷静に受け止め、礼の真の姿を説いているっことです。
 孔子に対する周りの反感や妬みに対して、心を動じることなく対応する孔子の姿を描いています。これまでにも、何回も取り上げられたように孔子の出自は決して良いとはいえませんでした。孔子は庶子でありました。今回は父親の出身地である鄹人(すうひと)、いわゆる田舎者と侮蔑的な呼称を用いてけなされています。

 八佾篇第3―15「子太廟(たいびょう)に入りて、事每(ことごと)に問う。或るひと曰(いわ)く、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子を禮を知ると謂(い)うか。太廟(たいびょう)に入りて事每(ことごと)を問(と)う。子之を聞いて曰(いわ)く、是れ禮(れい)也(なり)。」

 「子太廟(たいびょう)に入りて、事每(ことごと)に問う」とは、師は大廟にお参りされたとき一つ一つ係りの者に尋ねながらふるまわれた。「或るひと曰(いわ)く」とはその光景を見ていた人が言った。「孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子、禮を知ると謂(い)うか」とは一体だれがあの鄹(すう)にいた人の息子を礼に詳しいというのか。大廟に参っていちいち質問したというではないか。「子之を聞いて曰(いわ)く、是れ禮(れい)也(なり)」とは、それを伝え聞いた師は「そうすることが礼儀なのだ」と答えた。

 論語の教え55: 「自分が信じる作法で、自信をもって礼を行えば、他人の批判などとるに足らないものだ」

◆他人の批判に踊らされるのは人間ができていない証拠だ
 私たちの行為は他人に批判されないために行うのではありません。目的や目標を達成するために行われるのです。時には他人の無理解で批判にさらされることも覚悟しなければなりません。とりわけ、組織のリーダーの立場にいる人には批判がつきものです。批判されるのが嫌ならリーダーになるなと言ってもいいくらいです。
 リーダーは、また組織の先頭に立たなければならない立場の人です。先頭に立ってリーダーシップを発揮することは批判を乗り越えて目的を達成しなければならない責任があるからです。どんな局面になっても冷静に自分の感情を制御できることがリーダーに求められる最大の資質だと思われます。本項で、孔子が自分の出自や親の出身地のことまで侮蔑されても決して感情的にならず、「大廟でのお参りの仕方をまで批判されても」極めて冷静に対応している姿に感動すら覚えます。
 もし、批判に反論したり、過剰に反応した時には、相手の術中にはまってしまうことを孔子は分かっていたのだと思います。自分のことなら耐えられるけど親のことまで持ち出されると我慢にも限界があると思われる人もいるかもしれません。通常の場合はおそらく反論するかもしれません。しかし、孔子は全く動じることはありません。孔子が多くの弟子から尊崇の念をもって語り継がれてきた真の理由がここにあると思われます。
 さて、ここからは現代の話です。ある政治家が「他者からあること無いことを批判されて反撃したくないのですか」と訊かれて、「そんな些事を一々気にしていたのでは政治はできない。相手には相手の事情があるから。相手に感情をぶつけるのは幼稚なことである。私たちは大人の政治を目指したい」と批判者に理解を示す言葉を返したため、質問者がその政治家を信用するとともに人間の器の大きさを感じたと述懐していました。孔子ほどの人物にならなくともリーダーたるものは度量の大きさで人を魅了することができるのです。


孔子像 出典:Bing

◆賢者は過去に拘束されるのではなく、未来に羽ばたけ!
 過去の桎梏(しっこく)に拘束されるのは愚者です。鳥が天空を舞うように、描けていない未来に羽ばたくのが賢者です。なぜなら、誰も過去を変えることができないからです。とりわけ、過去が自分の心の中に傷となって残ってしまっていると、私たち人間にしか備わっていない未来への可能性すなわち潜在能力の芽を摘んでしまいます。
 私たちは時間という連続の中に生きていいます。過去、現在、未来が個別にあるのではないことは誰でも理解しています。時という概念には時刻(カイロス)と時間(クロノス)という区別があることを、私は最近知りました。時間が水平的であり、時刻は垂直的であるというのです。日々刻々と現在が過去を生み出し、未来と向き合っています。何気なくせわしく刻み続けている秒針の動きの中に、秒針が止まったように永遠に記憶にとどめられるのが時刻です。しかし、それは私たちを拘束するものでは決してありません。未来へはばたくために、決して忘れてはならない梃(てこ)なのです。

◆自己矛盾に陥らなければ、人は挫(くじ)けない。
 私たち人間は「強靭さ」と「脆さ」(もろ)という相反する意思を同一体内に共存させながら生きています。その分水嶺に相当するのが自己矛盾です。自己矛盾とは自己肯定感と自己否定感を共存させていることを言います。要するにつじつまが合わなくなってしまうのです。自己肯定感が高まると人は強靭になります。また、逆に、自己否定感が高まると人は脆くなります。
 自分の言行が辻褄(つじつま)合わなくなると、人は自信を喪失し、何事にも挑戦意欲がなくなるばかりか、生きることそのものに意欲を無くしてしまいます。生きる屍と化してしまうのです。だから、誰であろう自分を裏切らないことです。自己矛盾に陥らなければ絶対に人は崩れません。生きがいをもって生きている人はすべて自分に正直です。孔子はまさに自己矛盾に陥らず天命を全うした人だと言えましょう。(了)


論語に学ぶ人事の心得第54回 「尊崇する周公旦が、先人の知恵に学び、礼法を作り上げた、それに従わない手はない」

周公旦像 出典:ウイキペディア

 本項は孔子が周(しゅう)国の文化を称(たた)える内容となっています。二代とは周王朝に先行する夏(か)・殷(いん)王朝のことです。夏(か)王朝は史書に記された中国最古の王朝です。
 史書には、初代の禹(ゆ)から末代の桀(けつ)まで14世17代471年間続き、殷(いん)の湯(ゆ)王に滅ぼされたと記録されています。 
 また、殷(いん)王朝は、紀元前17世紀 周の反乱により滅亡します。
 殷(いん)王朝は考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝です。紀元前11世紀に帝辛(紂王)の代に周国(しゅうこく)によって滅ぼされました。その周王朝の建国と礎(いしづえ)を築くのに多大の貢献をしたのが武王の弟であった周公旦(しゅうこんたん)です。
 周公旦(しゅうこんたん)は礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したと言われています。周公旦(しゅうこんたん)の時代から時が流れること約500年。春秋時代に儒教を開いた孔子は魯の出身であり、文武両道の周公旦(しゅうこうたん)を理想の聖人と崇(あが)め、常に周公旦(しゅうこうたん)を夢に見続けるほどに敬慕したと伝えられています。

 八佾篇第3―14「子曰く、周(しゅう)は二代に監(かんが)みて、郁郁乎(いくいくこ)て文(あやな)す哉(かな)。吾(われ)は周に從(したが)わん」

 師は言われた。「周(しゅう)は二代に監(かんが)みて」とは周王朝は夏・殷王朝と二代続いた王朝を参考にして作られた。「郁郁乎(いくいくこ)て文(あやな)す哉(かな)」とは馥郁(ふくいく)とかぐわしく麗しい文化を創った。「吾(われ)は周に從(したが)わん」とは私は周の文化に従いたい。


 論語の教え54: 「私たちは何を学ぶか大事だが、誰から学ぶかのほうがもっと大事だ」


孔子像 出典:Bing

◆人生の幸せは、大事な選択を間違わないことである
 人は、誰でも影響を受けた人がいます。そのことは、その人の人生に転機をもたらし、あるいは、その人の人生そのものを決めてしまうことにもなります。
 人生の節目、節目にいろいろな出会いがもたらされるのです。幼少期には、親から影響を受けることになりますが、年齢を重ねるとともに、影響を受ける人は多様になります。友人になり、学校の教師が加わります。さらに、社会に出ると上司が加わり、会社の経営者が加わります。
 ところで、人生は選択と出会いの連続であるとも言えると思います。とりわけ、重要なのは三つあります。第一は学校の選択であり、第二は職業の選択であり、第三は伴侶の選択です。この三つの選択を間違わなければ充実した人生を送れることはまず間違いがありません。
 ここで、良き選択をするための背景を考えてみましょう。そこには、必ず人生の目標と師がいるということです。人生の目標は素朴な実現したい願望のようなものからスタートする場合もあるでしょう。
 ある物理学者の話です。物理学に目覚めたのは、宇宙の果てはどうなっているのだという素朴な疑問から始まったというのです。彼は、子供心にそのことを父親に問いかけました。父親は満足のゆく回答はできませんでしたが、好奇心を刺激する話をしてくれました。ますます、気持ちを掻き立てられた少年は宇宙の果てを知りたくて物理学を志ます。自分の知りたいことを研究している大学を選択し、そこで生涯の恩師に出会います。そして、生涯かけて、物理学を研究して世界的な理論を打ち立てます。その師に出会わなければ、今日の自分は無かったと述懐しています。

◆信頼できない師からは学ぶものは少ない
 前述したように、自己の目標を実現するために生涯の探究テーマを決めたとしても師に恵まれなければ、その目標を達成することが難しいでしょう。古今東西、一時的ではなく継続して大きな成功を収めた人には必ず師が存在します。そして、師弟関係には強い信頼関係が存在しています。
 激しくも厳しい指導に耐え、やり遂げられるのも師との信頼関係が存在するからです。かつて、こんな場面を見たことがあります。その人は、今風に言うなら、強烈なパワーハラスメントではないかというほど上司から毎日激しく罵られ叱責されていました。どんなに無茶な要求に対しても、決して反発することはありませんでした。周りから見ると目を覆わんばかりの哀れな状況でしたが、約二年間、上司のしごきに耐え抜きました。
 周りを心配させるほどの光景が繰り広げられていました。とうとうノイローゼになり、何度も放心状態になりながらも会社を辞めずに我慢しました。
 後になってのその人の告白です。「最初は、反発心だけだった。辞表をたたきつけて、そのまま故郷(くに)に帰ろうと何度も思った」。
 ところが、不思議なことに、ある時点から、親でもないのに、よくぞ、ここまで自分を育ててくれようとする上司に感謝の気持ちが湧いてきた。そこから、どんなことがあろうともこの上司についてゆこうと決心した」と告白してくれました。その人は、若かりし頃の経験を活かし、その後も順調に昇進して、その会社のトップ層の役員にまで上り詰めました。
 人生で選ぶことができないのは上司と親です。同じ局面を迎えた時にどのように覚悟を決めるかで天と地の差が生じます。運も偶然でなく呼び込むことができるのです。

◆師から知識を学ぶのではなく思考を学ぶのだ
 前述した師弟関係は普遍的なものでないかもしれません。ただ一つ言えることは教える側も教えられる側も真剣だったことです。加えて、師弟が真摯に向き合いました。そして、いい結果を生み出しました。人を育てると簡単に言う人が合います。しかし、よほどの覚悟を決めないと人は簡単に育ちません。また、人づくりは単なる知識の伝承ではなく、人間改造のプロセスでもあります。
孔子自身も弟子の人づくりに生涯をかけました。その教えは「自ら考え自ら実行する人づくり」でした。
 そのためにどうしたのでしょうか?為政編のまとめで取り上げました。再度この項でも取り上げます。

第一は、「三者三様の教え」です。
 個人ごとに指導の仕方を変えます。人を見てその人に合った指導をしました。同じ質問をされても同じことを回答していません。その人の性格や能力に応じた指導方法を選択したのです。

第二は、「正解を導き出す思考過程」の教えです。
 質問されたときにすべての正解を教えず、考えさせる示唆(ヒント)を与える回答をしています。孟懿子(もういし)のような権力者には孝を問われて「外れないことだ」と相手に考えさせるとうに答えています。また、その子孟武伯には病にかかって親に心配かけないことが孝行だと回答しています。

第三は、「常に事実を検証すること」の教えです。
 学んだことは「鵜呑みにせず必ず調査分析して確認しなさい」そして、必ず自分の意見を添えて納得して習得しなさいというものでした。要するに、学ぶことは知識そのものを増やすことが目的でなく学んだ知識をよく思索して実践することが大切であるというものです。(了)


論語に学ぶ人事の心得第53回 「下心を持つ者には断固として妥協せず、厳然たる態度で対処する」

衛国君主 霊公出典:Bing

 本項は王孫賈(おうそんか)との対話です。
 孔子が魯国から全国遊説の旅の途中で衛国に立ち寄った時に行われたものだと思われます。王孫賈(おうそんか)は、孔子が衛国の重臣で、実力者である自分をさておいて奥、つまり君主霊公に媚(こ)びを売っているのではないかとの妬(ねた)み心を起こし、諺(ことわざ)を用いて遠回しに孔子を咎(とが)めているのです。孔子は、このことは百も承知で、「私はそのような小汚い真似はしません」ときっぱりと否定しています。
 王孫賈(おうそんか)はこれまでに登場してこなかった人物です。衛国の軍事を担当する重臣の一人でした。当時の衛国は霊公(れいこう)という29代目の君主が治めていました。霊公(れいこう)は、重臣で持っていると言われたほど取り巻きに守られていました。王孫賈(おうそんか)はそのうちの一人です。
 衛は中国の周代・春秋時代から戦国時代にかけて河南省の一部を支配した諸侯国です。紀元前209年、秦によって滅ぼされました。

 八佾篇第3―13「王孫賈(おうそんか)問いて曰く、其の奧に媚(こ)びんよりは、寧 (むし)ろ竈(そう)に媚び(こ)よとは、何の謂(いい)ぞや。子曰く、然(しか)らず、罪を天に獲(う)れば禱(いの)る所なき也」

 「王孫賈(おうそんか)問いて曰く、其の奧に媚びんよりは、寧 (むし)ろ竈(そう)に媚びよとは、何の謂(いい)ぞや」とは、王孫賈(おうそんか)が質問して言った。奥でかまどの神様のご機嫌を取るよりはかまどの前でご機嫌をとったほうが良いという諺がありますが、どういう意味ですか?師は答えた。「然(しか)らず、罪を天に獲(う)れば禱(いの)る所なき也」とは、それは違います。天に罪を犯せば、祈る対象が無くなります。

 論語の教え53: 「謀(はかりごと)をする人間には付け入るスキを与えてはいけない」

◆権力者の取り巻きには留意せよ
 権力者を取り巻く人物は、二癖も三癖もある人物であることは古今東西変わりません。それだけ権謀術数に長けた人物のみが就ける地位です。


孔子像:出典Bing

 現代社会においても、論語で教えていることとは真逆である、「うちのトップはどうしてあのような根性の曲がった人物を側近につけるのか」などと巷を賑わせる話題には事欠きません。一方で、癖のあるものほど仕事ができともいわれます。癖のあるものはある意味リスキーな存在でもあります。
 ところで、癖のある人と人間関係を築くにはどうすればいいのでしょうか。このような人と人間関係を築く必要はないと言ってしまえばことは簡単です。しかしながら、そうとばかり言えません。相手は重要な顧客であったり、取引先であったりする場合はうまく人間関係を維持しなければなりません。社内でも直属の上司であれば、必ず人間関係が生じます。避けることはできません。これらの人との付き合い上の要諦は自分の本心や尊厳を決して明かさないことです。そして、ぶしつけにも相手が心の中に土足で踏み込んできた時や不当な要求をしてきたときには、厳然とはねつける勇気を持つことだと思います。
 また、人間には、必ず強みと弱みがあります。相手の強みと弱みをじっくりと観察し、相手の出方によっては弱みを突くことを準備しておくことも大事です。

◆巧言令色な近づきには心を許すな
 ご承知のとおり、学而編1-3に「子曰く、巧言令色鮮(すくな)し仁」という短い項がありました。「巧妙な言葉で、取り繕った表情する人間は心を偽っているから、心して付き合え」というものです。孔子の言葉に深い意味を読み解くことができなくてもこの言葉の暗示するニュアンスを感じ取ることができます。この一項は、まさに、「至言」と言っていいでしょう。その反対に、「剛毅朴訥、仁者に近(ちか)し」とは口下手であっても真情にあふれる人は、仁者であると高い評価をしています。要するに人間を評価するのは外面的なものでなく内面の心のありようで評価することの大切さを説いているのです。
 因(ちな)みに、辞書によりますと、心情とは心の中にある思いや感情のことであり、本項で説いている真情とは嘘偽りのない心、まごころのことを言います。
 言葉巧みにすり寄ってくる者を我々はすぐに信じてしまいます。古くからある詐欺師や詐欺行為がいまだに消えてなくならないのはいかに人は騙されやすく、巧みな言葉に弱いかという証拠でしょう。

◆虎の威を借りる人間の本性を見抜く
 「虎の威を借る狐」とは、「権勢を持つ者に頼って、その権力を後ろ盾にして威張ること」です。出典は「戦国策・楚策』にあると言われています。
 その話の内容とは「虎が狐を食おうとしたときに、狐が「私は天帝から百獣の王に任命された。私を食べたら天帝の意にそむくことになるだろう。嘘だと思うなら、私について来い」と虎に言った。そこで虎が狐の後についていくと、行き合う獣たちはみな逃げ出していく。虎は獣たちが自分を恐れていたことに気づかず、狐を見て逃げ出したのだと思い込んだ」という話から来ています。
 それにしても虎に威を借りて威張り散らす小心者が多いことに驚かされます。
 以前に、このような光景を見たことがあります。同僚の一人が上司に決裁書をもって伺ったところ「今頃こんなものをもってきて遅いじゃないか」と決裁書を激しくたたき返しました。仕方がないから、決裁書をその上司の上司にもって決済を伺いました。事情を説明して決済を伺ったところ決済してくれました。その後、彼が直属上司に事後報告に伺ったところ、「ルール違反だろう」と怒られると覚悟していたにもかかわらず、にこにこしながら「実は私も賛成だったのだよ」と急に態度を豹変したのでした。その後、私を含め同僚はその上司を全く信用しませんでした。
(了)

注)1戦国策とはもともと『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物(竹簡)があったが、これを前漢の劉向(紀元前77年~紀元前6年)が33篇の一つの書にまとめ、『戦国策』と名付けた。(出典:ウイキペディア)


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