論語に学ぶ人事の心得第59回 「君主は臣下に何を求め、臣下を統率するにはどうすればよいのだろうか」

孔子像 出典:Bing

 本項は魯国の君主「定公(ていこう)」との対話です。
 この頃の孔子は君主の最側近にまで上り詰めていました。魯国の重臣の一人です。孔子は3000人にも及ぶ弟子が慕っていた偉大な教育者もありました。さらに、儒学を開祖した思想家でもあります。しかし、研究生活に籠(こも)るような単なる学究ではありません。
 この時点では、政治という結果を問われる世界に足を踏み入れ、政治闘争の日々を送っていました。本編八佾(はちいつ)では、他の項で、やっかみや妬(ねた)みの場面が登場します。孔子はこれらの心無い人との軋轢に対しても、心が乱れることなく、我が礼法の道を淡々と進みます。
 定公(ていこう)は魯の第26代君主でした。名は宋と言います。第23代君主襄公の子で25代君主昭公(しょうこう)の弟です。家老の闘鶏が元になったいさかいで、国外逃亡した兄の昭公が晋の乾侯で客死すると、その後を受けて魯国の君主となりました。在位は15年でした。孔子は定公(ていこう)に抜擢され、大臣ポストの一つである大司寇に就任しました。
 この時代の国の行政組織は六卿という6人の最高官が行政を取り仕切っていました。大司寇(だいしこう)というのは刑罰を取り仕切る法務大臣のような重要な地位です。他にどのような官職があったのかというと以下のとおりです。大宰(たいさい)は6官の長を兼ね、その際の官名を「冢宰」(ちょうさい)とも言いました。大司徒は教育、人事、土地を掌りました。大宗伯は礼法、祭祀礼を掌りました。大司馬は軍政と兵馬、大司空は土木と工作を担当しました。
 本項では君主が臣下である孔子に教えを乞うています。孔子の掌(つかさど)る司法の話ではありません。国の統治の考えを訊いているのです。まるで、子弟が老師に教えを乞うているような場面です。 
 孔子は明快に質問に応えています。小気味良さすら感じます。

 八佾篇第3―19「定公(ていこう)問う、君、臣を使(つか)い、臣、君に事(つか)うる、之を如何(いかん)。孔子対(こた)えて曰く、君(きみ)、臣を使うに禮(れい)を以(もち)ってし、臣(しん)、君(きみ)に事(つか)うるに忠(ちゅう)を以(もっ)てす。

 「定公(ていこう)問う、君、臣を使(つか)い、臣、君に事(つか)うる、之を如何(いかん)」とは、君主定公(ていこう)は孔子に尋ねた。君主が臣下を用い、臣下が君主に仕えるにはどうすればいいだろうか?と。孔子は答えて言われた。「君(きみ)、臣を使うに禮(れい)を以(もち)ってし、臣(しん)、君(きみ)に事(つか)うるに忠(ちゅう)を以(もっ)てす」とは君主が臣下を用いる際には礼によって用い、臣下が君主に仕えるさいには誠心誠意まごころを尽くしてお仕えすることですと。

 論語の教え59: 「統治の要諦は上位職位が礼を尽くすこと、そうすれば社員は真心をもって返してくれる」

◆上司は部下を尊重すれば、部下は上司に忠義を尽くす
 例え上司であっても、部下だからと言って顎(あご)で使うような傲慢な態度は許されません。上司と部下は基本的に人間の上下の関係ではありません。上司は部下より人間的に優れているわけでなく、両社はそれぞれの役割と責任を果たしているにすぎません。また、部下の功績は上司の功績でもあります。だからこそ、部下が忠義を尽くしてくれることにより、功績をあげてくれたなら、すべてが上司の功績でもあります。このように考えると上司は部下に感謝こそすれ、部下を糾弾することなどありえないことです。
 ところが、上司は業績がいい時には自分の手柄にします。業績が悪くなると手のひらを返したように部下の責任にします。また、業績を上げたくてしょうがない人ほど部下を大切にしない傾向があります。いわゆる、部下をこき使うタイプの上司です。このような上司は部下の不足をあげつらいますが、部下を育てることをしません。これらの上司は、部下から見てすべて見透かされています。どんなにきれいな言葉で部下に懐柔しようとしても部下には通じません。部下は上司と常に一定の心理的距離を確保していますし、上司と異なった価値観で適当に付き合います。情熱をもって上司に仕えようとしませんし、ましてや忠義を尽くすようなことは絶対にありません。部下がよそよそしくなった時には、部下の変化を問うのではなく、自分の変化を自己反省すると自分に非があることがわかります。上司と部下はお互いに鏡で照らし合っているような存在だからです。

◆部下に信頼を求める前に、まず、自ら部下を信頼せよ
 会社の経営者や経営幹部の中には、社員が会社を信頼していないことを公言する人がいます。
 そこで、私はそのような経営者に「あなたは社員を信頼していますか」と訊ねると、大抵の人は、はたと困った顔をします。その心を読み解きますと社員に一方的に信頼を求めていることが明らかです。


 しかも、自分は社員を信頼していないこともありありとしています。事程左様に、相手に一方的に信頼を強要しても信頼関係は成立しません。信頼は双方が信じあうことにより成り立つ関係です。また、社員に信頼してもらいたかったら、まず、経営者が社員を信頼することが先です。
 社員が不正を働いたような事故に遭った経営者の最初の言葉です。「これまでにあれほど信頼して任せていたのに裏切られた」この経営者はどうも「信頼すること」と「放任すること」の区別が理解できていないようです。信頼すればするほど、不正が発生しないよう牽制制度を機能させることに注力する必要があります。
 また、会社の中では部下と信頼関係を築くことができないという人もいます。信頼関係は血族社会の話ばかりではありません。むしろ、血のつながりで成り立っている社会では信頼関係は意識しなくても良いかも知れません。非血族社会にこそ信頼関係を意識して構築する必要があります。私は公的な信頼関係と私的な信頼関係に分けて考えています。公的な信頼関係は築こうと意識しなければ築けません。なぜなら、共同体を離れたら他人だからです。私的な信頼関係は築こうと思わなくても一緒にいることで信頼関係が築けます。なぜなら、それは血を分けた身内だからです。しかし、反道徳的、反社会的行為をすれば、話は別です。公私の両方の関係はともに脆く、たちまち、信頼関係は崩れます。築くのは容易ではありませんが崩れるのは一瞬です。

◆上司から頼られる部下になれ、それには上司に一目を置かれることだ
 本項は君主である定公(ていこう)から孔子に国の統治の仕方を尋ねられています。会社でいえば社長からこの会社の経営をどのようにすればうまくゆくのかを尋ねられたようなものです。会社の社長が部下に対してそのようなことを言うのは、まずありえないことです。君主から問われることは、孔子が君主からも一目を置かれていることの何よりの証拠です。そして、「待っていました」とばかり明快に回答しています。ある意味コンサルタントとクライアントのような関係です。
 人間にはゼネラリストタイプとスペシャリストタイプがいます。孔子のようにオールマイティの人は別ですが、一目置かれるにはスペシャリストになるほうが早道であると思います。「ナロー&ディープ」という言葉があります。文字通り狭く深くということです。自分の得意領域は狭くても深く掘り下げることにより他から抜きんでることができるのです。私は自分の得意領域を定めたら、わき目を触れずに深堀をすることを進めたいと思います。専門領域のない人は単に便利屋として使われるだけです。また、自己の良心に逆らって上司の言いなりになるだけです。
 人生には譲ってはならないことを求められることがあります。その時に専門領域があれば断固として拒否をする勇気が湧いてきます。(了)


論語に学ぶ人事の心得第58回 「他人(ひと)のやっかみ半分の噂話に付き合う暇はない」

孔子立像 出典:Bing

 やっかみとは人を羨(うらや)み妬(ねた)むことです。順調に出世する人を羨望(せんぼう)する気持ちは古今東西変わりません。孔子はこの時代の羨望の的になっていたと思われます。
 本編3-15で初代君主周公旦を祭った大廟(たいびょう)を参詣した時に、孔子が係りの人に参拝の手順をいちいち尋ねていたことを見た人は、その様子から、孔子は礼法に非常に詳しいと聞いていたが、本当は礼法に詳しくないのではないかと非難されます。しかし孔子はいささかも感情を乱すことなく「このように参拝の手順を訊くことが大廟(たいびょう)を参詣した時の礼法なのだ」と答えています。
 本項においても孔子が本来の礼法に従い君主に腰を低くして、丁重に接する姿を見た人が孔子を媚び諂っていると批判しています。孔子はもともと権力者にこのような弱腰の人ではないことが知られていましたし、孔子は、また、この時代を代表する礼法学者だと言われていますから、礼法を知らないことや礼法に反する行動をとるとはおよそ考えにくいとすれば、以下の二つのことが考えられます。その一つは批判している人を含め礼法なるものを習得している人は当時いなかった、その二つ目として、その当時、孔子自身、幾多の紆余曲折(うよきょくせつ)を得て高い地位についていましたので単なる嫉妬心から出たものの二種類が想定できます。
 リーダーにはとかく批判がつきものです。あること無いこと巷間(こうかん)で囁(ささや)かれます。非難には事実に基づき反論する必要がありますが、批判にいちいち反応していては君子の品格が疑われます。孔子は批判を無視していませんが、受け止めて礼法を実践したのでした。

 八佾篇第3―18「子曰く、君(きみ)に事(つか)うるに禮(れい)を盡(つく)せば、人以(もっ)て諂(へつら)えりと爲(な)す也(なり)

 師は言われた。「君(きみ)に事(つか)うるに禮(れい)を盡(つく)せば」君主に仕えるさいに礼法に則り、決められた通りふるまうと、「人以(もっ)て諂(へつら)えりと爲(な)す也(なり)」それを見ていた人は君主にへつらっているという。


 論語の教え58: 「リーダーはとかく批判されるものだ。批判されたくないならリーダーにならないほうがよい」

◆リーダーは批判や非難に異なる対応をすべきだ
 批判と同じような言葉に「非難」という言葉があります。明確な違いがありますので明らかにしておきたいと思います。批判は物事の良し悪しを論理的に判断することです。非難は相手の悪い点を責めることを言います。まず、リーダーは自分が批判されているのか非難されているのかを見極めましょう。
 批判されていると思ったら相手の見解に真摯に対応しましょう。非難されたら、相手の責め立てる理由を自己判断しましょう。思い当たる節があれば素直に正すことが筋です。しかし、思い当たる節もないのに、ただ貶(おとし)めるための非難なら話が異なります。相手と徹底的に戦うことになるでしょう。しかし、その場合でも相手によります。相手が品行方正(ひんこうほうせい)であれば謙虚に耳を傾ける必要があるかもしれません。もともと、品行方正な方が、ただ相手を貶めるだけで非難をすることはないと思われるからです。そうでない場合は、相手の邪(よこしま)な心を糺(ただ)すことに注力します。
 しかし、リーダーは、どんな場合でも、他人から誤解を受けるような言行は慎むべきでしょう。


シュンペーター像 出典:ウイキペディア

◆リーダーは批判や非難より無視されることが問題だ
 人は他から無視されるほどつらいことはありません。とりわけ、リーダーが無視されることは恐ろしい結果を生みます。あなたがリーダーとしての存在を認められていないことを暗黙的に示しているからです。リーダー個人の問題のみならず組織の崩壊にもつながります。
 あなたが組織の進むべきほう方向を示しても、メンバーは素直に従ってくれません。メンバーはリーダーが示した一定の方向ではなくバラバラに動き始めます。指示命令が機能しなくなり、組織の規律は維持されません。このようになってしまうとリーダーは無力です。組織は単なる群衆になってなってしまいます。従って、リーダーは批判や非難されている時に、メンバーに対して誠実な対応を目に見える形で示すことが極めて重要です。
 面従腹背という言葉があります。顔でリーダーに従いながら、心は従わないことを言います。それはリーダーには面と向かって反対意見を言えない(反対意見を言ったら不利益を被ることを知っている)から、表面的には従うふりをして実際には抵抗していることになります。専制主義的リーダーシップを発揮しているリーダーによく見られる傾向です。
 しかし、どんな絶対権力者でもただ権力だけで人を意のままに動かすことはできません。短期的に可能であっても長期的には不可能です。無視されない唯一の方策はメンバーと揺るぎない信頼関係をすることです。

◆リーダーは革新的な施策を推進すればするほど批判される
 革新的な施策には現状を否定するところから始まります。「革新」(イノベーション)という概念を生み出したオーストリアの経済学者ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは革新することを「創造的破壊」と言っています。新しい取り組みをすればするほど現状が破壊されていきます。大抵の人は現状安定を望みますから革新的施策を批判し反対します。
 これに対し、先見性のある人は将来の変化を洞察できますから、反対を押し切っても革新策を遂行します。企業は変化即応業です。企業経営者は自社を変化の波に乗せることができなければ永続的な発展など望むことができません。目先の利益に目を奪われ、戦略的投資を怠れば気づいた時にはどうにもならない窮地に追いやられることでしょう。この点に関しては批判に耳を傾けることは大事ですが、批判を恐れてはなりません。
 経営者の責任は事業の「将来構想構築、戦略的意思決定、執行管理」の三つです。企業は永続する存在です。世紀を超えて発展する企業を作り上げるためには革新無くして実現することはできません。
 どんなに批判されようと事業の定義を常に見直し、変化に対応でいているかどうかを検証することが大切です。(了)


論語に学ぶ人事の心得第57回 「時代の変わり目に、何に価値を置くか、よく考えなければならない」

子貢像 国立故宮博物館蔵

 本項は高弟子貢との対話です。子貢は学而編1-10にも登場する人物です。孔子より31歳年少で孔門十哲の一人です。
 弁論にすぐれた孔子門下の秀才でもありました。商才に長けた大商人で、おそらくは孔子一門の財政をも担ったとも伝えられています。その実利に価値観を置く子貢(しこう)と文化や伝統に価値観を置く孔子との対話には実に興味深いものがあります。子貢(しこう)は、吿朔(こくさく)の儀式が形骸化して、いけにえの羊を備えるなど無駄だというのです。吿朔(こくさく)の儀式は太陰暦の新月、周王(君主)から配布された暦を発表する祭礼のことを言います。この当時は、君主からもらわなくても諸侯は暦を入手することができましたので儀式そのものが軽く見られていました。子貢(しこう)には、まさに、商人としての真骨頂が出ています。それに対して孔子は確かに羊を備えるのは無駄かもしれないが、これまで続いてきた伝統の吿朔(こくさく)の儀礼が無くなることのほうが問題である。やはり、文化を大切にしなければならないと子貢を諭しています。


 八佾篇第3―17「子貢 吿朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す。子曰く、賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊(ひつじ)を愛す、我は其の禮(れい)を愛す。」

 「子貢 吿朔(こくさく)の餼羊(きよう)を去らんと欲す」とは子貢(しこう)がいけにえの羊を供える儀式を廃止しようとした。「賜(し)や、爾(なんじ)は其の羊(ひつじ)を愛す」とは(賜(し)(子貢)の本名)端木賜(たんぼくし)のこと、師は言われた。おまえはその羊を惜しむが、私は吿朔(こくさく)の餼羊(きよう)の儀礼が無くなることのほうを惜しむ。

 論語の教え57: 「時が移ろいでも、残すものと変えていくべきものを間違えてはいけない」


ヘラクレイトス像 出典:Bing

◆万物は流転する。唯一流転しないことは、万物は流転するということである。
 このタイトルにある言葉はこの世の中で変化しないものはない。いつまでも、変化しないものといえば、いつの世も「変化するということである」という意味です。この言葉を普遍的な法則としてこの世に生み出したのは孔子と同じ時代に生きた古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスです。
だから、変化についてゆけないものは絶滅してしまいます。
 しかしながら、本項での対話は孔子が変化に抵抗しているのではないということです。吿朔(こくさく)という文化の儀礼に対して、子貢の商人としての合理性だけで物事を判断してはならないと言っているのです。とりわけ、孔子は民にとって文化の継承の大切さを説いてきました。中国という国の起こりを示す夏国や殷国の末裔が文化を継承しなかったばかりに国が存在したのかどうか多くの人に理解されなくなってしまっていると嘆いていることを前に取り上げました。
 要するに世の中の変化は必然的です。変化を止めることはできません。しかし、後世に伝えるものと伝えなくともいいものを見極めなければならないと思います。孔子は後世の私たちに語り掛けているものはその判断を間違うなと言っているだと読み解くことができます。

◆物の見方三原則:物事を一面的でなく多面的に見る。物事を表面的でなく本質的に見る。物事を短期的に見るのではなく長期的に見る。
 私たちは目の前にある事実や現象に接したときに、どのような見方をすれば判断を間違わないかということです。「物の見方三原則」として伝えられているのがタイトルに示した言葉です。多面的に見るとは、前後左右、上下から全体像を把握する必要があるということです。
 例え話です。盲人が象の足を触って、象というのは柱のように丸いと言います。鼻を触った盲人はゴムホースのように丸くてぐにゃぐにゃしていたと言います。腹を触った盲人は天井のように平らだったと言います。全体像を見ず、部分しかわからないで判断すると、誤ってしまうというイソップ物語です。本項で孔子が子貢に伝えたかったのもこのイソップ物語だったのではないでしょうか。
 すなわち、大局的に見ないで、一面的に見て判断すると気づかないうちに誤った判断をしてしまうと言っているのだと思います。心すべきことだと思います。

◆組織にとって文化を無くすことは歴史を無くすことである。
 文化とは、人間が、共同体を形成し、安全に生きてゆくために共有する価値観だと思います。そして、文化は社会の最小単位である家族から派生し社会全体へと広がっていくものと、逆に社会から家族へと浸透してゆく価値観の相互作用で進化を続けてきました。文化を無くすことは人の営みの一部分が断絶することになります。そこから歴史の一部が切り取られることにもなります。これまでの歴史が私たちに教えるところによれば、文化が切り取られたまま時が流れることはまずありません。必ず、異文化が侵入してきます。つまりマジョリティ(征服者)がマイノリティ(被征服者)を飲み込んでしまうことになります。「飲み込まれたほう」は自分たちのこれまでの価値観を「飲み込んだほう」の価値観を強要されることになります。大変な苦痛を強いられることになります。この繰り返しが私たち人類の発展史でもあります。
 しかし、ここにきて、その反省から多様性を認めることが世界的なコンセンサスになりつつあります。征服者と被征服者の関係ではなく個々の文化を尊重し相互発展するところに真の豊かさを実現することができるという概念が全地球規模で起こって来ていることは素晴らしいことだと思います。いわゆる、全世界の各大陸に、現在なお生き続けている先住民族と言われる人たちとその文化です。かけがえのないこの地球をより豊かにするのは経済原則の豊かさだけで築きえなかった価値観を文化的豊かさで築く真の豊かさを実現できる日が来ることを願ってやみません。(了)


論語に学ぶ人事の心得第56回 「射礼では単に結果を残すだけでは十分とは言えない。真摯に試合に臨んだかが問われる」

射礼 出典:Bing

 本編3-7項でも取り上げられていますが、弓の試合は射礼と称して、細かく約束事が決められた儀式の一つでした。射礼の際には、一組二人の選手が競技場から正堂の階段を上って主催者に挨拶をして、また競技場に戻るというのが習わしの一つでした。さらに、競技者が階段ですれ違う際には、必ず両者は胸の前で両手を組み合わせて挨拶をするのが決まりでした。当時の戦争では弓は最強かつ有力な武器でありました。その武器を用いて競う射礼にも厳かなルールが決められていたのです。人を殺し合う武器にも一定の規則に則った作法があったのは人間の持つ美意識のようなものが感じられます。現代にまで続いている弓道にも通じる興味深い内容です。
 孔子は弓の名手でもありましたので、射礼には一家言があったものと思われます。武器としての弓矢には的を射る目的がありますが、射礼となると厳かな儀式となります。競技者は、どれだけ、自分の能力に応じて真摯に取り組んだかということが結果よりも重視されることになるのです。

 八佾篇第3―16「子曰く、射(しゃ)は皮(ひ)を主(しゅ)とせず、力(ちから)の科(しな)を同じくせざるが爲(ため)なり、古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」

 師は言われた。「射(しゃ)は皮(ひ)を主(しゅ)とせず」とは弓の試合では的に命中させることが目的ではない。「力(ちから)の科(しな)を同じくせざるが爲(ため)なり」とは競技者の力の等級が異なるからである。「古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」とはこれこそ古い時代からの美しいやり方だ」

 論語の教え56: 「何事も道を極めるには、結果を残すことより、真剣に取り組む姿勢で人間としての成長を目指す」

◆「道」の意味するところを深く理解し精進する。
 道(どう)にはいろいろな文字が合わさって様々な概念が生まれています。武と合わさって武道(ぶどう)、弓と一体になって弓道(きゅうどう)、柔と重なり柔道、華と重なって華道(かどう)といった具合です。戦いの技術を身に着ける武道も、単に戦いに勝つ技術ではなく、心身を鍛える意味が込められています。本項で取り上げられている「古(いにしえ)の道(みち)也(なり)」というのも弓術(きゅうじゅつ)の技量を高めることも大切ですが、それよりも大切なことは真摯な態度で試合に参加しているかどうかが大切であると。それが古くから伝わる美しい習わしであると孔子は説いているのです。こうなると当時の最高の武器であった弓矢も武器を超越して人格陶冶(じんかくとうや)の道具であると思えます。道という漢字は「首」と「しんにゅう」で組み合わされてできた言葉です。首は人を意味し、しんにゅうは人の往来を意味すると言われています。そこから派生して繰り返し繰り返し技を磨くことにより、技そのものの向上を目指すことにより生涯を通じて人間としての成長を目指すことを意味しているのです。

◆生きることそのものが道を極めることにつながる。
 人が一度しかない人生を送ることは「旅」にも例えられます。それは、自分を磨く旅でもあります。自分が掲げた目標に向けて達成するための旅路です。私は、人が人生の目標を無くしたら生きる意味を無くしたことになると思います。人生には様々な生き方があります。人の数だけ生き方があると言っても言い過ぎではないでしょう。人は人生のどの道を進むにせよ絶対に不可欠なのは目標を持つことです。
 そして、その目標に向かって、飽きることなく段階を一歩一歩踏みしめて近づいてゆくことで人は磨かれてゆくと思います。その繰り返し営まれる平凡な努力の積み重ねが非凡な成果を生むのです。目標もなくただ漫然と送る人生ほど無意味なものはないと思われます。人生の目的は単に経済的豊かさのみを求めることでなく、あらかじめ設定した目標に段階を追って近づいてゆくことです。

◆いい結果を残すにはいいプロセスを作り上げることだ。
 個人であれ、法人であれ、喉から手が出るほど欲しいのは物心両面のいい成果です。問題は、成果には勢い注目しますが、その過程、つまり、成果を出すための仕組みや行動には無関心であることです。しかも成果に執着心を持つ人ほどプロセスを無視してしまう皮肉な現象が生じています。
 これだけは明確です。いいプロセス無くしていい成果は絶対に生まれません。そのプロセスで最も大切なことは人です。いい仕組みがあってもそれを動かすのは人だからです。多くの企業では社員の能力に不足を感じています。しかし、会社の期待する人材と現実の人的資源との格差を埋める努力を怠っている企業が圧倒的に多いこともまた事実です。社員能力に不足を感じた時に直ちに人材育成に取り組む必要があります。人が育つ組織風土を作り上げることも大切になります。何もしないで嘆いているだけなら、その企業は「私たちは人材育成する能力がありません」と宣言しているようなものです。
 かつて、経営の神様と言われた松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助氏は社員にこのように伝えていたと言います。「顧客から貴社は何を創っている会社ですか」と訊ねられたら、「当社は人を創っています。併せて、電化製品も作っています」と答えなさいと指示していたと言います。これほど経営の本質を分かりやすく述べている言葉をほかに私は知りません。(了)


論語に学ぶ人事の心得第55回 「他人(ひと)が何と言おうが、己(おのれ)の信ずる礼の作法で始祖周公旦に最敬礼する」

大廟 出典:Bing

 「他人(ひと)が何と言おうが、己(おのれ)の信ずる礼の作法で始祖周公旦に最敬礼する」

 中国では、太廟(たいびょう)とはその国の初代君主を祭った施設ですが、墓所ではありません。ここは孔子が敬愛してやまない魯の始祖周公旦を祭った廟(びょう)です。周公旦は周王朝を立国した武王の弟です。魯国はもともと周公旦の封地でした。
 本項で取り上げられている内容はそこでのお参りに対して、孔子に周りから嫌がらせの言葉が投げかけられています。孔子が立派なのは、その嫌がらせに対して、いささかも揺さぶられることなく冷静に受け止め、礼の真の姿を説いているっことです。
 孔子に対する周りの反感や妬みに対して、心を動じることなく対応する孔子の姿を描いています。これまでにも、何回も取り上げられたように孔子の出自は決して良いとはいえませんでした。孔子は庶子でありました。今回は父親の出身地である鄹人(すうひと)、いわゆる田舎者と侮蔑的な呼称を用いてけなされています。

 八佾篇第3―15「子太廟(たいびょう)に入りて、事每(ことごと)に問う。或るひと曰(いわ)く、孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子を禮を知ると謂(い)うか。太廟(たいびょう)に入りて事每(ことごと)を問(と)う。子之を聞いて曰(いわ)く、是れ禮(れい)也(なり)。」

 「子太廟(たいびょう)に入りて、事每(ことごと)に問う」とは、師は大廟にお参りされたとき一つ一つ係りの者に尋ねながらふるまわれた。「或るひと曰(いわ)く」とはその光景を見ていた人が言った。「孰(たれ)か鄹人(すうひと)の子、禮を知ると謂(い)うか」とは一体だれがあの鄹(すう)にいた人の息子を礼に詳しいというのか。大廟に参っていちいち質問したというではないか。「子之を聞いて曰(いわ)く、是れ禮(れい)也(なり)」とは、それを伝え聞いた師は「そうすることが礼儀なのだ」と答えた。

 論語の教え55: 「自分が信じる作法で、自信をもって礼を行えば、他人の批判などとるに足らないものだ」

◆他人の批判に踊らされるのは人間ができていない証拠だ
 私たちの行為は他人に批判されないために行うのではありません。目的や目標を達成するために行われるのです。時には他人の無理解で批判にさらされることも覚悟しなければなりません。とりわけ、組織のリーダーの立場にいる人には批判がつきものです。批判されるのが嫌ならリーダーになるなと言ってもいいくらいです。
 リーダーは、また組織の先頭に立たなければならない立場の人です。先頭に立ってリーダーシップを発揮することは批判を乗り越えて目的を達成しなければならない責任があるからです。どんな局面になっても冷静に自分の感情を制御できることがリーダーに求められる最大の資質だと思われます。本項で、孔子が自分の出自や親の出身地のことまで侮蔑されても決して感情的にならず、「大廟でのお参りの仕方をまで批判されても」極めて冷静に対応している姿に感動すら覚えます。
 もし、批判に反論したり、過剰に反応した時には、相手の術中にはまってしまうことを孔子は分かっていたのだと思います。自分のことなら耐えられるけど親のことまで持ち出されると我慢にも限界があると思われる人もいるかもしれません。通常の場合はおそらく反論するかもしれません。しかし、孔子は全く動じることはありません。孔子が多くの弟子から尊崇の念をもって語り継がれてきた真の理由がここにあると思われます。
 さて、ここからは現代の話です。ある政治家が「他者からあること無いことを批判されて反撃したくないのですか」と訊かれて、「そんな些事を一々気にしていたのでは政治はできない。相手には相手の事情があるから。相手に感情をぶつけるのは幼稚なことである。私たちは大人の政治を目指したい」と批判者に理解を示す言葉を返したため、質問者がその政治家を信用するとともに人間の器の大きさを感じたと述懐していました。孔子ほどの人物にならなくともリーダーたるものは度量の大きさで人を魅了することができるのです。


孔子像 出典:Bing

◆賢者は過去に拘束されるのではなく、未来に羽ばたけ!
 過去の桎梏(しっこく)に拘束されるのは愚者です。鳥が天空を舞うように、描けていない未来に羽ばたくのが賢者です。なぜなら、誰も過去を変えることができないからです。とりわけ、過去が自分の心の中に傷となって残ってしまっていると、私たち人間にしか備わっていない未来への可能性すなわち潜在能力の芽を摘んでしまいます。
 私たちは時間という連続の中に生きていいます。過去、現在、未来が個別にあるのではないことは誰でも理解しています。時という概念には時刻(カイロス)と時間(クロノス)という区別があることを、私は最近知りました。時間が水平的であり、時刻は垂直的であるというのです。日々刻々と現在が過去を生み出し、未来と向き合っています。何気なくせわしく刻み続けている秒針の動きの中に、秒針が止まったように永遠に記憶にとどめられるのが時刻です。しかし、それは私たちを拘束するものでは決してありません。未来へはばたくために、決して忘れてはならない梃(てこ)なのです。

◆自己矛盾に陥らなければ、人は挫(くじ)けない。
 私たち人間は「強靭さ」と「脆さ」(もろ)という相反する意思を同一体内に共存させながら生きています。その分水嶺に相当するのが自己矛盾です。自己矛盾とは自己肯定感と自己否定感を共存させていることを言います。要するにつじつまが合わなくなってしまうのです。自己肯定感が高まると人は強靭になります。また、逆に、自己否定感が高まると人は脆くなります。
 自分の言行が辻褄(つじつま)合わなくなると、人は自信を喪失し、何事にも挑戦意欲がなくなるばかりか、生きることそのものに意欲を無くしてしまいます。生きる屍と化してしまうのです。だから、誰であろう自分を裏切らないことです。自己矛盾に陥らなければ絶対に人は崩れません。生きがいをもって生きている人はすべて自分に正直です。孔子はまさに自己矛盾に陥らず天命を全うした人だと言えましょう。(了)


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