論語に学ぶ人事の心得第63回 「孔子はいつも上から見下ろす目線ではなく、誰に対しても相手の目線に合わせて対応した」

 本項は、孔子が魯国の宮廷楽団長に、音楽について自分の考えを語って確認する場面です。この孔子の音楽観に大師(たいし)がどのように対応したのかの記述はありません。おそらく、孔子の音楽観に驚いたのではないでしょうか。孔子は自らも琴を奏でたように音楽的資質を持ち合わせた人でした。優れた音感の持ち主であったことは事実でしょう。祭りや儀式の舞や踊りには必ず音響が伴います。


琴を弾く孔子像 出典:Bing

昔も今もそのことに変わりがありません。孔子は弟子にも音楽を嗜むよう指導したと伝えられています。この項で大切なことは孔子の態度です。
 何事に対しても謙虚であるということです。孔子はあくまでも思想家であり政治家です。音楽を職業としていません。そこで、大師(たいし)という音楽を職業とする専門家に確認をしていることです。知ったかぶりという言葉があります。「知ったかぶり」は、そのことについて知らない、または詳しくないにも関わらずあたかも知っているかのような素振りをする事を意味しています。孔子の態度とは真逆のことです。私たちもこのような孔子の低姿勢に学び常に謙虚な態度をとり続けましょう。

 八佾篇第3―23「子、魯の大師(たいし)に樂(がく)を語りて曰く、樂(がく)は其(そ)れ知る可(べ)き也(なり)。始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。之(これ)を從(はなち)て純如(じゅんじょ)たり、皦如(きょうじょ)たり。、繹如(えきじょ)たり。以(もっ)て成る。」

 「子、魯の大師(たいし)に樂(がく)を語りて曰く」とは、師は魯の楽団長に音楽について語られた。「樂(がく)は其(そ)れ知る可(べ)き也(なり)」とは私は音楽をこのように理解しています。「始めて作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり」とは最初に打楽器が鳴り響き、「之(これ)を從(はなち)て純如(じゅんじょ)たり」とは次いですべての楽器が調和して合奏され、「皦如(きょうじょ)たり」とはさらにそれぞれの楽器が順を追って明瞭になり、「繹如(えきじょ)たり」とはそれぞれの楽器の演奏が連綿と続いてゆく。「以(もっ)て成る」とはこのようにして完結する。

 論語の教え63:「何事にも知ったかぶりをせず、他者に謙虚な姿勢で聞く・聴く・訊く耳を持とう」


◆何人も「裸の王様」になってはいけない
 「裸の王様」は、デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1837年に発表した童話です。人間心理の弱点をとらえたアンデルセンの代表作の1つです。
 そのあらすじは「ある国に、新しい服が大好きな、おしゃれな皇帝がいました。ある日、城下町に二人組の男が、仕立て屋という触れ込みでやってきました。彼らは「自分の地位にふさわしくない者や、手におえないばか者」の目には見えない、不思議な布地をつくることができるというのです。噂を聞いた皇帝は2人をお城に召し出して、大喜びで大金を払い、彼らに新しい衣装を注文しました。
 彼らはお城の一室に織り機を設置し、さっそく仕事にかかります。皇帝が大臣を視察にやると、仕立て屋たちが忙しく織っている「ばか者には見えない布地」とやらは大臣の目にはまったく見えず、彼らは手になにも持っていないように見えます。大臣はたいへん困るのですが、皇帝には自分には布地が見えなかったと言えず、仕立て屋たちが説明する布地の色と柄をそのまま報告することにしました。その後、視察にいった家来はみな「布地は見事なものでございます」と報告します。最後に皇帝がじきじき仕事場に行くと「ばか者には見えない布地」は、皇帝の目にもさっぱり見えません。皇帝はうろたえるが、家来たちには見えた布が自分に見えないとは言えず、布地の出来栄えを大声で賞賛し、周囲の家来も調子を合わせて衣装を褒めました。
 そして、皇帝の新しい衣装が完成します。皇帝はパレードで新しい衣装をお披露目することにし、見えてもいない衣装を身にまとい、大通りを行進しました。集まった国民も「ばか者」と思われるのをはばかり、歓呼して衣装を誉めそやします。
 その中で、沿道にいた一人の小さな子供が、「だけど、なんにも着てないよ!」と叫び、群衆はざわめいた。「なんにも着ていらっしゃらないのか?」と、ざわめきは広がり、ついに皆が「なんにも着ていらっしゃらない!」と叫びだすなか、皇帝のパレードは続きました」
国中が詐欺師に引っかかったと言うことです。

 この物語が私たちに残してくれた教訓は次の通りです。
 第一に価値を正しく判断できる能力を持たねばならないことです。
 第二に同調圧力に屈せず正しいことを言う勇気を持つことです。
 第三にイエスマンばかりをそばに置くなということです。
 第四にイエスマンがはびこる風土を創るなということです。


 権力者が人の意見を聞かなかったり、真実を報告すると報告した人を処罰すると誰も真実を伝えなくなります。もし、そのような状況になれば権力者は無力です。正しく判断する情報が入らなくなるばかりではなく、組織の命令指揮系統が断絶することになります。これでは組織が機能不全に陥ります。それは国家であれ、企業であれ存続することができません。自然人が脳梗塞を起こしたのと同じです。リーダーは、まさに裸の王様になってしまいます。

◆積極的傾聴こそ情報収集の決め手
 「積極的傾聴(Active Listening)」は、米国の心理学者でカウンセリングの大家であるカール・ロジャーズ(Carl Rogers)によって提唱されました。
 ロジャーズは、自らがカウンセリングを行った多くの事例を分析し、カウンセリングが有効であった事例に共通していた、カウンセラーの3要素として「共感的理解」、「無条件の肯定的関心」、「自己一致」をあげ、これらの人間尊重の態度に基づくカウンセリングを提唱しました。
具体的に言えば、「共感的理解」に基づく傾聴とは、聴き手が相手の話を聴くときに、相手の立場になって相手の気持ちに共感しながら聴くことです。
 「無条件の肯定的関心」を持った傾聴とは、相手の話の内容が、たとえ反社会的な内容であっても、初めから否定することなく、なぜそのようなことを考えるようになったのか関心を持って聴くことです。「自己一致」に基づく傾聴とは、聴く側も自分の気持ちを大切にし、もし相手の話の内容にわからないところがあれば、そのままにせず聴きなおして内容を確かめ、相手に対しても自分に対しても真摯な態度で聴くことです。
 以上のことはカウンセリング場面の内容ですが、これらの三要素は私たちのすべての生活場面で活用することができます。公的生活の上司と部下の関係でも、家庭生活の親子の関係でもとても有効に機能します。ぜひ、意識して活用すれば世界が変わること請け合いです。

◆穣(みのる)ほど頭を垂れる稲穂かな
 若い緑色の稲は、まっすぐに天に向かってすくすくと成長し、やがて実を付ける稲穂に成長します。更に、稲穂の中の実(お米)が成長してくると、そのしっかりとした実の重みで自然と稲穂の部分が垂れ下がり、美しい黄金色になっていきます。その過程では、強い風雨にさらされたり、冷たい日や暑い日を乗り越えなければ、立派な稲に成長し豊かな実を付けることはできません。この状態を人間に例えて、若い頃はまっすぐに上だけを向いて立派に成長し、色々な荒波や苦労を乗り越え、立派な人格を形成した人物は、偉くなればなるほど、頭の低い謙虚な姿勢になっていくという意味として表現しています。
 一方で、稲穂の中身が立派なお米に育っておらず、実がスカスカのお米だった場合には重みがなく軽い稲穂になってしまいます。そんな稲穂は、見た目は立派な稲穂に見えますが、穂が垂れるほどの重みがなく、頭が下がってはいません。
 稲のこの生態の例えるところは、見た目や肩書きは立派だが、中身が伴っていない人は、虚勢を張って威張るだけの小物であり、人格者とは程遠い人物であるという事を示しています。
 孔子は穣ほど頭を垂れる人でした。相手がどんな地位にいる人でも接する態度は一貫していました。(了)


論語に学ぶ人事の心得第62回 「人間の真の価値は仕事ができることでなく、仁者であることだ」

管仲(かんちゅう)像出典:ウイキペディア

 本項は孔子より100年前に活躍した春秋時代初期の斉(せい)国の名宰相と言われた管仲(かんちゅう)の器量に対する孔子の考えを述べたものです。管仲(かんちゅう)は、君主桓公(かんこう)に仕え、斉国を覇者に仕立て上げました。
 管仲(かんちゅう)は、斉国では政治の中心的役割を果たしました。数々の改革を成し遂げ、斉国の発展に貢献しました。名臣の一人です。孔子は管仲(かんちゅう)の政治的力量に対しては、高い評価をしておりました。しかし、ここでは誰もが評価している管仲(かんちゅう)を厳しく批判しています。なぜでしょうか?それは管仲(かんちゅう)が礼節を弁(わきま)えていないと孔子は判断したからです。孔子は管仲(かんちゅう)だけでなく、誰に対しても自分の立場を超えて礼節を弁(わきま)えない人に対してはとても厳しく糾弾しました。例えば、魯国の三大貴族であった三桓氏(さんかんし)に対しても同様でした。臣下であるのに君主の儀式をまねた行為に激しい憤りを感じています。本編八佾(はちいつ)の冒頭には、八佾(はちいつ)は君主のみに許された先祖を敬うために奉ずる舞ですが、こともあろうに季孫氏は自分の庭先で執り行いました。これにはとても我慢できないと記述されています。礼を弁(わきま)えないことに対する怒りは孔子の一貫した姿勢です。

 八佾篇第3―22「子曰く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)は小さき哉(かな)。或(あ)るひと曰く、管中(かんちゅう)儉(けん)なるか。曰く、管氏に三歸(さんき)有り。官の事攝(か)ねず、焉(いずく)んぞ儉(けん)なるを得ん。然(しか)らば、則(すなわ)ち、管仲(かんちゅう)は禮(れい)を知れるか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ、菅氏(かんし)もまた樹(じゅ)して門を塞ぐ。邦君(ほうくん)は兩君(りょうくん)の好(よしみ)を爲(な)すに反坫(はんてん)有り、菅氏(かんし)もまた反坫(はんてん)有り。菅氏にして、禮(れい)を知れば、孰(だれ)か禮を知らざらん。」

 「子曰く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)は小さき哉(かな)」とは師はいわれた管仲(かんちゅう)の器量は小さいな。「或(あ)る人曰く、管仲(かんちゅう)儉(けん)なるか」とはある人が師に尋ねた。管仲(かんちゅう)は倹約かだったのですか。
 「曰く、管氏に三歸(さんき)有り。官の事攝(か)ねず、焉(いずく)んぞ儉(けん)なるを得ん」
 とは、師は言われた。管仲(かんちゅう)には三人も夫人がいて、配下の役人にもいくつかの仕事を兼任させなかった。どうして倹約かといえようか。
 「然(しか)らば、則(すなわ)ち、管仲(かんちゅう)は禮(れい)を知れるか」とはある人がまた師に尋ねた。管仲(かんちゅう)は礼を心得ていたのですか。
 「曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門を塞(ふさ)ぐ、菅氏(かんし)もまた樹(じゅ)して門を塞ぐ。」とは師は答えた。君主は石の衝立を立てて門内が見えないようにするが管仲(かんちゅう)もまた石の衝立を立てて門内が見えないようにした。
 「邦君(ほうくん)は兩君(りょうくん)の好(よしみ)を爲(な)すに反坫(はんてん)有り、」とは君主は他国と友好を結ぶにあたり、献酬の杯をおく台を設ける。
 「菅氏(かんし)もまた反坫(はんてん)有り」とは管仲(かんちゅう)もまた献酬の杯をおく台を設けた。
 「菅氏にして、禮(れい)を知れば、孰(だれ)か禮を知らざらん」とは管仲(かんちゅう)が礼を心得ているというなら、礼を心得ていない人間はどこにもいないことになる。

論語の教え62:「能力ある人物と礼節を弁(わきま)えた人物のどちらを用いるか」
◆責任ある地位に就けばつくほど徳を磨け
 地位が高くなればなるほど仁者でなければならないと孔子は事あるごとに説いています。管理職のように小さな組織なら個性や能力でリーダーが務まるかもしれません。しかし、事業や企業を代表するような責任ある立場では徳がないと務まりません。


 それでは徳とは何でしょうか。徳は人間の道徳的卓越性を表します。孔子の始めた儒教では五常五倫のことを言います。具体的には仁・義・礼・智・信のことです。これまでにも何度も出てきましたので覚えている方がいるかもしれません。
 論語の主柱となる概念です。ここで、再度意味を確認しましょう。
 五常とは?
「仁」とは人を思いやることです。
「義」とは利欲にとらわれず、なすべきことをすることです。
「礼」とは「仁」を具体的な行動として表したものです。
「智」とは道理をよく知り得ている人のことです。
「信」とは友情に厚く、真実を告げること、約束を守ること、誠実であることです。

 また、五倫とは?「父子の親」、「君臣の義」、「夫婦の別」、「長幼の序」、「朋友の信」を言います。
 「父子(おやこ)の親」とは父(おや)と子の間は親愛の情で結ばれなくてはなりません。
 「君臣の義」とは君主と臣下は互いに慈(いつく)しみの心で結ばれなくてはならないといことです。
 「夫婦の別」とは夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なります。
 「長幼の序」とは年少者は年長者を敬い、したがわなければならないと言うことです。
 「朋友の信」とは友はたがいに信頼の情で結ばれなくては友とはいません。
 これらの言葉や概念は現代風に言うとやや堅苦しく、理屈っぽく見えます。しかし、私たちには揺るぎない究極の到達点が必要であることも事実です。リーダーでなくても到達点に向けて一歩でも近づけば、必ず世の中が変わると思います。努力してみてください。

◆真に任せられる人間は仕事だけできる人物ではない
 誰しも人は能力の向上を目指して努力して生きています。一方、私たちは一人で生きてゆくことができません。必ず、だれかとの関(かかわ)りが無ければ、どんなに優れた人であっても何もできません。自己の能力向上とともに周囲の人間関係の絆が深くなることでいい仕事ができるのです。その人間関係を築くプロセスの中で周りとの貸し借りの論理が発生します。貸しとは恩を売ることであり、借りとは恩を売られることです。この論理でいえば、仕事のできる人は多くの人に貸しを作ることができます。つまり恩を売ることができるのです。しかし、このできる人は人から信頼されることとは何の関係もありません。また、責任ある事業や組織を任せられるかどうかとも関係がありません。まわりと強調しながら確実に貸し借りの論理を均衡させている人こそ信頼されています。
 職責を果たすことは仕事の達成度や成果の多寡だけではありません。最も大切なことはその人が信用できるかどうかです。

◆企業永続的繁栄の真髄は仁者を育成することにある
 企業は、よくゴーイングコンサーン(継続する存在)と言われます。それは社会的存在だからです。企業も自然人と同じように老化します。自然人との決定的な違いは企業には寿命が無いことです。その時代に、ふさわしい顧客価値を提供し続ければ永遠に生き続けることができるのです。1000年以上も生き続けている企業がこの世の中にいます。さらに、業界がとっくに消滅した音楽のレコード会社やレコード針を創っている会社も形を変えて存在しますし、写真のフィルム会社に至っては今や製薬会社として隆盛を誇っている会社もあります。
 反面、一時は飛ぶ鳥を落とすと言われた会社が今や見る影もなく、買収されたり、倒産した企業があります。この決定的な違いがどこから起こってきているでしょうか?
 それには二つの原因があるあるように思われます。二つとも事業の後継に関する問題です。
 第一は事業の発展させた経営者は自分が有能なため事業を巨大化させたのですが、後継者の育成をしてこなかった経営者です。自分が有能すぎてお眼鏡にかなう人を見つけるまえに自分が高齢者になってしまったケースです。自己過信型の経営者です。
 第二は企業を私物化した経営者です。身内の後継者を早期に決めて地位につけているのですが形だけです。実質は自分が経営の実権を握っている経営者です。これは一番多いケースです。私物化したいのなら企業を大きくしたり、株式を公開しなければよいのですが、地位も名誉も財力も得たいため動機不純で公開しますが、企業の文化や風土は惨憺たるものです。
 企業をつぶしているのは社長だと断言している元経営者がいます。経営の神様と言われた松下幸之助氏です。世の経営者とりわけ社長に聴かせたい言葉です。(了)


論語に学ぶ人事の心得第61回 「君主のご下問に対し、臣下は深慮遠謀のうえ回答せよ。決して軽々しく答えてはならない」

宰我(さいが)像 国立故宮博物館蔵

 本項は君主哀公(あいこう)と弟子宰我(さいが)との対話です。孔子と哀公(あいこう)との対話は為政編19項に出てきたことはご承知のとおりです。この時は孔子に対して国の治め方を尋ねています。
 本編19項に登場する定公(ていこう)は哀公(あいこう)の実父です。前494年に父の定公(ていこう)の没後、魯国第27代君主に即位しました。
 哀公(あいこう)は、当時、絶対的権力を握っていた三桓氏の武力討伐を行いましたが、三桓氏の軍事力に屈せざるを得なくなり、衛国(えいこく)や鄒国(すうこく)を転々とした後に、越国(えつこく)へ国外追放され、前467年にその地で没した悲劇の君主です。
 「社」とは土地の生産力をまつる土地神祭りのことです。本項はその神木が焼けてなくなってしまったため、何にすることがよいのかを尋ねたことに対し、弟子宰我(さいが)の君主に対する答え方を孔子が批評した内容になっています。
 弟子宰我(さいが)は姓を宰(さい)、名を予(よ)と言いました。孔子より29歳年少です。弁舌の才を孔子に認められ、孔門十哲の一人となりました。実利主義的で仁徳を軽視したことが孔子からしばしば叱責されています。
 宰我(さいが)は孔門十哲の一人となるほどの才人でありましたので、孔子はその才能を十分認めていたはずです。たびたび叱責されたのはできる弟子は厳しく指導して更なる成長を期待していたのかもしれません。それと、孔子は礼に背くなど、許しがたい行動をした弟子には怒りをあらわにするなど喜怒哀楽を率直に出す裏表のない指導者でもありました。

 八佾篇第3―21「哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う。宰我(さいが)対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松を以(もっ)てし、殷人(いんびと)は柏(はく)を以(もっ)てす、周人(しゅうびと)は栗(くり)を以(もっ)てす、曰く、民をして戰慄(せんりつ)せしむ。子之を聞いて曰(いわ)く、成事(せいじ)は說(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」

 「哀公(あいこう)、社(しゃ)を宰我(さいが)に問う」とは君主哀公(あいこう)が弟子の宰我(さいが)に社(しゃ)について尋ねた。「宰我(さいが)対(こた)えて曰く、夏后氏(かこうし)は松を以(もっ)てし、殷人(いんびと)は柏(はく)を以(もっ)てす、周人(しゅうびと)は栗(くり)を以(もっ)てす」とは宰我(さいが)が答えた。夏王朝は神木に松を用いました。殷(いん)人々は檜木(ひのき)を神木に用いました。周王朝の人々は栗の木を神木に用いました。栗の木を用いたのは民衆を戦慄させるためです。「子之を聞いて曰(いわ)く」とは孔子がこの話を聞いて次のようにはなされた。「成事(せいじ)は說(と)かず、遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎(とが)めず」とはやってしまったことはあれこれ言わない。済んでしまったことは諫めない。過ぎ去ったことは咎め建てしない。

 論語の教え61:「リーダーには、その場の空気を読んで、目的指向で対応せよ」

◆能ある鷹は爪を隠す
 能ある鷹は爪を隠すとは「能力のある人は自分の能力を普段から自慢げに見せびらかさないこと」を言います。非常に謙虚で奥ゆかしい人なので周りの人から尊敬され認められています。中途半端にできる人ほど数少ない自慢話を吹聴(ふいちょう)します。これらの人は周りから疎(うと)まれます。


能ある鷹は爪を隠す 出典:Bing

 本項で取り上げられた宰我(さいが)はこのような低いレベルの人ではありませんでしたが、孔子から見ると本当の賢者は自分の持っている知識をすべて開けかすのではなく、今、君主に何を提言するのが最もふさわしいのかよく考える必要があると説いているのです。とりわけ「戦慄(せんりつ)」のような人々を恐怖に貶めるような過去の事例を持ち出して提言することは得策ではないと注意しているのです。現代風に言えば「その場の空気をよく読みなさい」ということでしょう。そして、その場に最もふさわしい提言すべきであると。宰我(さいが)よ!君は、まだまだ、修養が足りないと言わんばかりです。

◆原因論でなく目的論で対応せよ
 人は誰でも人生に行き詰まることがあります。その時に、悲観的になり、今できない原因を過去の原因に求めるのではなく、どうすればできるかという目的指向で対応すれば、閉塞感から解放され、人生は開け、豊かさを取り戻すことができます。
 この考えを確立したのはオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーです。さらに、アドラーは言います。私たち人間は自分を変革でき、幸せをつかむことができるのに自分を変えたくないから変革できない理由付けをして生きていると言っています。人間を自分の人生を描く画家であるとも言っています。だから自分の人生を思いう通りに描くことができるのだということです。
 私たちは、また同じ世界に住んでいると思いがちですが個々人が意味づけした社会に住んでいるので同じ社会に生きているとは言えないのです。過去が原因でそこから逃げられずに行き詰っている人は早く意味づけを変えて人生を前向きに生きてください。

◆部下はリーダーの言うことに従うのではなく、行動に従う
 部下は上司の一挙手一投足を実に正確に観察しています。上司は時々自分が過去に行ったことを忘れてしまうこともありますが、部下は上司の言ったことを正確に覚えています。だから、上司の言行不一致を即座に見抜いてしまいます。そして、上司がいうことには従わず、上司が行うことを真似します。
 ここに悪しき慣行や二重の標準基準が発生する温床が生じます。
 ここで、上司たるもの、絶対にこれまで言ってきたことを変えてはならないと言っているのであありません。時には朝礼暮改も必要です。時代の変化があれば価値観の変化も伴います。かつての不正解がこれからの正解に変わることはいくらでもあります。
 大切なことは部下に変わったことの説明責任を果たすことです。説明をしなければ、上司がこれまで自分たちに伝えてきたことを翻す意味が分かりません。そこから上司への信頼感が崩れ始めます。そして、部下は上司の言うことより上司の行動をたどりながら自分の行動を決めます。
 組織は方針に基づいて一糸乱れることなく目標に向かっていかなければなりませんが、組織目標より上司の行動をまねて、社員がばらばらに好き勝手に行動を始めます。このような組織では経営者が旗を振っても社員はついてきてくれません。経営の崩壊の始まりが訪れます。(了)


論語に学ぶ人事の心得第60回 「人から尊敬されるような品格の備わった人は、バランス感覚が秀でている」

孔子像 出典:Bing

 本項は詩経にある關雎(かんしょ)という詩の一節に対する孔子の感想を述べたものです。
 人生の良き伴侶と巡り合えることがなかなか難しいことです。良き娘と出会えないという苦しみを得ても、心が挫(くじ)けてしまうまでには至らせないことです。念願かなって、いい娘さんと出会って結婚しても、過度に女色に耽溺するのではなく、節度をもって夫婦生活を営むのが立派な人の生き方だと説いています。当時は、力(権力と金)さえあれば、正妻以外の女性を何人も抱えていた時代です。子供も二桁いる家はそれほど珍しいことでもありませんでした。
 孔子自身の出自も庶子でしたから、そのような環境でありましたし、何も反社会的な行為ではありませんでしたが、生育の過程でずいぶんと嫌な思いをしたことは想像に難くありません。そんなこともあって、孔子は生涯一人の女性を妻とし、一人の子供をもうけました。
 關雎(かんしょ)は「詩経」の国風(こくふう)の冒頭に配された「周南(しゅうなん)」の最初の一節だと言われています。
 關關(かんかん)と鳴(な)く雎鳩(しょうきゅう)は、
 河(かわ)の洲(す)に在り。
 窈窕(ようよう)たる淑(よ)き女(むすめ)は、
 君子の好き逑(つれあい)

 かあかあと鳴くミサゴの鳥は
 川の中州にいる。
 上品でよい娘は
 立派な方の良い連れ合いだ
  

 八佾篇第3―20「子曰く、關雎(かんしょ)は樂しみて淫(いん)ならず、哀(かな)しみて傷(やぶ)らず」

 師は言われた。「關雎(かんしょ)は樂しみて淫ならず」とは關雎(かんしょ)の詩は楽しげでありながら、節度を守って耽溺(たんでき)することはない。「哀しみて傷(やぶ)らず」とは悲哀(ひあい)の感情もあるが心を鋭く傷つけることはない。

論語の教え60: 「リーダーとは嵐に立ち向かう船長のようなものだ」

◆公私ともに大切なことは何事にも行き過ぎないことだ
 「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という格言は誰でも知っています。論語第十三「先進篇16項」で孔子が語っている言葉です。
 「知っていること」と「やっていること」は全く別物であることは今も昔も変わりません。この格言の教訓とは別の行動をとり、失敗する人は今なお、後を絶ちませんし枚挙にいとまがありません。
企業経営でいえば業績が最高に達したときに組織全体が酔いしれていたら、必ず、そこに業績悪化の陰りが忍び寄っていたという話は敗軍の将の反省の弁です。一方、家庭生活でも幸せの絶頂期にいた時に、病魔が忍び寄っていたなどという話も聞きます。
 優れた経営者ほど絶頂期に最悪期の準備をすると言います。世の中はいいことばかりが巡ってくるわけではないことをよく知っているからです。順風満帆の時もあれば暴風雨が吹き荒れる時もあります。その時のために余裕のある時に準備を怠らないことが大切です。嵐を真にして、命の次に大切な積み荷を海に捨てても、命を守り切る大航海時代の船長のような行動が必要です。
 どんな艱難辛苦にも耐え、目的地に到着できる船長のみに備わった資質です。

◆欲望を自己管理できなければリーダーになれない
 欲望のままに生きることはある意味幸せな人生を送れると言えるかもしれません。
 しかしながら、私たちは人生の節目、節目に社会的にも、私生活的にも責任を伴う立場に立たなければなりません。職業生活では組織のリーダーになります。最初は小規模で一チームからのスタートから始まります。部下の数も十人未満のリーダーですが、次第に重い責任を負う立場へと進展してゆきます。場合によれば、企業全体の責任を負う立場に立つことも大いにあり得ます。 責任」とは、どういう意味があるのでしょうか?辞書によりますと「責任とはしなくてはならない務めのこと、その他に、悪い結果が生じたときに損失や罰を引き受けるという意味だ」と定義しています。ということは自己中心の欲望にとらわれた行動ができないことを意味しています。



 リーダーとは自己管理ができる人のことだと置き換えることもできます。欲望のままに生きることと真逆のことになります。
 本項でいえば、まさしく孔子が述べてている言葉のすべてが自己管理をすることの大切さを説いていると言っても言い過ぎではないでしょう。

◆企業経営も家族経営もバランスが大切だ
 何事にもバランスが必要だというのが論語で孔子が一貫して主張している考え方です。孔子の美学
だと言ってもいいでしょう。孔子がさらに素晴らしいのは言行を一致させていることです。
 ご承知の通り、企業経営では企業の活動状況を財務諸表にまとめます。その中核にあるのがバランスシートと呼ばれている貸借対照表です。同様に家族経営でも資産と負債がバランスしていないと遠からずその家族は破綻することになります。
 一番心掛けなければならないのは結果の数字を把握して反省することではなく、結果を生み出す企業経営や個人の生活態度そのものをバランスさせなければならないことです。数字のアンバランスは行動のアンバランスと直結しています。
 行動変革しなければ数字のバランスはとれませんし。行動変革させるには意識変革をしなければなりません。意識変革をするためには前述した自己管理が不可欠であると言えると思います。

(了)


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