論語に学ぶ人事の心得第32回 「百花繚乱の諸説に惑わされないためにはどうあるべきか」

 百人寄れば百様の考えがあります。しかも、人はだれでも自分の考えが正しいと思っています。自分の考えが異端とか間違っているなどと思っている人は誰もいないでしょう。だから、自分の正義を人に押し付けます。
 しかし、その前にやるべきことがあるはずです。
 異端は正統の対語で用いられる言葉です。辞書によると『異端は正統あっての異端、つまり「異端」という概念は、「正統」という概念があって初めて成立するものであり、それ自体で独立して成立する概念ではない。「正統」と見なすものがあり、それではないものを「異端」と見なすということである』と解説されています。


孔子と弟子たち出典:Bing


 そうであるならば、孔子の正統とは何をもって正統とみなしたのでしょうか?
論語に関する参考書によりますとこれまでにはそれこそ異論、異説が続出し定まった説はないようです。
 そこで、私は大胆にも以下の説を考えました。読者の批判を仰ぎたいと思います。
孔子が考えた正統とは「物事の本質や自然の摂理のこと」であって、孔子の唱える「三綱五常」三綱(君臣、親子、夫婦)五常(仁・義・礼・智・信)のことではないかと思います。
 なぜ、このように解釈するかと申しますと、孔子は多くの弟子に対し学ぶことの基本原則を伝えたかったのだと思うからです。
 弟子の諸君よ! まず、基本原則を忠実に習得しなさい。学んだあと、そこから異なった考えを学習することで視野を広め、応用する能力が身に付くのだよと叫びたかったのだと思います。
 基本原則もわからないのに無秩序に多くのことを学んでも頭が混乱するだけだからです

 為政2-16「子曰く、異端(いたん)を攻(おさ)むるは、斯(こ)れ害(がい)あるのみ」

 先生が言われた。「異端(いたん)を攻(おさ)むるは」とは正統ではないよこしまな教えに入り込んでしまえば。「斯(こ)れ害(がい)あるのみ」とはこれはもう災いでしかない。


孔子廟出典:Bing


 論語の教え33: 「まず基本原則を習得せよ。しかる後に実践し応用することを考えよ」

 「よい理論」ほど「実践的」なものはない
 理論と実践は必ずしも一致しないという人が多くいます。理論は現場で実践してみて初めて役に立つともいわれます。ある意味正統な考え方でしょう。ここで大切なことは、私たちは自己の考え方のバックボーンとなるような優れた実践的な理論を学んでおくことが異端なものに惑わされないことへの備えだと思われます。
 ところで、優れた理論ほど実践的なものはないと主張した人がいます。行動科学の創始者Lewin, K.(クルト=レヴィンです。「アクションリサーチの祖」としても知られるレヴィンは、「研究」と「実践」のあいだを往還しながら、おそらく、そこに葛藤と可能性をおぼえ、自らの理論と実践を発展させていきました。自然科学系と異なり社会科学の「解」は実験で求められませんからどうしても試行錯誤の中での経験法則を導き出すという手間暇がかかります。
 私たちは先人の優れた功績を活用し経験法則を導き出すためには上記にある「実践」と「研究」を意識的に往復させながら自分流儀を編み出す必要があります。その繰り返しの中で自信もつき、確固たる信念が持てるようになるのだと思います。ここまでくれば占めたものだと思います。
 そして、次の進歩のためにこの世の中に百花繚乱のごとく存在する諸説に触媒されると新たな発想が蘇ってきます。
 B=F(P E) 人間の行動は個人の特性と取り巻く環境に影響されて起きる
 この方程式も前記の行動科学の創始者Lewin, K.(クルト=レヴィン)が見出した方程式です。Bは、behavior、行動 Pは、personality、個人の特性 Eは、environment、環境 です。
 私たちの人間行動は、自分のパーソナリティーだけでおきるのではなく、環境の影響を受けて起きているということです。
 ほかに類友の原則というのもあります。自分の周りには同じような考えを持った人が集まるというものですがこれも自分個人の考えだけでなく人との関係で同じ環境を選んでしまうこと指しています。
 たとえば、自分としては「一所懸命仕事したい」と思っていても、職場の同僚がやる気がなく「お前は何で会社の言いなりになるのだ」と否定的なことを言われたら、それをはねのけて一人だけで仕事をやり続けることは難しくなります。
 (P)は、仕事したいのです。でも、(E)は、仕事できる環境ではないのです。そこで、仕事しないという同調行動(B)になるのです。 だから、自分を取り巻く環境を前向きな考えを持つ人たちに取り巻かれるよう整えましょう。
(了)


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