論語に学ぶ人事の心得第65回 「音楽は勇ましいのも悪くはないが、やはり穏やかで、調和のとれた良い曲は美味しい食事をとることを忘れさせる」

帝王舜像 出典:ウイキペディア

 本項は、孔子がこれまでの王朝の中から二人の帝王の音楽について批評したものです。韶(しょう)とは五帝の一人と言われた舜(しゅん)王の音楽です。
 武(ぶ)とは周(しゅう)王朝を築いた武(ぶ)王の音楽のことを指しています。
 孔子によると「舜(しゅん)王の音楽である韶(しょう)は音律が麗しく心地よい。一方、周(しゅう)国の武(ぶ)王の音楽は音律が美しいが、荒々しく心地よくない」と言われるのです。
 それには訳がありました。舜王は帝位を平穏に譲り受けたのに対し、武王は前王朝の殷(いん)国を武力で滅ぼしました。音律は美しいのですが、何か粗ら粗しさが出てあまり心地よくないというのです。
 韶(しょう)に関しては論語述而篇7-13で孔子が絶賛した件(くだり)があります。『斉(せい)国で韶(しょう)の曲を聴き、三ヶ月肉の味を知らなかった。孔子は言った。「良い音楽がここまで人を魅了するとは思わなかった」と』

 八佾篇第3―25「子、韶(しょう)を謂(い)う美美を尽(つ)くせり、又、善(ぜん)を尽(つ)くせり。武(ぶ)を謂(い)う。美を尽(つ)くせり、未(いま)だ善(ぜん)を尽(つ)くさざるなり。」

論語の教え65:「組織の文化には、リーダーの品格が色濃く反映する」


孔子立像:出典Bing

 国家であれ、企業であれ、その組織はリーダーの品格そのものである。
 「品格」というのはその人やそのものに感じられる気高さや上品さのことです。
 「品格」がある人、「品格」が備わっている人、などと表現することがありますが、必ずしも人だけではありません。国家や特定の団体に対して用いられます。基本的には誉め言葉として使用されます。   
 個人や特定の団体が気高く、尊敬を集められるような人徳を持っているという状態を「品格」が備わっていると表現することもあり、作法やマナーなど、立ち振る舞いがしっかりできている状態に対して「品格」が備わっていると表現することを表現します。
 国家であれば君臨するリーダーのキャラクターによって品格が決まります。直近では、アメリカ大統領の個性で「国家の品格」論が世界的に喧(かまびす)しく議論されたことが記憶に新しいところです。国だけではありません。企業であっても、リーダーの個性で品格が決まっています。たとえ、世界的な企業であっても、一地方の中小企業より劣るような品格の企業もあります。そのような組織では品格のある人は育たないばかりか住むことができません。人心は収まるどころか乱れるばかりです。

 リーダーの思いが良きにつけ、悪しきにつけ人々の価値観に影響する。
 なぜ、人々はリーダーの影響から逃れられないのでしょうか。リーダーから自分の生き方と真逆の価値観を強いられていくからです。
多くの人は阻害や迫害もうけます。このような状況下では、押し付けられた価値観から逃れるためには、その国家や組織を離れる以外に方法はありません。小規模組織であれば話は簡単ですが、大規模組織や国家であれば離れることは容易ではありません。
 それでも、世界には生死をかけても、祖国から逃れようとする人たちは、今でも後を絶ちません。いわゆる、難民と言われる人々です。本来、政治は人々を幸せにするためにあるのですが、そんなきれいごとが通用しないのは孔子が生きた時代も今も全く変わっておりません。
 2018年時点で、世界の難民および国内避難民の数は7,080万人にも上り、第二次世界大戦以降で、過去最大の数値となったとの事実があります。この数は世界人口ランキング20位のタイ王国の人口69,63万人に匹敵します。恐ろしいばかりの不幸や迫害が地球上を覆ってきつつあります。コロナウイルスがパンデミックになって一年半です。人間が作り出したもう一つの不寛容というウイルスがやがてパンデミックとなって地球を席巻する時代がやってくるかもしれません。そんな時代は来ないことを祈るばかりです。

 品格を身に着けるために日々徳を積む行動をする
 「徳」というと、聖人君主のような生き方を想像する人がいるかもしれません。しかし、自己とかけ離れた難しい行動をとることを孔子は求めておりません。人として自然に無理なく毎日を五常(仁・義・礼・智・信)の教えに従って、一歩一歩近づく努力を続けることです。他人と比較して生きづらく感じたり、劣等感を持つ人がいます。
 他人と比べるのではなく自分自身として、何が不足しているのかを考えることです。その基準は五常だと孔子は説いています。そして、自己の所属する共同体の中で自分の居場所をしっかりと確保することです。
 さて、徳は大きく2種類に分けることができます。その1つが陰徳です。
 陰徳とは、人に知られないように良い行いをすることです。そのため、人に見られないようにゴミ拾いをしたり、寄付をしたりなどが陰徳となります。陰徳は人に知られないということが重要であり、誰かにその良い行いを見られたり、聞かれたりなどすると陰徳ではなくなってしまいます。
陰徳と逆の意味を持つ言葉として陽徳があります。陽徳は人に知られるように良い行いをすることです。その良い行いによって褒められたり、良い印象を持ってもらうなどの見返りを求めるという大きな違いもあります。
 徳を積むというのは本来見返りを期待せず人に善意を尽くすことです。
(了)


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