論語に学ぶ人事の心得第九回 「常に見聞を広め、人格の陶冶に励んでいれば敢えて、求めなくても周りから頼りにされ、必要な情報が入ってくる」

 子貢は孔子門下の逸材です。孔門10哲の一人で、姓は端木、名は賜と言いました。衛国(現在の河北省南西部から河南省北部にわたる地域)出身です。大秀才であり、弁論にも秀でていました。孔子より31歳年少。春秋時代末期から戦国時代にかけて、外交官、内政官、大商人として活躍しました。子禽(しきん)は子貢の弟子です。姓は陳、名は亢(こう)と言いました。孔子より子貢を尊敬していたとも伝えられています。
 本項はその信頼する師弟関係の対話です。

 学而1-10「子禽(しきん)、子貢(しこう)に問ふて曰く、夫子(ふうし)のこの邦(くに)に至るや、必ず其の政(まつりごと)を聞く。之(これ)を求むるや、抑ち(すなわち)之を与えたるか。子貢曰く、夫子は溫(おん)・良(りょう)・恭(きょう)・儉(けん)讓(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸人の之を求めたるには異ならんや。」
 子禽は師である子貢に質問した。孔子先生はある国を訪ねると必ず政(政治)をその国から相談された。これは先生が求めたのか先方から持ち掛けられたのかどちらであろうか。子貢はその資金の質問に答えて以下のように説明した。先生は温(おだやかさ)、良(素直さ)恭(うやうやしさ)、儉(つつましやか)、讓(ひかえめ)な人柄であるので自然とそのようななりいきになった。先生から求められたとしても他の人とは異なっていた。

 論語の教え10:「常に見聞を広め、人格の陶冶に励んでいれば敢えて、求めなくても周りから頼りにされ、必要な情報が入ってくる」

 おおよそ、人は企業経営や公共経営にかかわらずどんな組織に所属していても地位や力を求めて齷齪(あくせく)します。そこには、古来から悲喜こもごものドラマが繰り広げられてきました。

 本能というエンジンと理性というハンドル
 なぜ、人はここまでして権力や地位に固執するのでしょうか?
 それにはすべての人が生まれながらに持っている本能が地位を獲得する行動へと駆り立てるのだと思います。人は誰でも自己向上意欲が備わっていて自分の思い描いた目標を実現するために一生懸命になります。そのこと自体は決して悪いことではありません。
 一方、人間には理性が備わっています。理性が情念で駆り立てられた本能をコントロールしています。車に例えると本能がエンジンだとするなら理性はハンドルになるでしょうか。目的地に安全に効率よく到達するには両方が機能してこそ実現できます。

 地位は求めるものではなく迎えられるものである
 今回の教えは人間には誰でも獲得本能ともいうべき上方指向が備わっていますが、権力者に媚びて本能のままに地位を得ようとするのではなく、孔子のように常に人格を陶冶していれば、それを求めなくても先方から近づいてきて頼りにしてくれるのです。
 また、このような人間関係がいろんなところに構築できれば、おのずと斬新な情報が入ってきます。孔子は国内外を旅し見聞を広めました。それは生きた学問そのものでした。民の現実の姿を実地検分していますので為政者は興味をもって孔子との情報交換を望んだのだと容易に想像できます。しかも、媚びへつらうことなく真実を述べますから迫力満点です。
 名君ほど孔子を重用したのもうなずける話です。(了)


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