論語に学ぶ人事の心得第70回 「仁は大切な徳義だが、真摯に学べば手に入れることができる」

 孔子は、本項では「仁」を志せばこの世の中から悪事は無くなると言い切っています。
 非常に短い文章の中に、孔子の強い意志が感じ取れる内容です。前項では孔子は「仁」を極めることは安っぽく愛情を振りまくことではないと述べていました。だから、感情を抑制することなく善い人には善い人として評価し、品性の下劣な人には厳しい態度で臨むことを説きました。


図 1孔子像:出典Bing

 他人の善悪を見極めるには、それなりの修行を経て眼力を習得しなければなりません。しかし、本項では「仁」はそんなに手の届かないところにあるのではなく、自分さえ求めれば手に入れることができるとも述べています。論語の述而編7-29に「子曰く、仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、ここに仁至る」との記述もあります。
 確かに、「仁」という高度な徳義は一般人のみならず高い志をもつ弟子にとっても手の届かないものだと尻込みするものだったに違いありません。そんなことを察知した孔子が真摯に励めば手中にできることを折に触れ説いたのです。

 里仁編4-4「子曰く、苟(いやし)くも仁に志(こころざ)せば、悪(あ)しきこと無きなり」
師は言われた。「苟(いやし)くも」とはもし少しでも~すれば。「仁に志(こころざ)せば」とは仁を志せば。「悪(あ)しきこと無きなり」とは悪事はこの世の中から無くなる。

 論語の教え70:「仁のこころが組織に浸透すれば、その組織は衰退することはない」

◆どんな小さな組織であっても「仁」の心が組織風土として根付けば構成員は幸せになれる。
 まず、組織風土とは何かについて述べておきたいと思います。組織の全員が暗黙に合意している価値観のことです。会社の規則を守ろうとする組織風土が組織の隅々まで浸透していれば、その組織は規律正しい組織運営ができます。ところが、会社の規則が制定されている組織であっても実態はその規則が形骸化していることがよくあります。このような会社では、就業規則上始業が毎朝8時半と決められていても毎日遅刻する人が後を絶ちません。「私一人くらい遅刻しても会社に何の影響もない」と自分勝手な解釈で毎日遅刻する人がいたとすると一人だった遅刻者が複数あるいは二けたの複数になることはまず間違いありません。
 これらの現象には組織に欠落している二つの重要なキーワードがあります。第一は「悪しき慣行」ということです。悪しき慣行は組織の中にダブルスタンダードが存在することです。規則と実態が長年放置されたまま続くことによって生じます。いったん根付いてしまった悪しき慣行はそれを是正することが極めて困難になります。第二は「見て見ぬふりをする」ことです。規則違反をしていることはその組織の多くの人が知っているのです。でもいろいろな理由でだれも該当者に注意することをしません。基本的な理由としてはその組織には信頼関係が存在しないことから生じます。注意して逆切れされても困るということから周りは触らぬ神にたたりなしです。また、とにかく、自分が与えられて仕事だけをしていればいいのだという無関心派と言われる人もいます。「悪しき慣行」も「見て見ぬ振り」もすべて最初に小さな違反行為から始まります。それが次第にエスカレートしてしまうのです。
 一方で、組織の構成員がたとえ一般社員であっっても会社を代表しているように行動している活性化された組織もあります。お客様の苦情にも真正面から受け止め、お客様の立場に立って解決行動を起こしています。自己の職務責任や業務目標も自己認識しています。その責任を全うし、指示されたことだけでなく自主的に目標設定し目標達成行動を起こしています。上司からは職務遂行に対する介入はほとんどありません。任された仕事はすべて自由裁量で行うことができます。まさに、達成動機で構成された集団が維持されているのです。このような組織を「仁」が根付いた組織風土と言えると思います。
 
 ◆「仁」が組織風土として根付くのは何よりもリーダーが「仁」の徳義を体得することだ。
 それでは、どのようにすれば仁の心を育み根付かすことができるのでしょうか。私はこれにはリーダーの役割が大きいと思います。とりわけ、トップリーダーの役割は大きいと思います。しかしながら、トップリーダーだけではありません。組織の規模にもよりますが中間管理職のリーダーシップが第一線の職場風土形成に重要な役割を果たすからです。
 経営者は組織風土の基(もと)になる経営理念を制定します。しかし、それだけでは十分ではありません。作った理念を浸透させなければ前述の悪しき慣行が生じてきます。そこで重要な役割を果たすのが管理職です。上位者である経営者は経営理念を創ることに重要な役割を果たしますが組織に浸透させるには無力と言わざるを得ません。私は会社の方針が末端まで浸透しないと嘆く経営者に幾度となく出会いました。これには二つの特徴があります。一つの特徴は専制的経営者で自己の力を過信している経営者です。二つ目は人材育成に関心がなく、指示されてことしかできない管理職に囲まれている経営者です。企業の規模からいうと圧倒的に多いのが小規模企業です。これらの企業では、短期的な企業の業績確保に辣腕をふるっているのですが長期的視野に欠けています。人を育成することには無関心でもあります。
 組織を健全に維持発展させるには、まず、トップリーダーが自らの仁徳を高めることに努力すべきであると思います。しかる後に、自分の直属部下である管理職に仁の心を根づかせることで組織は間違いなく維持発展すると思います。

 ◆「仁」の心が自然に組織に浸透するのではない。浸透させる努力が必要だ。


松下幸之助氏と鄧小平氏:出典Bing


 「仁」の心を組織に作り出し、自らも「仁」の心を体得し、そして、管理職に「仁」の心を浸透させ、ひいては組織全体を「仁」の組織風土まで構築できた経営者は、歴史上、松下電器産業株式会社(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏を超える経営者はいないのではないかと思います。前にも取り上げましたようにたった三人で起業した同社を今日の10万人を擁するグローバル企業にまで発展させました。折に触れ、経営理念を発せられ、おびただしい数の経営に関する著作を残し、「仁」の心を説いています。しかも第二次大戦直後、日本社会が混乱のさなかにあり、社会全体が混とんへと向かっているのか、秩序ある社会へと向かっているのか誰にもわからないときに社外にPHP研究所を設立しました。PHPとは、Peace and Happiness through Prosperity (繁栄によって平和と幸福を)という英語の頭文字をとったものだそうです。名前もおしゃれですが、PHP研究所の理念がもっと素晴らしいと思います。

 第1は、過去において私たちの先人たちが、人生や社会など、人間に関するあらゆる問題について積み重ねてきた思索と体験を、有効適切に生かしていきたいということ。
 第2に大切にしたいのは、先人の方がたの成果に、お互い現代人の知恵を加え、新たな創造を生み出していくという姿勢です。
 第3には、以上の2つの姿勢を基本としつつも、お互いに何物にもとらわれない素直な心で、人間の本性、本質を究め、いわゆる天地自然の理、真理というものを究めていきたいということ。以上三つを基本姿勢としています。(出典:同社HP)
 戦後の日本人は戦前の価値観の崩壊から、何を信じて生きていけばいいのかアイデンティティを喪失していました。PHP研究所の設立を通じて自社だけでなく、社会全体に自信と生きる目標を与えたかったのかもしれません。
 このような偉大な先達とまでいかなくとも、リーダーはトップであれ、ミドルであれ自分の行動だけでなく組織全体を巻き込むことが仁の心を組織に浸透させる要諦でもあろうかと思います。(了)


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