論語に学ぶ人事の心得第75回 「道徳的な真理の道を志すなら、粗衣粗食に拘(こだわ)ってはいけない」

子路像出典:ウィキペディア

本項で孔子は、道徳的な真理を探究する者は、粗衣粗食でなければならないと言っているのではありません。むしろ、孔子は実際の生活では美食を好み、その生活空間の隅々に美意識をもって貫いた人でした。
あくまでも、ここで孔子が言いたいのは求道心(きゅうどうしん)を持つ者は上っ面の些事にとらわれずに、徹底的に、本質を貫く生活態度を持てと説いているのです。弟子たちに、今一番大切なことは真理を極めることだと激励しているのです。学究であれば贅沢は二の次にすべきであって、何がこの時期大切なのかをよく考えろとも言いたいのだと思います。
孔門十哲の一人である高弟の「子路」は孔子の言葉を実践した人でした。「ボロボロの衣服を羽織り、上等の狐やムジナの毛皮コートを着ている人と並んで立っても、恥ずかしがらない者がいるとすればそれは子路だろう」と孔子は評価しています。

 里仁編4-9「子曰く、士、道(みち)に志(こころざ)して、而(しか)も悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らざるなり。」
師は言われた。「士、道(みち)に志(こころざ)して」とは道徳的な真理を追究しようとする者
で、「而(しか)も悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥ずる者は」とは粗末な衣服や食べ物を恥ずかしがる者は、「未(いま)だ与(とも)に議(はか)るに足らざるなり」とはまったく問題にならない。

論語の教え75:「物事の本質を見極めよ、人は外見だけで、評価してはならない」

◆洞察力で物事の本質を見極めよ
 洞察力とは、「物事の本質を見抜く力」のことです。
 ただ漫然と世の中の景色や人物を見ていたのでは見れども見えずとなります。
 洞察力は、「表面的な部分」を含め、さらにそこから「見えていない部分」まで見抜いていく力のことだと言い換えることもできると思います。
 そこには日常的に「問題意識」と「意識的観察力」が備わっている必要があります。皆さんの周りには情報を的確に把握し仕事に有効に活用している人はいませんか。情報は誰にでも降る星のごとく飛び込んできます。情報収集の上手な人には、鋭い問題意識を持っている人が多いです。
それでは、問題意識とは何でしょうか?
 問題意識とは解決しなければならない問題を複数、頭に描いて、どうすれば問題解決できるかを常にシミュレーションしていることを言います。因みに問題とは「ありたい姿」と「現実とのギャップ」のことを言います。問題には公私の両面があります。両者には不可分の関係が存在するからです。家庭円満な人は仕事も順調に運びます。
意識的観察とは何でしょうか?
 耳で集めた情報を同じように、問題意識を以て目で検証し確認することです。ただ目で見るだけでは見えるだけで見抜くことはできません。冒頭に述べたように見れども見えずになってしまいます。
また,本質を見抜くには、これだけで十分ではありません。皆さんは何を想像されましたか?さらに、必要なのは「心」です。「心眼(しんがん)」という言葉があります。辞書には 物事の真の姿をはっきり見分ける心の働きとあります。何事も心を込めて聴き、真剣に見なければ本当の姿はわからないということの教えだと思います。

◆眼は心の窓である。眼は真実の姿を語り掛けている。


 嘗て、私はインドの地方都市を視察団の一員として訪ねたことがあります。ムンバイから100キロくらいも離れたのどかな田園地域でした。当時のインドは絶対貧困の国と言われ、自力で経済発展ができない国の一つだと言われていました。
 二週間にわたって十数か所を視察しました。訪れた町のすべてが汚れていて、人だけがあふれかえっていました。テレビでしか見ることができなかった、まさに、混沌と喧騒の町が広がっていました。
 しかし、一つだけ救われた思いをしました。それは、会った人すべての目がきれいで輝いていることでした。リーダーも、中堅幹部も、一般の方も、すべてと言っていいほどです。私にはとても印象的で今日でも彼らの目の輝きを忘れることはできません。私たちは、今は貧しいけれど、輝かしい未来が待っている。私たちは未来を自分たちで作り上げるのだと私たちに語り掛けてくれているように感じました。
 以来30年も経ちました。果せるかな、インドの人々は、今日の発展を現実のものとしました、それにしても先進国と言われる国々の人々は、このインドよりはるかに豊かな生活を実現しているにもかかわらず、目に力強さが微塵も感じられない人が多いと感じられるのは私だけでしょうか。

◆人事の本質は人々に将来の夢を描かせることである。
 人事の基本は会社のビジョンを実現することです。組織も人も将来の夢を描き、それを懸命に現実のものとするために努力します。そこには、多少の矛盾や不満があっても人々は我慢できます。組織にとって、個人にとって、将来に希望を持てないほど働く意欲を削がれることはありません。
 組織の将来の夢を実現するために一緒に頑張ろうではないかと経営者に呼びかけられたらそれを断る人はまずいないと思われます。ところが、多くの場合、経営者は社員の経営参画には否定的です。社員は指示命令されたことだけをやればいいというわけです。
 このような組織風土の会社では社員は報酬にのみ関心があり、仕事に動機づけられるより、給与にのみ動機づけられることになります。いきおい視点は短期的になります。将来のことなど問題外です。将来に夢を持たなくなればどんなことが起こるでしょうか。
 大きく二つの組織的な病が生じます。一つは構成員が内向き指向になることです。一番恐ろしいことは顧客の都合を無視して、社内の都合を優先することです。簡単に言えばお客が無理難題を吹っ掛けるから悪いのだという他責思想が蔓延してきます。二つ目は革新力を無くしてしまうことです。企業は本来環境適応業です。環境変化を無視しては企業を発展させることは不可能です。
 多くの企業は二つの組織的病に気付かず一生懸命仕事をして企業を没落させています。組織も個人も本質を見抜く力を無くすと取り返しのつかない事態を招くことを断じて忘れてはなりません。(了)


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