論語に学ぶ人事の心得第39回 「先人の取り組んだ為政を学べば、千年後の社会でも推測できる」

子張像:国立故宮博物館蔵

 本稿は、子張と孔子との対話です。子張は以前にも登場した師とは48歳も年の差がある若手の才人です。孔子が73歳でこの世を去りましたから、かりに、本稿が孔子70歳ころの対話だとしたら子張は22歳の若者です。
 一般的には、どんなに優秀な人であったとしても22歳でこの世の中を分かるはずもありません。ましてや、この世の行く末を見通せるはずもありません。
 若いがゆえに、このようなある意味乱暴な質問を、師に甘えて投げかけたのでしょう。 
 しかし、師は子張の質問を真剣に受け止め、以下のように極めて為政の本質を突いた答えをしたのでした。
 師の教えを子張はどの程度、理解できたかどうかは分かりませんが、孔子は、世の中の変化とともに「変えてゆくもの」と「変えてはならないもの」を見極めることが時代の先を読むことだとその大切さを説いているのです。

 為政2-23「子張問う、十世(じっせい)知るべきや? 子曰(いわ)く、殷(いん)は夏(か)の礼に因(よ)る、損(ひき)益(たし)する所、知る可きなり。周(しゅう)は殷(いん)の礼に因(よ)る。損(ひき)益(たし)する所(ところ)知るべきなり。其の或(ある)いは周(しゅう)に継ぐ者は、百世(ひゃくせい)と雖(いえど)も知るべきなり。」

 「子張問う、十世(じっせい)知るべきや?」とは、子張が孔子に質問した。「十世代さきの王朝を予知することが出来ますか」と。孔子は以下のように答えた。「殷(いん)は夏(か)礼に因(よ)れり、損(ひき)益(たし)する所知る可きなり」とは殷(いん)は夏(か)の礼法制度を受け継いだ。増したり減らしたりして変更を加えたところは察知できるはずだ。「周(しゅう)は殷(いん)の礼に因(よ)れり、損(ひき)益(たし)する所(ところ)知るべきなり」とは周(しゅう)は殷(いん)の礼法制度を受け継いだが、場合によって改変した所は分かっている。「其れ或(あるい)は周(しゅう)に継ぐ者あらば、百世(ひゃくせい)と雖(いえど)も知るべきなり」とは、先の時代も周を受け継ぐだろうから、同じようにして百世代後(のち)の世までも推測することは可能だ」

 論語の教え40: 「万物は流転する。流転の法則を見極めることが後世を予見することだ」
 万物が流転すると言ったのは古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスです。生没年不詳ですが,紀元前500年ころがその活動の最盛期といわれています。東西文化の際立った隔たりの中で、奇しくもこの同時代の中国で、孔子が活動していました。
 誰の言葉か不詳ですが、「この世の中の物はすべて変化する。変化しない唯一のものは変化するということだ」との格言も古くから伝えられています。

◆流転する中で、生き残ったもの、そして、これからも決して無くならないもの。
 西の聖書、東の論語と言われるほど、多くの人に親しまれてきたのには理由(わけ)があります。それは、誰であれ、論語に生きるための指針が示されているからです。
孔子の教えは、儒教に集大成されました。根本経典は五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の 五倫 の道をまっとうすることです。

 「仁」とは、人間が守るべき理想の姿です。
 自分の生きている役割を理解し、自分を愛すること、そして身近な人間を愛し、ひいては広く人を愛することです。義・礼・智・信それぞれの徳を守り、真心と思いやりを持ち誠実に人と接するのが、仁を実践する生き方です。

 「義」とは、人の歩んでいく正しい道のことです。
 義をおろそかにすることは、道を踏み外すことになります。仁を実践する基本として、義を貫くことが必要です。本当に人を愛し思いやる生き方は、正義を貫いてこそ成り立つのです。

 「礼」とは、人の世に秩序を与える礼儀礼節は、仁を実践する上で大切なことです。
 親や目上の人に礼儀を尽くすこと、自分を謙遜し、相手に敬意を持って接することが礼、場合に応じて自分を律し、節度を持って行動することが節といえます。礼節を尽くして人を訪ねるという意味の「三顧の礼」という故事があります。この言葉の元は、三国志でした。

 「智」とは、人や物事の善悪を正しく判断する知恵です。
 さまざまな経験を積むうちに培った知識はやがて変容をとげ、智となって正しい判断を支えます。より智を高めるには、偏りのない考え方や、物事との接し方に基づいた知識を蓄えることが必要です。

 「信」とは、心と言葉、行いが一致し、嘘がないことで得られる信頼です。
 嘘のために一度損なわれた信頼を、取り戻すのは難しいことです。たとえ、仁なる生き方を実践していても、人に信頼されないことには社会で生きていけません。信頼は、全ての徳を支えるほどに大切なのです。

◆流転する中で、繰り返されるもの、そして一刻も早く無くしたいもの。
 それは何と言っても戦争と犯罪行為ではないかと思われます。
 戦争の起源は1万2千年前までさかのぼれると言いますから、人類の文明の起源とともに戦争が繰り返されてきたと言えるともいます。人類史は戦争の歴史でもあったのです。


ダーウイン像 出典:Bing

 まさに、孔子が生きた春秋時代はそんな暗い時代でした。数百年続いた殺戮と群雄割拠の時代でした。弱小国「魯国」の出身者であったので、魯国と国民の生き残りをかけて人生を送らざるを得なかったと思われます。
 何度も窮地に追い詰められ死と直面することもありました。孔子の信念は、武力ではなく知力で国を救うことでした。そして、そのために、生涯のすべてをかけました。
 この孔子のぶれない人生は、その後中国だけでなく多くの国々の指導者を魅了し続け、現代人にまで脈々と受け継げられてきました。
 しかし、一方では今でも、地球上のいたるところで、きな臭い地域が存在します。今すぐにでも紛争が勃発しても不思議ではありません。  
 原始時代ならともかく、これだけ社会が発展したにもかかわらず、なぜ、このような弱肉強食の時代が続くのでしょうか。私たちは真摯に、孔子の教えに耳を傾ける時代を迎えているように思われます。

◆流転する中で、組織と個人の唯一の生き残り策は変化に適応すること、そして、反する行為は必ず衰退へと誘われる。
 進化論で有名なイギリスのダーウインの言葉が思い出されます。
 流転する世界で、太古の昔から「生き残ってきたのはそれが強かったからではなく、賢かったからでもない。生き残った唯一の理由は流転する環境への適応力が備わっていたからだ」という言葉です。進化論という途方もない時間を要する生物の生きるための知恵を研究した学者ならではの卓見です。
 生物も組織も同じような運命を辿るようです。大きな社会的変動が起こっていないのに、まさかと思われるような企業が企業存亡の危機に直面し、大幅なリストラを断行しなければならなくなったり、企業そのものの存続が不可能になったりすることがあります。
 この最強企業に何が起こったのでしょうか。ライバルが現れて、競争に敗れたわけではありません。それなのに、厳しい現実が迫っていました。
 その原因をたどるとあらゆる経営の仕組みやノウハウが陳腐化してまっていて、その結果その企業が提供する商品やサービスが顧客から見向きもされなくなってしまっている状態に陥っていたのです。この状態は今に始まったことではありません。世の中は秒速で変化し続けています。この変化に即応するための社内の陳腐化防止の仕組みや意識の欠如が最悪の悲劇を生み出してしまったのです。
 私たちは未来を正確に予見することは困難です。しかし、未来に起こりうる兆候を察知することは可能です。それには個人であれ、組織であれ、危機へのアラームシステムを備え避けられない危機への準備を怠らないことだと思います。(了)


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