論語に学ぶ人事の心得第35回 「どうすれば民(たみ)は君主を尊敬し、従うようになるのだろうか?」

 本項は魯国の君主哀公(あいこう)との対話です。君主と言っても孔子とは孫ほどの年齢の差がありました。孔子が十三年余りの諸国遊説の旅を終え、68歳で魯国に戻った時、哀公(あいこう)から相談があったものと思われます。このとき、魯国では農民の反乱が多発していました。
 ここで、君主哀公(あいこう)についてもう少し述べておきたいと思います。
 「孔子の祖国魯国の第26代君主の定公(ていこう)の子として生まれます。その後、BC494年に父の定公(ていこう)に代わり魯国第27代君主に即位しました。
 即位中のBC487年に隣国の呉に攻められましたが奮戦し、和解しました。その後、斉に攻められ敗北しました。    
 BC485年には呉と同じく斉へ攻め込み大勝しました。BC483年に権力を誇っていた簡公(かんこう)討伐に孔子が進軍を勧めますが実行しませんでした。  


哀公(あいこう)像

 その3年後のBC481年、斉の簡公(かんこう)が宰相の田恒(でんこう)に弑殺(しいさつ)されたのを受けて、孔子が再び斉への進軍を3度も勧めましたが、哀公(あいこう)はこれを聞き入れませんでした。BC468年に、魯の第15代君主の桓公(かんこう)の3兄弟を祖とし当時絶対的権力を握っていた三桓(さんかん)氏の武力討伐を試みるも三桓(さんかん)氏の軍事力に屈し、衛(えい)や鄒(すう)を転々とした後に越(えつ)へ国外追放され、BC467年にその地で没しました。(出典:ウイキペディア)

 為政2-19「哀公(あいこう)問いて曰く、何を爲(な)さば則(すなわ)ち民(たみ)服せん。孔子對(こた)えて曰く、直(なおき)きを擧げて諸(これ)を枉(まが)れるに錯(お)はさば、則ち民(たみ)服す。枉(まが)れるを擧(あ)げて諸(これ)を直(なお)きに錯(お)けば、則(すなわ)ち民(たみ)服せず」


孔子の言葉 出典:Bing

 論語の教え36: 「人びとが会社を信頼し服務するのは公正な人事を進めることに勝る方策はない」

 ◎公正な人事とは?
 まず、公正とは何かということです。公正とは個人の能力及び会社への貢献度以外の要素で不当に差別されないことです。
 公正な人事には管理される側と管理する側の論理があります。 
 大切なことは「管理される人」が公正と思わない限り真の公正な人事が行われているとは言えないことです。例えば、「管理する」経営者サイドが、いくら「わが社は公正な人事を進めている」と言っても経営者や管理職の大半が総経理の血縁者で固められていたとしたら、社員は元より部外者であっても公正な人事が行われているとは判断しません。
 公正な人事には以下の三つの原則があります。第一は「機会均等の原則」、第二は「能力評価の原則」、第三は「成果配分の原則」です。

 ◆「機会均等の原則」
 機会均等には社員一人ひとりの能力開発と登用の機会均等があります。能力開発には社内外の研修参加やキャリア開発のための職能や職務の選択について、誰に対しても門戸が開放されていることが大切です。特定の人だけに門戸が開かれていては大多数の社員がやる気をなくします。社員の昇進や昇格についても同様です。

 ◆「能力評価の原則」
 社員の能力でなく、上司の好き嫌いで恣意的に評価されることは社員が最も嫌うことです。人は誰でも努力した結果、貢献度に応じて格差がつく事を嫌がりません。最も嫌うのは公正に評価されないことです。何らかの理由で特定の人が依怙贔屓(えこひいき)されることによって人事を不透明にしてしまいます。
 大切なことは人事評価に客観性があることです。人が人を評価するのですから、評価には勢い主観的要素が入り込みます。評価から主観性をどう排除するかが人事評価の最重要ポイントといっても良いでしょう。
 次の大切なポイントは納得性です。評価者と被評価者の両者が納得するものである必要があります。評価される側の貢献度を日常の業務活動から注意深く観察し、記録にとどめておかなければ、評価は主観的になり、納得性が得られないものになってしまいます。

 ◆「成果配分の原則」
 機会均等と能力評価が公正に行われれば最後に成果配分が公正に行われているかどうかが問われます。
 成果配分には月例給与と期末賞与があります。月例給与は生計給としての基本給と能力給とで構成されます。月例給与は下方硬直性が高いので業績をあげたからと言って大判振る舞いをしていると業績が悪化しても給与を下げられませんので賃金体系がいびつになります。業績を上げた社員には賞与で報いるようにすべきです。賞与は業績連動の成果配分なので上下することは当たり前です。従って、評価制度も業績評価と能力評価の二本立てが望ましいのです。

 ◎川の水は下流から濁らない
 組織で起きる現象を川の流れに例えて、公正な人事が行われなかったために上位職位から不正や悪しき慣行が組織全体にひろがることを表現しています。
 本項で孔子が哀公(あいこう)にアドバイスしたのはまさにこのことだったと思われます。「正しい者を抜擢して不正なものを統治すれば多くの人々は従う。不正なものを抜擢して正しいものを統治させれば多くの人々は従わない」と答えたのには意味がありました。
 古今東西、人事の原則は仁者を抜擢して人々を統治させることが国家の安寧を約束することです。ところが哀公(あいこう)は孔子のアドバイスを聞かないばかりか人を見抜く目も持っていませんでした。
 だから、公正な人事を行わなかったために、反乱が頻発したものと思われます。このことは哀公(あいこう)の末路を見れば明らかです。
 現代社会においても全く同じようなことがよく聞きます。歴史が繰り返されるということです。
(了)


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