論語に学ぶ人事の心得第64回 「徳のある生き方を、信念をもって体現すれば、世の中には見ている人が必ずいる」

国境の門 出典:Bing

 紀元前497年、孔子は多くの弟子とともに祖国の魯国を離れ、諸国遊説の旅に出ます。本項は、衛国の儀という街に差し掛かった時の国境警備官との対話です。
 どんな偉い人であっても国境越えをするときには必ず検問を受けなければなりません。国境警備官にはそれほどの強い権限と重い責任が委任されていました。それだけに優れた人物が配置されていたものと思われます。
 孔子は、魯国で重臣の一人である大司冠に抜擢はされましたものの、政治活動では思う通りにはいきませんでした。孔子の正論に面と向かって反対できなくても、あの手この手で孔子を貶(おとし)めることもありました。孔子は、思想家として、また指導者として、多くの弟子には恵まれましたが、政治の世界では「水清ければ魚住まず」と言いますように理解者に恵まれず、多くの政敵に悩まされます。ある意味、この政治闘争に翻弄され、完全に政治家としての意欲が削がれてしまいました。だから、遊説とは言うものの、そんな優雅なものではなく、放浪と言い換えてもいいほどの失意に満ちた旅だったのです。


木鐸 出典Bing

 しかし、世の中には洞察力の優れた人がいるものです。この国境警備官はそんな一人でした。同行していた弟子に対して「皆さんは、放浪の旅をすることを気に病まれることはありません。天下の道理が失われてずいぶん時間が経ちました。この失われた道理を回復させるために、天は先生(孔子)を社会の木鐸(指導者)にされようとしているのです」と励まされたのです。
 同行していた弟子にとって、これ以上、励まされ勇気づけられる言葉があるでしょうか。まさに、弟子たちにとっては干天の慈雨でした。木鐸(ぼくたく)は現代にも生き続ける言葉です。当時は政府が布告するときに用いられた鈴のことです。中の舌の部分が木でできていたので「ぼくたく」と呼ばれました。それが転じて社会の指導者という意味になりました。

 八佾篇第3―24「儀の封人(ほうじん) 見(まみ)えんことを請(こ)う。君子の斯(ここ)に至るや、吾(わ)れ未(いま)だ嘗(かつ)て見るを得ずんば有らざるなり。従者(じゅうしゃ)、これを見(まみ)えしむ。出(い)でて曰く、二三子(にさんし) なんぞ喪(さまよ)うことを患(うれ)えんや。天下の道なきや久(ひさ)し。天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以(もっ)て木鐸(ぼくたく)となす」

 「儀の封人(ほうじん) 見(まみ)えんことを請(こ)う」とは儀の国境警備官が孔子にお目にかかりたいと願い出て言った。「君子の斯(ここ)に至るや、吾(わ)れ未(いま)だ嘗(かつ)て見るを得ずんば有らざるなり」とは立派な方がここに来た時にお会いできなかったことは一度もないと。
「従者(じゅうしゃ)、これを見(まみ)えしむ」とはお供の弟子が合わせると。「出(い)でて曰く、二三子(にさんし) なんぞ喪(さまよ)うことを患(うれ)えんや。国境警備官が出てきて言った。皆さん(弟子のこと)が放浪の旅をすることを気に病むことはありません。「天下の道なきや久(ひさ)し」とは天下に道理が失われてからずいぶん経ちます。
 「天、将(まさ)に夫子(ふうし)を以(もっ)て木鐸(ぼくたく)となす」とは天は孔子を木鐸にしようとしているのです。


論語の教え64:「立派なリーダーは、一時的に不遇であっても、必ず社会の木鐸になる時がある」


鍾乳洞 水滴石穿(すいてきせきせん)

◆涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ
 心を豊かにする言葉は、その人を一念岩も通すほどの威力を持ちます。誰であれ、最初から信念を持っている人はいません。周りの人との交わりの中でじわじわと染み出してくるように築かれていくものです。本項に出てくる国境警備官のようにタイムリーに的確に勇気付ける言葉が発せられた時には受けた人の心の中を稲妻が走り抜けるように感じられます。 
では、心を豊かにするにはどのようにすればいいのでしょうか。
私は、人はどう生きるかを考える時に、自分の過去を振り向かせるのではなく、常に、未来に向かわせることで実現するのではないかと考え、自分でも常に心掛けています。それは、これまで順風満帆の人生であったにせよ、これからの人生を保証してくれるものではないからです。常に新しい事態に前向きに、しかも、信ずるところに従い、一歩でも先へ進めば目標に近づくことができます。
「涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ」という言葉は、わずかな水のしずくも、絶えず落ちていれば岩に穴をあけるという意味です。一見何事も手ごたえを感じられいようなことでも努力を続ければ、困難なことをなしとげられるというたとえです。鍾乳洞にある水の芸術を想像してみてください。

◆多くの人と接すればするほど人を見抜く目が養われる
 孔子はなぜ放浪の旅に出たのでしょうか?
 魯国に居場所がなかったわけではありません。ましてや追放されたわけでもありません。
 それでは、捲土重来を期す旅だったのでしょうか?
 捲土重来とは、一度失敗した後に勢力を上げ、全力で巻き返すという意味ですが、孔子には、もともとそんな野心も野望も持ち合わせていませんでした。
 他国の君主から招かれたこともありましたが、私には孔子自身の修行の旅だったのではないか思えます。
 というのも魯国で通用しなかったことを他国で試したかったということや,他国の価値観や文化に触れて自己の思想をさらに深めてゆきたいと考えたかもしれません。他国の君主から招かれて指導者になっても、特定の君主に仕えるといった主従関係ではなく、あくまでも自由な立場でいることでその国を客観的に見ることができます。
 孔子は、経済的安定を求め思考を縛られる前に、思考の拘束から解き放たれる自由を選択しました。これは取りも直さず、思想家としての矜持(きょうじ)であり、弟子に対する無言の教えだったのではないでしょうか。

◆組織はどんなリーダーを育てることが必要か
 組織のリーダーの条件には、論語での君主像をはじめ古今東西語りつくされた感があります。
 特段、正解があったわけではありません。行動科学者であったクルト・レヴィンのB=f(p e )という方程式で解き明かされたように人間の行為は環境と人格の関数であるということです。リーダーシップに関しても決まりきったパターンがあるのではなく、環境がリーダーのあり方を決めるということです。環境は組織を取り巻くあらゆる環境を意味しています。社会、政治、経済、文化を意味しますし、国を超え、世界的視野も必要になります。そのように考えますと数理的に相当複雑な方程式になります。変数に関しても無数に出てきそうです。
 そんな中でのリーダーですから求めれるリーダー像も複雑になりがちです。
 しかし、私は、こんな複雑な社会こそシンプルに定義すべきだと考えます。
 それは、これからの組織に求められるのは「信念」と「先見力」と「人的感受性」の高いリーダーだと思っています。
(了)


RSS 2.0 Login