論語に学ぶ人事の心得第56回 「射礼では単に結果を残すだけでは十分とは言えない。真摯に試合に臨んだかが問われる」

射礼 出典:Bing

 本編3-7項でも取り上げられていますが、弓の試合は射礼と称して、細かく約束事が決められた儀式の一つでした。射礼の際には、一組二人の選手が競技場から正堂の階段を上って主催者に挨拶をして、また競技場に戻るというのが習わしの一つでした。さらに、競技者が階段ですれ違う際には、必ず両者は胸の前で両手を組み合わせて挨拶をするのが決まりでした。当時の戦争では弓は最強かつ有力な武器でありました。その武器を用いて競う射礼にも厳かなルールが決められていたのです。人を殺し合う武器にも一定の規則に則った作法があったのは人間の持つ美意識のようなものが感じられます。現代にまで続いている弓道にも通じる興味深い内容です。
 孔子は弓の名手でもありましたので、射礼には一家言があったものと思われます。武器としての弓矢には的を射る目的がありますが、射礼となると厳かな儀式となります。競技者は、どれだけ、自分の能力に応じて真摯に取り組んだかということが結果よりも重視されることになるのです。

 八佾篇第3―16「子曰く、射(しゃ)は皮(ひ)を主(しゅ)とせず、力(ちから)の科(しな)を同じくせざるが爲(ため)なり、古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」

 師は言われた。「射(しゃ)は皮(ひ)を主(しゅ)とせず」とは弓の試合では的に命中させることが目的ではない。「力(ちから)の科(しな)を同じくせざるが爲(ため)なり」とは競技者の力の等級が異なるからである。「古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」とはこれこそ古い時代からの美しいやり方だ」

 論語の教え56: 「何事も道を極めるには、結果を残すことより、真剣に取り組む姿勢で人間としての成長を目指す」

◆「道」の意味するところを深く理解し精進する。
 道(どう)にはいろいろな文字が合わさって様々な概念が生まれています。武と合わさって武道(ぶどう)、弓と一体になって弓道(きゅうどう)、柔と重なり柔道、華と重なって華道(かどう)といった具合です。戦いの技術を身に着ける武道も、単に戦いに勝つ技術ではなく、心身を鍛える意味が込められています。本項で取り上げられている「古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」というのも弓術(きゅうじゅつ)の技量を高めることも大切ですが、それよりも大切なことは真摯な態度で試合に参加しているかどうかが大切であると。それが古くから伝わる美しい習わしであると孔子は説いているのです。こうなると当時の最高の武器であった弓矢も武器を超越して人格陶冶(じんかくとうや)の道具であると思えます。道という漢字は「首」と「しんにゅう」で組み合わされてできた言葉です。首は人を意味し、しんにゅうは人の往来を意味すると言われています。そこから派生して繰り返し繰り返し技を磨くことにより、技そのものの向上を目指すことにより生涯を通じて人間としての成長を目指すことを意味しているのです。

◆生きることそのものが道を極めることにつながる。
 人が一度しかない人生を送ることは「旅」にも例えられます。それは、自分を磨く旅でもあります。自分が掲げた目標に向けて達成するための旅路です。私は、人が人生の目標を無くしたら生きる意味を無くしたことになると思います。人生には様々な生き方があります。人の数だけ生き方があると言っても言い過ぎではないでしょう。人は人生のどの道を進むにせよ絶対に不可欠なのは目標を持つことです。
 そして、その目標に向かって、飽きることなく段階を一歩一歩踏みしめて近づいてゆくことで人は磨かれてゆくと思います。その繰り返し営まれる平凡な努力の積み重ねが非凡な成果を生むのです。目標もなくただ漫然と送る人生ほど無意味なものはないと思われます。人生の目的は単に経済的豊かさのみを求めることでなく、あらかじめ設定した目標に段階を追って近づいてゆくことです。

◆いい結果を残すにはいいプロセスを作り上げることだ。
 個人であれ、法人であれ、喉から手が出るほど欲しいのは物心両面のいい成果です。問題は、成果には勢い注目しますが、その過程、つまり、成果を出すための仕組みや行動には無関心であることです。しかも成果に執着心を持つ人ほどプロセスを無視してしまう皮肉な現象が生じています。
 これだけは明確です。いいプロセス無くしていい成果は絶対に生まれません。そのプロセスで最も大切なことは人です。いい仕組みがあってもそれを動かすのは人だからです。多くの企業では社員の能力に不足を感じています。しかし、会社の期待する人材と現実の人的資源との格差を埋める努力を怠っている企業が圧倒的に多いこともまた事実です。社員能力に不足を感じた時に直ちに人材育成に取り組む必要があります。人が育つ組織風土を作り上げることも大切になります。何もしないで嘆いているだけなら、その企業は「私たちは人材育成する能力がありません」と宣言しているようなものです。
 かつて、経営の神様と言われた松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助氏は社員にこのように伝えていたと言います。「顧客から貴社は何を創っている会社ですか」と訊ねられたら、「当社は人を創っています。併せて、電化製品も作っています」と答えなさいと指示していたと言います。これほど経営の本質を分かりやすく述べている言葉をほかに私は知りません。(了)


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