正銘の人事労務事業について

 今年度から正銘では本格的に人事労務の事業に取り組むことになりました。
 基本的に3つの事業を展開します。第一の柱は新しい人事労務の諸制度の導入と定着支援です。第二の柱はマネジメント教育、報連相研修などの人財育成事業です。第三の柱は組織活性化事業です。モラールサーベイやリーダーシップ診断を通じて社員満足度向上に取り組みます。
 ところで、多くの企業の皆様とお目にかかり話を伺うと人事労務の諸制度をこれまで一度も見直したことがないというのです。創業人のモノをそのまま使っているとか10年前に見直したが最近は触ったことがないと言います。これだけ激しく変化する中国にあっては事業計画と同じように毎年見直してもいいくらいです。これまでは特段の問題が発生しませんでした。ところが、これからの人事革新時代は人事諸制度や仕組みの陳腐化と戦いの時代を迎えることとなります。
 私ども正銘は製品競争ともに人事革新時代を迎えた企業の人間的側面における競争を勝ち抜くための支援に全力を挙げて取り組む所存です。

 つい5年ほど前までは安価な労働力が必要なだけいとも簡単に採用できました。この間も日系企業の経営者から採用難である話を聞きました。2年ほど前までは100人採用するのに1000人の応募者がいた。最近は10人採用するのに何か月もかかる。何とかならないだろうかというのです。上海およびその近郊都市の人材不足は深刻を極めています。加えて人件費の高騰が追い打ちをかけて企業の経営を圧迫しています。
 二年ほど前には大量採用と大量離職が常識でありました。私は「人事労務管理でトラブルを発生させたら企業は負けですよ。人事管理の最も大切なのはトラブルの未然防止もしくは再発防止です」と力説したのですが当時の人事担当責任者は聴く耳を持ちませんでした。
 セミナーでどうすれば人事労務管理がうまく行くかを縷々説明して最後に質疑応答すると社員を解雇したいのですがうまくやる方法がありますかと真っ先に質問されました。これだけ一所懸命説明しても理解されないのかと肩を落としたものでした。
 たった二年で雇用環境が様変わりしましたし、ようやく人事労務管理を真剣に県が得る時代を迎えたといっても過言ではありません。
 以下次回にどのようにすれば人事労務管理がうまく行くのかを事例を交えながら改正したいと思います。


「青春」の詩に思う 

 サミュエル・ウルマン というアメリカ人実業家が作った詩がかつて、日本で有名になりました。パナソニックの創業者松下幸之助氏がこの詩をこよなく愛し、次第に日本人の心に宿すようになったと.伺っています。ロバート・ケネディーがエドワード・ケネディーへの弔辞にこのウルマンの詩の一節を引用したとも聞いています。私は中国人ですがこの詩がとても好きです。きっと皆さんも勇気づけられると思います。会社を経営していますといいことばかりではありません。逆境の方が多いかもしれません。
 そんな時、私はこの詩を口ずさんでいつも自分を鼓舞しています。以下全文を紹介します。ぜひ皆さんも口ずさんでください。

 「青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎える情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、
 安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。
 歳月は、ひふの皺(しわ)を増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の
 如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 年は、七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得られるものは何か。
 曰(いわ)く 驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、その輝きにも似たる。
 事物や思想に対する欽仰(きんこう)、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く
 求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。
   人は、信念と共に若く 疑惑と共に老いる。
   人は、自信と共に若く 恐怖と共に老いる。
   希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして
 偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)いつくし
 皮肉の厚氷これを固くとざすに至れば、この時こそ
 人は、全くに老いて神の憐(あわ)れみを乞うる他なくなる。
 如何でしたか。勇気をもらえましたか。

 今、中国は春節で多くの人が故郷に帰り明日への生気を取り戻して仕事に励みます。私はキリスト教徒で、春節はキリスト教徒の聖都エルサレムを尋ねます。いずれ、この欄でまた紹介したいと思っています。


汪家の初代が生きた春秋時代とはどんな時代でしょう

 前回のブログで私の先祖が紀元前552年に初めて汪家を名乗ったことを伝えました。西暦で2500年前にさかのぼる話になります。ちなみに孔子が亡くなったのも紀元前552年で私の先祖と同時代を生きた人です。しかも、同じ魯という国の出身です。奇遇というほかありません。
 さて、古(いにしえ)に思いを馳せて、中国の春秋時代とはどんな時代だったのか回顧してみましょう。
 歴史書によりますと中国の春秋時代は周の平王が洛陽の成周に東遷即位した前770年から秦始皇帝が中国を統一した前221年までの時代を言います。また、前453年で前後に二分し,前半を春秋時代,後半を戦国時代とも呼ばれています。前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれていることから春秋と戦国時代に分けられているようです。前453年で二分するのは,春秋の大国晋の家臣であった韓・魏・趙の3代が主家を三分独立し,晋は事実上滅亡し,以後戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の対立抗争の時代となるからです。
 すこし、堅い話になりましたがこの時代は英雄が跋扈した時代でもあり歴史の興味が尽きない時代でもあります。孫子の兵法で有名な孫子もこの時代に活躍した戦略家の一人です。「呉越同舟」など故事に因んだ言葉が現代に生きています。


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